乙女である4
マンションに着きました。
まだ美織は帰っていないはずです。
「む」
「どうかしたんですか?」
「……どう話したものか悩んでおったが……あやつにそんな心配は要らぬのだな」
「?」
「我が乙女。鍵を開けよ」
「はっ、はい」
鍵を開けて、ハーツさんに道を譲ります。
「女王の帰還である。出迎えるがよい、我が臣下!」
人の家に入った場面だというのに、なんて堂々とした口上なのでしょう。一周回って感動しました。
すると、リビングに続くドアが開き、男性が顔を出しました。
「……お帰り、女王様。あんたを心配していた俺に何かお言葉は?」
「大儀であった」
「はー……」
この人がアリアさんでしょうか?
私はぼけーっと男性とハーツさんのやりとりを見ています。
男性は、シェル先生にとっても似ています。
「……」
「あんたはもうちょっとこっちのことも考えて……って、紫織連れてったのか」
その後ろからシェル先生が顔を出しました。
「ハーツ、プリン焼いてください」
えっ?
お名前、おんなじです⁉︎
「脊髄反射で動くのやめろアホの子。プリンは明日だ」
ああ、情報量が増えていく……
おろおろしていると、ルピネさんが来て、場をリビングへと移動させてくれました。
やっぱり困った時のルピネさんです。
シェル先生はいちごミルクをちびちび飲みながら、本日が初対面である二人のことを紹介してくれました。
「こちら、見るからにして俺の血縁だとわかる方がハーツ。竜神です」
「……」
男性、改めハーツさんが頭痛をこらえるような顔をしています。
「あなたを連れ回した方がスペード。女王です」
「簡潔な説明であるな」
ハーツさん改めスペードさんが満足そうなのは良いのですが、疑問が1つ。
「あの……どうして、ハーツさんの名前を?」
「巫女が相手となれば、妾の名をみだりに使うつもりはないのでな」
ハーツさんがぼそっと呟きます。
「……俺の名前も使うなよ」
「お主のものは妾のものであろう?」
揺るぎなく暴君です。
「あああ、もー……!」
スペードさんはからころと、無邪気な笑声をあげています。
彼は話が通じないと判断してか、疲れた顔でキッチンへと立ちました。
「……もういい。パイ焼いてくる……」
「!」
シェル先生が何気に嬉しそうです。甘党ですもんね。
「アリア。お前たちの弟子は才に満ちておるな」
「そうですね」
ほ、褒められました。嬉しいです。
ああいえそうではなく……
「あの。……先生の名前のどこに、アリアが入っているんですか?」
「ミドルネームのような位置に」
先生は以前いくつか交わした契約書の写真をスマホに映し、サインを拡大して見せてくれました。
達筆流麗な筆記体だったので気付いて(読めて)いませんでしたが、4つほどパーツがあるように見えます。
「二番目がアリアです」
「ほわー……」
「なんじゃ、アリア。教えておらんかったのか」
「教える必要がなかったので」
今日あったと思います。
「ふうむ。それもまたお前らしい」
スペードさんがシェル先生を撫でる仕草と表情は、母親が慈しむかのようで、撫でられて目を細める先生との確かな親愛があるのだなと思いました。
(……眩しいって思っちゃうなあ……)
スペードさんはかがめていた体躯をすっくと起こし、ルピネさんに笑いかけました。
「ルピネよ。許せ」
「女王を許せるものは誰一人居ません。御心のままに」
「言いよるわ。……お前も成長したものじゃなあ」
「っ……こ、光栄です……」
もじもじするルピネさん可愛いです。
「……」
なんだか心地よいと思ったら、一瞬で目の前に移動してきたシェル先生が頭を撫でてくれました。
触れたところから毛布にでも包まれたかのような安心感と暖かさが伝わっていきます。
「加減はどうでしょう? 頭が破裂しそうになったら言ってくださいね」
その恐ろしい文言はともかく。
「先生、結婚してください」
「妻がおりますので。……あなたの体質からしてプロポーズするのは望ましくありません。癖は治しなさい」
「あうっ」
ぺちんと指で額を叩かれました。
「そうじゃぞ。結婚は長い人生の中でも最も重要な他者との結びつき。軽々しく申し込むものではない」
真っ赤になったルピネさんが毛布にくるまっています。可愛い……!
対照的にツヤツヤしたスペードさんが胸を張って私に手招きします。
「我が乙女。若き巫女よ。近う」
思わずシェル先生を振り向くと、一歩引いて私を前に押し出しました。
「あなたのスペルを安定させるための儀式です。悪いことにはなりません」
「は、はい」
向き合うと――そこには長身の美女が立っていました。
おそらく、これがスペードさんの本来の姿。
あまりに美しくて見惚れていると、彼女は優美な仕草で手を顎に当てました。
「いつまで待たせるのじゃ、無礼者」
「はっふひゃい!」
慌てて側に寄ります。
女王様はドレスに変わったワンピースのスカートを揺らし、私の3m前へと一歩出ます。
「我が名はスペード。かつて草原を統べた巨人の女王である。名乗るが良い。これは契約じゃ」
契約。
私の特性。
「わっ、私は。七海紫織……半人前の巫女です!」
「佳き」
細かな装飾のついた赤金のペンを杖のようにして、私の額に触れます。
その瞬間、浴びるような量の魔力が体を巡ったのがわかりました。
「ひぁ、あ?」
まるで、魔力で出来た滝の下に立ったよう。
頭の中に『彼女が彼女であること』が、その証明が、彼女の大いなる力が――
「飲もうとすんなよ。ただ浴びろ」
「ふえあう」
滝の向こうからハーツさんの声。
アドバイスに従って、魔力を体に取り込もうとはしないで、ただ浴びます。
冷たく感じていた魔力は、だんだんと温かみを帯びてきました。
「ふにゃー……」
えへ、えへへ。先生のお膝あったかい。
なでなでしてくれてます。ふふふ。
「……アリア。もっと早く調整してやれ。スペードが人間向けの契約なんて器用なことできるわけがない」
「む、無礼であるな」
「最初から調整しては契約が歪んでしまいます。互いの意思で契約しなければ。……言い訳ですが、あれで間一髪でしたよ?」
あーんをしてくれました。
うふふ、いちごのパイ。
「紫織……大丈夫か?」
「ルピネしゃんしゅきー!」
だいしゅきー!
「大丈夫じゃなさそうだな……」
「スペードとアリアの組み合わせにしてはいい調子で進んでたのに、なんで最後はこうなるんだ」
「ハーツもルピネも酷いです」
「そうじゃぞ。アリアをいじめるでない。妾が加減を間違えただけじゃ」
「間違えるなよ。紫織の魂が破裂したらどうしてたんだ」
「せんせーい……けんか、してますよ」
「じゃれ合っているだけですよ。気にしないでよろしい」
「ふにゃん」
なでなで好きです。
ピーンポーン……
「ただいまー!」
美織が帰ってきました!
……きました。
「はれ……?」
私、いま何してるんでしょう?
ソファの上で寝そべったところから顔を上げると、シェル先生と目が合いました。
「……………………」
膝枕をしてくれている先生の手元には、フォークで小さく切り分けたストロベリーパイ。
「正気に戻りましたね」
「お前はやっぱり鬼畜だな……」
「愛くるしかったぞ、紫織。女王を和ませるとはまさに巫女であるな!」
「そういう問題では……紫織。無理に起き上がるなよ」
みなさん口々に何やら言っておりますが、私は応答できる精神状態ではありません。
「みにゃぁああああああああ⁉︎」
「お、お姉ちゃん⁉︎」
「美織来ないでええええ‼︎」
うわーん‼︎
美織には姉としての体裁を保てるようになるまで少し待ってもらいました。
「…………」
美織はハーツさんとスペードさんの二人に圧倒されているみたいで、固まっています。
シェル先生から二人についての説明を受け、頷いていました。
「……シェルに、くっついてた神様」
「美織は案外目が良いですよね」
「案外とかつけないでよ。うちそういうのわからないし」
人見知りな美織は私にくっついています。……さっきの幼児退行を見られなくて本当に良かった。
「まあ良いです」
シェル先生はスペードさんに近寄って袖を引きます。
「スペード」
「なんじゃな、愛しい鬼よ」
「膝に乗せてください」
「良い」
先生はためらいなくスペードさんのお膝に座りました。
美織と二人であっけにとられて見ていると、先生は満足そうにして膝から降りました。
「ありがとうございます」
「いくらでもしてやる」
「んぅ」
撫でられると目を細めて、それから、もう一つのテーブルでルピネさんとパイを食べていたハーツさんのところに移動しました。
「……なんか用かクソガキ」
先生は晴れやかな笑顔で首を傾げました。
「羨ましいでしょう?」
何をするかと思えば自慢。
「なんでお前は俺をおちょくりに来るんだ⁉︎ 威厳保てよ!」
「俺に失墜するような威厳などありません。二人の前で錯乱したこともあります」
「捨て身過ぎる‼︎」
先生はいわゆる『ツッコミ役』の人がいない限りあまり暴走しません。つまり、きちんと会話に応答してくれる人がいると自由です。
ハーツさんは本気で構うから楽しんでいるのかも知れません。
「ところで羨ましいですか?」
「……そうだな。羨ましいとも」
「神でさえ気が遠くなるほどの時を共に生きているのに、なぜ自分からは指一本スペードに触れられないのでしょうね?」
「うるせえ……」
ハーツさんが頭を抱えています。
「ハーツは妾に触れたいのか?」
「○△☆$□⁉︎」
「良い良い。昔からこれだけは得意であったから安心せよ」
いつの間にか移動していたスペードさんは、ハーツさんの手をマッサージし始めました。
「美味しいパイを焼いてくれた臣下をねぎらってやろうな」
「ぉ、わ」
先生はその場面を何気にスマホで撮影してから、私と美織、ルピネさんのいるテーブルにやって来ました。
「……ハーツさんって、スペードさんのこと好きなの?」
声を抑えて美織が質問すると、先生が頷きました。
「はい。……かつて死に向かっていたスペードの魂を引き上げ、自らの命を賭して魂が消えることを防いだほどには」
「本気の恋ですよね」
スペードさんもハーツさんのこと認めて感謝して……うん。きっと悪く思っていないはずです!
「……見ての通り、スペードは女王だ。『臣下は自分に尽くして当然→つまり私に尽くすものは皆臣下である』というロジックで、ハーツのことは臣下として認識しているのではないだろうか」
ルピネさんが口を挟むと、シェル先生が首を傾げました。
「そう単純な関係ではないと思いますよ」
「なのか?」
「頼れる臣下だと思っているのには違いありませんが……今までもこれからも、永遠を共に過ごす仲です。王と臣下という心理関係だけではもたないでしょう」
「…………」
そういえば、呼び方も……
「あと、あれでハーツは一途で純情なのです。……『スペードが好き過ぎてどうしたらいいかわからない』と酒の席で愚痴を」
「神様も案外人間臭いところあるのね」
「大抵は、強烈な性格を持っているのが神様だからな」
マッサージされていたはずのハーツさんは、スペードさんをマッサージし始めていました。
仲良しです。
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