第5話 :女王の往く道は
「妾はハーツ。異界よりこちらへと旅をしてきた女神である」
「……はい」
「なんじゃ、その気の抜けた返事は?」
「なんでもないです……」
彼女はコート姿でずんずんと進んでいっていたので、声をかけるタイミングが信号に引っ掛かった今までなかった。
抜け道方向に行ったのに途中から道を逸れてしまい、学校から遠ざかっている。
「む、青じゃな」
雪で見えない横断歩道の上を渡る。
渡り終えるなり、彼女はおもむろに振り向いて立ち止まる。
「ところで光太よ」
「何で名前知ってんですか⁉」
「お主、この状況で妙だと思わぬのか。妾が無差別に他愛もない人間風情をわざわざ釣り上げるわけもあるまい」
この人いま、『釣り上げる』って言った……
「……つまり俺を狙って罠にかけたと」
「ふふん。妾は人の欲望を見透かす目を持っておる。お主があの公園を通りたがっていたことはわかっておったぞ」
「もう一歩踏み込んでくれてたら最っ高に嬉しかったんですけどね……」
あの公園を通りたがっていたというのは間違いではないが、あの公園を通って抜け道に向かうことで登校時間を短縮するのが狙いだった。
通れれば良いということではない。
「何を言う。踏み込んでは妾の目的が果たせぬではないか」
「へ?」
「この時間でなければ果たせぬことがあるのだ。心配せずとも、終わればお主を学校に送り届けてやろう」
ハーツさんは『誰でも学べる学び舎があるのは良いことじゃなあ』と笑う。
「……お、おお」
心を読まれた。女神様だからか?
「欲望を見るとは言ったが、違うものも見えるぞ。というか、妾が本気を出して見通せぬものはない! 低く見ることさえ不敬と心得よ」
「す、すみません。……凄い人なんですね」
「うむ。妾こそは魔術の女王であるからな!」
この人、翰川先生にちょっと似てるな。
褒められると純粋に喜ぶところとか、綺麗で気品に満ちているところとか。
「……」
いや、待てよ。
なんだか、もっと似ている人が居るような気が――
「ところで光太。妾を前にして探るような思索を重ね続けるのはどうかと思うぞ」
「えっ……」
「ここが妾の世界であれば首を刎ねていたところじゃ」
「す……すみません」
からころと笑って、理想的なラインを描く顎に、これまた見事な造形美の白い指を当てた。
「しかしお主、面白いのう」
「へ?」
「なんと面白い」
「どこが……? あ、遅刻するとことか?」
目覚ましをかけ忘れていたのだ。
「そうではない。お主、この道を通ったことは?」
「……や、ないっすけど……」
平沢北高校から近いが、通っていた小中の母校周辺と違って、改めて周りを探索したことなどないのだ。
まさか高校生にもなって『探検マップ』なんて作るフィールドワークもやらなかったし……
「では、この先に小さな神社があることも知らぬのだな」
「神社。……ここらにもあったんですね。受験前に挨拶しとけばよかったかなー」
「…………」
ハーツさんは目を見開いて驚きを露わにする。
そのリアクションが今までの女王然としたものからかけ離れていて、なんだか見た目相応の若い少女らしく見えた。
あまりに可愛かったのでつい見惚れてしまう。
驚きを振り払って優美に笑う。
「……ふふ。そうか。律儀で良いことじゃぞ。若者にしては見上げた心掛けであるな」
「ありがとうございます」
「こちらの世界では《あわい》を操るものも数少なく、些か憐れみさえ覚えておったが……なかなか捨てたものではない。楽しませてくれるものよ」
「?」
《あわい》ってなんだろうか。
漢字をあてるなら淡い? ……いや、これは早計だ。もしかしたら音が似てる日本語以外の単語かもしれないしな。
「そろそろ近い。見失わぬようついて参れ」
「見失うって、何をどうしたら見失えるんですか」
2mほどの距離を空けて追っているから、今も彼女のコートの背が見えている。
「進めばわかることじゃ」
「……わかりました」
ハーツさんについて細い路地を曲がると、確かに神社があった。大きなお社ではないが、鳥居があって手水舎があって、拝殿がある。まさに神社だ。
神社の敷地は藪と空き家に囲まれている。確かにこれなら、わざわざ入り込まない限りは神社があることなど分からないだろう。
「ここにどんな用事が――」
頭を下げて鳥居をくぐった瞬間、白い頭巾をかぶって白い着物と白い袴を着た人とすれ違った。
「…………」
振り向く勇気はない。
袴を着ていた人の足先を見た覚えがないとかそういうことは一切ない。ないと信じ続けたい。
だが、残念ながら白頭巾は神社からわらわらと湧き出ている。
「あのー……ハーツさん?」
白い袴は2列を作って鳥居の真ん中を歩いている。ということは、彼らは紛れもなくこの神社の神様だ。
参拝者が鳥居をくぐるとき、脇を通るのは神様の通り道を空けるためである。
「なんじゃな、光太」
「神様って分裂するんですか?」
「神という言葉で妾まで一括りにするでないわ。首を刎ねるぞ」
あ、誰に似てるか分かった。シェルさんだ。
笑顔で首に手を伸ばしてきたので全力で命乞いをする。
「ふん。……まあ良い。ここまで付き従って来た褒美じゃ。許してやろう」
ぶっちゃけ何度か逃げようと思ったが、大人しくてて良かった。
「……」
白頭巾たちは鳥居をくぐって出ると袴からにょきんと足が生えて地面に足をつける。
足袋に草履。氷と雪で埋まった白銀で冷たくならないのだろうか。
「冷たかろうよ。冷たかろうが歩くしかないのじゃ、こやつらは」
「あ」
そうだ、思い出した。
こいつらは、座敷童になる前の佳奈子を追い回していた奴らだ!
玄武さんが掻っ捌いて持ってきた白頭巾と太鼓しか見ていなかったから、頭の中でつながっていなかった。
「生きてたらこんなふうなんだ……」
白頭巾は太鼓を掲げて打ち鳴らしている。どこへ向かっているのだろうか?
「なんじゃ、すでに仕留めておったのか。つまらぬのう」
「あばばばばば」
ハーツさんは白頭巾に名前もわからないプロレス技のような締め技を
声もなく。もがくこともなく。ただハーツさんの腕から逃れようと体をゆっくりとよじっている。
しかし限界が来たのか、白頭巾の体は空気に溶けるようにして消えて――特徴的な模様のついた頭巾と太鼓だけ残る。
「ほれ」
「かっ……」
スライディングしかける寸前で踏みとどまり、左足を大股で踏み込む。
「みさまの道具っぽいものを! 気軽に投げるのどうかと思います‼」
投げ渡された頭巾と太鼓をなんとかキャッチする。
白い布は絹。太鼓は……小さいならがも本物の皮張りのようだ。
「次じゃ」
「はっい⁉」
「次」
ハーツさんは頭巾を次々捕まえては締め上げて、手元に残る頭巾に太鼓を包んで、躊躇なく俺に放り投げてくる。最初のプロレス技が何の手加減だったのかと思うほど効率があがっている。
9体分の太鼓セットを持たされたとき、スペードさんが呟く。
「面白いが奇妙じゃのう」
10体目を仕留めた。
ついには締め技ではなく、頭巾の鎖骨の間あたりを手刀で貫いていた。
「あの……さすがにもう持てないんですけど……」
「投げ渡さぬわ」
呆れたように言い、すう、と息を吸う。
「閉じよ」
――その瞬間、世界が断絶されたように感じた。
「……うお」
神社の敷地の外、鳥居の向こうまで、すべて真っ暗闇に一瞬で塗りつぶされた。
外に出て行こうとする白頭巾は鳥居で詰まって止まり、外に出てしまっていた白頭巾はある程度暗闇を進むと、溶けて消えてしまう。
そして頭巾と太鼓が残る――
「間違っても外に出るなよ。……本来であれば、妾やお主を追い出すか殺しにかかるはずなのじゃが……不思議なこともあるものだ。か弱い乙女である妾にこやつらが襲い掛かって来るなどあってはならぬからな」
いや、あんた攻撃されても消滅させてたと思いますよ。おそらくは、役立たずな俺を平然と守り抜きながら。
「お主のチカラのせいやもしれぬな?」
殊勝なセリフに反して、彼女の笑みは凄艶。
最初から神秘目当てで俺を連れてきたに違いない。
「……女王様の助けになったんなら、それでいいっす。良かった」
「ほう。物わかりの良い奴は好ましいぞ。誉めてつかわす」
恐ろしく頭の回転が速いから説明不足。ハーツさんはやはりシェルさんに似ていて、結果として、彼に似ている翰川先生とも似ているのだ。
「とりあえず、これから何すればいいのか、何をしちゃ駄目なのか教えてもらえませんか」
「良かろう」
俺の鼻先を指で突いて告げた。
「第一、妾の傍を離れずついていろ」
「もちろんです」
白頭巾は賽銭箱の前から鳥居まで一糸乱れず整列しているが、いつ列を乱してこちらに来ないとも限らない。
「お主の持つチカラは仮説段階で聞いてはいるが、範囲までは未だ分からぬ。妾の神秘がどう影響するとも知れぬ。歩き回られると迷惑なのでな」
「……でもさっき普通になんか使ってませんでした?」
「妾は女神ぞ? あの程度、言霊一つで為せること。大したことではない」
扱うアーカイブの規模が違うことが非常によく分かった。
「では第二。お前の神秘は完全なる無意識型じゃ」
「無意識型……無意識にしか使えないってことですか?」
「お主が自身のチカラを理解して使えば別じゃぞ。が、現時点では使おうと思っても上手く使えぬはず。つまりは妾の指示に従え」
「……わかりました」
どうせ難しいこと考えてもよくわからんしな。
「では、まずは今出ておる白頭巾を根絶やしにすべく武者働きじゃな」
「えっ」
しかし、女王様が俺の言葉で止まってくれるわけもなく――鳥居前の白頭巾に向かって歩き出した。
「妾の後ろについておれよ」
「いえすあいまむ‼」
俺は涙目で返事をした。
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