わたしの夢6

「シア、こう?」

「そうそう。上手だな。次はこうやって指で支えて、上から切ってみよう」

「ん……」

 勉強を一区切りして茶の間に戻ると、台所でシアさんとドロシーちゃんが料理をしていた。

「コウタ!」

 ぱあっと笑って俺にトマトを見せつける。

「綺麗に切れたよ!」

 基礎のくし切りだ。

「ほんとだ。上手だね」

「えへー」

 うわあ可愛い。

 セラミックの包丁は柄がポップなプリントで、サイズも小さい。子ども用だ。

 ……俺が昔、母の手伝いをするときに使っていた包丁。

「ずいぶん懐かしいもん見つけてきましたね。どこにあったんすか?」

「観音開きの奥で、布巾に包まれて箱にしまわれていたよ」

「……役に立ったんなら、良かったっす」

 母はアルバムや食器など、俺との思い出の品を全て持って出て行った。まだ残っていたとは思わず、切ないが嬉しい。

「これコウタのナイフだったの?」

「そうだよ。昔、母さんのお手伝いに使ったんだ」

「そおっかあ……じゃあ、大切にしなきゃね。使ってごめんなさい」

「いいんだよ」

 見つけてもらえて、使ってもらえて、包丁も喜ぶと思う。

「ほかの包丁、みんな大人サイズだから……ドロシーちゃんには危ないでしょ。思う存分使っていいよ」

「ありがと」

 今度はニンジンに挑み始めた。皮むきはシアさんが終えたようなので、あとはドロシーちゃんが切るだけになっている。

「……シアさん料理得意なんですね」

「人並みだよ。それよりあの包丁、子が生まれたら使ってもらえばどうだ?」

「ほぐぅ……」

 固まる俺と対照的に、ドロシーちゃんがはしゃいだ声を出す。

「いい! いいわね! 幸せねっ」

「だろう。ということで光太。これは保管しておくと良いぞ」

「う……あ、はい……」

 お二人が作ってくれたシチューとサラダは、とても美味しかった。



「……すぅ……」

 お腹いっぱいになってお風呂で温まれば、子どもは寝る時間だ。

 ドロシーちゃんはスヤスヤと眠っている。

「……ああ……私の姉が可愛い……」

 シアさんが幸せそうで良いことだと思いました。

 この人はミズリさんやみぞれさんのような変態ではなく、純粋に愛が超重量級なだけなのだろう。

「運んでくる」

「はい」

 客間の引き戸だけ開けて道を退く。

 会釈して入って行った。


 振り向いた瞬間、目の前にシアさんが現れる。

 いや、これは――鬼畜の方だ。


「シェルさん?」

「こんばんは。こちらに姉がいると聞き、会いに来ました」

「…………はあ。できれば玄関から……」

「あなたの家、引きずりこまれるから転移しづらいんですよね」

「俺にはどうしようもない責任転嫁をされても困ります」

 シアさんに会いに来たのかと勘違いしそうになったが、『姉』はドロシーちゃんのことを指すのだとわかり、先走りかける自分にブレーキをかける。

「ドロシーちゃんなら、客間……に……」

 シェルさんの表情が消え去ったのを見て、言いかけた言葉を引っ込める。動きをできる限り止めて、空気と一体化する気持ちで沈黙を維持する。

「こんばんは、弟」

「こんばんは、姉」

 ついに。ついに――鉢合わせしてしまった。

「息災か?」

「ええまあ。あなたと会う五秒前までは良い気分でした」

「奇遇だな。かくいう私も、貴様の気配を感じとるまでは最高の気分だったよ」

 表面上は限りなく和やかに、しかし俺を挟んで衝突しながら、鬼で竜の双子は邂逅を果たした。

 俺は『お茶淹れますねー!』と悲鳴をあげながら台所に逃げ込み、急いで湯を沸かして茶を用意する。

 テーブルに座って向き合う姉弟は氷のような微笑を浮かべて会話している。

「こうしてお前と話すのもいつぶりだろうな」

「頭を打たれたんですか、姉。佳奈子の家で会って以来ですよ? あの時は出会い頭の不幸な事故でしたね。不愉快な時間を過ごしました」

「お互い様だ、弟よ。ところで貴様、まさか仕事をサボってきてはいないだろうな?」

「名誉毀損ですよクソ姉。俺の分は終わらせてきましたし、研究生の面倒も見てきました」

「ふふ、そうか。お前も教授で学科長だものな……ひーちゃんが『オリエンテーションに出てくれる人がいない』と泣いていたのは私の記憶違いのようだ」

「出来ないことを要求されて俺が出来るようになると思ったら大違いです」

「開き直るとは見上げた根性だ愚弟。相変わらず進歩しないな。可哀想に」

 帰りたい。自分んちなのに帰りたい。

 心で泣きながら、マグカップをお盆に載せて二人の元へ持って行く。

「……おまたせしました……」

「ありがとう」

「ありがとうございます」

「ミルクと砂糖もあるんで」

「気が利いている」

「いただきます」

 俺の置いたカゴに、二人は同時に手を突っ込んで手を衝突させた。

 二人の間に鏡があると思ってもおかしくない光景だった。

「「……」」

 場の空気が瞬時に冷え切る。

「……弟よ。ここは年長者たる私に譲るべき場面では?」

「姉の方こそ年長者として弟に譲るべきでは? 大人げないですよ」

「生まれた時間には十五分の差もないはずだがな」

「それを言い出すのなら年長者云々の理屈は通じないかと」

「あーあーもー‼︎」

 俺はカゴをひったくり、中からスティックシュガーとミルクを出して二人に分ける。

「話進まないんですよさっさと入れてください‼︎」

「……すまない」

「……すみません」

 二人は全く同じ速度で砂糖の袋を開け、ミルクを垂らし……いやほんとマジで何で仲悪いの?

 口をつけるタイミングも離すタイミングも同時。ソーサーに置くのも同時。

「…………」

 奇妙な光景に酔いを錯覚していると、シェルさんがテーブルの脇に立つ俺を呼んだ。

「あなたも座ってください。家主に立たれたままでは落ち着きません」

 こんな空気のテーブルに着席したくないが、仕方がない。

 意を決して、シアさんの隣に座る。

「……わかりました」

 満足そうに頷き、シェルさんがシアさんを一瞥する。

 彼女も頷く。

「監獄についての説明、ドロシーの特性やパターンの本質は伝えた」

「……十分ですね。光太自身の特性については?」

「私の専門ではない。検査を勧めたくらいだ」

「わかりました。ドロシーはどこに?」

「客間で寝ている。可愛い」

「あとで見に行きます」

 紅茶派でシスコンで天才な双子は俺に視線を向ける。

「な、なんでしょう?」

「クソ姉と同じ空間にいることは最悪ですが、我慢してあなたに助言を」

「……どうも」

「あなたのチカラは、無意識で発動する部類だと思います。慣れないうちは下手に使おうとしない方がいいですよ」

「……はい」

「今回は緊急事態なので仕方ありませんが、大学に入ったらきちんと検査を受けるように」

「わかりました」

 袖をゆるりと払って、姿勢を凛と正す。気品さえ似ている。

「さて。光太が俺たちに聞きたいことは俺たちが不仲であることの理由と封印監獄が悪竜専門の施設なのかについてですが……」

 どうしてこの人は、他人の思考をためらいなく読むんだろうか。

「前者は答える気になれないので嫌です」

「弟よ。光太がドン引きしている」

「なぜ?」

 こっちこそなぜ不思議そうにできるのかと。

「いや、もう慣れてきたんで、諦めます。どうぞ」

「……なんだか腑に落ちませんが、答えますね」

 このスルー能力の高さよ。

「封印監獄は本来、上位の指定の封印すべきものを収める場所でした。なので、最初は悪竜以外も居たのです」

「最初は?」

「監獄と名前がついてはいますが、他の世界との隔絶さえ達成できれば……つまりその施設に入れば問題ない封印すべきものは、施設内を自由に動くこともできるんです」

「ドロシーや他の悪竜も独房に閉じ込められているわけではない」

「あ、なんか安心しました……」

 良かった。

「でも、ならなんで悪竜オンリーなんです?」

「悪竜同士でなければ大災害を引き起こす悪竜が居て大変だったからだ」

「施設内の自由度を優先するため、悪竜とそれ以外とで他の施設と住み分けしたのです」

「……どういう感じなんですか?」

「代表は、一目惚れの悪竜」

 可愛いキャッチフレーズだが、ここで出てくるならば生易しいものではあるまい。

「その姉は誰かを一目見るなりすぐさま恋に落ち、そして殺します」

「……なんで殺しちゃうの?」

「恋人の全てを知りたくなって、中身が見たくなるのだとか」

 えっっぐ。

「一度それが脱走してしまったときに捕獲に呼ばれて見ましたが……恋した瞬間に殺しにかかって、男の死を本気で悲しんでいましたよ。あれはどうしようもないですね」

「本人にも悪気は一切ないのがな……」

 二人とも思うところがあるのだろう。少し悲しそうだ。

(血を分けた兄弟だもんなあ)

「一目惚れは悪竜同士ならば起こらん。私たちは可能性の集合体。兄弟ではあるが、全員が同一人物ともみなせる。鏡を見て恋をするものは居ないからな」

「なるほど」

 なんだかとんちみたいだ。

「もちろん、悪竜ともその他とも絶対に接せられない。どころか視覚さえ制限しなければならないという悪竜もいる。それらは監獄の奥底で繋がれて出てこられないようになっている」

「……ドロシーちゃんはその段階じゃないんすね」

「上から三番目ですし。二番目以上からは独房です」

 ギリギリだ。

「しかし、まさかドロシーがここに来るとは」

「『ロザリーちゃんが言ってたの』みたいなこと言われました」

 公園で飛びかかられた時に言われた。

「知り合いなんですか?」

「はい。監獄の設計に携わり、それぞれの悪竜の特性に合わせた封印方法についても相談役をしておりますので。兄姉に会うついでに手伝っています」

 仕事の方がついでなのか。

「そんなわけで、ドロシーは『次に暴れ出したらもう殺処分しかない』と言われている悪竜。これからの展開次第では、俺は監獄管理官を皆殺しにしなければなりません」

「は?」

「姉のためなら屍の山を築ける程度には姉のことが大好きです。が、あまりしない方がいいでしょう?」

 彼は微笑のまま虚空から本を放りだし、俺の目の前に積んだ。

「ヒントはいくらでもあげましょう。わからないことがあれば聞いてください。姉を助けるためなら死んでも構わない」


「なので……力を貸してくださいね、光太」

 シスコンの鬼が恐ろしく綺麗に笑った。

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