第39話
「伝えておいたよ、リーズレット君」
「ありがとうございます!」
ナイアスとの通信を終えたアルフレックが、リズの機体と通信を繋げる。機体の機器不調で回線が安定しないから、三者での通信中継が不可能だったのだ。
リズが見守る中、機体の装甲を解除したシャープ・エッジ——いや、プロト・エッジは優勢に戦いを進めていた。
シャープ・エッジの変身とも言える変化については、その機体の名前とともにナイアスから説明を受けていたリズだが、実際の光景には目を瞠るばかりだった。
「……あんな方法があるなんてね」
それでも、どこか呆れた声で言うアイリーンの言葉には反応する。
「逆転の発想だ、と先生は言っていましたが……」
「狂気の沙汰にしか思えないわね」
アイリーンは辛辣だったが、リズとしても納得する部分はある。あの天機兵に搭乗して敵と戦うことができるのは、ナイアスぐらいだろう。
普通の操機手だったら、あのような自殺を志願するような機体には乗りたがらない。
「その辺は、ナイアスだからな」
アルフレックもまた、アイリーンに同意するように口を開いた。
リズとしてはナイアスを弁護したくなるが、自分の研究室の講師ではないアルフレックに口を挟めるような立場ではない。そう思いつつも、擁護したくなって口を開こうとする。
ところが。
「——あいつの操縦技術があってこその機体設計だ。既存機では考えられない運動性能。余分の重量を支えることに費やされていた機体の全出力を敵にぶつけられるから、攻撃力も高まっているだろう。さらに、より人体に近いあの機体でなら人間の武術を完全再現することが——正直、羨ましいな、こういう機体はあいつにしか作れない」
「……ぇ」
アルフレックの発言は、ナイアスの機体を否定するものではなかった。
むしろ、その正反対の賞賛の色が強く出ている。
「あなたの機体、オーソドックスな重装甲志向だもんね。今の
アイリーンは台詞の途中で、くすりと笑うと続けた。
「あの機体、ナイアスを乗せたかったんでしょう? 安心感の高い機体なら、発作も起きにくい——そんなふうに考えたんじゃなくて?」
「ふん……。さあ、な」
苦虫を噛み潰したような応答に、日頃、気難しさを顔に貼り付けている男の、本音が現れていた。
「……ちょ、ちょっと待ってください。先生とアルフレック先生って……?」
仲が悪かったんじゃないですか、の一言までは続けられずに、リズは言葉を濁したが。
「……奴からどう聞いているかは知らないが。私はナイアス先生を評価している」
「あら?」
アイリーンは重ねて笑った。
「素直に言ってしまえばいいのに。前の戦争で、あなたがナイアスの機体の面倒を見ていたって」
「昔のことだ。それに……私にとっても、あの戦争は、良い思い出ではない」
リズは狭い操縦室の中で、瞬きをした。
ナイアスの機体を見ていた——それはつまり、彼の天機兵の専属整備士だったということだろうか。それとも。
だが、疑問を突き止める時間は十分には与えられなかった。
リズが擱座した機体から見守る、ナイアスの戦いが佳境に入っていたのだ。
* * *
「——驚かされますね」
ナイアスの機体に、通信で届いたイリスの声の調子に、僅かな揺らぎがあった。
常に平静でいた彼女も、この逆転劇の前には自身の計算違いを感じているらしい。
そう——形勢は完全に逆転していた。
黒い天機兵が、プロト・エッジの操る大剣の切り払いを盾で辛くも受け流し、好機と見えた瞬間を狙って、長剣の刺突を繰り出す。
どれほど運動性能の高い機体であろうとも、攻撃を止められた直後には隙が生じる。
そのはずが——そこに存在していたはずのプロト・エッジの機影は、イリスの注視する中で、虚空に散じるように消えて行った。
「まさか——幻影ですか?」
イリスの言葉は、冷静であった。
——表面上は。
「優れた操機手は、
口ではそう嘯きながらも、ナイアスはそうではないことを知っている。
これは、歩法によって、ほぼ一瞬だけ機体を静止させた状況を作り出したあと、急激な方向転換を行っているのだ。その組み合わせで、残像が生じたように対戦者に見せる、剣術の技術である。
……やっぱり、そうだ。
そして、そのような技術が有効に作用することから——ナイアスはひとつの確信を抱きつつあった。
人を模した体躯となったイリスは、形状によって魔族よりも人間に近い存在になっている。つまり、顔の両眼の位置による視野角の制約、手足の数が四本に過ぎないことから同時に操作できる装置の数の制約——そういった、人としての物理的な制約から逃れられないのだ。
人の形であることの弱点は、特に操機手としての限界は、生まれてこの方、ずっと人間であるナイアスのほうがよく知っている——
操縦桿を柔らかく握りしめ、素早さと繊細を両立させた操作を機体に送り込む。
膝を限界まで曲げて、機体を深く沈み込ませたプロト・エッジは、黒い天機兵を操るイリスが放った苦し紛れの一撃を悠々回避する。
その直後、ペダルをミリ単位で調整しながら、操縦桿を反対側に振ることで、体高を下げたまま、機体重心を右から左に流れるように移動させる。
操作に応えて、プロト・エッジが地を這う蛇のような動きで、黒い天機兵の足もとを襲う。
「——それは、見えていますよ」
機体の右側からやってくる剣を避けるために、イリスの黒い天機兵は無理のある姿勢のまま、左へとサイドステップ。
だが、それこそがナイアスの狙いだった。
トリッキーな動きをしながらも大地をしっかりと踏みしめていた足へ、脚部に溜めこんだエネルギーを叩き込む。一切の装甲を取り外したプロト・エッジの溢れんばかりの余剰出力が、爆発的な加速力に転換された。
体勢と回避方法の選択ミスで、片足の分しか力を使えなかった黒い天機兵と、両足の力を余すことなく利用したプロト・エッジでは、速度と移動距離に大差がついていた。
「避けきれません、か——」
「——っ!」
だが、イリスも並の操機手のレベルではない。なおかつ、彼女は人ですらない。
機体が衝突コースにあり、そこから回避ができないと知ったイリスは、体勢が崩れているにも構わず、長剣を突き出すために構えたのだ。
仮にナイアスが正面衝突の道を選べば、かなりの確率で相撃ちに終わる選択。運動エネルギーの多寡そのものはプロト・エッジに明確に軍配が上がり、黒い天機兵が再起不能になるのは間違いのないところだったが——
大剣と長剣の打ち合わされる音が高く響いた。
その反動で、お互いの機体はすれ違う。ナイアスが、ぎりぎりの判断でプロト・エッジを正面衝突から逸らす道を選んだのだった。
「……怖ろしい手を考えるもんだな、イリス」
「私の目的はあなたを殺すことです。私の存在はそのための道具に過ぎません」
いま起きたことは、その言葉の通りだった。
先ほどの瞬間にまともにぶつかり合っていたら、イリスの黒い天機兵は、搭乗者であるイリスごと再起不能になるまで破壊されただろう。
だが、反撃を喰らうナイアスにも同じことが言えたのだ。
カウンターとも言えない悪あがきの一撃でも、装甲のないプロト・エッジでは致命傷になり得る。プロト・エッジの泣きどころを突いた——いや、魔族ならではの捨て身の反撃だった。
「だが——勝負は見えた。イリス。お前と、その機体じゃ俺には勝てないぞ」
「——先ほどと反対の立場になりましたか」
少し前のやりとりを裏返したような言葉の応酬。
反駁してくるかと思ったナイアスだが、イリスは素直に頷いた。
「認めましょう。確かに、私ではあなたには勝てそうにない」
「……敗北を認めて、機体から降りるなら——」
言いかけて、ナイアスは口ごもった。
人と人の戦いであるなら、命を保障して捕虜に取ることもできるが。
「それは、あなたが決められることではないですね」
イリスの言う通りだった。ナイアスの一存では、捕虜にした魔族の去就などといったことまでは決定できない。
「いずれにしても、答えは
魔族の事情など分かるはずもないナイアスだが、彼女の言わんとすることは理解できた。
だが、それでも、ナイアスは躊躇った。
昔、相棒と認めていた
こいつを恨むだけの理由も、俺にはない——か。
ナイアスのその心情が機体の挙動に現れたのか、イリスは言った。
「その迷い——後悔することになりますよ?」
会話は終わり、とばかりに黒い天機兵が動き出す。
しかし、まだナイアスは迷っていた。
正面から戦って負けるとは思わない——だからこそ。
戦争の時のように自分の周りで人死にはでていない——それゆえに。
リズの救出のためであっても、すでに黒い天機兵は彼女の乗っている機体からかなり引き剥がすことができている——そういう理由が。
すべてが混ざり合って、手練れの敵と向かいあうには、危険な迷いが生まれつつあった。逡巡の間も、敵機はこちらを目指している。振り上げられた長剣を受け止めつつも、少し前までの俊敏な反応がなくなっていた。
と——そのとき。
——やれやれ、いつになっても坊主は坊主じゃのう。
「この声は……?」
ナイアスが呟く。
プロト・エッジに向かって、翻って襲いくる長剣を、反射的に跳ね飛ばした。
理想的な角度で大剣が刀身に食い込んだのだろう。
半ばから断たれた長剣の、天機兵用の武器ならではの巨大な剣先が、風車のように音を立てて宙を舞った。
——お主は考えすぎなのじゃ。戦いにおいて、そのような思考は余分よ。勝ってから考えるがよい。
武器に生じたトラブルで、いったん下がろうとしたのだろう。
バックステップで跳ねようとした黒い天機兵に、それより一歩早くプロト・エッジが接近した。
——吾はもう飽きた。とっとと片付けるがよい。
プロト・エッジが、両手に構えた大剣を大上段から振り下ろす。
何の変哲もない、基本通りの一撃。
お手本にしたくなるほどに、型通りのその動き。
であるからこそ、実戦の場で成立するのは驚くべきことだった。
美しさすら感じられる、僅かに中心線を外れたその斬撃が、プロト・エッジと対峙していた黒い天機兵を肩口から真っ二つに両断していった——
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