わたしの夢7
積み上がった本は、子どもの心理についての本と理数の本で半々だった。
「過去問は何割取れるようになりましたか?」
「6割。……調子が良ければ7割」
当然ながら、より安全なのは7割だ。
「ならば調子を良くしましょう」
何この人マジ怖い。
「今回、俺は自分の作った最終問題以外全く目を通していないのでご安心を。情報漏洩にはなり得ません」
「いや目を通しましょうよ! 何のための会議ですか!」
学科長がそんなんだから毎年数学の難易度バラバラなんだろ!
「黙りなさい。……姉のことで負担をかけることに申し訳なく思っておりますが、中学生にも劣っていたあなたが入試を解いていると少し感動します。この感動のままに、あなたの数学を高3レベルから大学初頭まで引っ張りあげましょう」
「シアさん助けてぇ――‼︎」
「うるさい、姉が起きるだろうが」
俺の家のはずなのに味方がどこにもいない。
問答無用で容赦なく数学を叩き込まれた後、就寝前に子どもの心理についての本を読む。
「……親のいない子どもの……」
親が事故や病気で急死した子どもや、紛争地域で母を地雷や流れ弾で亡くした子どもなど、ドロシーちゃんに近い境遇の子どもについて書かれている。
彼らに支援を送り、心のケアをした記録をまとめた本だ。
「でも、ドロシーちゃんはなあ……」
目の前で母を……
「……」
一旦本を閉じる。
パターンについての本を開く。
そこには、青のインクで大量の書き込みがなされていた。筆跡のバリエーションが凄まじいのはシェルさんの筆跡の特徴だ。
眠たくなるまでなんとなく読み耽る。
「……あ」
いくつか付箋が貼られている。
そこにはまたも青インクで文字。
『パターン持ちは内向き外向きの両方を必ず使える』
『ドロシーは外向きだが、内向きを使っていないわけではない』
『母の死を受け止められずに心の時間を止めてしまったが、まさに止めた瞬間は内向きだった』
『お前と同じ神秘の持ち主はほかにもいる。人数は少ないが、いる』
『ならばなぜそれらにドロシーを預けないのか。お前とその他の違いは?』
付箋と書き込みとで話し合っているようでもあり、俺に向かって二人が問いかけてくるようでもあった。
……付箋の方はシアさんが書いたのだろう。
『内向きと外向きを同時に使うことは不可能』
『よって、ドロシーに内向きを使わせられればバランスが崩れる。堅固な外向きのパターンは崩れる』
大ヒントだが、俺になんとかできるのだろうか。そういうことは難しい気がするのだが。
「内向き……」
つまりは自己精神改造。
京の場合は記憶だったが、ドロシーちゃんの場合は成長の停止。
京はまた思い出を記憶に留められるようになり、精神が安定した。
それなら、ドロシーちゃんも同じなのではないか?
「……成長……」
彼女は母の帰りを待ちわびていた。遠くに仕事に行った母が帰ってくるのだと教えられて。
「シェルさん」
「なんでしょう?」
やはり鬼畜の方は起きていた。
パソコンのキーボードを叩いている。
「……ドロシーちゃんに、『お母さんは遠くに仕事に行った』って教えたのは誰ですか?」
「俺と他の兄姉です。収拾がつかなくなってやむなく」
「教えてくれてありがとうございます」
「どういたしまして」
俺と、俺と同じ神秘の持ち主たち。二つの間に明確な違いがあるとすれば――実力と慣れは抜きに――先天か後天かというだけ。
後天的なものだから、ドロシーちゃんの能力を抑え込めているのかもしれない。
「コウタ、何してるのー?」
「勉強だよー」
今朝のスタートは英語だ。文法ゾーンで点を稼ぐためには暗記が必須である。
「勉強。大変だね?」
「ありがと」
ドロシーちゃんを膝上にのせたまま勉強していると、シスコン双子からの刺すような視線が痛い。
「……コウタ、休憩したら、わたしのお部屋来てくれる?」
双子の視線に殺意が混じり始めた。
冷や汗ダラダラだったが、俺もドロシーちゃんと一対一で話したかったので、渡りに船。
「うん」
「ありがと。待ってるね!」
手を振りながら客間に走っていく。
俺も手を振り返していると、左右から肩が同時に叩かれた。
「…………。あのう」
「わかっているとも光太。お前には考えがあり、ドロシーを救おうとしてくれている」
「それがあなたにしか出来ないこと、受験生のあなたに姉を任せること……どれも申し訳なく思っています」
「「――だが理解と感情は別物だ」」
客間をノックする。
「ドロシーちゃん、入るよー」
「うん。いらっしゃい。……コウタなんで真っ白になってるの?」
「いろいろありまして」
あなたの弟妹たちに超絶スパルタ式で英語を教えられていたらこうなりました。
伝えても、彼女は理解しないだろう。
「ドロシーちゃん。あの――」
彼女は、神妙にして、ノートを掴んで俺を見上げていた。
「…………」
言い出そうとした言葉を打ち切り、ドロシーちゃんに向き直る。
「あのね。コウタにはね、特別なの。あーちゃんにしか見せてないのよ」
「いいの?」
「うん……バカにしない?」
「しないよ。絶対に、そんなことしない」
「じゃあ、見せてあげるね」
「ありがとう」
いそいそと、ノートのページを開いて見せてくれた。
「……」
ノートにはクーピーで絵が描れていた。
子どもらしく拙いタッチ。
だが、これはどう見ても――
「これ、ドロシーちゃんのお母さん?」
彼女と母が並んで笑っている。
「うん」
彼女は寂しそうにノートを見下ろす。
「……わたしの夢」
「…………」
しばしお絵描きに付き合い、ドロシーちゃんはお昼寝タイムに入った。
茶の間に戻って自分の考えを告げると、鬼畜のどちらかはこう答えた。
「ドロシーに母の死を指摘する? ……いくらお前とは言え死ぬぞ」
「いまどっち?」
「なんだ、俺たちを口調と一人称で区別しているのか。佳奈子なら何を言わずとも見抜くぞ?」
シェルさんか。
こんなにそっくりで見分けつく佳奈子の方が変なんだよ。
「なんで敬語抜けてんですか」
「いま、多大なストレスを感じていてな……ドロシーの可愛らしさによる癒しと拮抗しているんだ」
パソコンと向き合い、何やらチャットで議論している様子。
「……大学の仕事残ってたんですか?」
「残してなどいない。……研究生が締め切り近くになって論文データを紛失したというので、不毛な議論を重ねていたところだ」
不毛かもしれないが、気持ちはわからなくもない。
「どうせ3日で書き上げた論文なんだから、さっさと手がければ良いだろうに……」
画面を閉じて、俺に向き直る。
「愚痴を言いました」
感情の切り替えが異常に速いのが非常に怖い。
「先程の件ですが、今のドロシーでは、死を伝えてもパターンが外向きに暴走するだけだと思います」
「……やっぱりそうかあ……ちなみに、指摘したことは?」
風呂上がりのシアさんが洗面所から出てきて答える。
「ある。その瞬間には伝えた管理官の口がなかったことになり、後ろでニヤニヤと見ていた管理官は顔をクレヨンで真っ黒に塗りつぶされたようになって死んだ」
シェルさんの隣に座る。
「……誰も、止めなかったんですか」
「管理官の凶行に一瞬で沸騰したきょうだいたちを止める方が大変でな。3秒の間に首が5つは転がった」
そのうちの2つはこいつだ、と弟さんを小突く。
「姉を傷つけるものなど死ねばいい」
シアさんの髪をタオルで丁寧に拭き、魔法で水分を飛ばして乾かし始めた。
「ドロシーはあまりのショック故か気絶し、他の姉に抱き締められていた。目覚めてから、《理想化》の能力も悪化。ストッパーの効きと威力が反比例し始めた」
「……すみません、色々話してくれてるのは有難いんですが」
ずっと我慢していたのだが。
「やっぱり実は仲良くないです?」
「姉は髪を濡らしたままにするのでやってあげてるんです」
「弟が口うるさいから髪を触らせてやってるんだ」
「いや、充分に仲良しでは……」
「「黙れ」」
「はいすみません」
二人の仲に茶々を入れるのはやめにして、俺なりの仮説と試したいこと、万が一ドロシーちゃんが暴走してしまった時の後始末を頼む。
「パターンの扱いには慣れています。空間が歪んでも処理は可能です」
「同じく」
「……お願いします」
「失敗しても気を落とすなよ」
「その場合は監獄側と交渉して、たまにあなたのところに遊びに来られるように頼んでみます。それは頼んでも?」
「はい!」
お昼寝から目覚めたドロシーちゃんに、話を切り出す。
「ドロシーちゃん。お母さんね、ドロシーちゃんのこと待ってるよ」
「……ほんと?」
「うん」
口から出まかせの大ボラ吹きだ。
シアさんに『お前以外には出来ない博打だ』と言われたほどの、命を賭けたギャンブル。
「ドロシーちゃんが大きくなったら会いに来てくれるよ」
さて、暴発するだろうか。
もし今ここで暴発したら俺の命は危機に晒されることになる。
「……ママ」
彼女はぐしゃりと顔を歪めて、ノートをきゅっと掴む。
「ほんとう?」
「うん」
「……わたし、いい子にして待ってる……!」
命がけなのは、ここからだ。
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