乙女である3
デパートまでたどり着くには、人混みを乗り越えていかなければなりません。
私たちの向かう方向が縦だとすれば、人の大きな流れは横です。
ハーツさんがイライラし始めました。
「こやつら、なぜ妾の行く道を遮っておるのじゃ……不敬にもほどがあろうぞ」
「だ、ダメですよっ……」
「むうう……これがアリアであれば、こんな有象無象などすり抜けていくというのに」
「無茶な要求しないでください……」
あと人を有象無象と表現するのもやめてください。
「ふん。わかっておるわ!」
とても目立つ美貌の彼女には、不思議と周囲の視線は集まっていませんが、妖精さんと同じような技能でもあるのでしょうか。
「未熟なる巫女を教え導くのも神の務め。か弱き幼子を守るは女王の務めじゃ」
えっ、私小さい子判定なんですか?
そんな問いを口に出しかける前に、ハーツさんは私の腕を掴み、毅然として歩き出しました。
――人混みに向かって。
「ちょ……ハーツさ――」
「人払いとはこうやるのよ」
踏み込んで加速。
人と激突しそうになった瞬間、人が避けました。いえ。視界が歪んで人の位置がずれて……私たちが進む直線に道が拓けました。
「‼︎」
「走るぞ、紫織!」
こんな時に名前を呼ぶだなんて、ズルいじゃないですか。
胸がドキドキしてしまいます。
駆け抜けて、デパートに続く道に入れました。
「ははは! なんとも愉快じゃなあ。道を作ってこそ女王。基本であった!」
この女王様は、容姿端麗にして豪放磊落。尊大に構えるばかりかと思ったら、行動力もあるようです。
「うむ。……どうした。無理をさせてしまったか?」
「い、いえ。驚いて……」
「そうか。ならば参ろうぞ」
ぶどうフェスタまで、すぐそこです。
ほのかなワインの香りと、焼きたてのパンの香り。興味のそそられる香りが混ざって、あちらこちらと目移りします。
またも人混みが心配でしたが、ワインの試飲の方に大人が集まっているくらいで、移動に苦労するほどではありません。
「試食ありますね」
「食べようぞ。フェスタとは祭りなのじゃろう?」
そわそわするハーツさん可愛いです。
「です」
スタッフのお姉さんから、ぶどうを練りこんだパンの試食をもらいます。
一口噛むと、ぶどうの芳醇な香りがすっと抜けていきました。爽やかな味です。
「……良き……」
ハーツさんがうっとりとしています。さすがに試食のお姉さん相手では認識を逸らせないのでしょう、お姉さんが目を点にして驚いています。
パンの他、ゼリーや生のぶどう一粒など、あちこち巡って試食を味わいます。
ワインコーナーもありましたが……
「酒とは共に語らい飲み明かしてこそ楽しいものよ。酒が飲みたければ大人の姿でここに来ておるわ」
だそうです。
神様であるハーツさんにとって、外見年齢を変えることは簡単なのだとか。
「そなたが酒の飲める
「ご、ごめんなさい。飲めません」
二十歳まであと2年です……!
「良い良い。それに、飲めぬ体質やもしれぬだろう? きちんと検査を受けて、お前自身も楽しく飲めるのならば。その時は付き合っておくれ」
「……はい」
マスカットのジュースがあったので、アルコールではないことを確認してコップを二杯もらいます。
テーブルに着いて、ハーツさんと向き合うと……見れば見るほど美しいです。
「大儀であった、紫織よ。そなたは真に我が乙女じゃ」
褒められているみたいです。
撫でられると暖かいです。
「えへー……」
「愛いのう」
撫で終わりが名残惜しく思います。
「さて。働いたものには褒美をやらねばな。好きなものを選ぶが良い。買ってやろうぞ」
「い、いいんですか?」
美織や、友達にお土産を買いたいとは思っていたのですが、お値段がなかなかで、お小遣いをやりくりするには厳しかったのです。
「言葉翻す女王ではない。甘えて良いのじゃぞ」
なんて心の広い女王様。
ならば、と通りかかったコーナーに積まれた箱を手に取ります。
「……じゃ、じゃあ……このチョコレートを」
試食して『これ美味しい』と素直に思えたもので、トリュフの中にぶどうのジュレが入っています。味は普通のぶどうとマスカットの二種。
「一箱じゃと? 妾に恥をかかせるつもりか」
ハーツさんは新たに4箱持ち上げ、『そこの娘御の箱もまとめて』と黒いカードで会計を済ませてしまいました。
(え……ぶ、ブラックカード?)
女王様だから?
「まったく……女王の厚意を無下にするでない、この未熟者。こういう時は、少なくとも3つは手に取れ。しからば妾はそこに2つ足して施そう」
礼儀作法があったのですね……こういうのもルピネさんから習うべきなのかもしれません。
「す、すみません」
「良い。そなたは無知であるからな。しかしまあ、臣下ならばともかく……うら若き乙女に持ち運ばせるのもなんじゃな。どれ、その箱をよこせ。妾が特別に《貯蔵庫》にしまってやろう」
「お、お願いします」
ハーツさんが抱えていた箱は、虚空へと消えました。
「帰ったら出してやろうな」
「ハーツさんはお土産買わないんですか?」
「買うぞ。妾のしんかと、可愛いそだてごの家族に買う」
しんかは臣下ですよね。女王様ですし。そだてごは……育て子。養子?
後者は複雑な事情がありそうだったので、前者について聞いてみることにしました。
「臣下さんって、ハーツさんの部下さんですか?」
「そのようなものじゃのう」
パンを一袋と、いくつかのお菓子を買って、またも《貯蔵庫》へ。
そういえば、これってシェル先生と同じ能力です?
「うむ。妾は満足である。紫織よ、ここは繁華街であると聞く。どこか他に行きたいところはあるか?」
「ふえ……あ、えっと……お昼ご飯、食べたいです」
「そうじゃなあ。昼時であるからな」
豪快な女王様に手を引かれて、レストランに歩き始めます。
「行くぞ」
「は、はい!」
ロコモコ、美味しかったです。
行きはバスで来てしまいましたが、帰りは地下鉄にしました。
「おお……これが切符というものか!」
私が最寄駅までの料金で切符を買って戻ると、ハーツさんが嬉しそうに切符を指でなぞっていました。
「見るの初めてですか?」
「うむ。あれじゃな。改札に入れるのじゃな!」
「そうですね。やってみてください」
「気の利く乙女よな、紫織」
「ありがとうございます」
私の家に合った方向を探し、改札口を見定めます。
「では、あそこの改札に行きましょう」
「わかった」
ハーツさんが自然な動作で手を差し出してきました。エスコートを要求されているのがわかったので、手を掴みます。
や、柔らかくてすべすべ……!
「? どうした、乙女よ」
「な、なんでもないです。行きましょう!」
私が手を引くと、ハーツさんは私のテンポに合わせて歩くペースを変えます。この人、本当に、『尽くされる』ことに慣れています。
(……気品とは理屈ではないのですね……)
シェル先生たちを見ていてもそう思います。
よくよく考えたら、こんな神様なんて、シェル先生たちの知り合いだとしか思いません。
帰ったら聞いてみましょう。
「バスとはまた趣の違った乗り物じゃな」
平日なので、それなりに空いています。座席を確保できました。
「電車っていうんですよ」
「そうか。行きと帰りで乗り物を変えて案内するとは気が利いておる。褒めてつかわす」
「ありがとうございます」
ほのかにはしゃぐハーツさん可愛いです。
地下鉄が最寄り駅に着いたので、彼女の手を引いて外に出ます。
家までどうするか聞くと、徒歩でと答えられたので、ハーツさんと一緒に歩き始めます。
「ふふ、今日の収穫は、アリアに秘密で出てきたかいがあったものよ……」
アリアさんが育て子さんなんでしょうか。ハーツさんに振り回されている香りがします。
「それもこれも、そなたの尽力のおかげである。ありがとう、紫織」
「どういたしまして。……私も、楽しかったです。気分転換になりました」
「なんぞ落ち込むことでもあったのか?」
「あ……落ち込むんじゃなくて、暇だったんです。……しなきゃいけないこと全部済ませると、自分の暇さが浮き彫りになって……」
「仕事を済ませておるのならば胸を張って休暇を楽しめ」
「そ、そうかもですけど」
暇なことには変わりがないのです。
毎日が日曜日状態だと、楽しみも持続しませんし……
「私、ほんとなら、学校に行っているはずだったんです」
「ふむ」
「……前までなら受験勉強があったから、気も引き締めていられたのに……終わっちゃったんです」
「煩わしい勉強が終わるのは喜ぶべきことであろうに、真面目な女子じゃな」
「うう……」
最寄り駅の名が表示され、次で降りることをハーツさんに伝えます。
「勉強……」
「お前たちの世界では、受験とは学校に行くか資格を取るかのどちらかと聞く。そなたであれば学校であろう」
「はい」
「頑張った自分を認め、休暇は褒美と思えば良い」
「そ、そんな……」
学生のみなさんやこれから受験をする人々に失礼では……
「もちろん、自分が自由であることを自慢すれば失礼じゃぞ。あくまでも心のうちで、自らを慰め安堵させるために謳歌するのじゃ。努力で得た対価をな」
「…………」
目からウロコが落ちるような気分です。
「そなた、成人もしておらぬのじゃろう? 若い者が思い詰めてばかりではいけない。悩むのもほどほどにして、たまには羽目を外せ」
「……はい」
「良し」
駅に着きました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます