理想の生活2

「……」

 笹谷先生の数学を聞き流しつつノートを取る。

(放課後に、三崎さんが……)

 ぼーっとしていると、先生が筋肉迸るような笑顔で俺を見ていた。とっさに目を逸らす。

 チャイムの音。日直が号令をかけた。

 そのまま職員室に呼び出しをくらい、直立不動で笹谷先生と相対する。

「何の用ですか?」

「森山は大物だなあ……」

 くそ、5分くらいじゃ怒りリセットなんかされないか。

「すみません。考え事してて」

「数学のことか?」

「いいえ」

 素直に答えてしまった。

 土下座するかどうか迷って前傾姿勢を取ったところで、先生が嘆息した。

「……もういい。お前が頑張ってるのはテストの結果でわかっとる」

「ど、どうも……」

 笹谷先生は担任であると同時に数学教師。問題児だった俺は散々に迷惑と世話をかけてしまっている。

 叱られることはあっても褒められることは少なかったので、少し嬉しい。

「その。俺、まだ今週入って何もしてないと思うんですけど……」

 先週は下校時のショートカットのため、外付けの非常用階段を伝って飛び降りたが、バレていないはずだ。

「先週には心当たりあるんだな?」

「すみません」

 勢いよく頭を下げる。

「……まったく」

 再び嘆息。

「受験生なんだから、怪我だけはするなよ」

「う、ういっす……」

 彼は、一枚のプリントを俺に見せる。

「森山は冬休みの講習受けるか?」

 大学受験生向けの講習日程と申込書だ。

「金がないんで大丈夫です」

「それは大丈夫の範疇なのか……?」

「節約したいって意味ですよ」

「わかった。でもな、困ったらいつでも……他の科目の先生にも頼れよ」

「……ありがとうございます」

 笹谷先生に限らず、親しい教諭は一人暮らしの俺を気にかけてくれている。有難い。

「このまま頑張れ。応援しとる」

「はい」



 昼休みの教室に戻ってフラグと話そうとすると、エマちゃんがフラグの席に座っていた。

「……んん?」

 周囲からの視線もさておき、フラグはどこへ?

「死亡フラグくんなら、うちに恐れをなして逃走したぜ」

「何したんだ、エマちゃん……」

「何もしとらんのよ」

 ふんっと鼻で息をしてミルクティーを飲んだ。

「……まあいいや」

 5限始まるギリギリに戻ってくるだろう。

「何か御用で?」

 彼女は『白々しい』と呟き、声を潜めて耳元で囁く。

「ミサッキーがあんたのところにお泊まりするというビッグニュースについてだよ」

「ぼぐっふ……ご、ご存知で?」

「ミサッキーが浮かれて挙動不審だったもんでね。聞いてみればあんたのところに滞在するとか」

 なるほど。『あんたのところ』は俺の住むアパート全体を指しているのであって、俺の家という意味ではない。

 だが、三崎さんの親友として、エマちゃんは警戒心が薄い三崎さんが男子のそばに来ることを心配しているのだろう。

「泊まるとこは佳奈子か、ばあちゃん……大家さんとかになると思うよ」

「そりゃそうでしょ」

「だから安心してほしい。俺は付かず離れずの距離でいるから」

「……もりりんさ、ここは『距離をぐっと縮めるチャンスだぜ』ってなるとかないの?」

「え?」

 どんな返答を求められていたんだ?

 聞き返してみると、エマちゃんが頭痛をこらえるような仕草をしながら答えた。

「あんね。もちろん、泊まるのがもりりんとこだったら大問題よ? だからそこはいいのさ。でも、付かず離れずの距離って……今と変わらんでしょ。アプローチするとかなんとかないの?」

「……アプローチと言いましても……」

 クラスメートは大人なので流してくれているが、小声で会談しながら弁当を食べる俺たちはさぞかし怪しく見えるに違いない。

「三崎さんは?」

 話の当事者でありエマちゃんの親友である彼女の姿はない。

「校庭のベンチでテニス部の子たちとピクニック」

 テニス部とな。

「たまに遊びに行ってて仲良かったからね。うちは用があるってこっちに」

「そうなんだ」

「あんたが思うよか、べったりひっついてる訳じゃないぜ。それこそ付かず離れずがいいのさ」

「……エマちゃんは何がきっかけで三崎さんと仲良くなったの?」

 彼女の周りの男の影が気になる程に。

「……高校に入ったばっかりのミサッキーは、頭の良さに反してふわふわと危なっかしくてねー。ほっとけなくて側で面倒見てたら、『エマちゃん、エマちゃん』と懐いてくれて……可愛いなあ、と」

 そのポジションちょっと羨ましい。

 だが、これはエマちゃんの人柄と、彼女が同性であるからこそだ。三崎さんにとっても彼女と出会えたのは幸運だったのだろう。

「でも、まだどこかふわーっとしてるとこあるから、うちもやきもきしちゃうんだな」

「……いい友達だよね、二人」

「ん。ズッ友で居たいね」

 ミルクティーを飲み終えてパックを畳んでいる。

「ふわーっとしたミサッキーが落ち着いてくれたらうちとしては一安心なんよね」

「落ち着く?」

「……恋人作るってことさ」

 そっちか。

 ふわーっとが収まる方かと思ってしまった。

「なんせ警戒心が薄いもんだから、あの可愛さで誘蛾灯のように男子を引き寄せてはリーネアさんに弾かれる毎日……見てて不安なんよ」

 予想してたけど、リーネアさんマジで容赦ないな。

「リーネアさんチェックを通ったもりりんみたいな人なら、いい関係を築けるんじゃないかと。今まで通った人ゼロだもの」

「エマちゃんって本当いい人だなあ」

 友人のことを深く思いやっている。なかなか出来ることではない。

「…………。こういうもりりんだから、ミサッキーと相性いいのかもね……ガツガツしてなくてどっちも天然で」

「?」

 なぜかため息を吐かれてしまった。

「……でも、本当にいい友人関係だと思うんだよ」

 他の部活と違って、男女混合の大所帯である陸部を経験した俺としてはそう思う。女子が集まった時と分散した時の裏表の怖さは知っているつもりだ。

「うちが面倒見るだけじゃないよ。むしろ勉強ではうちが面倒見られてた。ミサッキーのおかげで特進まで登りつめたと言っても過言じゃないし、楽しい思い出いくつも出来たよ」

 どちらかが与えるばかりの関係は、いつか破綻してしまうものだ。二人の友情は深い。

「そんな大切なミサッキーの恋は応援中。うちの可愛い友達をよろしくね」

「あっ……ありがとうございます……」

 信頼に恐縮しつつ、拝命する。

「……もりりん、鈍いって言われない?」

「へ?」



「そんなことがあったよ」

 帰りのホームルーム後に死亡フラグに話すと、フラグが深いため息を吐いた。

「なんでこう、もりりんはクソニブマンなんだろ」

「俺そんなあだ名つけられてたの?」

 知り合って三年目の付き合いだが、今更明かされるとさりげにショックだぞ。

「いや、だってさあ……どう考えたって、最後の言葉の意味は……あー、もう、これだからもりりんは」

 なんだかよくわからないうちに何かを諦められた。いや、これは説明を放棄したのかな。

「……陸部の先輩を送る会で、後輩女子からタオルとかクッキー渡されてたじゃんかよ。あれどう思う?」

「みんなに渡してたけど?」

 三年の先輩全員に同じものを渡していた。

「……こりゃダメだな」

「なっ……なんか、さっきから酷くないか、フラグ」

「さりげに包装にハート使われてたりクッキーもそういうのだったりタオルがちょっといい感じのスポーティなやつだったり……他と違うとこあったろ」

「へー、そうだったんだ」

 よく見てるなあ。さすがフラグ。

 実家が店をやっていてその手伝いをしていることもあって、フラグは細かなところによく気がつく。

「……はー……」

 ひっでえなこいつ。

「いや、もりりんのそういうとこ含めていいやつだってのは知ってるけどさ……ハブられてた女子に堂々話しかけて、先輩グループに引っ張り込んだりとか」

「あったな、そんなの」

 所詮は俺なので、女心などわからない。そんなわけで女子側には初っ端からノータッチ主義を貫いていたが、そんなある日、一人で用具の片付けをしている1年が気になって話しかけた。

「もりりんレベルの鈍さだから出来たことよな。部外者の俺でさえ知ってる女子の対立に気付かんとは」

「知らなかったんだって」

 同級の女子部員曰く、1年生は競技成績も良く向上心も高い女子と、成績そこそこで楽しさ重視の女子が対立していたのだそうで、どっちつかずを表明したその子一人にしわ寄せがいっていたらしい。

 彼女は『あと2日で収まらなかったら出張るところだった』とのこと。きちんと二つの派閥にはそれぞれ雷を落としたらしい。

 男女混合を部長としてまとめ上げた女傑は強かった。

「ああ、伝説の……」

「ふざけてたら『死にたくなければそこに正座しろ』だからなあ」

 懐かしい。

 部長は柔道黒帯で武士のような人だった。下手な男子より圧倒的に強く、そして信頼の厚い女子。

「男女構わずモテモテだったなあ」

 バレンタインにチョコをもらいまくっていたし、件の送る会だってすごかった。俺ら男子なんぞ比べ物にならない。

「……そういうの見てたからもりりんはそうなのかもなあ」

「はいはい、どうせ俺はクソニブマンですよ。……ってか、お前なんで昼休みエマちゃんから逃げたんだ?」

「あの女は昔から説教がましいんだ」

「……へー?」

「もりりんのくせに、にやけやがって……」

 フラグの耳は赤かった。

「あーもー帰る帰る。帰って寝るぜ。あばよもりりん!」

「おう。寝ろ」

 俺も帰ろ。

 ……今日は三崎さんが来るんだし。

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