わたしの夢4

「……ドロシーちゃんどうでした?」

 俺の部屋に戻ってきたシアさんに問う。

「寝たよ。……申し訳ないが、明日の朝まで起きないように魔法をかけた」

「仕方ないと思います……」

 漏れ聞こえてくる泣き叫びようは狂気ともいえるほどで、聞き取れない言語ながら、お母さんを求めて悲しんでいることが伝わってきた。

 あれは聞いている方もきつい。

「ありがとう」

 嘆息一つ。

 のち、俺の勉強机に載っている参考書を手に取る。

「さて、お前の勉強の面倒を見るか」

「えええ」

 この空気で?

「何を甘いことを言っている。……姉が迷惑をかけたんだ。姉が動けぬいま、妹たる私が尻拭いをせずしてどうする」

「クソ真面目なところまでそっくりですね!」

「あれと似ていると思われることほど業腹なことはこの世にないな」

 無理がある。二人を並べて百人が見たら、百人が似ていると答えるだろう。

「いいからノートを開け。私は弟と同格の数学者だぞ」

「実は仲良かったりしません?」

「黙れ殺すぞ」

 捨て忘れた生ゴミを見るような目で見られれば誰だって心が折れる。

「ハイスミマセン」

 従順な心を引っ張り出して、ありがたくご教授いただく。

「弟のあまりの酷評具合から、私も酷評せねばならないかと心配していたが……なかなか頑張っているじゃないか」

「どうもっす……」

 以前シアさんに教わったのは主に英語だった。シェルさんとそっくりな人に数学を見られるのは緊張する。

「符号ミスをするな。間違えるくらいなら、先に符号の計算結果だけメモしておけ」

「は、はい」

「無理に解く速さをあげようとしなくていい。京や佳奈子たちと比較して焦っているのだろうが、長年の積み重ねに追いつけるはずがないんだ。お前はお前のペースで解きなさい。それに、入試問題はじっくり考えても間に合う配分だよ」

「はい!」

「よし」

「……数学って楽しいですか?」

「人によるとだけ。……数学者でさえ精神がすり減りそうな苦痛の日々を味わうこともある」

「うおおう……」

「ただ、問題が解けたときや、自分が未知を理解したとき。他にもあれこれと、これ以上もないと思えるくらいの興奮を覚える瞬間も間違いなくある。それを味わうために数学に挑んでいるようなものだ」

「……だから佳奈子も数学好きなのかな」

「かもしれんな。カンテラ片手に洞窟探検に挑めるような奴が向いているよ」

「……なんか、神秘的ですね」

「ふふ。……お前がドロシーに対しての結論を出すまで、私はここに泊まろう」

「えっ」

「宿泊費はもちろん払うよ」



 適当に作った夕食を食べ終え、改めてシアさんを客間に案内する。

「一応、ドロシーちゃんとはここで寝てもらえると」

 不安定なドロシーちゃんを一人にはできないが、かといって俺は異性なのでそばにいてあげられない。妹さんならば任せて問題ないだろうと判断した。

 彼女の腕の中には、彼女より幼い姉が眠っている。

「もう一枚布団用意しますね。シアさんが寝る分」

「姉ともども世話になる」

「……そういや、シアさんのこと『姉』って紹介しちゃってましたね……」

 勘違いしてしまっていたから、勝手にそう伝えてしまった。

「構わん。……私が妹だと教えても理解するかどうか怪しい」

「……なんか、切ないですね」

「仕方のないことだ。この姉と向き合う上で、とうに覚悟もしている」

 潔い。

「それより光太、学校は?」

「あ、もう自主登校期間っつーか……受験の講習ある人だけ行くような状況です」

 俺は講習を受けていないから、行く予定もない。

「他に予定は?」

「え……あの。京と勉強会を」

「なるほど。場合によっては姉を請け負おうか」

「……すみません、お願いします」



 翌朝、リーネアさんに送られてやってきた京が、ドロシーちゃんとシアさんを見て固まった。

「シェル先生と似てる……!」

「双子だからな」

 シアさんはほんの少し不機嫌そうだが、ドロシーちゃんは上機嫌に京に挨拶する。

「初めまして! ドロシーだよ!」

「ドロシーちゃん。初めましてだねー」

 可愛いと可愛いがハイタッチしてる。もっと可愛い。

 リーネアさんはドロシーちゃんを見て眉間にしわを寄せたが、シアさんと二言三言交わして頷いていた。彼もパターン持ちだ。何か感じるところがあるのかもしれない。

「光太」

 手招きされて歩み寄る。

「あ、はい。なんでしょう?」

「ありがとう」

「……へ?」

 てっきり、シアさんと同じように何か情報交換を要求してくるのかと思っていたのだが……

「なんか、お礼言いたくなった。こういう予感には従えって父さんと姉さんに言われてるから言っとく」

「は、はあ……どういたしまして」

 相変わらず直感的過ぎて、よくわからない人だ。

 彼は『終わったら迎えに来るから連絡寄こせ』とだけ言って去って行った。

 晴れて恋人同士になった俺たちだが、一緒に勉強会をするのは合理的な理由からだった。

 俺は京に理数を教わり、京は俺に文系を教わる。

「今年はきっと確率が狙い目の年だと思うんだよね……」

「狙い目……あの例年よくわからない大問が」

「難しい・激むず・激むず・難しいの順で何度か続いてるんだよ?」

 そんな順で続くのがそもそもおかしい。

「きっと今年はちょっと簡単になると思うんだよね」

「シアさんはどう思います?」

 ドロシーちゃんのお絵かきに付き合う彼女に問うてみる。

 彼女は数学の学科長の双子の姉だ。

「私が知っていたら情報漏洩だ。……しかしまあ、弟曰く『確率の大問作成者は締めました』だそうだ」

「情報漏洩じゃないですか」

「他者と自分の能力の差異が一切わからぬあの弟だぞ? どんな問題だろうと、『俺にとっては簡単なので無問題です』と言い出すに決まっている。そして学部長に締めあげられるのがいつもの流れだ」

 あてにならないことが判明した。

 そのプロセスを繰り返しているから、いつまでたっても難しいのだろうし……

「そうなんですね。……シェル先生は優しい人だから、きっと大丈夫だよ!」

「京さ、リーネアさんとの生活で麻痺してない?」

 彼女にとっての『優しい人』の判断基準がどこにあるのかわからない。

 シアさんが微かに笑っている。

「シア、楽しいの?」

「楽しいとも」

「良かったねえ」

 姉妹が戯れる光景には癒されるが、スルーしないでほしい。

 勉強会も一区切りとなると、ドロシーちゃんは好奇心いっぱいに京を質問攻めにし始めた。

「ケイはコウタの恋人さんなの? 彼女さんなの?」

「う、うん。そうです。……そうなっております……」

「ふふー……ねえ、コウタのどういうところが好き? 優しいところ?」

「それは、もちろん。……優しくて、一緒に居ると楽しくて安心出来たり……そういうところが好き、です」

「へえー。良かったね、コウタ。それで、馴れ初めは?」

「馴れ初め……ちゃ、ちゃんと話したのは、学校の放課後で」

「いつ好きになったの?」

「……会ってから、少しして、好きになったと思うよ。うん。気付いたのが遅かっただけだもの」

「きゃー! コウタ果報者!」

「ちょっと待とうかドロシーちゃん。このままじゃ俺の心臓がもたない‼」

 京への質問攻めは俺への精神的な処刑に等しい。

「なんで?」

「いや、なんでじゃなくて……」

「えー。……ケイは嫌?」

「……」

 顔を真っ赤にしながらも、首を横に振った。

「平気だよ。……続行しよう、ドロシーちゃん」

「何でそんなにギラギラしてるの京……!」

 いつもはほんわかしているのに!

「だって、光太がこんなに動揺してるの、あんまり見なくて……それがその……私とのことだと思うと……」

「……」

 彼女の可愛さに胸が痛い。

「惚れた弱みか」

 くつくつと笑うシアさんが鬼畜だ。

 ドロシーちゃんはそれからも京に質問を繰り返し、粗方終わったところでうっとりとし始めた。

「恋って幸せだねー」

「ねー」

 京は羞恥を超えてヤケの領域に入ってきたらしく、ドロシーちゃんの笑みにノリノリで応答している。

「ドロシーちゃんは好きな人いるの?」

 京にはドロシーちゃんの事情は話していない。

「いないよ。でも、ママとパパの馴れ初めとデートの話は聞いてたの。だからそういうの好きだよ。恋をして愛情になって結婚するんだってママが言ってたもの」

「素敵だね」

「でしょー!」


「だからコウタとケイも恋をして愛情をたくさん貯めて結婚して、可愛い子ども産むんだよ?」


「「……………………」」

「あれ? 真っ赤っかさんだ! シア、二人ともお熱出しちゃった」

「そっとしておいてやれ。この年頃の少年少女は繊細なんだ」

「そっかあ。うん。わたしは大人のお姉さんだから、そっとしてあげるー!」

 京と目が合ったが、すぐに逸らされた。俺もまともに彼女の顔を見られない。

(子ども……いや、京とはこれからも関係を続けていきたいし、大学に行っても……とは思ってたけど……!)

 結婚、だなんて。ましてや子どもなんて、まだ考えていなかった。目先の受験に集中していたから。


 とりあえず。

 幼児の純朴さの威力って凄いと思った。

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