乙女である2

 11月の頭となれば、札幌はもう冬に入っています。

 雪は積もってはいませんが、降ったり溶けたりを繰り返してこれから根雪になっていくのです。

「……8年ぶりの冬……」

 なんだかテンションが上がってしまいます。

 塀の上に残った雪を手にとって、意味もなく雪玉を作ってみます。冷たいです。

 ずっと触り続けるのもなんなので、防水の手袋をして小さな雪だるまや雪うさぎを作りながら歩いていきます。

「っ……?」

 指に熱が走った気がして、手袋を脱ぎました。


 豪奢な金色の糸が伸びています。


「ふぇあっ?」

 金のところどころに赤が入って、なんというか、ものすごく豪華に見えます。

「??」

 カルミアさんとの一件から糸が現れることは増えましたが、これは初めて見ます。金なので良い縁なのかもしれません。でも、こんなにも豪奢だと、手繰っていいのかもわかりません。

「えーと、えーと」

 こういう時は、落ち着いて、糸の先を探ります。糸がどこまで伸びているのかとどんな人に繋がっているのかを……

「わかんないです⁉︎」

 どんな性質の糸でも、今までこんなことはなかったのに!

 焦って糸を掴もうとすると、背後から声。

「手繰らぬところは褒めても良いが、わらわの居場所を探ろうとは無礼千万。昔であれは手討ちにされていたところぞ」

「    」

 息が止まりそうになりました。

「しかし、妾はここでは客人。そなたのことは、大いに広き心でもって許そう」

 私の後ろから近づいてくるその女性は、かつて私が経験したことのないほどの、オーラとでも言えるものをまとっていて。

「そこなる乙女よ。女王に背を向けたままでいる愚か者がどこにいる。振り向け」

 何か、恐ろしいほど綺麗な――

「……す、すみません。緊張してしまって」

「仕方がなかろう」


「妾の声音を聞くものは、みな妾を畏れたものよ」

 ――神様、とでも呼ぶべき存在なのではないでしょうか。


 鮮やかな赤い髪にはところどころ金髪も入っており、先ほどまで人差し指で存在を主張していた糸と色を反転させたかのようです。

 顔は、筆舌に尽くしがたいほど美しいです。視界の暴力のような、見るだけで目が潰れてしまいそうなくらい……とにかく綺麗です。

 美しさに涙が流れそうになって、慌ててコートの袖で拭います。

「感動のあまりに涙さえ流すか。うむうむ。それもまた、乙女としての才能であるな」

 尊大な口調と振る舞いに反して、身長はそれほど高くはありません。私より低いです。

「名乗ることを許す」

「……あ……な、七海紫織です」

「うむ、良い」

 女王然とした女性はかんらかんらと笑います。その笑い声がまた、心を強制的に躍動させるというか……これ絶対魔術的な何かですよね。

 私のスペルは神様と相性がいいから耐えられていますが、普通の人が聞いたらどうなるのか恐ろしいです。

 今が平日の午前中で良かったと思います。

「そなたは乙女である。つまりは、神に仕える巫女である」

「……え……ご、ご先祖様がそうだっただけで……」

 私自身は、その性質を持て余している魔法使い見習いです。

「構わぬ。妾の意思に応じ、言葉交わしたのならば充分。妾は力量を見極めるも得意としておる。案ずることはない」

 ええええ。

「命を与えよう」

 彼女は『これを読むが良い』と、懐から折りたたんだ紙を出しました。

「ひ、開いても……?」

「開かずしてどう読む? そなたは未熟な巫女。遠見の術は使えぬまいよ」

「ふわっ……で、では」

 恐る恐る受け取って開きます。

 女神様が差し出すものが私に読めるのか不安でしたが、それは見事に杞憂に終わりました。

「……ぶどうフェスタ……?」

 中央区のデパートで開催される、『世界各国のぶどうと、それを使ったスイーツを味わおう!』というイベントのようです。

 羊皮紙とかそういう紙かと思ったら、普通のチラシでした。

 女王様は胸を張って、私の視線に込められた無言の問いに答えました。

「妾はぶどうが好きでのう。それを使った菓子が出る祭りとなれば目指したくもなろう?」

「……は、はあ。確かに、滅多にない機会だとは……」

「ということで、そなたに申付ける用とはそれじゃ。妾を案内あないせよ。光栄であろう?」

 断られるとは微塵も思っていない笑顔で、女王様は告げました。

 頷くほかないのはわかっていましたが、せめてもの抵抗として……

「わかりましたが、お願いがあります」

「妾は気分が良い。何なりと申せ」

「呼び名を教えてください」

 人混みで女王様と呼ぶのはためらわれます。

「む。そうか」

 彼女は少し考え込んでから、にんまりと笑いました。

「では、ハーツと呼ぶが良い」

「わかりました。ハーツさんですね」

 心だなんて、綺麗な名前です。

「他には?」

「……」

 ハーツさんがあまりに美しいので気づいていませんでしたが、冷静になって彼女の格好を見ると、薄手のワンピース一枚です。

 雪が見える冬の景色からはどう考えても浮いています。

「お洋服を。特に、羽織ものを用意させてください……!」



 なんとかハーツさんを自宅まで連れてきて、コートを見繕います。彼女はきょろきょろと部屋を見回して、何やら納得したように頷いていました。

 私はといえばそれについて質問を重ねる余裕もありません。

「えーと」

 ルピネさんがスーツを選んでくれた時、スーツの上から着るコートも選んでくれました。二着あります。

「……」

 ハーツさんは『うむ。ワインと比べると物足りぬが、これもまた良き』と、ぶどうジュースを味わっています。残っていて良かったです。

 灰色っぽい方より、ホワイトベージュの方がハーツさんの美貌は映えそうです。

「あのっ、ハーツさん。これを着てみてください」

「決まったか。良いぞ」

 歩いてきた彼女は、軽く両腕を広げて静止しました。……着せろということですね、これは。

「では、失礼して」

 後ろに回って、コートを広げて体に合わせます。

「ボタンの留め方は……」

「? なぜ妾がやらねばならぬ? そなた巫女であろう」

「……ですよね」

 顔が自慢げだったりすれば私を小間使いにしてバカにしているのだと判定できますが……どう見ても、この人は《女王》。周りが自分のために動くことを一切疑わないどころか、そうやって生きてきたのだと思わされるというか。

 全く嫌味に感じられないから、ハーツさんの気品は本物なのでしょう。

「サイズはどうですか」

 低身長なハーツさんは、お胸はとてもご立派なものをお持ちです。スーツ用のものなのでゆったりしてはいるはずなのですが……

「良い。気に入った」

 満足していただけてホッとします。

「……ハーツさんは、女王様ですよね」

「妾こそは魔術の女王よ。巨人の女王でもあるがな」

「! 巨人さん……その割には、背丈が小さ、」

「こちらの世界で本性を見せられるわけもあるまい。街が滅ぶわ愚か者め」

「す、すすすすみません……!」

 ため息をついてから私の服を放し、袖を打ち払って告げます。

「まあ良い。この無礼は役目を果たすことで帳消しとしてやろう」

「あ、ありがとうございます……」

「昼時になる前に出ようぞ」

「案内しますね」



 バス停目指して歩きます。

「どこへ向かっておるのじゃ?」

「車に乗れるところ、バス停です。そこから駅までの便があるので」

「なんと。人とは不便なものじゃな。たかが時間と距離に阻まれるとは」

「今のハーツさんも阻まれているのでは……?」

「妾が妾である意味の全力を振るっては世界が歪む。アリアに調整してもらわねばならぬのよ」

 アリアちゃん。可愛いお名前です。

 その人も神様なのでしょうか。

「そうなんですね……あ、着きましたよ」

 バスも停まっています。

 ハーツさんと一緒に乗り込むと、先に乗っていたおばあさんとおじさんが驚いたのがわかりました。

 でも、私はそんなリアクション、ルピネさんで慣れたのです!

 物珍しいものに逐一驚き、私に質問してくるハーツさんが可愛らしいです。

「アリアに秘密で出てきたかいもあったものじゃな。褒めてつかわすぞ乙女よ!」

「……その乙女って、なんなんですか?」

 紫織と名乗ったのに、呼んでくれません。

「乙女とは古来より巫女であった」

「神社とかにいる巫女さんですか?」

 私ど真ん中です。

「うむ。清らかなる乙女こそは、神の声を聞き神に言葉を伝える巫女。妾も世話になったものじゃ」

 なるほど。だからさっき思いっきり女王様だったんですね。お世話されてたから。

「乙女ってどういう意味なんですか?」


「男と関係を持ったことのない未通の女子おなごよ」

「…………」


「その点では、妾も乙女じゃな」

「そういうこと言っちゃいけません……‼︎」

「なんぞ我が意思を妨げるか。不敬であるぞ」

 尊大な女王様との行程。

 デパートの最寄り駅に着いた頃には、疲労困憊でした。

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