第3話 :時計見ずとも
朝起きた瞬間、俺は寝坊を確信した。
俺の第六感みたいなそんな何かが、『森山光太はすでに遅刻している』と囁いている。
布団を弾き飛ばすようにして起き上がり、壁掛け時計を見る。
朝8時40分。
「…………」
しかし、俺も伊達に修羅場を潜り抜けてきたわけじゃない。朝食を食べて顔を洗って歯磨きをして、制服に着替える。
そして電話をかけた。
「もしもし、ツッチー先生? ……遅刻したんで今日は……あ、ダメ? 欠席には……え、まじですか。これ以上休んだら出席日数足りない? 残機2……『笹谷先生がブチギレてるから早よ来い』? …………うっす。走って行きます」
電話を切ってポケットにしまい、コートを羽織ってリュックを背負う。
「ああああああ‼︎」
絶叫しつつ家を飛び出す。
雪道では自転車が使えないし、そもそも全力疾走しても体力がもたない。
なので、いつもは使わないバスを利用することになる。財布の問題で、タクシーという選択肢はない。
転ばない程度の駆け足で、雪かきされている道を選びながらバス停に向かう。
「バス、30分後……」
俺の家から高校までなら、徒歩で行けば50分と少し。こうなると歩くのとバスとでかかる時間の差はほぼなし。どころか、バスが定刻に来ない可能性が高い。なぜなら雪道だから。
つまり俺は、これから延々と学校への道を路面凍結に気をつけながら歩くしかない。
「……」
もういっそ休みたいくらいだが、貴重な残機を散らすのは嫌だ。
とぼとぼと歩き出す。
見慣れた通学路。
こうして学校に行くのも、あと一週間もない。そう思うと、なんとなく感慨深く思える。
……何度遅刻したっけ。俺は
これまでも担任の笹谷先生には非常にご迷惑おかけしていたが、まさか卒業式直前まで迷惑をかけてしまうとは思わなかった。
「土下座と反省文で許してくれるかな……」
うちの学校には反省文の枚数で刑罰を軽くしてくれるという、明文化されていないものの、暗黙の了解となっている制度がある。
欠席扱いにされないよう、全力で執筆する所存だ。
ザクリザクリと踏みしめる雪は真冬より厚みが減っているが、歩道が凍結したところも多い。横断歩道の白線なんて最たるもので、凍っていないと思って踏んでも滑ったりする。
とはいえ、高3になるまで札幌に暮らしていれば、滑りにくい歩き方や滑った後の姿勢維持。転んでしまった後のリカバリ……そういった一連の動作はとっくに板についている。
途中の自販機でスポーツドリンクを買う。恋人が好きな銘柄だ。
「♪」
小さな幸せを見つけた気分で水分補給。
足を動かし続けると、中間地点の小さな公園に差し掛かった。
普段ならここを突っ切っていくと少しの近道になるのだが、まあ今は冬なんで……雪捨て場になってしまっていて通れない。
「……あれ?」
そう思っていたのに、というか実際に昨日通ったときにも雪山だったのに――雪が見当たらない。
「…………」
ここの公園は雪捨て場。除雪を入れる意味はない上に、大人の背丈を軽く超える高さの雪山となればその中身は雪ではなく氷だ。人力で除去するのは到底不可能な重さと硬さになるはず。
そんな考察はさておき――
「よっしゃあ天の助けだーあ‼︎」
めっちゃラッキー。
これで超近道ルートに向かえば10分の短縮になる。
俺の今年の日頃の行いが(前年度比で)いいからだ。
「神様っているんだなー……」
公園を駆け抜けて、反対側の出口へ走る。
だが、出口のポールを飛び越えて着地した瞬間、女性に胸ぐらを掴まれた。
「そこなる少年」
「……」
俺と女性との身長差、およそ30センチメートル。
身長差がわかったのは、彼女が俺の身近にいる低身長座敷わらし:佳奈子とほぼ同じ身長だったからだ。
しかし、体重約60キロを片手で浮かせる時点で、細腕に見合わない腕力を持っているのは明白。
赤と金の髪をした豪奢な美人は、にこやかに俺に告げる。
「神に感謝を告げるというのならば、
ああ、恐ろしく綺麗だ。
理屈を飛び越え、本能で『この人は異質な存在だ』と全身全霊に分からせてくれるような、奇妙な何か。
「……拒否権はありますか?」
この時点で、寒い中冷や汗ダラダラである。風邪ひきそう。
「薄情な若者じゃのう」
時代がかった口調も、彼女の風格と美貌にはよく似合っている。女王様のようだ。
しかし笑顔が怖い。腕が微動だにしないのも怖い。
「妾の恩恵に与ったというに」
「恩恵? それって……?」
もしやまさか……
「天の助けだとか言っておったろ」
「……言いましたね」
「神様っているんだなー……だとか」
「…………」
「妾は神としてお前を助けたのじゃぞ?」
神様っているんだなー! 物理的に‼︎
「え……あの雪はどこに?」
「あんなもの、妾にとっては塵芥と同じことよ。消し飛ばしてやったわ」
彼女は『ふふん』と得意げに笑う。佳奈子と同じくらいの身長なのに、迫力が桁違いだ。
ぜったいなんかやばい人だこの人。初対面時の翰川先生やリーネアさんなど、人外相手に感じた雰囲気と似たものを感じる。
「天の助けとわかったということは、お主は妾の施しに感銘を受けたのであろう?」
自分の口の軽さを呪う。
「つまり、助けられたお主は妾に魂を捧げる義務がある……とはいえ、今の妾では魂を供物とされようと、受け入れることは不可能」
よくわからないが、『こいつは私のために魂を捧げる』ということを前提としていて疑ってもいないという内容を喋っているのは理解した。
「よって、対価はお主の時間とする。女王の寛大なる采配に喜ぶが良い」
彼女のどこらへんが寛大なのかわからない。
時間と言われても、今日に限ってそれはマズい!
「あのう……俺、これから学校……」
大幅な遅刻だろうとも、学校に辿り着きさえすれば出席扱いにはなる。出席しない限り、卒業式まで一日たりとも欠席できなくなってしまう。
例えば風邪を引いて――要は出席停止扱いにならない――欠席をすれば、一発アウトで留年という状況に。
休みたいのではなくて、万が一の事態に備えて残機を保全しておきたい。
「お主の持ち腐れた宝を有効活用してやろう。感謝せよ、人間。お前の生きる意味を教えてやろう。女王直々に教え込んでやろうではないか」
「ぐえ」
コートのフードを掴まれ、女性に引きずられていく。
「あ、歩けますから。自分で歩きます!」
「最初からそう言え。本気で妾に付き従うのならば、我が臣下のごとく気を利かせよ」
なんだこの暴君。
おそらく家来がいるっぽいのはわかるけど、なんで俺まで従者扱いにするんだ。
「早う歩け」
理不尽過ぎてあっけにとられる俺を無視して女性は歩き出す。……幸いにも抜け道方向だが、神を自称する彼女に抵抗など無意味だと思う。
身のこなしがリーネアさんを彷彿させるほどに隙がなく、彼女を追い抜いて置き去りにできるビジョンが全く思い浮かべられないのだ。俺は持久力勝負の長距離は得意だが、瞬発力を要求される短距離は苦手である。
「……」
訳の分からない状況の中、とりあえず、はっきりと言えるのはこれだけ。
さよなら、俺の残機。
――*――
「えっ、光太も休みなの?」
佳奈子がインフルエンザなのは光太から聞いていたが、光太が欠席するとは思っていなかった。
「休みって確定しちゃあいないみたいだけど……このままじゃ欠席かもってとこ」
教えてくれたフラグくんがやれやれと嘆息する。
いまは二時間目の中休み。今日に限っては、全体通しの卒業式練習が終わって、長めの時間設定だ。
「そっかあ……」
「ミサッキー、もりりんになんか用あったの?」
彼は『恋人だもんな』と笑う。
「う……よ、用ってほどじゃないけど……お昼、一緒に食べたいなって……」
「おおー……」
「フラグくんが良ければなんだけど」
「ミサッキー、そこは『二人きりにしてくれ』と俺に言う場面でない?」
「え? フラグくんとも話すつもりで来たんだけど……め、迷惑だった?」
「いやまあ、ミサッキーがいいなら嬉しいけどさ……つくづく、もりりんと相性のいいお人だなあ……」
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