理想の生活5

 みぞれさんはコーヒーを一口飲んでから、口を開く。

「いきなり訪ねて悪いね。お姉ちゃんの生徒さんとリナリアのお弟子さんが居るって聞いたものだから」

「先生とも知り合いなんですか?」

「知り合いも知り合い。僕とリナリアは大親友さ」

「! そうなんですね」

 女性二人には茶菓子を提供して和気藹々と話してもらって、俺は自室で翰川先生に電話をかけていた。

『もしもし、光太?』

 声が超可愛い。

「はい。光太です。……いま、俺の家に妹さんがいるんです」

『おや。……初日から訪ねていくとは』

「えっ、今日が初日なんですか⁉︎」

 翰川先生も、札幌に来た初日で俺と出会った。そんなところまでお姉さんそっくりだなんて、さすがは双子だ。

『そうだぞ。キミのことはみぞれにもたくさん自慢したからな』

「あ……ありがとう……」

 嬉し恥ずかしい。

「ねえお姉ちゃんと話してる?」

「うおっわ」

 耳元で電話口から聞こえるのと同じ声がした。

『みぞれ? みぞれー!』

 きゃあきゃあとはしゃぐ声。

「お姉ちゃん、お姉ちゃん!」

 興奮気味な声。

(どっちがどうだかわからなくなってきた……!)

「ね、光太。茶の間に京ちゃんいるから、お話ししてきて。僕はお姉ちゃんとお話しするから」

「えええ」

 それ俺のスマホなんですが!

『みぞれ。横着はいけない。きちんと自分のスマホで僕にかけ直しなさいっ』

 まるで『めっ』とでもいい出しそうな、優しくからかうような声音。お姉さんらしさが強調されて非常に可愛らしい。

 みぞれさんは蕩けるような笑みをみせて喜び、電話に向かって囁く。

「わかったよ。待っててね。すぐかけるから……はい光太これスマホ」

「ど、どうも」

 あっさりと返された。

 会釈してリビングに戻る。

 三崎さんは、真っ赤な顔で俺を見据えていた。

「……」

「あ、あの。……顔が、赤いのは、いろいろ、あるんです」

「いろいろ、ですか」

「はい。いろいろ……です……」

 彼女の向かいの椅子に着席する。

「……えっと」

 まずい。みぞれさんが来る前まで異常に緊張していたから、何を話していたのかあれこれ飛んでいる。

「質問、です」

「あ、はい」

 彼女は指先をきゅっと握りこんで、俺に問う。

「わ、私を……可愛いと、言ってくれたのは。お世辞……ですか。社交辞令ですか?」

 なんだそんなことか。

「俺にそんな器用さなんか、ないない。だって三崎さん可愛いし美人じゃん」


 再び時が止まった。


 なんで学習能力がゼロなんだ俺は――‼︎

 テーブルに突っ伏す。

「……三崎さん、ごめん……」

「え、あ……」

「その。ちょっとだけ、待ってほしい。特定の臓器がやばいので……」

 はっきり言うと心の臓がやばいので。

「大丈夫⁉︎」

「はい。大丈夫です」

 深呼吸して、後ろ向きになる意識を無理矢理切り替える。

「うん。大丈夫。はい」

 三崎さんは祈るように手を握っている。

「…………」

「そのですね。……俺は、三崎さんが好きです」

「……」

 彼女が目を見開く。

 またも俺の心臓に強力な負担がかかるが、なんとか耐えた。ここまで恥を晒したのだ。今更何が怖いものがあろうか。

「返事は、今じゃなくても全然……」

 おそらく三崎さん、これまで俺のことを意識したこともないだろう。リーネアさんチェックは通ったとはいえ、そのチェック内容に『三崎さん自身が好きかどうか』は含まれていない。

「……いいえ。いま、します」

「え」

 姿勢を正し、彼女が答える。

「私も、森山くんが……好き、です」

「…………」

 頰をつねる。痛い。

「……」

 三崎さんは自身の両頰を手のひらでむにむにしている。可愛い。

 目が合った。

 逸らしかけるが踏みとどまって彼女を見据える。

 しばし攻防を繰り広げていたら、なんだかおかしくて笑ってしまった。

「実はもっとロマンチックなって言ったら変だけど……どこかいい雰囲気の場所で告白したいなって思ってたんだよね」

 なんせ貧乏学生なので、お洒落なレストランもデートスポットに行くのも厳しい。

 まさかなんの変哲も無い自分の家で告白することになるとは思っていなかった。

「わ、私は……森山くんに、告白してもらえたら、どんなところだって嬉しかったよ」

 三崎さんの言葉に、胸が圧迫されたように辛い。

「ん……あ、ありがとうゴザイマス……」

「……その。ご、ごめんなさい。今日はもう、何を言っても失言する気がします」

「俺もそうだなあ」

 もうすでにメンタルにきている。たった少しの間で緊張感が乱高下しすぎた。

「おっ、お客さんも来ていることですから」

「う、うん」

 俺の部屋にみぞれさんを残している。

 この空気では出てこようにも出辛かろう。

「……うう、ごめんね! あ、明日! 明日話そ⁉︎」

「そ、そうだね!」

 三崎さんは荷物をまとめ、ミニリュックを背負って玄関で敬礼する。

「では、お邪魔しましたっ……!」

「また明日!」

 三崎さんが出て行った直後、部屋から出てきたみぞれさんがくつくつと笑う。

「いやあ、青春だね」

「うっ……」

 聞こえるよな……このアパート、部屋同士の防音性も何もないし……

「僕もお姉ちゃんに告白したくなったよ」

「え? あ、ああ。いいんじゃないですか?」

 お姉さんが大好きなのはよくわかった。

 翰川先生も喜ぶだろう。

「自己紹介からいこう」

「あ、はい」

 テーブルに着く。

 彼女は義足ではないだろうが、なんとなくそうしたい。

「僕はひぞれの妹であり、唯一無二の相棒だ」

「聞いてます。共同の研究室受け持ってるんですよね。賢くて優しくて、いつも頼りにしてるって言ってましたよ」

 宝物を自慢する子どものようだった。

「……そ、そんな。お姉ちゃんったら大胆……」

 彼女はぽっと頰を染めたのち、咳払いする。

「んっ、んん。……僕の存在は明かされていたわけだね。なら、どうして僕が札幌にいるのかは?」

「そこまでは……大学のお仕事ですか? 出張?」

「正解」

 頷き、説明する。

「ワークショップと呼ばれる形の催しでね。テーマに沿って司会役と学生たちみんなで集まり、議論したり、なにかを実際に作ってみたりと……実践形式の講座。いろんな大学と共催で、寛光からは僕が出張してきたというわけ」

「面白いイベントですね。どういうもの作るんですか?」

「今回はプログラミングを主題として、コードを使った電気回路を作ってみようって感じ」

 神秘を直に扱えるということか。神秘産業の道に憧れる学生には嬉しい機会だろう。

「開催自体は少し後からなのだけれどね。東京での前準備を済ませたら、札幌でもセッティングがあるのだよ」

「なるほど。そんなお忙しい中、俺の家に来るとは。恐れ多いっすね」

「ふふ。お姉ちゃんの生徒に興味があっただけさ」

 彼女はにっこりと笑って、ビニールに包まれた白いブラウスを虚空から出現させた。

「そんなわけで、これは僕が預かっていいかな?」

「あ。見つけたんですか」

 俺は数日前に洗い終えたブラウスをパッキングしていたのだが、ドタバタしていて出す機会がなかったのだ。

「みぞれさん、東京に戻りますもんね。すみませんがお任せしてもいいですか」

「もちろん。責任持って保管するよ」

「……いえあの。保管して欲しいんじゃなくて、翰川先生に届けて――」

「何円出したらミズリとお姉ちゃんに黙っててくれる?」

 ずずいっと身を乗り出す。至近距離で見る美人の凄まじさといったらとんでもない。

「えっ……だ、黙るって? どういう? 俺、ミズリさんにもう送り返すって返事しちゃってるんですけど」

「僕がこれとそっくりなブラウスを買ってすり替えることをいくら出せば黙ってくれるのかって質問だよ察しが悪いな。お前ほんとにお姉ちゃんが自慢するほどの生徒か?」

 んん?

 柄が……悪い? キャラが違う。

「いいかな、光太」

 彼女は出来の悪い生徒に言い聞かせるように、優しい声音で俺の額をつつく。

「は、はあ」

「ひぞれお姉ちゃんは聖女で女神で天使なんだ」

「……………………」

「そこに居るだけで見るものの心は安らぎ、その唇からひとたび言葉を紡げば福音。艶やかな髪を手に入れた日には最高の気分で仕事が手につかない。そんなお姉ちゃんがかっちりしたスーツスタイルのときに着るブラウスはもはや聖遺物と言ってもいい。僕はそのブラウスを手に入れるためなら金に糸目は付けない。さあ、何円欲しいか言え」

「…………」

 翰川先生を過剰なまでに崇め愛するその姿勢。彼女の身に着けていたものや、彼女の毛髪などをコレクションする習性。

 ごく最近、似たような文言を聞いた気がする。

「あのー……あなたは、完全記憶ですか?」

「いや? 僕の性能なんて、お姉ちゃんの足元にも及ばないよ」

「……どうやってそのブラウスを見つけ出したんですか?」

 俺はブラウスをパッキングしたのち、出かける用のカバンに入れていた。

 家探しされたと言われれば『素で泥棒じゃんこの人』とみなすし、もし他の手段で探し当てたのならば結局は『要注意人物じゃん』と思うしかない。

「キミねえ。僕をなめてるの?」

 彼女はふんっと可愛らしく鼻を鳴らし、胸を張って力説した。

「この僕が! お姉ちゃんの残り香がする服を間違う訳ないじゃないか‼」

「変態だああああ‼︎」


 旦那さんのみならず妹さんまでも変態という環境で生きる翰川先生に、ひそかなエールを送りたいと思った。

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