12月

宝石あげる1

 雪の降るある日、窓から美少女がやってきた。

 来月末の受験に向けて追い込みをしていたら、コンコンと窓が叩かれるような音が聞こえて。『ふぶき始めたか』と思ってそばに寄って見るとエメラルドの目と髪をした美少女がいた。


 率直に言う。心臓が止まるかと思った。


 窓を叩く彼女はルピナスさんだ。なんとか指を動かして窓鍵を開ける。

 彼女がふにゃりと柔い苦笑をする。

「こんな登場でごめんだけど……入ってもいいかい?」

「……うん。入れる?」

「左に離れて」

 窓の前から避けた瞬間、ルピナスさんは体を腕の力のみで跳ね上げて部屋に入ってきた。

 雪は床へ落ちようとする前に溶けて蒸発している。魔術の効果だろう。

「お邪魔します」

「いらっしゃい、ルピナスさん」

 彼女がぽかんとしてから、また困ったように笑う。

「俺はオウキだよ」

「……え?」

「あー。そうだよね。紫織は言いふらすような子じゃないよね」

 ルピナスさんと思しき女性は雪を被ったままの頭に一瓶の水をかけ――オウキさんへと変わった。

「…………」

 しかし、すぐに女性の姿へと戻ってしまう。

「おわ。……うーん。やっぱり、雪はダメだなあ。残っちゃう」

「なに……変身魔術?」

「いろいろあって。……ごめん、お風呂場借りていい?」

 よく見れば、オウキさんは全身がずぶ濡れだ。瓶の分を引いても、コートからズボンまで……

 何か事情があるんでしょう。

「わかったわ。着替えはあるの?」

「それは大丈夫。恩に着るよ」



 上がってきたオウキさんはいつもより長くなった髪をタオルで拭いているんだけど、時折手が止まる。そして、ぼうっとどこか遠いところを眺めたりもする。

「タオル貸して」

 有無を言わせずタオルを奪い、サラサラでツヤツヤなエメラルドの髪を拭いてやる。

 ついでに、櫛でとかしてドライヤーをかけてやる。

「おおおー」

 オウキさんはなぜか興奮してはしゃいでいた。

 あたしの手からかけ終えたドライヤーを受け取ってくるくる回している。話が通じない。

 これまでのいつにも増して。

「……今回は、どうしたの?」

 エクレアで餌付けしたら落ち着いた。コンビニで買っておいて良かった。

「入るのに許可を取るようになったのは進化だけど」

「進化したのは俺じゃなくてキミだぜ? レプラコーンは他の妖精の領域に入るには許可がいるんだ。キミがこのアパートを自分の領域だとみなし始めたってことさ」

「……リーネアさんとなんだか違う気がする」

「そこは俺と息子の性格の違いかな。いやあ、佳奈子は座敷童らしくなってきたんだねえ」

「面白いこと教えてくれてるのはわかるんだけど、口の周りクリームとチョコだらけよ」

「ふゅん」

 ウェットティッシュを口に押し付ける。

 この人は子どもだ。……妖精なのだから当然かも知れないけれど。

「……ありがとねえ。佳奈子は優しいなあ」

 全然拭けてない……

「ちょっと口閉じてて」

「?」

 なんであたしは、受験勉強を中断してまで自分より年上の異種族の世話をしているんだろう。

 そう考えると複雑な気持ちになってきた。

「んむー……ありがと」

「どういたしまして」

 彼はソファで体育座りをしている。なまじっかでない美少女だから、ローザライマ家から譲られた品の良い家具とも調和している。

「なんであたしの家に来たの?」

 前はあたしが電話口で泣き喚いてたから来てくれたのだろうけれど……今回は何もない。

 訪問が嬉しくないわけじゃない。タイミングがあまり嬉しくないというだけ。

(……大学でも受験時期の準備してるんじゃないの?)

 今は12月22日。来月には寛光大学の受験がスタートする。彼が教員として所属する魔術学部だって、何もないわけでは……

「あ、謝らなくちゃって」

「?」

 彼はいろんな感情を混ぜたような苦笑で口を開く。

「前に……佳奈子に、『両親に会いに行け』って、背中押してもらったでしょう。……上手くいかなくて、謝りたかった」

「……え」

 3ヶ月前のことだ。

「会いに行ったの?」

「今日ね」

 上手くいかなかっただなんて。

「な、何があったの……?」

 オウキさんはご両親となんらかのわだかまりがある。それはあたしもなんとなくわかっていたけれど。

 まさか、家族仲が良くないのかも……

「仲は。……悪いわけじゃ、ないよ。父さんも母さんも……俺のことは愛してくれてると思うんだ」

「なら、どうして?」

「…………」

 ぼうっとしたオウキさん。

 表情が笑顔しか見たことのないオウキさんには、無表情は珍しい。

(……この人、本当に笑顔かゼロかしか表情なくない?)

 リーネアさんやルピナスさんが暴走しているときでも、困ったような笑顔で諌めていたし……ぶすくれたときも本気で拗ねてるわけじゃなくポーズ。

 似たようなところでは翰川先生という可愛い人物がいるけれど、あの人は怒ったり悲しんだりしていた。それに、笑顔自体のバリエーションが豊かだった。

 オウキさんみたいに、表す感情が少ないわけじゃ――

「佳奈子ってさ、観察力高いよね」

「?」

 思考が中断される。

「……リナリアは未来予知だけど。俺は普通に《瞳》があるからなあ」

「なに?」

 彼は一瞬だけ泣き出しそうな顔をして、それから晴れやかに笑った。

「疲れた」

「へ?」

「おやすみ」

 どこからともなく毛布を出して、ソファで寝入ってしまった。



 息子であるリーネアさんに電話してみた。

『父さんそっち行ってるの?』

「うん……いまリビングで寝てる」

 起こしても悪いから、自分の部屋で電話している。

『ふうん』

 妖精さんの口癖。

 これは興味なさげな返答ではなく、『そうなんだね』くらいの返事らしい。

『大丈夫か? 迷惑なら、そっち迎え行く』

「あたしと話をしにきてるから、それは大丈夫……だと思う」

『……』

 リーネアさんは少し考え込んでから、静かに言う。

『お前さ。父さんに……じいちゃんとばあちゃんのとこに行くように、言ったんだよな?』

「聞いてたの?」

『父さん、ちょっと不安定なんだ。行動の履歴がわかるように、居場所を家族LINEに報告してもらうようにしてる。お前の家に行った時のことも報告があったよ』

「……」

 悪いことしたかな。

『責めてるわけじゃない。俺としては、お礼を言いたいくらいだし……』

「ん……」

『その。……半分くらい巻き込んでおいて……なんだけど。たぶん、父さんをそのままにするとすごく……』

「すごく?」

『…………』

 彼はおそらく、迷って言葉を探している。

「あなたの言葉でいいから、言ってください」

『わかった。……自殺癖があるから、掃除が大変』

「……じさつへき?」

 自傷癖ですらなく?

『あ、でも……血が出ても汚れるわけじゃないから』

 口に出したことで吹っ切れたのか、リーネアさんはいつもの調子を取り戻している。

『眠りも浅いし、もう起きてると思う』

「先に言ってよ‼︎」

 慌ててリビングに飛び出す。


 床中に、真っ赤な宝石が散らばっていた。


「……………………」

 絶句するほかない。

 散らばり方からして、ソファで丸まっているオウキさんが発生源だ。

『見たか?』

「……見たわ」

 オウキさんの手に、名前も知らない工具があるのも。

『ならもう話すよ。父さんは生まれたその日に親から引き剥がされて、人体実験みたいな扱いを受けて育ってる。……じいちゃんばあちゃんに捨てられたと思ってたから、今でもぎくしゃくしてるんだ』

「話して良かったの?」

『「上手く言えないから」って、父さんに任されてた。お前が俺に電話してくるのも予想済み』

「怪物ね」

『ヒントはそれなりなんだけどな。佳奈子は姉さんとカルの連絡先持ってるだろうけど、その二人とも東京だし。同じ札幌にいてどうにか出来そうな俺にかけてくるのは自然だ』

 完全に読みきっている。

 それほどまでに明晰なのに、どうして暴走してしまうのか。

『父さんは緊張できないんだよ。集中が続かない。だから、自分が暴走してもいいようにいくつも保険をかけてる。正気じゃなくなっても、友達とか子どもとかがカバーしてくれるように』

「……そう……」

 髪をそっとかき分けると、オウキさんは眠っていた。

『寝てたか』

「リーネアさんも怪物よね」

『お前が動く音聞こえてるよ?』

 電話から漏れる微かな音だけであたしの行動が丸裸とか、怖いんですけど。

『でもまあ……俺が言えること全部言ったしな』

 小さなため息。

『お前も受験生だ。迷惑になるようなら、すぐ行く。回収するから』

「……京は?」

 彼の家には京が同居している。

『京のパターンは、よくわからんけど父さんを正気に戻す効果がある。問題なし』

 正気に戻すとはどういうことなのだろう。

 でも――オウキさんはあたしと話しに来ている。

「しばらく待って。オウキさんがここに居て辛いようだったら、その時連絡するから」

『いいのか?』

 あたしを心配してくれているようだ。

「いいの。ずっと勉強してても息が詰まるしね」

 これでも合格圏にある。少しの滞在なら、別に構わない。

『……あとでお礼しに行く』

「ありがとう」

 電話が切れた。さあ、向き合おう。

 起き上がってぼうっとするオウキさんと。

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