理想の生活4
三崎さんがアパートにやってきて、今日で4日が経つ。
「……」
佳奈子は『頑張んなさいよ』と慈愛に満ちた微笑みを浮かべて、ばあちゃんのところに行ってしまった。
(気を使われている……)
本日は土曜日。合流した三崎さんは俺の家で朝食を作ってくれている。俺が作ろうとしたのだが、『一昨日も昨日もご飯作ってもらったから。キッチンお借りします』と固辞された。
手際よく卵焼きを巻いていく姿になんだかグッとくる。
「出来たよ。お待たせしました!」
「ありがとう」
卵焼き、焼き鮭、おひたし、味噌汁。まさに和食だ。
(……あー……なんか、いいなあ)
付き合ってもいないのに意中の女の子に朝ごはんを作ってもらえる男は、あまりいないのではないだろうか。
皿を並べるのを手伝い、向かい合って席に着く。
「いただきます」
「召し上がれ」
焼き鮭を箸でほぐす。良い焼け具合。
「……美味しい」
「!」
ぱあっと笑う。
可愛い。
「良かった。森山くんお料理上手だから、緊張しちゃったよ」
「料理上手だからって舌が肥えてる訳でもないよ。でも、これは本当に美味しい」
「そ、そう? えへへ……」
ああ、可愛い。とにかくひたすらに可愛い。
恋する前の自分が彼女をどのようにして見ていたのか全く思い出せない。なんで平然と笑顔を受け止めていられたんだ俺は。
「あのね。ずっと言い忘れてたんだけど……私、森山くんと佳奈子と紫織と同じ小学校に居たんだよ」
「え……そうだったの?」
三崎さんを見かけた覚えがない。
「クラスは違うよ。でも、森山くんが校舎の壁登ったりしてたのは、知ってた。……思い出した」
「うっぐう……」
若気の至りだ。
いや、思えば今もしていることは変わっていない……?
「ち、違うんだよ。その時は……風船を取ろうとして」
学校バザーの日、風船がパイプに引っかかっていたから、窓枠を伝って取った。
無事に風船を掴んで降りたのだが、そのあとに先生にめちゃくちゃ叱られた覚えがある。
「小さい子の風船を取ったんでしょう? ……昔から優しいんだね」
「……あ、ああー……」
三崎さんの眼差しは優しく、笑顔は眩しい。
「優しいっていうか……なんか、ほら。小さい子が泣いてると、あんまり。楽しい思い出で終わって欲しかったしさ……」
その頃にはもう《呪い》を受けていた。自分がやさぐれていた分、思い出が悲しさに塗り潰されるのが嫌なことだというのは身に染みていた。
「ふふ」
彼女は自分の胸に手を当てて、静かに呟く。
「私、覚えてることもあるみたい」
「……」
「今までずっと、自分が都合のいいことしか覚えてない、空っぽな人間なんだって思ってきたけど……そうじゃないところもあるんだな……って」
「三崎さんは優しいよ」
優しくて、心が強い。
「……こんなに美味しい料理作ってくれるし」
「あ、ありがと……」
味噌汁の風味が自分で作るのとはまた違って美味しい。
「ご馳走様です」
「お粗末様でした」
皿洗いを終えて、ふと思いついた。
「そうだ。小学校の卒アル見る?」
「! うん」
「ちょっと待ってて」
自室の本棚には卒業アルバムが並んでいる。沢岡小学校の名が入った背表紙を引き出して茶の間に持っていく。
「ほい」
「わー、ほんとにアルバムだ。触ってもいい?」
「どうぞ。……三崎さん、見るの初?」
「私、小中は卒アル買ってないんだ。高校では買うつもりだよ!」
「そっか」
リーネアさんと出会う前のことには、なんとなく事情がありそうなので、踏み込まないでおく。
「三崎さん何組?」
「6年では……4組。これが私」
眼鏡をかけた、長い黒髪の女の子だ。
「……」
写真の下には『三崎京』の名が印刷されている。
髪に隠れがちながら、当時から面影は変わっていない。彼女に恋する今の俺なら情報なしでも彼女であると弁別できるだろう。
「この頃、髪切ってもらえてなかったからボサボサだなあ」
恥ずかしそうな三崎さん。
「眼鏡は?」
「あ、えっと……昔、乱視気味だったんだ。でも、パターンが発現してからはなんだか治っちゃった」
「良かったね」
「うん。私、眼鏡似合わないしね……」
「そんなことないと思うけどなあ」
この眼鏡が彼女の顔の印象に合っていないというだけであって、例えば細いシルエットの眼鏡なら彼女の知的で可愛い美貌を損なわないのではなかろうか。
「ってか、三崎さんって昔から可愛かったんだね。そりゃあ、成長すれば美人になるよなあ」
時が、止まった。
「……」
あれ。俺、いま何口走った?
「……み、三崎さ……」
「っ、うぁう……」
三崎さんがじわじわと赤くなっていく。
「…………」
落ち着け俺。落ち着くんだ俺。
いざという時に冷静になれない者が勝負できると思うなって、俺を格ゲーで叩きのめしたシェルさんが言ってた。
だからまずは落ち着こう。深呼吸だ、俺。
「みしゃきさっ……!」
噛んだ――‼︎
「……ごめっ……」
俺まで顔が熱い。熱が出ているのではないかと思えるほど。
「あ、あぅ」
三崎さんはわたわたして、クッションを引き寄せて抱きしめている。なんだこれ可愛い。
大一番で自らの手癖に頼る奴はその時点で半分負けていると、俺をカーレースゲームでぶち抜いたシアさんが言っていた。ってかあの姉弟、二人して何者なんだ。どっちも俺の得意ジャンルだったのに一戦も勝てなかったぞ。
そんなことよりも!
思ったことをタイムラグなしで口に出す悪癖は、いろんな人から表現を変えて忠告されていたのに。ここで裏目に出るとは……!
「……もっ……森山くん。質問が、あります」
「あ、う、うん。どうぞ⁉︎」
三崎さんは赤い顔のままだ。
「私は、森山くんに下校時、送ってもらったことがたくさん……あります。それは、その。……私じゃなくても……他の女の子でも、そうしていましたか?」
「……たぶん」
佳奈子は送るっていうか一緒に帰るし。
「っ。……じゃあ。もし、私と森山くんと、他にもう一人男子がいたら。その男子が私を送るって言ってたら、どうしてましたか?」
「口実つけて一緒についてくよ」
そこは確実に。
俺が言うのもなんだが、リーネアさんチェックを通っていない男子なのだろうから俺も心配だ。
ついでにリーネアさんから『てめえ何ケイをどこぞの馬の骨と二人っきりに』とブチギレされそうだし。
「…………」
何やらぶつぶつと聞き取れない音量で呟いている。
真意はどこにあるのだろう。『キモっ』とかではねのけられていれば即座に脈なし判定が出来るのだが……あ、今の想像しただけで心抉れた。
「森山くんは……どうして、あのとき、ブレザーを私にかけてくれたんですか……?」
どうして。
なぜかと問われれば、答えは一つだ。
「三崎さんが不安そうだったから。……泣いてる顔、隠してあげられたらなって……」
俺は明るくない泣き顔を見るのが苦手だ。表現が難しいが、要は嬉し涙や別れの寂しさの涙なら気にならないのに、恐怖や悲しみ、苦しさによって流れる涙は酷く心が痛む。
それが好きな女の子ならなおさらだ。
「ん……そ、そうなんだ……」
もじもじとしている。……自惚れていいなら、好感触で脈ありなのかもしれない。
「…………」
心を決めよう。
息を深く吸い、口を開く。
「「あのっ」」
被った――
「……ど、どうぞ」
「い、いえ。森山くんの方こそ、お先に……」
「いやいや……三崎さんが先に言いたいことを……」
しばし譲り合う。
膠着状態が続く中、インターホンが鳴った。
「あ……」
「ちょっと、行ってくるね。ごめん」
「い、いいんだよ。森山くんが謝ることじゃ……ないもの」
助かったような、タイミングが悪いような。
三崎さんを茶の間に残し、玄関に行く。どうせ佳奈子だろう。
その証拠に、無遠慮なノックの音がする。
「今開ける。ちょい待ちー」
鍵のツマミを捻って、ドアを開ける。
「もっ、ももも森山くん……ちょっと待って」
焦った様子の三崎さんが俺を追いかけてきた。
「へ?」
だが、もう扉は開けてしまっている。
そこには、翰川先生が立っていた。
「…………あれ?」
海色の髪とレモン色の瞳が彩る恐ろしいほど綺麗な顔。
ラフなパーカーに、少し厚手のスラックス……
三週間ほど前に別れたはずの美貌を目の前にして、三崎さんは完全に固まっていた。そうか。先にモニターで来訪者の姿を見ていたから、こんなにも驚いているのか。
俺も腰を抜かしそうだったものの、彼女の前だと思うとなんとか耐えられた。
この人は――何か、どこか違う気がする。
明確にどことは言えないが、翰川先生と過ごしてきた時間に育てられた直感が、この人は別人であると告げている。
「翰川先生の……妹さん?」
「よく当たるものだね。噂に違わぬ勘の鋭さに敬服だ」
翰川先生とは違い軽やかな口調で、しかし、翰川先生と同じ声音で、その人は自己紹介する。
「僕は翰川
翰川先生と同じ顔で、同じ仕草で名刺を差し出して、彼女は笑った。
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