第11話:こどもであること
セプトくんはレポートを読み終えて、パソコンをあたしに返した。
「読ませていただき、ありがとうございます」
「ど、どうだった?」
彼は少し考え込んでから、ゆるく笑った。
「若輩の感想も不愉快やもしれませんが、僭越ながら……とても楽しかったです。基本的な数学を使っていても、社会で実践可能なシステムを作ることができる。そのことを誰にもわかりやすいように書いているという点で、ぼくはすごく良いと思いました」
やっぱりどうしても物言いが子どもらしくないけれど、無邪気に喜ぶ姿は子どもらしい。
「先生にはダメ出しされまくったけどね」
「父がダメだと仰られたところは、表現の揺れや手法の提案の文だと思いますが……」
この子なんでこんな……ほんとに5歳?
ぴったり当てはまっている。
「それこそ論文を書くときに気をつけなければならないポイントです。高校生の佳奈子さんにいきなり要求するべきではないと思います。これは論文ではなく、自由に書いていいレポートなのですから」
「……ありがと」
「レポートの形式を守ることが不文律になる場面もありますが、このコンペでは『なお、形式は指定しない』と」
「ほんとだ」
よく見ると注意文に書いてあった。
「この部門は審査員の方々にも人気があるそうで、毎年本気のジャンケン大会が開催されるそうです」
それも大人としてどうなのよ。
「数学者なのにジャンケンなんだ……」
「毎年プログラムを組み直して電子的にジャンケンしているのだとか」
チート対策ありとか、本気過ぎて怖い。
「概念に囚われないアイディアが飛び出すことが多いですから、名だたる先生方もお楽しみになられるのでしょうね」
「セプトくんも審査員?」
「そんな。子どもがそんな大それたことは……」
なんか、この子と話してると年上と話してる気がしてくるのよね。
「ぼくが読めるのは、受賞した論文とレポートだけですよ」
『ホームページに公開されていますので、元気になられたら是非』と勧めてくれた。
話の角が立たないようにというか、なんというか……本当にすごいなセプトくん。
「論文部門、レポート部門、作文部門……あれこれ違いがあるのね」
「はい。特に、論文部門では『学会に出すつもりで形式を守ること』と書いてありますので、そこが違いですね。あとページ制限が解除されますよ」
うきうきとしていて、この姿だけ見ればお気に入りのおもちゃを自慢する子どものようだ。
「セプトくん、数学好きよね」
「数学のみならず、理系分野であればなんでも好きですよ。人の思考に触れるのは楽しい」
「……」
シェル先生に似てる。
朗らかさはアネモネさん似だけど、ふとした瞬間にシェル先生風味を感じる。
「いつかセプトくんも論文書くなら、あたしにも読ませてね」
「っ……は、恥ずかしいですが、そのときは佳奈子さんにショウガンしていただけるよう頑張ります!」
「ショウガンってなに?」
「ものの良さを感じること、賞味することです」
セプトくんはペンでメモにさらさらと『賞翫』と書き出してくれた。……この子ほんとになんなんだろう。末恐ろしいとはこのことか。
「……セプトくん、撫でてもいい?」
「! 良いのでしたら、撫でてください。嬉しい」
あー、可愛い。
「セプトったら、お姉さんに構ってもらえて良かったわね」
「あ。アネモネさん」
彼女はほんわかな笑顔でこちらにやってくる。
「佳奈子さんはお優しいんですよ! ぼくの未熟な物言いにも鷹揚に対応してくださるんです」
逆だ。
「まあ。ありがとうね、佳奈子」
「や、えっと……あたし、むしろ教わってばっかり……」
さっきも漢字教わったし。
「子どもにとっては、年上の人と接するのが社会経験だもの。ね?」
「はい。ありがとうございました」
「セプト、パヴィとお父さんがお菓子仕上げてるから、お手伝いしてあげてくれる?」
「うん!」
丁寧に一礼してから、あたしの部屋を出て行く。小さく手を振ったのがとても可愛い。
彼が扉を閉めるまで振り返していると、アネモネさんに呼びかけられた。
「体調はどう?」
「うん。もう本調子に戻ってる。明日は学校に行けるわ」
「良かった。りんご使ってミニタルト作ってるから、焼き上がったら食べてね」
「何から何まで……」
「うふふ。……あの人、佳奈子が論文コンペに挑んでるのが嬉しいみたいで。あの人を喜ばせてくれたあなたに、私たちからお礼」
「ありがとう」
仲が良く、お互いを敬愛し合っている。素敵なご夫婦だ。
「佳奈子、大丈夫?」
「……あ」
頰がぬるいと思ったら、涙が流れていた。
「体が弱ると心も弱るのね……」
「何をお年寄りみたいなこと言ってるの」
アネモネさんが苦笑しながらあたしの頬をタオルで拭いてくれる。
「実際そうなのよ。昨日、捨て猫の成長番組見てたら泣けてきちゃったもの」
あのときは先生に驚かれて心配されて困った。……ちょっと嬉しかった。
「今日は何に感動したの?」
「……あたし、家族に憧れたのね」
遠い昔に失くしたはずの渇望だ。
「両親がいて、弟か妹がいて……って、そういう普通の家族に、憧れたことがあったの」
「……」
「先生とアネモネさんに、その一片を垣間見させてもらえたというか……上手く言えない。おばあちゃんと二人なことに不満があるわけじゃないのよ」
それはまぎれもない。
「……変よね」
「いいえ。変じゃないわ」
「?」
彼女はあたしの手を優しく包んで笑う。
「私も昔は家族に憧れたのだもの。佳奈子と一緒」
アネモネさんの出生は知らない。
でも、あまり良いものではなかったのかもしれない。
「ないものが眩しく見えてしまうのは、誰にだってあることでしょう?」
「……アネモネさんは、自分で家族を作ったのね」
羨ましい。
「ないなら作ればいい。なんて言ってしまうと簡単に聞こえるけど、あの人と出会えたのは奇跡なのよね」
彼女はいつも、旦那さんとお子さんたちの話題になると、とても嬉しそうにする。
「恋をして……今では子どもたちに囲まれて、すごく幸せ。佳奈子はどうなるのかしらね」
「うっ……」
失恋してはや半年過ぎ。もともと他人と話す機会がないので、新たな恋の気配など一切ない。
「大学行ったら、考えとくわ」
「いいわね。各地からいろんな学生さんが来るから、人生経験にもなるでしょうし」
「……」
人生経験というならば、異種族の皆さんと会えたことそのもの……
「アネモネさんのこと、お母さんみたいだって思う」
「あら、嬉しい」
勇気を出してのセリフに優しく答えてくれるのが、心温まる。
「先生はお父さんみたい」
「あの人喜ぶわね」
「……。上手く言えないけど、ありがとう」
「どういたしまして」
撫でてくれる手が優しい。
「今日の夕飯にはミドリさんもお呼びするから、みんなで一緒に食べましょうね」
「うん」
ふと気付いた。
「早速、いい匂いがする……」
甘くて温かいものが焼ける魅惑的な香りがする。
「シナモンの匂いもするでしょ」
「あたし、シナモン好きよ。……シェル先生ってお菓子作るの上手いわよね」
「物心ついた時から、ご兄弟みんなでお母さんのお菓子作りの手伝いをしてたみたい。あの人天才だから、手順をきちんと覚えてて……私たちにも作ってくれるのよ」
可愛いなあ、アネモネさん。
「親子のコミュニケーションにもなるから楽しいし、美味しくて幸せね」
あたしも意地張ってないで、おばあちゃんに料理教われば良かったな。
「遅くないでしょう?」
「…………」
あたしは1週間後に東京へ飛び立つ。
それまでにたくさん教わればいいのだ。
「うん。頼んでみるわ」
「頑張って。……明日は学校、行ってらっしゃいね」
「行きます!」
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