わたしの夢終

「成長させる。良い案だ」

「それしかなさそうですね」

「え。いいんですか?」

 俺の持つ能力が神秘を阻害するのなら、ドロシーちゃんの内側にあるパターンを打ち消せば良いのではないか……という単純明快な思いつきだ。

「実は何度か試したんですよ」

「失敗に終わっているがな」

 挑むの怖くなってきた。

「あ、いや、勝算がないわけじゃないぞ?」

 シアさんに続き、シェルさんもフォロー。

「アーカイブを阻害するアーカイブは数が少ない上、使い手の精神が漏れなくおかしいんです」

 この人フォローが絶望的に下手だなあ。

「…………」

「あなたが唯一の後天発現ですし、精神は大丈夫だと思います。……常識の二文字からかけ離れた面子が揃うので、ドロシーの精神を正常に戻すには向いていないというか」

 シアさんが嘆息しつつ話を引き取る。息がぴったりだ。

「要は、『正しい精神状態が全くわからない人物』が直しても悪化するというわけだ。壊れた銃火器を無知な素人に修理させて使うのと同じレベルだな」

 想像するだに恐ろしい。

「でも、俺にそんな器用なこと無理なのでは……?」

「出来ていたじゃないか。ドロシーが素直で無邪気で、母親思いの女の子であることを信じていた。だから、お前はドロシーのチカラを抑えていた。それでいいんだ」

 心なしかのんびりとした口調で、シェルさんが補足する。

「実は、現実を歪めるほど強力な外向きのパターンは、種族として上位か、まるっきり子どもでもなければ使えないんです」

「! じゃあ、成長すれば収まるってことですか」

「おそらくは。万が一威力が収まらなくとも、本人に自制がつくでしょう。封印の階級も下がるかもしれません」

「あわよくば外に……」

 封印されなくて済むようになるかもしれない。

「……水を差すようで笑いが、ずいぶんとドロシーに思い入れてくれるんだな」

 思い入れといえばそうなのかもしれない。

 ふとした瞬間に『受験2週間前に何やってんだ俺』と思ったことがないでもないが、だからといってドロシーちゃんを放り出すこともしたくなかった。

「いろいろありまして」

 母を求めて泣く彼女を見ていると、自分も昔は母が恋しかったなとか……いろいろ考える。

 思い出させてくれた彼女に、恩返しがしたい。

「それに、二人とも居てくれるなら勉強ばっちりでしょ?」

 軽口を叩くと、二人が淡く笑う。

「言うようになったな。手加減抜きでいこう」

「ひぞれを見習って遠慮なく」

 あれで手加減してくれてたんですね!

 俺の叫びは、二人掛かりのスパルタに飲み込まれた。



 ドロシーちゃんは、自分から料理や洗濯もの畳みなど手伝いを買って出てくれるようになった。

 周りを見られるようになった証拠だと、弟妹さん二人は大いに喜んでいた。

「お手伝いありがとうね」

「お姉さんだもの!」

 胸を張ってから、小さく呟く。

「いい子にしてたら、ママ早く帰ってきてくれるかなあ」

 このギャンブルには致命的な穴がある。

 彼女を成長させることに成功しても、お母さんは決して帰ってこないということだ。

 もし『ママ帰ってこないじゃない、嘘つき‼︎』と空間の揺らぎが爆裂した場合、俺でも抑え込めるかわからないらしい。その時は双子ふたりで抑え、監獄に転移させるそうだ。

 つまりはそこでゲームセット。

(……でも、お母さんがいないなんて、言えないよな)

 暴走するからだけじゃなく……こんなに幼いままでは、伝えるのが可哀想だ。

 シェルさんは『姉は愚かではありません。成長すれば悟ります』と言っていたが、まだまだドロシーちゃんは不安定だと思うのだ。

「コウタ、これで最後?」

「うん。いやあ、ドロシーちゃんに頼りっぱなしだ」

 何かを教えた時の飲み込みはとても早い。服を畳むのもあっという間に上手くなった。……やっぱり、小さくても悪竜さんなんだよな。

「ふふー」

 自慢げなところが可愛い。

 ドロシーちゃんは小さな衣装ケースをシェルさんからもらって、喜んで服をお片付けしているそうな。子どもは『自分の』または『大人には秘密の』という響きが大好きである。

「そうだ。コウタ、ステーキって焼ける?」

「へっ?」

「ママね、ステーキ焼いてくれたのよ」

「ステーキかあ。ご馳走だね」

 俺の財力では無理だ。

「コウタも作ってくれる?」

「う、うーんとー」

 どんな肉なのか? そしてそれは高いのか?

「ちょっと待っててね……」

 スマホを取り出し、一時的に東京に戻ったシェルさんに電話をかける。

『はい』

「あ、その」

『話せないときは出ませんから心配しないでください。何ですか? ステーキなら羊肉でしょうから、厚めのマトンでも買ってあげなさい。代金はあとであなたの口座に振り込みます』

「『何ですか?』のセリフが何の意味も成してねえ!」

『では』

 切れた。

「ロザリーちゃんとお電話したの?」

「うん。……シアさんが帰ってくるまで待って、一緒にお買い物行こう」

 シアさんとは連絡先を交換していないのだ。あとで頼もう。

「わかった!」

 ドロシーちゃんは、少しずつ成長していった。

 内面だけの話ではなく、その容姿も変わっていく。

 風呂上がりのたびシアさんに測ってもらう身長はみるみるうちに伸びていった。

 今日でついに140センチ。

「……あんなに速いもんですか? かぐや姫みたいだ」

「姉はかぐや姫というより、オズの魔法使いなのですが……確かにあれは、見慣れていなければ驚きますよね」

「オズの……あー。そういや、ヒロインの名前とおんなじですね!」

 シェルさんも洒落を言うことがあるんだなあ。

「何か勘違いされたような気がしますが、まあどうでもいいです。……姉を撫でに行きます」

 いそいそと側に歩み寄り、ドロシーちゃんを撫でている。

「ロザリーちゃん、わたし背が高いのよ!」

「はい。俺も我が事のように嬉しいです」

「えへー。ね、シアも嬉しい?」

「当然だとも。ほかのきょうだいたちに自慢してやりたい」

 どシスコンの二人を相手に怯まないのだから、ドロシーちゃんは大物である。



 成長するに従って、お絵かきの頻度は減った。俺の勉強もスムーズに進むようになった。

「コウタ、きちんと図を描かないから後で困るのよ! ほら、こうやって描いたら、ここが3より短いのわかるでしょ?」

 俺はドロシーちゃんから数学を教わっていた。

 どうしてこうなった。

「……ドロシーちゃん、頭いいね……」

「ロザリーちゃんに頼んで教えてもらったの。ロザリーちゃん頭いいんだから!」

「いや、これは多分ですね……もういいや……」

 シェルさんは珍しくおかしそうな笑顔で『教師を置いていきますね』と言って東京に帰って行った。

 まさかこういうことだとは思わなんだ。

「……」

 受験まで残り4日。

 ドロシーちゃんは幼児から小児、小児から思春期頃の少女にまで成長し、俺の代わりにシアさんと協力して家事をこなしてくれるようになった。

「京とのデートは上手くいったの?」

「あ、昨日のね。勉強会ね……」

 京とは『最後に一度だけ会って、あとは受験会場で』と約束していた。悪竜さん二人を残してリーネアさんの家にお邪魔したのだ。

 ずっと渡そうと思っていたストラップを渡せた。彼女の好きなカエルがモチーフで、まあ、小さなハートをカエルが抱えたデザインというか……

「コウタって純情よね」

「い、いやあ……だって……」

 京は大いに喜んでくれて、ふと我に返ったかと思えば恥ずかしそうにストラップを出してきた。

 猫がハートを抱えたデザインのストラップを。

「っ……に、似た者カップル……!」

「偶然だよ! ……でもまあ、その偶然がおかしくて嬉しかったりも……」

「いっちょまえに惚気まで。前進してるのね」

「うあーもう……」

 こういう話題になれば、男子は女子に勝てない。決まり切ったことだ。

「ママとパパみたい」

 そういや、パパの話が彼女の口から出るのは少ないな。

「パパさんは……?」

「わたしが生まれたばっかりの時に、病気で死んじゃった」

 悲しそうに笑う。

 ……この境遇の彼女から母親まで奪った神様とやら、本気でイカレてんじゃないのか。

「でも、ママはパパのこと大好きなの。わたしが生まれたらすぐ抱っこして大喜びしたんだって!」

「そっか。幸せ家族だ」

「うん。ママね、パパが居なくても寂しくないように、わたしのためにたくさんいろんなことしてくれたの。お絵かきして遊んだのよ」

「……」

「ママとパパとわたしの絵を、描いて……」

 ドロシーちゃんが小さく呻く。

「……ドロシーちゃん?」

「っ、ママ……」

 嗚咽で震え出す体がゆっくりと床にくずおれる。

「ドロシーちゃん‼︎」

 慌てて駆け寄るが、バチンと音がして景色が歪む。逃げるかシアさんを呼ぶか。

 いや、間に合わない。

 咄嗟に彼女の手を掴んだ。

「っ……」

 全身が冷えるような恐怖を飲み込んで、彼女と向き合う。

 ドロシーちゃんは癇癪寸前のような顔でイヤイヤしていたが、やがてじっとおとなしくなって、俺を見上げた。

「……コウタ」

「なに?」

「ママは、帰ってくるの?」

「…………」

 ここで『帰ってくるよ』とか『離れていてもドロシーちゃんのそばにいるよ』とか、気の利いた答えを返しても良かったのかもしれない。

 だが、彼女はもう大人で。ひとりの知性ある存在で。

 ……だから。きちんと伝えなければ。

「帰ってこない」

「……そう」

 力なく手が下がり、俺から離れた。

 少女が青い火花に包まれる。この色は、京と同じ火花。

 パターンの発露。


 あっという間に、ドロシーちゃんは美少女から美女へと変貌してしまった。


 体に合わせて長く大きくなったワンピースを揺らして泣き笑いする。その涙は宝石となって溢れた。

「ママは、もういないのね」

「ドロシーちゃん? ……ドロシーさん?」

「どちらでも構わないわ」

 彼女は俺の手を祈るように握った。

「ありがとう、コウタ。……あなたに会えて幸せ」

 無邪気だった笑顔は、大人の女性の優美な微笑へと変わっている。

「……これから、どうするんですか?」

「ひとまず監獄に戻るわ。……私のせいで大変なことになった人もいるみたいだし。シアちゃんが報告してくれてる」

 やってこないと思ったら、シアさんは台所で誰かと……おそらく管理官さんと電話をしていた。

「階級は取り消しになるのかしら」

「そうですよ。……自由です」

 彼女の《世界の理想化》だって、良いことに使えるようになるかもしれない。

 そう言ってみると、彼女は困った顔で答えた。

「それは難しいわね」

「え?」

「だってあれは、私が子どもだから使えたのよ。……あなた、4歳の時の将来の夢を本気で叶えたいと思う?」

 4歳の俺の将来の夢は『自転車で月を走ること』だった。

「無理っすね」

 今ではやりたいとさえ思えない。

「でしょう? ……外向きのパターンは、世界をまるごと背負うくらいの覚悟がなければ使えないのよ。それか振り切れた大バカ者でなきゃ無理ね」

 俺が苦笑すると、彼女も苦笑した。

「お姉ちゃん。あと五分ほどで迎えが来る」

 シアさんが茶の間に踏み込んできて報告する。

「あら、速いのね」

「そばで監視していたんだろう。買い物に出た時も気配があった」

「それはそうでしょう。あの人達の職務だもの」

 なんか、なんか、あのドロシーちゃんが大人になったなあ……って思えて感動する。

「お別れの挨拶もお礼も、大して何もできなかったわね」

 床から宝石を拾って俺の手に落とす。

「これくらい?」

「いっ、いいんですかこんな」

「いいのよ。泣けばいつでも手に入るから」

 悪竜さんってすごいな。

「お姉ちゃんは話していてくれ」

「ありがとう、優しい子」

「ん……」

 シアさんはすごく嬉しそうだ。お姉ちゃんに妹だとわかってもらえて幸せなんだろうな。

 客間を片付ける妹さんを見ながら、ドロシーさんが呟く。

「私も、何もできないわけじゃないわよね」

「?」

 彼女はノートから白紙のページを一枚破り、クーピーで絵を描き始めた。

「あなたに幸運を」

 四葉のクローバーの絵を俺に手渡す。画力まで成長していた。

「……ありがとう、ドロシーさん」

 受験の迫る俺には、何より嬉しい応援である。

 折り畳んでペンケースに入れておこう。

「どういたしまして」

 ふわっと笑って、俺の頭を撫でた。

「また会いましょうね、コウタ。愛してる」

「……っ、はい。ありがとうございました、ドロシーちゃん!」

「ふふ。……じゃあ、また」

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