第4話 幽霊

 家に帰った私は、食事と風呂を済ませてベッドに横になった。

 昼間椎名さんに言われた事、それらをもう一度考えてみたが、やはり答えはみつからない。

 そしてふと、今日は椎名さんの話を聞くだけで、絵はあまり進んでいない事を思い出した。

 なのでせめて構図の確認だけでもしようかとキャンバスや画材を見た、その時だった。

 画材の中の絵筆入れが、空になっていた。

 思い返せば、椎名さんの話を聞いた時絵筆を落として、そのまま拾うのを忘れて話を聞いていた。

 私は道具にこだわる方ではないのだが、あの絵筆は最近買いかえたばかりなので、できることなら無くしたくない。

 昼間、椎名さんに夜は危ないから出歩くなと言われたが、高台は家から近いため大丈夫だろう。

 そう思った私は、部屋着から着替え、懐中電灯を持ち、保護者である叔父と叔母に了承をとり、夜の街に出かけた。

 時刻は既に八時を回っており、冬という事もあって冷たい夜風が吹いていた。

 普段こんな時間に一人で出歩かないためか、その寒さを一際大きく感じた。

 およそ五分、暗闇を歩き続けてようやく高台へとたどり着いた。

 そうして懐中電灯で足元を照らしながら、今朝座っていたベンチの近くを捜索する。

 辺りが暗いため場所がわかりにくかったが、数分後になんとか見つける事ができた。

 これ以上長居する必要は無いし、家に帰ろうと思ったその時、背後に何かの気配を感じた。

 何も居ないはずの場所なのに、何かがいる。

人間でも、野生動物でもない、もっと不気味で、禍々しい気配。

 なぜ、と疑問符を頭に浮かべる。

 もう六年も見ていない、感じてもいないはずだったその気配の方向を振り向くと、果たしてそれらはそこに居た。

 姿形は人間に似ていながら、人間と似つかわしくない気配を放つ存在、幽霊だった。それも、どこか様子がおかしい者が四人。

 驚いた私は、腰を抜かしてその場に尻餅をつく。

 六年間見ていなかったためか、はたまたこんなに禍々しい者と出会った事がなかったためか、私は初めて幽霊に対して恐怖を感じた。

 幽霊たちは、怯えている様子の私を見て楽しんでいるのか、さらに近寄ってくる。

 その様子を見る限り、まず間違い無く私に危害を加えるつもりだろう。

 私は反射的に生命の危機を感じ、後ずさりする。

 「嫌だ、来ないで!!」

 そう叫ぶのと、幽霊たちが襲いかかってくるのはほぼ同時だった。

 幽霊たちは私めがけて飛んでくる。

 驚いて、逃げる間も無かった。

 多少あった距離も、一瞬で無くなってしまう。

 そうして幽霊が私に手を伸ばそうとした瞬間、何かが幽霊を遮った。

 目の前に現れたのはもう一人の幽霊。

 真っ白なワンピースを着た長髪の女性のように見えた。

 女性の幽霊は、私を庇うように、私と幽霊の間に立ちはだかる。

 その幽霊からは何故か、先ほどの幽霊たちのような不気味さは感じられず、むしろ暖かいような、何か懐かしいものを感じた。

 「私を、守ってくれるの?」

 目の前の女性の幽霊は静かに頷く。

 髪で目元を隠しているため顔は確認できないが、その幽霊はどこか笑顔を浮かべているように感じた。

 その直後、再び不気味な幽霊たちが襲いかかってくる。

 女性の幽霊はその身を盾にして私を庇う。

 四人の幽霊たちの突撃を受け止め、押し返し、その繰り返しで、女性の幽霊は自分から攻撃しようとしない。

 いや、できないのだろう。

 ただてさえ四対一で、間髪入れずに突撃してくるのに、反撃する余裕などある訳が無い。

 やがて女性の幽霊は疲弊し、かなりつらそうに見えたが、それでも私を庇い続ける。

 「このままじゃ、貴女が・・・・・・」

 私は女性の幽霊の身を案じ、声をかける。

 それでも彼女は私の前から動こうとしない。

 そして次の瞬間、不気味な幽霊たちが一斉に女性の幽霊へと襲いかかり、ついに女性の幽霊は弾き飛ばされてしまう。

 女性の幽霊は、高台の柵の近くまで飛ばされてうずくまっている。

 私を守る者は、もう何もなくなった。

 私は何も出来ず、その場にへたり込むしかなかった。

 それを見た四人の幽霊たちは、再び標的を私に定め、体制を整える。

 恐怖で心拍数が上がり、呼吸が荒くなる。

 「嫌・・・・・・誰か・・・・・・」

 私は消えそうな声で祈るように言う。

 しかし、昼間でさえ人が寄り付かない場所に、助けなど来るはずが無い。

 幽霊たちは、一斉に私へと襲いかかる。

 私は泣きそうになりながら目を閉じ、来ないはずの助けを求める。

 「助けて・・・・・・」

 そう言った瞬間、幽霊たちの手が、私に振り下ろされた。

 バシッという音が辺りに響く。

 しかし私な何も感じなかった。

 恐る恐る目を開けてみる。

 「まったく、僕は忠告したはずなんだけどなぁ」

 目の前には、見慣れない羽織を着て、木刀を持った椎名さんが居た。

 「椎名・・・・・・さん」

 「大丈夫だから、下がっていて」

 怖がる私を落ち着かせるように、優しい声で言う椎名さん。

 そこからの椎名さんの行動は、早くてよく見えなかった。

僅かに捉えられたのは、幽霊たちを襲う椎名さんの剣戟。

 それは、剣道などについて全く知識が無い私にもわかるくらい洗練されており、美しいとさえ思った。

 ものの数秒で幽霊たちを撃退した椎名さんは、私に近寄り手を差し伸べる。

 「高台で幽霊が暴れているのが見えたんだけど、どうやら来て正解だったみたいだね。夜はあいつらみたいなたちの悪い幽霊が出るから、注意が必要なんだ。ほら、大丈夫かい?」

 私は椎名さんの手をとり、立ち上がる。

 「ありがとう・・・・・・ございます・・・・・・」

 息と心臓を落ち着かせながら、私は椎名さんにお礼を言う。

 椎名さんが来てくれなかったら、どうなっていたことか。

 そして呼吸が落ち着くと、先ほどの女性の幽霊の事を思い出す。

 「そうだ、あの人は?」

 私は辺りを見回す。すると、高台の端でうずくまる女性の幽霊を見つけた。

 私はすぐに彼女の元へ駆け寄り、抱き起こそうとした。

 その時に、女性の幽霊の目を覆っていた髪が乱れた。

 「えっ・・・・・・?」

 私は多分、人生で一番驚いた。

 だって、私を助けた女性の幽霊の顔が、私の母のそれと瓜二つだったから。

 「お母さん・・・・・・?」

 私が問いかけると、女性の幽霊は私の頬を優しく撫でた。

 間違いない、この人は私のお母さんだ。

 そう思った瞬間、先ほどまで我慢していた涙が溢れ出し、私は泣き出してしまった。

 「お母さん・・・・・・お母さん・・・・・・!」

 私はたまらず、母の幽霊に抱きついた。

 五年越しに感じた母の温もりに、さらに涙が溢れ出してしまう。

 あぁ、やっとわかった。

 どうして私が絵を描き続けていたのか。

 椎名さんは、私が最初から勘違いしているから、順番を整理しろと言った。理由は最初から変わってないとも言った。

 私がしていた順番の勘違い、絵を褒めてくれるから母が好きになったのではなく、母が好きだったから、絵を褒めてもらって嬉しかったのだ。

 そしてその思いは今も変わらない。

 私は母が好きだったから、絵を描いていれば、死んだ母とつながっていられると思ったから、絵を描き続けていたのだ。

 例え自分にとって価値の無と思っていた絵でも、ちゃんと描く意味はあった。

 「いつからそんな事もわからなくなっちゃったのかなぁ」

 私は母の胸の中で、泣きながらそう言った。

 そんな様子を遠目に見ていた椎名さんが近づいてくる。

 「昼間、藍花さんは、母親が死んでから一度も妖怪や幽霊たちと接触していないと言った。それはおかしいんだよ。母親が死んで精神的に消耗し、さらに霊能力者でもある、条件はこれほど揃っていたのに、見えなくなったどころか何もされないなんて。」

 椎名さんは、私と母のすぐそばに立った。

 「幽霊や妖怪が見えなくなったのは藍花さん自身の精神的な問題だ。霊力は人間の精神と深い関わりがあるからね、母親が死んだのが自分のせいだと思い込んで、妖怪や幽霊を拒絶し、無意識の内に霊力を抑えていたから見えなくなったんだろう。今になって見えるようになったのは、昼間に僕が藍花さんの勘違いを解いて、霊力を抑える原因だった自責の感情が無くなったから。けれど、いくら霊力を抑えていたとはいえ、普通の人間と比べて大きい霊力を持っているのに変わりは無い。だから幽霊や妖怪に襲われても不思議じゃないのに、五年間も何もされていない。その理由は・・・・・・藍花さんのお母さん、あなたが守護霊となって藍花さんを妖怪や幽霊から守っていたからではありませんか?」

 椎名さんの問いかけに、母はゆっくり頷いた。

 「死してなお子を守る母と、死した母を思い絵を描き続けた娘。貴女たちは、死別してもなお堅い絆によって結ばれていたという訳だ。藍花さん、昼間キミに言った事は撤回しよう。キミは間違いなく、僕の知っている霊能力者のなかで一番幸福だ」

 涙を流す私の横で、椎名さんはそうつぶやいた。

 そうしてしばらく泣き続けた私が落ち着いた頃、母の幽霊が突然、空に向かって浮かびはじめた。

 「現世に残り幽霊や妖怪から藍花さんを守り続けて、さらにさっきのダメージを受けて、そろそろ限界みたいだね」

 つまり、母は現世からいなくなってしまうという事だろうか。

 せっかく再会できたというのに、また離れ離れになってしまうのだろうか。

 「嫌だよ、そんなの」

 ずっと一緒に居たかった。

 また沢山絵を褒めて欲しかった。

 けれどそれはもう叶わない。

 再び泣き出しそうになる私はの頭を、母はそっと撫でる。

 すると、脳内に直接母の声が聞こえてきた。

 「晴香、またあなたと会えなくなってしまうのは私も寂しいけれど、私はあなたをずっと見守っているわ。あなたの描いた絵も、この声が届かなくなろうと、沢山褒めてあげる。だから、あなたは前に進んでちょうだい」

 そう言うと、母は私の額にそっとキスをして、空へと消えていった。

 「わかったよお母さん、私はもう立ち止まらない。もっと沢山絵を描いて、天国のお母さんまで届くくらい、上手な絵を描けるようになる」

 まだ身体に残った温もりを感じながら、私はそう宣言した。

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