第10話:生きている
降りた先にはソファが用意されていて、あたしはぼふっと着地した。
「っはー!」
逃げ切った。空は夕闇で、こうなってしまえば白頭巾は消えていなくなる。
「お前すっげーなあ」
男性の声が聞こえて、体を跳ね上げる。
あたしを助けてくれた人だ。挨拶くらいしなくちゃね。
「えっと、進路担当の……」
「土田だよ、土田」
見覚えがあると思ったら、コウを含む事情有りな生徒や問題児に世話を焼いている人だった。
「……何で窓開けててくれたの?」
ここは進路指導室。社会科教室の真下で、進路担当:土田先生の根城でもある。
「藍沢、白い頭巾被った変なのに追いかけられてたろ?」
「見えるんだ」
意外。
「一応な。毎年、この時期になると学校に一人か二人入り込んでくるんだよ」
「ま、毎日くるの……?」
あたしが生き残れる場所無くなるんですけど……
「ちょうど卒業式練習が始まる日あたりから卒業式までで……一人か二人くらいか。入ってこない年もあったがよ」
「……」
「なんせ見ての通りの不気味さだ。鉢合わせするのは避けてたんだが……赴任してから6年も観察してりゃあ、なんとなくわかった。あいつらは、鍵が閉まった部屋には入れない」
「!」
「だから、お前は今の時期になったら、俺か笹谷先生に言って鍵付きの部屋に居てくれ」
なぜ?
あたしの問いが目に出ていたのか、彼は面倒臭そうながらも説明してくれた。
「……俺の見立てでは、あれは《この世ならざるもの》に当てはまる存在たちを吸収してるみたいだった」
「…………」
「いわゆる幽霊とでも言うべきやつ以外は、追いかけられるところは見たことがない。お前を除いてな」
この人は、あたしが《この世ならざるもの》であると断定している。
逃げようかと思って窓に寄ると、土田先生は手を振ってあたしを制した。
「……あんなあ、藍沢。俺は幽霊やら魔するものやらに偏見はねえぞ」
「そ、そうね」
あたしを消したければ、白頭巾がいるときに突き出せばいい話だ。
「彷徨える魂の吸収ったって……そう悪いことじゃない。……土地にこびりついたみてえな奴らも、安らかな顔して消えた。あの白頭巾、
「……でも死にたくない」
「そりゃそうさ。お前は生きてここにいるだろ」
なんだか、すごく救われた気がした。
「ま、俺みたいなのの言葉じゃ保証出来ねえから……他の人でなきゃダメだけどな」
「?」
保証ってなんだろう。
問いかける前に、彼はあたしが一番知りたかったことに答えてくれた。
すなわち、どうして死ぬべきあたしを助けたのか。
「俺はクソ野郎でな。見ず知らずのやつが消えても何とも思わない」
あたしもそうだ。
……『あたしじゃなくて良かった』と感じてしまう分、先生より卑怯だ。
「ただ……なんかお前はダメだ。名前も知ってて今話してるお前が消えると思うとそれは良くないと思う。自然の摂理に逆らってんだとしても、なんか無理だ」
「『なんか』ばっかりね」
「上手く言えんのだよ。……お前を助けたことを神様にごちゃごちゃ言われたらお前を売るかもしれない」
「最低……」
「どうやらないみたいだから、そんな真似もしないけどな」
「?」
「藍沢、生きろよ」
「……」
そのセリフには、彼にとって大切だった誰かへの想いが込められているような気がした。
「言われなくても、生きるわ」
生き続けてみせる。
「ん。ならいい」
今まで無気力な教師の割に世話焼きだな、なんて見てきたが……
「ツッチー先生、意外と情に厚いのね。人助けするなんて」
「けっ、うるせー」
小虫を追い払うようにしっしっ、と手を振る。こういうところは本当に大人気ないと思う。
「……こんな《目》持ってたら、アホみたいなことも考えるよ」
「…………」
彼も、他者とは違うものを持っているらしい。
「俺が出来ることなんてたかが知れてる。その点学校は良い。今となっちゃ天職だ」
進路担当なら、予知が出来るのは最高よね。
「……おっさんのぼやきだ。忘れろ」
「忘れるかどうか確約は出来ない。……でも、今日助けて、話してくれて……ありがとう」
「どういたしまして。暗いから気をつけて帰れよ」
――*――
インフルにかかると、体力が失われるせいか、熱が下がっても体がほんのりダルい。
あたしがだれているベッドのそばで、しゃりしゃりという涼しい音が聞こえる。
「……先生……」
「なんでしょう、佳奈子」
「りんご、剥くの上手いね……」
細く剥かれた赤い薄皮が、皿の上にリボンのようにゆったりと落ちていく。
横目で見ても実の部分が一切ついていないものだから、果物ナイフ一つでここまで薄く出来るんだなあと感動している。
「昔、きょうだいたちとよくりんごの皮剥き競争をしました」
懐かしむように、剥き終えたりんごの皮を指ですくう。
あたしも触ってもいいかと聞いたら『あげますよ』と言われたので、ありがたく受け取る。
あんまり細くて薄いから、糸みたいだ。
シェル先生は実をさくりと切っていく。それも『等分』という言葉そのもののような切り分け方だった。
「こんなふうに出来るんなら、毎回優勝してたでしょ」
「いえ。いつも兄様姉様に勝てずに3位です」
「…………。これより上とは……?」
もう物理法則を超えるしかないんじゃないのか。
「料理においても学問においても、俺など兄姉と比べれば凡人というわけです」
彼は『なので俺は普通です』と締めくくる。
あたしの書いたコンクール用の数学レポートにダメ出ししまくったことに『先生基準とかやめて』と言われたことへの抗議のようだ。
「……はいはい。万年3位だもんね」
たぶん先生のご兄弟は、みんなそれぞれ過剰なまでに天才だ。得意分野が違うだけであって、一つの競技で優劣はつけられないのではないだろうか。
世界各国からトップランクの選手が集い、オリンピックの多様な種目に出場するように。
「なんでそういう競技が生まれたの?」
大人数で競争するとなると、果物も結構な量になる。
「母が果物を使ったタルトを焼いてくれるのですが、食べる人数が多いと下ごしらえが大変です。みんなで手分けして……」
「温かい思い出なのね」
「はい」
なんだか、眩しいなあ。
「先生のまわりって頭いい人たくさんよね」
だから先生は周囲との差異を理解しないのだとは思うが、話が合わずに寂しい思いをするようなこともなかったのは良いことだ。
「そうかもしれません。今の俺も、きょうだいや父母から多大な影響を受けていますし。凡人であろうと、天才たちの間にいれば天才もどきくらいにはなれるというものです」
「…………。ノーコメントで」
あたしの手元に3切れのりんごを残して、先生はリビングへと移動した。
交代でやってきたのはローザライマ家の末っ子の片割れ。
「こんにちは、佳奈子さん」
「……こんにちは、セプトくん」
「調子はどうですか? 体力のないときに画面を見ていると疲れてしまいます。お体大切になさってくださいね」
「ありがと。でも、インフルうつったら大変じゃない?」
「ぼくたちは人と体の構造が違いますから、風邪はうつりません。……御身のお辛い時でもご心配くださるなんて、佳奈子さんは優しい方ですね。ありがとうございます」
ああ、そういえば先生も言ってたな……
っていうか、この子の中身、成人してない?
「なんか、久し振りに熱出したから疲れが激しくてね……」
すごく小さい頃に一度きりだった気がする。今回の風邪は吐き気がして食べられなくて関節が痛くて……と散々だった。
「それより。セプトくんも、数学好きよね?」
「はい! 大好きです。佳奈子さん、レポートをコンクールに出すんですよね。家族が喜んでいました」
「一応ね。明日、学校に行くときに印刷して出す予定」
「読んでもいいですか?」
わくわくする姿は、きちんと子どもらしく見える。
「う、うん」
「ありがとう!」
相手は5歳とはいえ、紛れもなく天才。少し緊張する。
「…………」
先生たちはかわるがわるあたしのところに来ては様子を見てくれる。おばあちゃんも来て、ゼリーを食べさせてくれたり……
なんだか幸せ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます