1.森山光太は学校に行きたい
第2話 :休息
今日は3月1日。
卒業式がついに1週間後に迫ってきた。
「……先生、大丈夫ですか?」
「うぶっ……むり……」
先生は一昨々日から昨日の夜までご友人と遊びに出ていたのだが、最終日にお酒を飲まされたらしい。
超上機嫌で帰ってきたのに結果として二日酔いしている。
「うぇ……」
「水、飲めるか?」
ソファの上でふらつく先生を押し戻し、ルピネさんがグラスを差し出す。
「ルピネさん、すみません……」
「構わん。酔っ払いの分際で学生に迷惑をかけるのは許されんからな」
酔った人の扱いがわからず、知り合いの大人の方に相談したところ、ルピネさんが昨日から来てくださった。ありがたい。
「紫織たち大丈夫ですか」
「私が居なくとも一日や二日問題ないよ。紫織はそれだけの家事スキルを身につけている」
「た、頼もしい……」
さすが紫織。
「学校は間に合うのか?」
「それは大丈夫です」
私は6時に起きてジョギングする習慣があり、今日は早起きした分をリーネア先生に代わって家事することに充てていた。
「一人じゃ先生をみられなくて……あと、普通の体調不良とは違うからどうしたらいいのかなって……」
「なるほどな」
ルピネさんは一つ息を吐いた。
「酔っ払いをあしらうには慣れが必要だが、それは本来要らない技術だ。気にするな」
「来てくださって、本当に助かりました。ありがとうございます」
「どういたしまして。……リーネア、水だよ」
顔も真っ青で、いつもに比べて生命力7割減の先生が水のグラスを受け取る。
「るぴね、ありがと……」
「なぜ飲んだ?」
「キャリーが……口にボトル突っ込んできて……むせて飲んだ」
ワイルドなご友人だなあ……
「……悪魔少女か」
先生のご友人には異種族さんがとても多い。それでも、悪魔の人もいるのには驚きだ。
話を聞いていたくはあったが、私もそろそろ登校時間が迫ってきている。
「先生。私、卒業式練習に行きますけど……無理しないでくださいね」
大声を出すと頭に響くらしいので、できる限り静かな声で伝える。
「しない……できない……」
「ルピネさん、すみませんが、先生のことよろしくお願いします」
頭を下げると、彼女は鷹揚に頷いた。
「任せておけ」
「行ってきますね」
「行ってらっしゃい」
「いってら……」
――*――
「るぴね……」
「ルピネだ。どうした、リーネア」
「あたまいたい」
「うんうん。大丈夫だから、寝ような」
「ねれない」
「寝かしつけてやるから寝ろ」
「るぴね」
「はいはい。なんだ、妖精さん?」
「吐きそう」
「袋持ってきたぞ」
「るぴね好き……頭いたい……」
「私も好きだ。いいから寝ろ」
酒飲みの妖精もいるが、幼いタイプの妖精は往々にして酒に弱い。
「……お前にしては羽目を外したな」
「キャリーとジョンが、札幌に遊び来て……『居酒屋巡りに付き合わなかったらお前ん家行く』って、脅した……ケイに魔の手をかけさせるのはダメ」
その二人はおそらく、久し振りに会う友人と長く時間を過ごしたかったのだと思われるが。
「キャリー、変態だから……」
「……」
この子がここまで京のことを可愛がるとは思っていなかった。
ロボットのようだったこの子が守るべきものを慈しむ様子を見ていると、成長を感じる。
「るぴねお水ほしい」
「京から必要ならスポーツドリンクを使ってくれと言われた。少し待て」
彼女には走りこみの習慣があるのだそうで、粉末のスポーツドリンクを買い込んでいる。
沸いたお湯で粉末を溶かし、水で割る。
ストローボトルに入れて手渡すと、ちびちびとすすり始めた。
「……ぬるくておいしい」
「良かったな。帰ってきたら京にお礼を言いなさい」
「うん」
――*――
「……リーネアが二日酔いとは」
大人バージョンのシェル先生がスマホを見て呟いた。
いま、ルピネさんはリーネアさんのところに行っているはずだ。
「あの人お酒飲むの?」
「自分からは飲まない。しかし、あちこちで末っ子ポジションなのでいたずらで周りに飲まされることが多く……一杯で上機嫌の泣き上戸の完成だ」
「お酒弱いのね」
「得意な妖精は珍しいよ。……話が出来る余裕が戻ってきたな」
「う……」
あたしはいま、自宅のリビングに折りたたみベッドを持ち込んで寝かせられている。
「あとは登校停止期間が明けるのを待つだけか」
「……ありがと」
「ミドリさんに言いなさい」
「それでも、先生たちに」
キッチンに立つアネモネさんが振り向く。
「佳奈子。リゾットにチーズ足してもいいかしら?」
「お、お願いします!」
「了解ね」
コンソメの良い香りが漂ってくる。
「……先生、ほんとにありがと」
「どういたしまして」
あたしは四日前くらいにインフルエンザを発症し、シェル先生やその奥さんであるアネモネさんに看病してもらっていた。
おばあちゃんも看病してくれようとしていたんだけど、伝染しても悪いからと、少しの様子見と差し入れをしてもらうことに留めてもらっていた。
老人のインフルエンザは怖い。
「先生たちは大丈夫なの?」
「俺や妻は人間と同じような見目ではあるが、中身は完全に別物だ。全身が神秘の塊だから、本人が著しく体調を崩さない限り風邪など引かない」
「……それ聞くとちょっとうらやましい」
熱が出始めて先生にヘルプコールをしたところ、先生は時空間を無視する転移魔法でやってきて、そのまま転移であたしを病院に担ぎ込んだ。
薬のお陰で熱が引いたのは初日だったんだけど、体力はないし関節が変だし、指先が微妙に力入らないしで……こうしてお世話を受けている。
「……この世には神秘があるのに、どうして一粒飲めば治る薬がないのかしら……」
「魔女の薬にはいくつかあるぞ」
先生の言う《魔女》は、こちらの世界の人が成る魔女と違って、本当に魔女という種族らしい。
しかしながら、こちらの魔女と同じように魔法で薬を作ったりホウキで飛べたりするし……要は万能の魔法使いなのだとか。
彼女たちは、薬を作るとなればプロフェッショナル。
「体内には独特の時間が流れている。薬の効きも、代謝が大きく関わる」
飲み薬は食前食後、就寝前だとか飲む時間が決められている。
「体内時計の一切を無視した薬を飲んで治っても、どんな後遺症が出るかわからない。誰にも保証できない魔女薬を使うより、今の今まで人間相手に信頼と実績を積み重ねた製薬会社の薬を頼る方がずっといい」
「楽な道はないのね……」
「佳奈子が登校できるのは、卒業式の二日前からだったかしら?」
アネモネさんは良い香りのするお皿をトレーで持ってきて、あたしのそばのテーブルに置いた。
「それまでに体力を戻していかないとね」
「! 美味しそう……」
「熱いから、ふーふーして食べてね」
アネモネさんは優しく言って、飲み物と食器を用意してくれる。……やっぱり、ローザライマ家のお母さんだなあ。
「……先生はなんで間近で見てるの?」
シェル先生は向かいのソファに座ってあたしを見ている。
「座敷わらしも風邪を引くのだなと」
「論文にするのはやめてね」
「しない。だが、レポートにはまとめさせてほしい」
「契約だもん、それはいいよ」
「ありがとう」
彼の隣にアネモネさんが腰掛けた。
「ところで、なんで大人バージョンなの?」
昨日まではニュートラルだった。
「スペルの波長の問題で」
「この姿だと放出するスペルの量が減るのよ。それを利用して、いつもの姿とこの姿とで、体内のスペルを調整してるの」
さすが生ける神秘。
「そうなんだ。……いただきます」
「召し上がれ」
美味しい。
トマトの果肉が柔くて、噛むと旨味が滲み出る。
「……美味しい」
「良かった。食欲も戻ってきたのね」
「うん……」
初日は吐き気がして食べられなかった。
美味しいご飯を当たり前に食べられるこの幸せを噛み締める。
「光太くんと京ちゃんからメール来てるから、お返事してあげて。はい、スマホ」
ぐったりとしている間、スマホを見ると気持ち悪くなっていたので、二人が預かってくれていた。
「何から何まで、ありがとう……」
「どういたしまして」
「元気になってね」
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