第4話 :妖精に似た何かと鬼に似ている何者か

 酔い覚ましのまじないをかけると、リーネアは少し回復したようだった。

「……世話かけた。ごめん」

「これくらい構わないよ。お前が羽目を外したと考えると面白くてならない」

「あのクソ警官が飲ませるからだ! 俺が自分から飲んだわけじゃない!」

 警官が強引な飲酒を勧めることに驚きだ。

「悪魔少女はぶれないな」

『自分以外の悪魔に出会いたい』とリーネア経由で父上に頼ってきた時、私とも顔を合わせたことがある。そのときに、彼女が悪魔であり、同時に婦警であるということも知ったのだ。

「キャリー……あのクソ女め……」

 リーネアはぶつぶつ言っているが、なんだかんだで友人たちとは仲が良い。リビングの端には向こうの世界からのお土産と思われる紙袋が大量に積まれていた。

 微笑ましい。

「ジョンとやらは止めてくれなかったのか?」

 種族名は不明だが、リーネアの友人はほぼ全員が戦闘能力に秀でる異種族だ。助けようと思えば助けられたのではないだろうか。

 マウントを取った体勢は一対一では有利だが、第三者から見れば途端に無防備になる。

「イッキイッキとか謎の呪文を唱えながら爆笑してた」

「……ああ、だろうな」

 止めてくれていたら酔っぱらうことはなかっただろう。

「クッキーくれたからもういいけどさ……」

 ミルクとバターたっぷりなクッキーを一口かじる。手伝い妖精の種族特性に漏れず、彼は乳製品好きだ。

「美味しそうだな」

「食べる?」

「……ありがとう、頂く」

 無機質な表情ながらも、どことなく無邪気なのは妖精だからか。

 まったりとした時間の中でリーネアを眺めていると、弟妹達の小さいころを思い出して和む。

「美味しい」

「ん。それ、俺の小さい頃からあるクッキー。姉ちゃんがよく買ってくれた」

「そうなのか。優しい友達だな」

「……」

 リーネアは凄まじい苦悩を見せたが、やがて頷く。

「いちおう、優しくは……あると思う……」

「そんな渋面にならないでも……」

「答えにくい質問だった。例えるなら、お前に『あんたのお父さん尊敬できる人だな』って他人から評価されるみたいな感じ」

「す、すまない。確かに答えにくいな」

 父のことは間違いなく敬愛しているが、頭がおかしいとも思っているし、暴走する面があるのも知っている。他者の評価にはそう簡単に頷くことが出来ない。

「だろ」

 瞬間、ベランダ側の窓が開き、冷たい外の風とともに陽気な声が響く。

「おっす、弟! 差し入れだよおー!」

「寒い。玄関から入れ」

「窓から侵入犯のお前に言われたくないんだけどね?」

 雪を払いながらブーツやコートを脱いでいるのは、リーネアの姉:ルピナスだ。

 私の大切な友人。

「こんにちは、ルピナス」

「……」

 彼女はわたわたと慌ててブーツとコートを虚空にしまい、もじもじと私を見てくる。

「そ、そんな。アホ弟の面倒を見にきたら、ルピネちゃんと鉢合わせるなんて……これが運命?」

「何で姉ちゃんが来るのかわかんねえ」

「覚えてないの? お前、昨日の深夜に酔っぱらったまま父さんに電話かけたんだよ。『父さんのばーかばーか!』って叫んで喚いて……」

 それまで平然としていたリーネアが、毛布を被って頭を抱え始めた。

「どうせ二日酔いしてるだろうからって、手が空いてた俺が来たんだ。ありがたいと思ってよね!」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

 リーネアは酒を飲むたび無邪気に笑い上戸で泣き上戸になるので、けっこうな量の失敗談を持っている。

 けらけら笑いながら、ルピナスは涙声で謝罪する弟を毛布ごとつつく。仲が良くて微笑ましい。

「……今日は男性なんだな」

「あ、うん。雪があるから、冬はもう諦めてるんだ」

 ルピナスは、雨に触れると性別が反転する体質を持っている。雪も雨と判定されるので、触れればオウキとそっくりな美青年の姿だ。

「そういえばオウキは?」

 私の属するローザライマ家はオウキの両親と親交があり、『オウキが家に居てくれてる』と嬉しそうな手紙が来ていた。

 彼女は頬をかきながら苦笑する。

「ほんとは、四月まで滞在するつもりだったらしいんだけど……体調崩してこっち戻ってる。ドクターストップ」

「……そうか」

 オウキの主治医は私の伯母だが、非常に厳しい人だ。無理と無茶を繰り返すオウキを病院に押しとどめるために手錠で監禁したことさえある。

「でも、じいちゃんとばあちゃんが遊びにきてくれるようになったんだよ!」

 嬉しそうなルピナスの言葉に、リーネアが反応する。

「来るのか。嬉しい」

「ね。……案外元気そうで安心したよ」

「まだ頭ふらつく。気持ち悪い。ライフル……」

 生まれた時から傍にあったライフルは、リーネアにとっての精神安定剤だ。いまもなんだかんだで触っている。

「べろんべろんに酔っぱらったお前がヘッドショット決めるとこ見たことあるぜ」

「うえっぅ」

 頭を揺らされて目を回す弟を見てルピナスが爆笑を始める。本当にオウキそっくりだ。

「あっはははは!」

 額を指で突く瞬間、緑の火花が散っていた。安静のために魔法をかけたのだろう。

 リーネアは枕に突っ伏して眠り始める。

「……あー、笑った」

 涙が出るほど笑えば、笑う方も笑い声を聞く方も爽快だな。

「意気揚々と来ちゃったけど……ルピネちゃんが居たとはお恥ずかしい。弟がお世話になりまして、ありがとうね」

 ルピナスは掴みどころがなく飄々としているが、こうして照れ照れしたりきっちりとお礼を言ったりと、温かい人間味に溢れている。愛おしい。

「……あなたの移動はオウキと違って空港経由だろう? 弟のために遠路はるばるやってくるというだけでも、あなたの想いの深さと優しさがうかがえる。充分ではないかと思うが」

「…………。ルピネちゃん、結婚しよう?」

「恋人に言え」

 この友人は会うたびこの手の冗談を言う。

「うー……冗談じゃないのに……」

「?」

「まあいいけどお。ところで、京ちゃんは? リナからは受験期だから授業ないって聞いたんだけど……」

「今日は学校だそうだ」

「あれ? あー、そっか! 卒業式練習!」

 ルピナスは寛光大学含む多数の学府で非常勤講師として働いている。体験授業のため高校に出張することも多く、日本各地の高校生に知り合いがいる。その伝手で日本の学校事情に割と詳しい。

「面倒くさいよね、あれ。自分があの場で流れこなせって言われたら『熱が出ました』でお休みしちゃうよ」

「流れを含めて様式美だろう? 学生は諦めるしかないな」

「あはは、クソ制度」

 他人事であれば楽しげだが、当事者になってしまった場合、彼女の言う通りに妖精は確実に出席しないのだろう。

「ルピネちゃん、今日はこれから予定ある?」

「いや。特には……」

 紫織たちも、もう自分たちだけで十分にやっていけるほどになった。紫織の教導役としても、私と紫織の相性からいってこれ以上教えられることはない。

 紫織のことは大学の指導教員がなんとかする。美織のことは双子の弟が何とかする……

「お役御免とでも言えるのかな、この状況は」

「……」

 いつも笑顔のルピナスが真顔になると、独特の緊張があるな。

「ふうん」

 ヴァラセピス一族全体の口癖である『ふうん』も、ルピナスが呟くと、なんとなく迫力を感じるのだ。

「な、なんだ?」

「いや。意外と俺も嫉妬するんだなあ……って、自分に驚いただけだよ」

「嫉妬?」

「なんでもなーい」

 ルピナスは、雨で性別が反転する。地下水を浴びることで戻る。

 雪の場合はしばらく反転の効果が残るらしく、体を洗い流してからでなければ戻ろうとしない。

「まあいいや。リナはしばらく起きないだろうし、京ちゃんも帰ってくるなら心配なしだ。時間があるのなら、借りなければ失礼だよね」

「……なかなか強引な誘いだな」

「いいじゃないか。妖精ってこんなもんだよ」

 くつくつと笑う。

「仕事があるんだ」

 差し出してきたのは、こちらの世界の魔法協会の印が押された書類だ。

 つまりこれは、正式調査――

 私の思考を遮るように、ゆるりと笑って私に手を差し出す。

「手伝ってもらえるかい?」

「……わかった」

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