少年は天才と神秘の夢を見られるか?7

金田ミヤキ

10月

理想の生活1

「光太。頼みがある」

「……リーネアさん。玄関ドアから入って来てもらっていいですか?」


 10月も半ば、秋と冬が入り混じり始めたこの季節に、夕焼け髪の見た目美少女妖精が前触れもなく俺の家に出現した。

「おいてめえ今何て表現しやがった?」

「心を読まないでください……‼」

 いくら見た目が美少女じみていようと、中身は手足のようにライフルを操る戦争主義者。心の安寧になどなりはしない。

 今回はゴツい見た目のナイフ――触れるまでもなく本物の輝きの刃物を俺の首に押し当てて来た。出現場所から5mは距離が空いていたはずなのに、ほぼ一瞬で距離を詰められた。

 相変わらず怪物だ。

「お前がなんとなくそう思ってそうだったから死ねばいいと思って」

 この人は殺意で思考回路がループするタイプのヤバい人だ。刺激しないに越したことはない。

「それは謝罪しますから。ごめんなさい」

「ちっ……」

 ナイフが消える。

「で、頼み事なんだが」

 さらっと流して進まれて拍子抜けするものの、突いて藪蛇になっても困る。

「なんですかね」

「佳奈子隣にいるか?」

「……居ると思いますけど」

「ふうん。……呼んでくる」

「えっ、あの、ちょっ」

 リーネアさんが玄関で靴を履いて外に出ていく。

 どうしようかと手をこまねいていた数分後、ぎゃあぎゃあと悲鳴をあげる佳奈子の首根っこを猫のように掴んで、リーネアさんが戻ってくる。

「頼みがあるんだけど」

「あんた、あったまおかしいんじゃないの⁉」

 同感だが、そのセリフを直に言う度胸があるのは佳奈子くらいのものだろう。

「ごめん」

 佳奈子のパーカーのフードを放し、落ちる彼女を丁寧に受け止めて床に降ろした。

 雑にひっつかんできたかと思えば案外紳士的な動作だ。

(もしかして、なんか焦ってんのかな……表情に出てねーからわからんけど)

「……あたしに用があるの? それともコウ?」

「どっちかっていうと佳奈子」

「じゃあ直接佳奈子んち行ってくださいよ」

 わざわざ佳奈子を引っ張り出してくることもなかったろうに。

「ん……あんまり、俺が佳奈子の家滞在するの、良くない……」

「……座敷童込み?」

「勘。もう少ししたらもっと安定するから、その時は大丈夫」

「普通に言ってくれればついてくから、次からは普通に話してね」

「ごめん」

 詳しいことはわからないが、彼なりに佳奈子に配慮したらしい。

 仕切り直しで二人にテーブルに着いてもらい、俺はホットココアを淹れて人数分配る。

「ありがとう」

「さんきゅ」

「どういたしまして」

 一口付けてからリーネアさんが口を開く。

「明後日から、俺は一か月くらい里帰りする。外せない仕事が急遽入った」

 彼は基本的に在宅仕事だが、暗号やセキュリティを扱う仕事であるため、相手方から『どうしても』と頼まれたときのみ実地で作業することもあるらしい。

「ひぞれの演算通して変換したネット使うから大丈夫だっつってんのに、しつこくてな……仕方なく飲んだんだけど、ケイが一か月留守番になる」

 『ケイ』こと三崎さんは、俺と佳奈子の共通の友達。教導役のリーネアさんと同居している優等生だ。

「前にも留守にしてましたよね」

 俺たちの夏休みの終わりごろから二学期の始まりくらいまで、リーネアさんは東京の大学に特別講義をしに行っていた。

 数週間くらい留守だったはずだ。

「あの時は、ひぞれとかルピネが気にかけてくれてたからな。俺が居ない間にもひぞれが訪問してくれたり、ルピネが紫織連れて遊びに来たり……」

 保護者同士のつながりもきちんとあるのだと、少し感動した。

「でも、もうひぞれは帰ったし、ルピネは紫織と美織の面倒を見て忙しい」

「……紫織ちゃん、受験ですもんね」

「ああ」

 俺・佳奈子・三崎さん・紫織ちゃんは同じ寛光大学を目指しているが、紫織ちゃんだけ推薦入試だ。諸事情あっての選択である。

 10月末に入試。つまりそろそろの時期だ。

「美織も東京についてくために勉強してるし、向こうは頼れない。となると、ケイは一カ月丸ごと一人っきりだ」

「……つまり?」

「お前たちのところで面倒を見てもらえないかと思う。主に佳奈子のところで」

「ああ、なるほど……」

「光太と佳奈子、ミドリさんと一緒に食事取ったりすることも多いだろ。受け入れてもらえたら、たぶん二人ともとミドリさんに世話になるから、先に挨拶しとこうと思って」

「おばあちゃんには?」

「先に話してきた。『二人がいいなら』って」

「あたしは全然構わないけど……京だって、一人暮らし出来るくらいの家事スキルはあるでしょうに。納得してるの?」

 確かに、彼の対応は過保護かもしれない。

「させた。……ケイはパターンの副作用で不安定」

 不安定という評価は間違っていないと、俺でも思う。

 彼女の所持する神秘:パターンは『他のアーカイブを捻じ曲げる』という強力なものである反面、持ち主の感情を極端に尖らせてしまう副作用もある。

 リーネアさんは見ての通りの戦争主義者、三崎さんはショックを受けたら記憶を失ってしまうほどの不安定な状態……というように。

 人格形成に深く影響を与えるという点で、パターンは最も副作用が重いアーカイブの一つに数えられているらしい。

「おまけに、ケイの母親が訪ねてくる気がして嫌だ」

 リーネアさんは未来予知に近い本能的な直感を所持しているらしい。

 彼がそう言うのなら、三崎さんと折り合いの悪い母親がやってくるというのは予言なのかもしれない。

「あいつ、前に母親から電話かかってきたとき、電話機壊したからさ……怪我させたくないし、落ち着いてきたばっかりなところで一人っきりにして、不安定にするのもちょっとな」

 ため息をついてから、俺たち二人に頭を下げる。

「生活費・家賃は俺から払う。頼む」

「わかりました」

「喜んで」

 頭を下げ返すと、リーネアさんが無表情ながらもほっとしたように見えた。

「ありがとう」

「いつから来るの?」

「明日の学校終わったら着替えと一緒に送りに来るよ。もう夜遅いしな」

 現在日時は火曜日の8時だ。ばあちゃんちで夕食を食べ終えて解散したら、いきなりの急展開だった。

「あ、そうだ」

 窓から帰ろうとしていたリーネアさんが俺を振り向く。

「なんでしょ?」

「お前ケイのこと好きになったよな?」

「……え」

 いや、それはそうなのだが。

「なんでそんな質問をするん――」


「質問には『はい』か『いいえ』だろ?」

「はい好きです好きになりました大好きです‼」


 伝家の宝刀:ライフルを突きつけられて絶叫する。

 顔から火が出る思いだ。

「最初からそう言え」

 暴君の手元からライフルが消える。

「……あれ?」

 脅されるかと思ったら、そうでもなかった。

「殺さないんですか?」

「好奇心旺盛だな。いつか死ぬぞ?」

「なんでわざわざ、蛇がいるってわかる藪をつつくのよ、あんたは……」

 呆れを多分に含む佳奈子のセリフが耳に痛い。

 全力で命乞いする。

「殺さねえよ。ひぞれが悲しむだろ」

「……助かった……」

「そもそも。誰を好きになるってのは俺がどうこう指図することじゃない。ケイを傷つけそうなやつだったら殺して埋めるけどな」

 リーネアさんの大人らしさと殺意の振れ幅はいつも揺るぎない。二重人格なのではないかと思えるほどだ。

「出会ったばかりのお前はクソだったが、いまはまともだ。許す」

「あ……ありがとうございます」

 その当時の自分は紛れもなくクソ野郎だった。異論はない。

「でもケイに変なことするなよ」

「しませんよ。……好きな女の子ですし」

「ん」

 彼は微かに笑って頷いた。

 そして、虚空から紙袋を出現させて佳奈子に手渡す。

「渡し忘れてた。これ、土産な。明日みんなで食え」

「い、いいのっ⁉︎」

 佳奈子が大興奮で紙袋を捧げ持っている。

「知ってんの?」

「この店のパウンドケーキとジュレ詰め合わせはスイーツ愛好家の憧れだもの!」

 愛好家だったのか、佳奈子……知らなかったぞ。

「喜んでもらえてよかった」

 彼は今度こそ明確に笑った。

「また明日な。勉強の邪魔して悪かった」

「いいえ。また明日」

「またね!」

 今度こそ、リーネアさんは靴を履いて窓から飛び降りて行った。

「……三崎さん、来るのかあ……」

「嬉しいわね」

「おう」



 佳奈子はウキウキで『女子会の準備しなくちゃ!』と言って隣に帰って行った。

 あいつの部屋、ローザライマ家から譲られた家具が増えて、何気にお洒落になってるんだよな。

「……俺も掃除するか」

 三崎さんはおそらく、佳奈子の部屋かばあちゃんの家に滞在する。とはいえ、俺の家に一度も足を踏み入れないとは限らない。意中の女の子に汚い部屋を見せて幻滅されるのは避けたい。

 一人暮らし故に適当な掃除と片付けしかしていない自宅を掃除する。

「……ん?」

 電話が鳴る。ミズリさんからだ。

「もしもし?」

『こんばんは、光太』

「ばんわっす。どうかしました?」

『洗濯機の周りに、ブラウスないかな。白いやつ』

「ブラウス……見てみます」

 台所から洗面所方面へ移動する。

 脱衣カゴ兼洗濯カゴのプラスチックのバスケットを漁ると、重なっていたタオルの下に白のブラウスがあった。

「ありましたよ」

『ごめんよ。俺がそこに置いたら忘れてタオル重ねちゃって……!』

「どうりで……」

 翰川先生は完全記憶の持ち主。彼女が置き忘れるという動作をするはずがない。

 彼女のあずかり知らぬところで起こったから、ここに置き去りになってしまったのだろう。

『ひぞれの服は俺が任されてたから……まさか忘れるとは。普段ならひぞれの匂いがついた服なんて重要アイテム、忘れるはずがないのに……‼︎』

「あ、大丈夫です結構です」

 変態のプライドが刺激されるんだかなんだか知らないが聞きたくない。

「ところでこれ急ぎます?」

 普段の翰川先生のトップスは緩い格好が多い。このかっちりしたブラウスはスーツの中に着る物ではないだろうか。

『急ぎはしないよ。出るついでにでも、着払いで送ってくれれば』

「わかりました。ってか、よく気付きましたね?」

『ひぞれがスーツに合わせるトップスを探していてね。俺に「光太のところに置き忘れたんだな」って指摘を……「頼りきりですまない」とも言ってくれて。俺の妻が優しくて可愛くて女神の天使でこの世の奇跡で全身から変な汗が出そうだ』

「出さないでくださいねー」

 やはり先生の完全記憶はすごい。ミズリさんも変態がすごい。

『ひぞれ賛歌を熱唱しても構わないけれど、謝罪を』

 正気に戻ってくれてすごく安心しました。

『キミの家の洗濯機を借りた上に迷惑をかけて、本当にごめんね。立つ鳥跡を濁さずができなかったよ』

「誰にでもミスはありますって」

 俺もものぐさにタオルを重ねてしまっていた。きちんと一巡させるようにタオルを使えば、発見はもっと速かった。

『ありがとう。勉強、無理をしない程度に頑張って』

「はい。ミズリさんも翰川先生もお元気で」

 電話が切れる。

 シンプルなデザインながら、上質な生地が使われたブラウスに目がいく。

「……洗い直して、アイロンかけて送るか」

 洗濯機のフタに置いておこう。そんで、明日洗濯を回す。

 これなら忘れない。

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