わたしの夢3

 シアさんはすやすやと眠るドロシーちゃんを抱き上げ、客間に敷いた布団に寝かせる。

「……あれこれとすまないな」

「いえ。こっちこそ、小さい女の子の相手は難しいんで……」

 うとうとし始めたドロシーちゃんをあやして寝かしつけてくれたのも彼女だ。

「そうだな。……お前が家事を得意としているから、慣れているかと思ってしまった」

 くすりと笑う顔が、どうしてもシェルさんに似ている。

「シアさんも、お子さんいるんですか?」

「私は夫と二人だよ。病気でな」

「すっ、すみません……」

 無神経にも踏み込んでしまった。

「良い良い。幸いにも、私には可愛い甥と姪がたくさんいる。我が子のように可愛らしい」

「……パヴィちゃんたちですか?」

 双子の弟は毛嫌いしているが、その奥方や子どもたちのことは好きなのだそう。

「主にはそうだな。今は大学の方もローザライマ家自体も忙しいから会えんが」

「大変ですね」

「うむ」

「……今日は杖ないんですか?」

 古めかしい木の杖が彼女の手元にない。

「体の調子が良いのでな。一時のいとまを出した」

「なんか魔法の杖っぽいなあ……」

「私は魔法使いなのだがな?」

 いちいちシェルさんとそっくりだ。困る。

「とりあえず、私が知る限りの情報をお前に伝えよう。……恋人と同じ神秘となれば気になるだろうしな」

 からかわれ、顔が熱くなる。

「う……どこから話が回って……?」

「京からリーネア、リーネアからオウキへ。オウキから私だ」

 異種族のパイプはあちこち繋がっているのだなあ……

「私もかつては夫と恋をしたが……連れ添って長い今では、夫への感情はまた違うものだな。お前たちの恋は愛おしくさえ思える。楽しみなさい」

 深みある言葉だった。

「はい」

 俺の返答に満足いただけたらしく、頷いて本題を切り出した。

「実を言うと、神秘:アーカイブとは、この世のすべてはアーカイブで記述されている。そのアーカイブを解き明かせば世界さえ描ける……というのが始まりなんだ」

「スケールでっかいな⁉」

「私もそう思うよ。しかし、個人個人が扱えるアーカイブの総量などたかが知れている。その中でも扱える幅が大きい神秘持ちをアーカイブ代表と呼んでいるわけだが。それらでさえ、新たな世界を描くには至っていない」

「……さっき、弟さん……」

「私の前であれの話を出すとは良い度胸だ……と言いたいところだが。口を滑らせたのは私だったな」

 どんだけ弟さんのこと嫌いなんだこの人。

 逆にシェルさんもお姉さんを蛇蝎の如く嫌っているから、お互い様ではあるのだろうが……

「あれは狂ったスペル総量を所持している。その上、周囲の神様があれこれと手助けしているので、一応は《民》の範疇に収まる存在の中でも異質な能力を持っている」

「《民》……あ。神様と比べてるんですか?」

「察しが良くて助かるな。つい魔術的な表現を使ってしまったが、《民》とはたかが知れた個人を指す。《神》はもちろん、単体で桁外れのアーカイブを扱える存在だ」

「やっぱり神様っているんだなあ」

「?」

 あ、そうか。知らないよな。

「俺、毎日神棚に挨拶してるんですよ。たぶん俺の守り神っぽい人に」

「……」

 シアさんは物置を一瞥し、俺に胡乱気な目を向けてくる。

「お前正気か?」

「ここまで言われるとは思わなかった」

 割とショックだ。

「いやまあ……お前が無事に暮らしているなら……ああ、そうか。だからドロシーが暴走しないのか……」

 何やらぶつぶつと呟いているシアさん。どうしたんだろうか。

「……なんとなく、お前の特性が分かってきたよ」

「へ?」

「それもいい。……ひぞれか弟が考えているだろうから、私が口を出すことでもない」

 ため息をつき、パターンについての説明に入る。

「パターンは、アーカイブを突き動かすアーカイブだ」

「……なんか……パターンの説明だけいっつもバラバラなんすよね」

 リーネアさんは『思い込みを世界に押し付けるアーカイブ』と言ったし、彼の弟子である京も同じことを言った。だが、翰川先生などは『内世界と外世界を改造するアーカイブ』だとか……言う人によって異なるのだ。

「どれも正しいよ。しかし、考えてほしいのだが……アーカイブとは、この世界を描いているもの。ならば、人の精神さえアーカイブで描かれていてもおかしくはないだろう?」

「……?」

 精神=内世界。

 現実=外世界。

「どっちも、アーカイブで描かれてる。……つまりは、アーカイブを操るアーカイブ?」

「操ると言い切ると語弊があるそうだが、パターンの上位の使い手となればそう表現しても差し支えない」

「…………」

「精神を改造してしまいがちな方は『内向きのパターン』。現実に自分の思い込みを押し付けてしまいがちな方が『外向きのパターン』だ」

 前者は京。後者は――ドロシーちゃん。

「内向き・外向きは得意不得意の問題。パターン持ちならばどちらも使えるのだが……今のドロシーには外向きしか使えん」

「だからあれ? その……空間揺らして……攻撃してきた人を攻撃しようと?」

「空間を揺らがす一撃は『お前なんか居なくなっちゃえ』という心の叫びと共に叩きつけられるものであり、喰らえば消えてなくなる」

 彼女は『その攻撃で存在ごと消えた管理官は数えきれないそうだぞ』と怖い補足をする。

「…………。俺、ドロシーちゃんの手、思いっきり掴んじゃったんですけど……」

 しかも、発せられる歪みと防護服の射線上を塞ぐように掴んだ。

「消えていないなら問題なかろう」

 変なところで楽観的になるのも弟さんと瓜二つだ畜生。

「衝動的な感情から生まれる願望なら何もなしでも発動するが、細かな願望を叶えるには画材と紙がなければならない。なので、ドロシーは本能的にそれらを欲しがる」

 それだから、取り上げられて大泣きしたんだな。

「監獄ではアーカイブを無効化するアーカイブで満たされている。その環境に加え、パターンが伝わりにくい物質で作った紙とペンを与えることで、ドロシーを封印しているのだ」

「……管理官さんたちも、大変なんですね」

「ああ。……彼らも感情があるからな。番号で呼んでいたのも、ヘタに感情移入しないためだったのだろう。監獄の悪竜には話すだけで人心を惑わせる者も多い。信用して痛い目を見た管理官たち、かつては死んだものたちもいる」

 封印監獄は、封印されている側のみならず、彼らを管理する側も心がすり減るような環境なのかもしれない。

「…………」

 ドロシーちゃんが脱走する気持ちも、悪ではない。

「……念のための質問だが、お前、ドロシーに自己紹介した覚えはあるか?」

「あ」

 指摘されて気付いたが、いつの間にか呼び名が『お兄ちゃん』から『コウタ』に変わっていた。

「それはどういう感じなんですか?」

「お前と知り合う過程を飛ばして、《友達》になった世界を願った。不完全ながらも叶ったのが、その呼び名の――」

「マジですか。ドロシーちゃん超健気じゃないですか!」

「…………」

 シアさんがなぜか肩を落とした。

「お前……お前な……これがどれほど恐ろしいことか……」

「だって俺のこと信用してくれたんでしょう?」

「……」

 シアさんは俺の頭を無言ではたく。見事に痛い。

 ドロシーちゃんの能力について補足する。

「いいか。あれが脱走してきたのはその能力を利用してのこと。新入りで不慣れだった管理官の精神を『わたしのお願いを何でも聞いてくれる人』に改造して外に飛び出した。……ドロシーが居なくなったそいつは、もはや廃人同然だそうだぞ」

 えっ。

「俺もそうなるってことですか?」

「ドロシーの使うパターンに後遺症はない。症状が出る時はその時点で出ているよ」

 良かった……

「……廃人になっても戻す方法がないではないが、ドロシーが正気に戻るという非常に厳しい条件がついている。ほぼ不可能だな」

「あの……ドロシーちゃんの片親の種族は?」

「ドロシーは純血だよ」

「え」

 あの不安定さで純血?

 てっきり、異種族同士だからあんなに不安定で幼いままなのかと。


「4歳の誕生日に、目の前で母親を殺されたときから、時間が停まっている」


「……」

 彼女は『ママは仕事でいない』と言った。

 それはきっと――周りの誰かが彼女に、彼女を落ち着かせようと慰めようと吹き込んだ優しい嘘。

「誰に、殺されたんですか?」

「神様……といって伝わるのかな。悪竜私たちを作り出した神様だ」

 そんな奴ら、絶対正気じゃない。

「オリジナルの竜神か竜王を作ろうとしていて、ドロシーには幼いころから竜王の兆候が見られた。……気がはやった神の一人がドロシーをもぎ取ろうと勢い余って殺した、らしい。なんせドロシーが周囲を皆殺しにしたそうだから、現場は伝聞だ。弟が生まれて封印監獄を作るまでは、以前までの不完全な封印監獄で管理されていたよ」

「お母さん殺した神様のせいであんなんなのに、封印ですか?」

「あの姉に悪気はない。だが、姉一人のために世界を道連れに出来るか? 子どもらしく思い付きのままに世界を塗り替えていくというのに、どうして野放しに出来る?」

「…………」

 ドロシーちゃんに非はない。

 非はないのに。

「……シアさん。今から、科学的根拠のない仮説を言います」

「決定的な根拠がないからこそ仮説なんだ。恥じることはない。それらしい建前が必要なときは後付けで調べろ」

 なんてざっくりとした教え方。これも覚えがある。

 安心して口に出す。

「俺には何かチカラがあるんですよね。……ドロシーちゃんを抑えるような」

 今までもなんとなく思っていたが、今日の玄関の事件で確信した。

 ドロシーちゃんが俺を信用して信頼してチカラを引っ込めているのかとも思ったが、彼女にそんな理性はないとわかった今では、悲しいことながらそれはないと断言できるようになった。

 だって彼女は、俺が離れている間にも平気でお絵かきしていたのだから。

「それでどうする。ドロシーの面倒を一生をかけて見るか?」

「っ」

 わかっていることだ。彼女の寿命は俺よりはるかに長い。俺が死んだあとの彼女はまた監獄に逆戻り。

「引き取ったとて、もし京と同棲・結婚などするなら、ドロシーは? あの子は時間が停まっている。お前に自己紹介してお前を覚えていることが奇妙なくらいだ」

 管理官さんたちが驚いた理由が判明した。

「…………」

 ますます、俺のよくわからない能力は本物だということになる。

 そしてなんとなくだが――あまり距離が空けられない。ここが俺の慣れ親しんだ家で馴染んでいるから、チカラが渡って行っているだけで……ドロシーちゃんが一歩外に出ただけで難しくなるだろう。

 でも嫌だ。

 たとえ自己満足でも、せめて。せめて何か――

「……?」

 肩を叩かれて思考が停止する。

 彼女は困ったような笑顔で俺を撫で、優しく言う。

「よく考えなさい。お前はたくさん考えればいい。……会ったばかりなのに、姉のことを助けようとしてくれている。お前の優しさに敬意を払おう」

「…………」

 無条件で見惚れてしまうような笑みだった。

 手を振って部屋を出ていく。


 ドロシーちゃんが母親を求めて泣く声が、微かに聞こえる。

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