乙女である終

 スペードさんは私たちの前に立っています。

 姿こそは低身長な女の子に戻りましたが、それでも女王にふさわしい気品と威厳は霞みません。

「アリア。お前はいつも可愛らしい」

「んぅ」

 スペードさんはシェル先生に甘いです。

「ルピネよ。お前の成長は妾にとっての喜びである。今度はお前の弟とも会いたいものだ」

「はい」

 ルピネさんは嬉しそうに、誇らしそうにはにかんでいます。その顔を見られて嬉しいと思いました。

「美織。姉と先生たちの言うことをよく聞き、勉学に励め」

「はっ……はい」

 姿勢を正して頷きました。

「紫織」

「はい!」

 返事をすると、スペードさんはあまりにも美しい笑顔で私の頰に触れました。

「……」

 涙が流れそうになるほど美しい女神様。

「我が乙女。小さな巫女よ。そなたと出会えたことは幸福である。また会おう」

「……はいっ……」

「良し。……ハーツ、共に」

「ん」

 手を握って、二人の姿は忽然とかき消えました。



 美織が寝静まった夜。シェル先生は、淹れた紅茶に牛乳を混ぜてミルクティーにしてくれました。

「……あったかい……美味しいです」

「良かったです。チョコ、頂きますね」

「あっ、はい」

 ルピネさんも会釈してチョコを一粒摘みました。

「ん……美味しいな。ありがとう」

「ありがとうございます」

「ど、どういたしまして……!」

 お二人はワイン好きさんですから、甘酸っぱいぶどうジュレをビターで包んだチョコは、気に入ってもらえるんじゃないかと思ったんです。

「スペードさんに買ってもらっちゃいました」

「案内のお礼でしょう。気にしなくとも良いのですよ」

「スペードはきっちりとした方だからな」

 あ、そうですそういえば!

「あのっ。……お土産選ぶとき、『3箱は選べ』と言われたんです。そういう時の礼儀ってありますか?」

 神様が相手ですから、失礼がないようにしたいのです。

「……」

 先生とルピネさんがアイコンタクトして、ルピネさんにじっと見つめられたシェル先生が目を逸らしつつ答えてくれました。……競り負けたんですね。

「最低限必要な量が三つだったから」

「?」

「女王からの栄誉として選んで良いのはそれだけ。女王の心を足して五つ、です」

「ふ、え?」

「父上、言葉が足りない」

「……う」

 悩んでいたものの、先生は指を折りながら説明を追加します。

「七海家で一つ。俺たちローザライマに一つ。友人で分け合う分を一つ。これで必要最低限は三つ。二つ足したのは友人に配る分の確保です。京とリーネアに一つ。ほぼ同じ場所に住む佳奈子と光太はまとめて一つ」

「合計、5箱……」

 そこまで見越していたなんて。

「……ルピネ……」

「仕方ない。よく頑張られたようだから、引き取ろう」

 意外と先生も涙目になるのですよね……

「案内を命ぜられてこなしたのも、その礼に土産を買ったことも、繋がりを作るためだ。縁を繋いでこそ契約だろう?」

「それは、もちろん……」

 今まで習ってきた、私のチカラの仕組みです。頭に叩き込まれています。

 ですが、なぜ?

「あれほどの女神に仕える巫女となれば、他の悪しきものは手出しが効かない。いつかお前が本当に心通わせたいと思える存在と出会えるまで、一時的な巫女としてお前を引き受けてくださったのだ」

「……心、通わせたいと思える……」

「結婚することだな」

「!」

 結婚。結婚だなんて、私にはハードルが高い……!

「生涯にわたって乙女を貫こうとスペードは面倒を見てくださるだろうが……私のような女と違って器量好しのお前のことだ。良い相手が見つかるだろう」

 ルピネさんは鏡見えない人なんでしょうか?

 先生もこめかみに手をやってため息をついています。

「……先生?」

「ルピネは……致命的なほどに鈍くて……」

 なるほど。

 それだから、ルピナスさんが事あるごとにプロポーズしても受け流してしまうのですね。

「お前の勉強が落ち着いたら、と思い、父上にスペードを顕現させてもらうよう頼んだのだ」

「ふえ?」

「スペードとハーツは、俺の精神の一部である異世界に住んでいます。魔力の調子や他の神々との兼ね合いもありますので、打診しておかなければタイミングが測れないのです」

 シェル先生は規模が違う魔法使いさんです。彼が使う魔術は、私にはまだまだ理解が及びません。

「理解しなくとも良いですよ。楽しくはありませんから」

「?」

 先生は『それより』と話を替えます。

「『我が乙女』と呼ばれるとは……あなたの才能はますます本物ですね」

「?」

 目が合いましたが、シェル先生は首を傾げました。言葉に迷っているご様子。

 ルピネさんが見かねて助け船。

「私たちのいた世界では、巫女の中にも位があるんだ。地方地方に散らばった、神の声を聞くのみの伝令役のような巫女。霊場などの主要な地域の社にて、訪ねてくる神をもてなす巫女。さらには個別の神に仕える巫女……など。細かく分ければもっとある」

「みんな大切な役目ですよね?」

 こちらの世界の現代ではそんなことないですが、違う世界の古代では、神様の声を聞く人は重要だったと思います。

 神様をもてなして、恵みをもらうことも必要です。

 誰が欠けてもうまくいかないと思います。

「もちろん。だが、神との距離が近いということは能力も高いということだ。女王たるスペードが『我が乙女』と呼ぶ巫女は側仕えの巫女に他ならない」

「…………」

 ルピネさんは頭を下げて言いました。

「スペードを喜ばせてくれてありがとう」



「スペードは、ハーツとともに……赤子だった俺を見つけて育ててくれた方なんですよ」

「……」

「別たれてしまったこともありますが、今は会えます」

 先生は淡く笑って、また首を傾げました。

「ルピネは体質が一番俺に似ていたので、あなたと同じようにスペードに助けてもらったんです。親近感があるのでしょうね」

「……スペードさんも、ルピネさんのこと気にかけてました」

 帰り道に結婚式場のポスターを見つけて、ぽろっと『あの子も早う良い相手を見つけてくれれば……』なんて呟いていました。

「あれってルピネさんのことですよね」

「…………」

 先生が頭を抱えてしまいました。

 ルピネさんは先生に寝かしつけられて寝室なのでご安心を。

「不本意ながら、俺の家は……魔術と数学の界隈を含め、名家だとか貴族だとか……そういったことになっています」

「……はい」

 魔法学の本の監修にローザライマの家名が載っていました。

「コネは家同士の結びつきで作るのが早い。となれば、独身のルピネに縁談が舞い込むことも多々あります。……丁重な挨拶文を読むたび頭痛がします」

「……」

「タウラの下の妹にも来ますが、それはそれで頭がおかしくて……」

 ローザライマ家は男性3人女性5人の8人兄弟です。

「末っ子ちゃんたちには……?」

「誕生を対外的に知らせた翌日に許婚の申し込みを送ってきた愚か者はこの世にいましたよ」

 あっ、その人たぶん死んでますね。

「まあ、いいです。……ルピナスに期待しましょう」

「期待するんですか」

 ルピナスさんには諸事情あるようですが、ルピネさんのことは本気で恋して愛しています。私もその恋心は応援したいと思っています。

「……ルピネが恐ろしく鈍いだけで、相性は悪くないんですよ?」

「わかります」

 会えば二人とも楽しそうに話していました。

「同性ゆえの子どもの問題もルピナスの体質で解決です。……俺としては特に構わないのですが、ルピネが鈍感なことが、オウキとルピナスに申し訳なく……」

 こんな事情があれば、病的に誠実なシェル先生が胃や頭を痛めてしまうのも仕方がありません。

「プロポーズはどう思っているんでしょうね……」

 会うたび『結婚してください!』と申し込まれているのに。

「『気安い冗談だ』とでも思っているはずです。あなたが俺やルピネにプロポーズするのと同じように」

「にゃあっ……‼︎」

 先生はため息を吐いています。

「二人が出会って100年ほど経ちますが、未だにプロポーズの意味を理解していないんです。なんなんでしょうあの娘。耳にフィルターでも付いているんですか」

 愚痴る先生は珍しいです。

 見た目がこういう風でも、シェル先生はお父さんなんですよね……なんだかほっこりしました。

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