第5話 再出発
翌日も、私は画材一式を持って高台へ向かった。
母と約束した事もあるが、何より私自身が絵を描きたくなったからだ。
階段を駆け上がり、高台へ着くと、昨日や一昨日と同じように椎名さんが街を見下ろしていた。
「こんにちは、椎名さん」
私は椎名さんよりも先に挨拶をする。
それを聞いた椎名さんは、私に先を越されたためか、少し驚いた表情を浮かべている。
「昨日の事があったから少し落ち込んでいるだろうと思っていたんだけど、そんな心配はいらなかったようだね」
「はい、いつまでも落ち込んでいたらお母さんを心配させてしまいますし、それに私は、もう立ち止まりたくありませんから」
私は笑顔を浮かべながらそう答えると、ベンチに座って画材を広げ、真っ白なキャンバスをイーゼルに立てた。
「おや、昨日まで描いてた絵はどうしたんだい?」
椎名さんは疑問を投げかける。
「描きたい絵ができたんです。だから、今までの絵は置いてきました」
今回の作品展のテーマは思い出だ。だから、昨日まで描いていた作り物の思い出ではなく、私自身の大切な思い出を、改めて描くべきだと考えた。
「私からも質問、いいですか?」
私がそう言うと、椎名さんは「どうぞ」と言って私の隣のベンチに座った。
「椎名さん、あなたは一体何者なんですか?本当にただの写真家なんですか?」
昨晩見せた立ち回り、そして私自身も気づけなかった私の気持ちを見抜いた洞察力。とても普通の写真家とは思えない。
「ただの写真家・・・・・・と言われたらそれは違うかな。僕が写真家をやっているのは本当だ。けれど、キミが知りたいのは昨晩の僕の事だろう?
僕は、写真家として日本を廻りながら、幽霊や妖怪が絡んだトラブルや事件を解決したり、キミみたいに霊能力者でありながら、幽霊や妖怪たちとうまく付き合えていない人の手助けをしているんだ。昨日使っていた木刀と羽織は、昔助けた妖怪から貰った物でね、霊力が宿っていて、昨日みたいな話が通じない幽霊や妖怪を退治する時に使っているんだ。この事は最初に話しても良いかと思ったんだけと、それだとキミが警戒するだろう?」
確かに、初対面で「自分は写真家で、霊能力者で、妖怪退治をしています」なんて言ったら、同じ霊能力者でも間違いなく警戒するか、おかしな人間だと思われてしまうだろう。
「もう一つ、いいですか?なんで私をここまで気にかけてくれたんですか?」
「なんでって、それは・・・・・・キミが本気で描いた絵を見たくなったからね」
椎名さんは笑顔でそう言った。
絵描きとしては嬉しい事だが、それには一つ問題がある。
「前にも言いましたよね、私が描いた絵のせいで、みんなから気味悪く思われていたって」
実際、今から描こうとしている絵もそういう絵だ。幽霊の絵など描いたら、また気味悪く思われてしまうのではないかと今でも心配だ。
「私はどう思われようと、この絵は描くつもりです。けど、みんなはこの絵を受け入れてくれるでしょうか?」
私は椎名さんに問いかける。
「藍花さん。写真家としての立場から、キミに一つアドバイスをしよう。僕は写真を、この世界の風景を切り取った窓だと思っている。キミが昨日まで描いていた絵や、小さい頃に描いていた妖怪や幽霊の絵も、見た物を見たままに描くという意味では写真と似ている。そういった絵には、正解と間違いが存在する。キミの絵が昔気味悪く思われたのは、幽霊や妖怪が、間違いだと思われたからだ。確かにそういう絵も一つの完成された絵だ。けれど、絵にはもう一つの形がある。それは、作者の心の世界を投影した匣庭という形だ。おそらくキミが今描こうとしている絵も、そういう物だろう。その絵のいい所は、間違いという考えが一つも無く、ただ作者の思った物が正解だという所だ。まあ所詮描く人の気持ちの違いだけと、それが何故だか見ている人の気持ちも変えてしまうんだよ、不思議な事にね。だから大丈夫、今のキミならきっと、素敵な絵を描ける。そして、その絵は人
の心を動かす事だってできるはずだ。」
そこまで言うと、椎名さんはベンチから立ち上がる。
「その絵は二月の作品に出す物だろう。だったら今回は描いている所はあえて見ない事にするよ。完成された絵を初めてみる楽しみを、後に取っておきたいからね」
そして椎名さんは高台から立ち去ろうとする。
「椎名さん」
私は椎名さんを呼び止めた。
まだ言えてない事がある。それを言わなくては。
「今まで色々と、ありがとうございました。この絵は必ず仕上げて見せます。だから、作品展を楽しみにしていて下さい」
私は今までの感謝を伝え、椎名さんに頭を下げた。
椎名さんはそれを聞くと、ひときわ晴れやかな笑顔を浮かべた。
「こちらこそ、楽しみにしているよ。それじゃあ、縁があったらまた今度。絵の感想はその時伝えるよ」
そう言って、椎名さんは去っていった。
それを見送った私は、再び真っ白なキャンバスと向き合う。
今から描く絵は、私の思い出。私が初めて描く心の風景であり、絵描きとしての私の再出発地点だ。
「見ていてね、お母さん」
そうつぶやいて、私は絵を描き始めた。
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