1月

わたしの夢1

 三が日も終わり、浮かれたような楽しい正月の気配はまた来年。

 ……初詣デートでようやく彼女と名前を呼びあえたので、ここ最近はとても幸せだ。

「京……」

 なんと美しい響き……

 京も俺のことを名前で呼んでくれた。心臓が止まるかと思った。

「……よし」

 さっさと買い出しに出よう。

 近所のスーパーでは、毎年この時期に正月の売れ残り品をセールで売り出す。餅やあんこなど俺の好物がお安くなるのだ。

 餅は調理時間も短くアレンジが利き、おまけに腹持ちがいい。一人暮らし受験生の味方だ。

「……っても、自転車はお預けなんだよな……」

 買い込むつもりで出てきたものの、こうも一面雪景色だと気力が萎える。

 しかし、一人暮らしでは、自分が行かねば物資を買ってきてくれる人など誰も居ないのだ。

 意を決して、白銀に足が埋まる世界を歩いて行く。



 餅、あんこ、きな粉。ベーコンとチーズ。

 餅関連のほか、安売りされた牛、豚、鶏肉も買う。野菜も買う。

 ばあちゃんに頼まれた洗剤も……

「あけましておめでとうございまーす」

「おめでとう、コウちゃん。またこの時期が来たね!」

 顔なじみの店員のおばちゃんに挨拶する。彼女は休日の午前担当なので、顔を合わせることは多い。

「今年は受験? 頑張んなさいよ!」

「ありがとう!」

 会計を済ませている間、おばちゃんが俺に提案をする。

「そうだ。コウちゃん、宅配使いな! 三千円からタダで宅配サービス使えるから」

 彼女が指差す壁のポスターには、たしかにその旨が書かれていた。

「サービス始めたんだ。じゃあ、餅類だけ残して宅配ってできる?」

「できるできる。ちょっと待ってね」

「ありがと、おばちゃん」

 伝えた通り、餅とそれをアレンジするために必要な食材を手元に残して自宅に送ってもらえた。

「……便利になったなあ」

 今度から、冬の大荷物のときは宅配を頼もう。

 エコバッグ一袋を提げての帰り道。

「ん?」

 通りかかった公園の滑り台の上に、小さな女の子がうずくまっていた。


 半袖スカートの女の子がうずくまっていた。


「…………」

 今日の札幌は極寒とまではいかないが、冬に屋外放置された金属の板など凶器と表現できる冷たさだ。あの格好でまともにいられる状況ではない。

 公園に踏み込んで滑り台に近寄ると、女の子がひょこりと俺を見下ろす。

 シェルさん顔だ。

 悪竜兄弟ならば、寒がらないのも納得だ。前に会ったシェルさんはいつもの青ローブ姿だったし。

「何してるの?」

「…………」

 女の子は虹色の瞳にじんわりと涙を浮かべ、俺に向かってダイブしてきた。

「うおお⁉︎」

 なんとか受け止めたが、雪の上に倒れてしまった。

「ちょ、いきなり何⁉︎」

「っひく……うええん……!」

「あわわわわわ」

 小さい子に泣かれるとものすごい罪悪感を覚える。何もしていないのに困る。

「お兄ちゃんっ、助けて……お兄ちゃんなら、助けてくれるって……ロザリーちゃんがっ……!」

「待ってください。ご兄弟から何を聞いているのかわからないんですがね、俺は何も言われなくても事情を察せられて願いを叶えられるような便利な天才じゃないんですよ」

「ロザリーちゃんは居ないし……お兄ちゃんしか頼れないの!」

 ロザリーちゃんことシュレミア・ローザライマさんは、自身が教授を務める東京の大学に詰めている。月末の入試に向けてやることがあるそうで、佳奈子でさえ連絡がつかないという。

「……頼るっても……俺は何にもできないよ」

「わあああん……‼︎」

 号泣する薄着の幼女。

 俺に集中する周囲の視線。

「うわーい……」

 俺も泣きたい。

 なんとか立ち上がり、ぐすぐす泣く彼女に折り畳みの雨合羽を着せる。冬用ではないのだが、薄着のままよりマシだろう。

 倒れた時に放り出してしまったエコバッグも回収。

「お兄ちゃん抱っこー……」

「ごめんね。お兄ちゃんには買い物袋持ったまま抱っこできる腕力はないんだ」

「走って疲れたのー!」

「……おてて繋ぐから許して」

「ふぇ、っぐ」

 不満そうだったが、シェルさんの妹さん(と思しき幼女)はぐずりながらも俺の手を握り返した。

「うううぅ……」

「ちょっと待っててね。家着いたらお兄さんに電話するから」

「番号知ってるの?」

「うん」

 喋りながら歩く。

「お名前は?」

「ドロシー」

「可愛い名前だね。似合ってる」

「でしょ! ママがつけてくれたのよ」

 上機嫌になると可愛い。

「そっか。お母さんはどこに?」

 心配して探しているかもしれない。

 彼女の瞳にじんわりと涙が浮かんだ。

「ママ、居ないの。お仕事で遠くにいるの」

「ご、ごめん。……そっかあ。ドロシーちゃんのために頑張ってるんだね」

「……うん。帰ってきたら遊んでくれるんだって、お姉ちゃんたちが言ってた」

「じゃあ、いい子にして待たなきゃだ」

 どこからやってきたのかわからないが、彼女はきっとお兄さんお姉さんのいずれかを頼ってここに来たはず。

 早く帰って、連絡してあげよう。

「お兄ちゃん」

「なに?」

「ペンが欲しいわ。それから紙も」

「帰ったらでいい?」

「わかった」

 聞き分けの良い子だ。ありがたい。

(小さい子のお絵かきで丁度いいやつ、何かあったかな……クーピーとか?)

 小学校時代の画材がいくつか残っていたから、それを渡せば満足してくれるだろうか。お迎えの待ち時間にも暇を潰せるだろう。

「目標発見」

「反応が薄い」

 耳慣れないワード。

 映画の中でようやく聞いた覚えがあるくらい、日常からかけ離れた言葉。

 嫌な予感がした直後、銃を構えた防護服姿の複数人が現れ、俺たちを取り囲んだ。

「……はい?」

 えっ。

「動くな」

「銃向けといて動くなもクソもないです‼︎」

 勢いで走り出す。

 ドロシーちゃんを両腕で抱え、一気に加速。

 慌てて追いかける者、銃を構える者、手をこまねく者。反応はそれぞれだが、ここは冬の北海道。

 深い雪の上では、方向転換するにも姿勢を変えるにもコツがいる。雪に慣れていないことは歩き方でわかる。

 予想通り、数人はすっ転んでその他もたたらを踏んだ。

 林を目指して走る!

「ドロシーちゃん、じっとしてて‼︎」

「ん!」

 少し遠回りになるが、突っ切っていけば帰り道と合流する。

 追いかけてきている気配はあるが、いきなり銃を向ける人々と話すことなどない。

 リーネアさんも銃を向けてくる人だが、あの人はちゃんと話聞いてるしな!

「きゃ――‼︎」

 ドロシーちゃんが怖がっているのではないかと不安だったが、はしゃいで元気なので問題なしと判断。

 あっという間にアパートにたどり着く。階段を駆け上がって我が家に滑り込む。

「……っはー……」

 絨毯の上にドロシーちゃんを降ろす。

「すごいすごい! コウタ、足速いのね!」

「どうも……」

 雪の上を全力疾走するのはさすがに疲れた。

 暖房をつけて、飲み物でも出そうとしたところ、自分が手ぶらであることに気づいた。

「あああ……エコバッグう……」

 ドロシーちゃんを抱っこするために放り出した食品が、公園に放置……

「コウタどうしたの?」

「なんでもない。……寒くない?」

「平気」

「そっか」

 着ていたコートを脱ぎ、ハンガーにかける。

 ドロシーちゃんも雨合羽を脱いだが……うん。やはり、薄着すぎて不安になる。本人は平気でも、見ている俺が気が気でない。

(佳奈子かばあちゃん、子ども用の服とかないかな……)

 俺の服は男物だし、合うサイズがない。

 タンスを引っ掻き回したが、最古の服が中学ジャージだった。高く見積もっても5歳くらいのドロシーちゃんでは、これでも大き過ぎる。

「コウタ。お絵かき」

 むくれて袖を引いてくるドロシーちゃんが可愛い。

「あ、ごめん。ちょっと待ってね」

 丁度クロゼットを開いたところだ。端にあった道具箱を出して、クーピーを探す。

「……あった。これでいい?」

「うん!」

 12色セット。子どもならこれで満足だろう。

「スケッチブック……中学の残ってるかな」

 いや、待てよ?

 そういえば、スケッチブックを落書きに使ってしまった記憶がある。恥ずかしい絵が出てきても嫌だし彼女も見たくないだろうし……

「紙ほしい!」

「待ってってば」

 何かないか。描きやすい紙の束。

 探していると、インターホンの音。

「…………。ああもう……」

「紙ー!」

 ぎゃんぎゃんと泣き始めたドロシーちゃんを抱え上げ、玄関に向かう。途中でノートを見つけて渡そうとした瞬間、鍵が動いてドアが乱暴に開く。

「……」

 そこには、怪しい防護服姿の男たち。

「何ですか?」

 ドロシーちゃんは俺の手からノートを取ろうとしてもがいているが、男たちから隠すように回してしまったので無理だ。彼女の身長では届かない。

 男たちのうちの一人がヘルメットを脱ぎ、俺に言う。

「怪我はないか」

 金髪碧眼。どこの国の人かは不明だが、なかなか渋い美男子だ。

「銃を向けられた精神的な傷ならありますけど」

「すまなかった。あまりの緊急事態に、」

「そういうのいいですから」

「……申し訳ない」

 彼は咳払いして、俺の腕でじたじたするドロシーちゃんを指差す。

「164番を渡してほしい。悪いようにはしない」

「ドロシー、ですよ」

 彼女には名前がある。

「……名乗ったのか?」

「? そりゃまあ。元気良く子どもらしく」

 なぜか恐れ慄いている。周りの防護服たちも、顔は見えないながらも仕草から動揺が見て取れた。

「で、あなた方はなんなんですか?」

「16よ……ドロシーを回収しにきた。彼女はある施設から脱走してここにいる。今すぐ戻さなければ、」

「無理です。……脱走するような場所なんでしょう?」

 それに、ドロシーちゃんをモノのように扱っているのも気にくわない。

 こんなに無邪気で無害なのだ。

「ドロシーちゃん、この人たち、知り合い?」

「紙、ほしいっ……!」

「……はいはい、あげるから」

 床に降ろして、小脇に抱えていたノートを手渡す。


 銃声がノートを引き裂いた。


 少々の風とともに紙くずが舞う。

 受け取ろうとしていたドロシーちゃんは、恐怖もなく呆然としている。

「いきなり、何すん――」

「やぁ――――‼︎」

 彼女の絶叫とともに、空間が揺れる。

 ぐにゃりと撓む。

「っ⁉︎」

 景色が輪郭を崩していく。靴入れや扉、壁床もぐちゃぐちゃに混ざっていく。

 ――硝煙真新しい銃を構えた男性に、歪みが殺到する。

「…………‼︎」

 咄嗟にドロシーちゃんを抱え上げる。泣き叫び暴れる彼女にコートを被せると、歪みが消えていった。

 へたり込む防護服を金髪碧眼が叱責しているのが見えたが、そんなのどうでもいい。

 話が通じそうな彼に向かって告げる。

「出ていってください」

「しかし――」

「弾が命中してたらどうするつもりだったんですか?」

 銃弾は背後の壁にめり込んでいるが、下手をすれば跳弾で俺がドロシーちゃんのどちらかに当たっていたかもしれない。

「いいから、出て行ってください! 次来たら通報しますからね‼︎」

 蹴り出す勢いでドアを閉める。

 いつの間にか大人しくなっていたドロシーちゃんを抱え直し、リビングに走る。

「ドロシーちゃん、だいじょ……あ、寝てるのか」

 泣き疲れたのだろうな。

「……」

 ソファに寝かせると同時にへたり込む。


「あー……死ぬかと思った」

 初めて間近で聞く銃声は、恐ろしく怖かった。

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