宝石あげる3

 オウキさんの事情ばかりこちらが知っていては申し訳ないので、あたしも、現時点で知っている自分の事情を話す。

「首絞められて頭殴られて、放り捨てられてたみたい」

「おや。大変だったね」

「自分の死体を見て、自分がそうやって死んだんだってわかっただけ。痛みを味わったわけじゃないわ」

 死んだ時点でのことは覚えていない。

 最古の記憶は、コンクリートの上に投げ出された自分の死体を見下ろしている場面だ。

「……それ以上のことは知らない。まだ、ファイルを見る勇気もないの」

「見なくてもいいし、見てもいいんだよ」

「……」

「?」

 ふと思ったことを口に出す。

「ねえ、オウキさんが見て」

「はい?」

 ぽかんとする彼をリビングに置いて自室へ走り、ファイルを取って戻る。

「はいこれ!」

「思い切り良すぎないかい⁉︎」

 良かった。表情のバリエーションが見れて。

 クッションを支えに上体を起こす彼に、ファイルをぐいぐい押し付ける。

「見て。はい見て!」

「い、いや。勢いでこういうことすると後で後悔するよ? なんせ俺も親に同じことしたんだから、」

「いいから! ……あたしはあなたに見てほしい」

「……」

 彼は苦笑して、ファイルを受け取る。

「見ていいんだね?」

「うん」

 少しドキドキしている。

「……では、拝見させてもらうよ」

 ファイルを閉じていたボタンを外して、プラスチックのケースを開く。

 ぱらぱらとページをめくって、顔を上げた。

「けっこう分厚いから、勉強しててくれる?」

「うん!」

 わくわく。

「キミ、けっこう大物だよねえ……」

 しばし熟読。

 あたしは英単語の確認をする一方、気になってちらちら見てしまっていた。

 視線に気づいたオウキさんが苦笑しながら手招きする。

 ファイルをあたしに返す。

「……見せてくれてありがとう」

「どういたしまして。あ、内容は言わないで」

「なんなんだか」

「あたしのことを知っている人がいてくれるだけで、それだけで十分なの。……不思議と幸せなのよ」

「…………」

 彼はふわっと笑い、あたしの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

「強い子だ。可愛い子。よくぞ折れずこれまで生きてきてくれた。出会えて嬉しい」

「わ、わわわ」

「キミと会えたことは素晴らしい幸運だね」

 ファイルには何が書かれていたのだろう。

 ただ、彼があたしのことを褒めてくれていることは伝わってくる。

 恥ずかしくて手を払って目を逸らす。

「座敷童だもの。幸運くらい、いくらでもあげるわ」

「あっはははは!」

 躊躇のない爆笑。やはり彼はこの笑顔が一番まともだ。

 ひーひーと苦しそうに息をしている。

(ほんっと、いい性格してるわよね。いい意味で)

 妖精さんなのだから、こういう風に楽しそうに笑っていてほしい。

 笑いを収めて、あたしに向き直る。

「キミは強かった。優しくて強い女の子」

「……」

「俺ができる最大限の敬意を。……何かお礼に作って贈るよ」

「い、いいわよ。あとでリーネアさんも来るらしいから……」

 そんなに気を遣わなくとも。

「俺の気持ちだから気にしないで」

 彼は『何がいいかなあ』と楽しそうに考えている。話が通じなくなったようなので、諦めて頷く。

「……じゃあ、お願いします」

「うんー」

 はしゃぐ姿を見られたので、元気になってくれたのだと判断。安心した。

 そう思っていたのに、いきなり顔を青ざめさせ、布団に潜り込んだ。

「ちょ……だ、大丈夫なの⁉︎」

「う、後ろ」

「後ろ? 後ろって――」


 振り向いた瞬間、唐突に開いた窓から夕焼け髪の人影が飛び込んできた。


「……………………」

 リーネアさん?

 いや、違う。瞳が緑だ。オウキさんと同じ、鮮やかな緑。顔立ちも似てはいるが少し違う。

 コートで体つきが分かりにくいが、リーネアさんより身長は低く、輪郭が柔らかい。

「お邪魔します、佳奈子ちゃん」

「あ、いらっしゃい……」

 脱いだ靴をビニールに入れながら部屋に入ってくる動作と、挨拶があまりに自然だったから、あたしも自然に歓迎の挨拶を返してしまったが――そうじゃない。

「っ……あ、あの!」

「どうかした?」

 あたしの名前知ってることとか、あまりにもオウキさんと雰囲気が似ていることとか、様々な意味で困る!

 不自然な位置の布団に目をやる女性の手を掴み、洗面所に誘導する。

「て、手洗いうがい、しましょう。ほら、えーと……」

「そうだね。受験生さんだもの。気が利かなくてごめんなさい」

「こっちですよー」

 オウキさんは逃げるだろうか。それだけが気がかりだ。

 かといって、このまま対面させてはオウキさんがもたない。時間を稼いであげたい。

 女性からコートを預かって、洗面所の物干し竿にかけておく。

「あの。オウキさんのお母さんですか?」

「そうだよお」

 この言葉の伸ばし方で確信した。

「母親を名乗る資格なんてないんだけどね」

 目が瞬時に死んだ。テンションの乱高下までそっくりだ。

「……佳奈子ちゃんは優しいね。あーちゃんが言ってた通りだ」

「優しくなんて……」

 オウキさんを優先してしまった。

「知り合いを優先するのは当然。気にしないで」

 リビングからの物音はない。あの人なら、逃げるのも無音だろうけど……

 戻ると、オウキさんは元の姿に戻って布団の上で正座していた。

「…………」

 自室に移動しようとすると、オウキさんとお母さん両者に両側から腕を掴まれた。

「ここにいて。お願いだからここに」

「ね。後でお礼するから!」

「ふ、普通ここは『こっそり去ってくれるなんて気が利いてる』みたいにほっとするところじゃないの⁉︎」

 あたしがいてどうなるというのか。気まずいにもほどがある。

「もちろん佳奈子は気遣いの出来る子だなあって思ってるよ? 思ってるけど今はむり。前の対談のときだってキミみたいに逃げようとするシェルを捕まえて居てもらったんだ!」

「力強く主張することじゃないでしょ⁉︎」

「第三者を介さないと会話もできないって時点で、もうどうしようもない母親なんだけどごめんなさいぃ……人に見ててもらわないと泣いて話にならない……」

「親子そっくりねあんたら‼︎」

 なんとかなだめようとするものの、あたしでは力不足だ。オウキさんは恐怖して混乱して忙しいし、お母さんの方はぐすぐすと泣いて話ができない。



 エクレアを振る舞うと、二人とも落ち着いた。

 オウキさんはまた口をチョコとクリームまみれにして食べて、お母さんは静かに器用に食べる。

 真剣な横顔がそっくりだった。

「……ん。美味しかった」

「オウキ、口の周り拭きなさいね」

「ふゅん」

 どういう発音で出すんだこの声。

 お母さんがウェットティッシュを彼に押し付けた。

「私はフローラ。レプラコーンだよ」

「……佳奈子です。座敷童」

「初めましてだねえ」

 ほわほわと無邪気だ。

「……フローラさんは、オウキさんを追いかけてきたんですよね」

「うん」

 幸いにもオウキさんは口の周りを拭くのに夢中になっている。……思えば、緊張できなくて集中もできないから、こういう作業が苦手なのかもしれない。

 何度見ても拭くの下手。

 見かねたフローラさんが新しいウェットで口の周りを拭いた。

「……ありがと」

「ど、ういたしまして……」

 やはりぎこちない。

「オウキさん。あたしやっぱり席外すわ」

「何で⁉︎ そんなことされたらたぶん話してる最中に自殺するよ⁉︎」

 今度はフローラさんが青ざめる。ようやく話せた息子に自殺されかけたことはトラウマになっていてもおかしくない。

「するなするな。あたしがいたら話しにくいでしょうに」

「行かないでよー……」

「行かないで佳奈子ちゃん……!」

「無限ループか‼︎」

 まだ目を合わせてさえいないし、会話もあたしを介してしかしていないぞ。いつになったら向き合う?

 すがりついて来ようとする二人に困っていると、インターホンの音。

「おっとここで来客! 出迎えてくるわね! 家主として‼︎」

「うわあん佳奈子――‼︎」

「見捨てないでぇええ……!」

 泣き叫ぶオウキさんとフローラさんは、どう見ても似た者親子。

 気軽に言っていいことではないけど、すれ違いが解消されれば案外すぐに話せるんじゃないかな、あの二人……

 玄関にたどり着き、鍵を開ける。

 予想通り、洋菓子店の箱を持ったリーネアさんが立っていた。

「お邪魔します」

「入って入って。ナイスタイミングだったの」

 彼は引きつった顔でリビング方向を指差す。

「……なんか叫んでるっぽいけど?」

「あなたのお父さんとおばあちゃんです」

「ほんとごめん」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る