第37話

 観客席は騒然としていた。

 黒い天機兵と、代理参加という赤い天機兵による期待以上に高度な戦い。それに続いて起きた、予期しない別の天機兵の乱入、そして、その機体が破壊されるまでの一連の展開。

 これが通常の試合の流れだとは、もはや誰も思っていないだろう。

 試合には解説者もいたが、彼らも明らかに状況を理解していないようだった。黒い天機兵の漂わせ始めた禍々しい空気——それが瘴気だと気付いたものは流石に少なかったが——もあり、何が起きているかは分からないものの、会場は不穏な空気に包まれていた。

 幸い、一部の観客達は騒ぎだし始めていたが、集団でパニックになってはいなかった。大半の観客は、何か異様な事態が発生していることには薄々気付きながらも、自分達に危害が生じる心配は毛頭なく、ただ試合の成り行きを見つめていたのだ。

 そんな観客たちの視線を一点に集めて——

 しばらく動きを止めていた黒い天機兵が、ゆっくりと歩み始めた。

 観客からは、一瞬の攻防の後、突如動きを止めたと思われていた赤い機体——ナイアスのシャープ・エッジが、その行動に応えるように大剣を構えた。

 それぞれの機体の間から少しズレた地点では、擱座した白銀の機体が、時折火花を散らしていた。

 ここでどんな事態が進行しているか理解できない観客も、異常な空気に固唾を呑んで成り行きを見守っていた。

 そんな中で、イリスはナイアスの機体に通信を送ってきた。


「——回復しましたか? 以前にお目にかかったときには、肉体的な不審は見受けられませんでしたから……精神的な問題を抱えているようですね、ナイアス」


 ナイアスは応えなかった。

 代わりに、彼はシャープ・エッジを操作して、大剣をゆっくり振りかぶる体勢に移行させただけだった。


「……良いでしょう。もう時間もあまりなさそうですし。介入される前に——あなたを殺して終わりにします」


 相手に会話をする気がないと理解したのか、イリスもまた、黒い天機兵に長剣と盾を構えさせた。


  * * *


 イリスの使命は、ナイアスを斃すことだった。

 魔族——それはあくまでも人間の呼び名だが——であるイリスたちには、個体の意志というものがない。感情を持たない存在には、感情に起因する意志は成立しえないのだ。

 あるのは、群体として、達成すべき目的とその為の手段の選択だけ。

 だが、戦況判断に基づき、群体としての意志が統一されないこともある。今回の目標であるナイアス打倒もそのひとつで、この計画は魔族の一部の群によるものだった。

 そのための指揮個体としての役割を割り当てられたイリスは、ナイアスについての情報を集め、その強みと弱みを分析し、最終的にナイアスを討ち果たすために活動を開始したのだ。

 かつての英雄の情報を集めるのは難しくなかったが、接触する際には偶然の要素もあった。

 そこで、単にヒトを一人暗殺するだけなら容易い話だったが、そうはしなかった。

 先の大戦における敵方の最大戦力であったナイアスを、彼が得意とする天機兵の技術を取り入れつつ、正面から打倒する。

 魔族の戦力向上のためには、それこそが重要な目標だったのだ。

 これから行われるのは、その最後の一ピース。

 あえて脆弱な人の形を取り、あえて人の思考模倣シミュレーションを繰り返し、あえて忌むべき敵の兵器である天機兵に搭乗することさえ行い——ここまで到達した。

 ——すべては人類種を保護するために。


「——まあ、分からないことも、未だにありますが」


 意図せずに発せられた呟きに、イリス自身が一瞬疑問を覚えた。

 けれど、その理由を自己診断している暇はなかった。


「俺は——」


 沈黙していたナイアスが、その時ようやく口を開いたのだ。


  * * *


 リズの機体が大破した衝撃を受け止めながら、ナイアスは考えた。

 今の自分の出来ることは何か、を。

 リズの状態がどうなのかは分からない。少なくとも、彼女の乗っていた白銀の天機兵はまともに動かない状態にある。

 ……アルフレックのやつを、褒めてやってもいいな。

 操機手が即死してもおかしくない攻撃を受けても、会話が出来るぐらいにとどめたのはアルフレックの機体設計の手腕だろう。

 ともかく、リズはまだ生きている。だが動けない。

 怪我をして、危険な状況である可能性もある。

 彼女を救出できないのは、目の前に敵——イリスと、その天機兵がいるからだ。

 体調は、いったん峠を越したおかげか、発作の大波が嘘だったかのように凪いでいる。

 ならば——話は簡単だ。


「俺は——」


 少し前。イリスが何かを言っていたが、それは頭に入っていない。だが、応えることを期待されていたのは分かる。

 こんな事態を引き起こした彼女に付き合う義理もないとは思うが、名前以外は何もかも違っているはずなのに、どこかアリスを思わせる彼女に、何かを言いたい気持ちはあった。

 だから、自身の感情に従って、自然に。

 思うところを口にした。



「俺は、昔、何かを得るために戦っていた。そして……戦うことで何かを失うことを知って、戦うのが怖くなった。戦えなくなったんだ」



 イリスからの応答が来そうな気配がしたが、これはあくまでも独り言のようなものだ。

 だから、ナイアスは相手が何か言う前に続ける。



「だけど……守るための戦いもあるんだと、いまようやく分かったよ」



 そうなのだった。

 得るための戦いであれば、勝てば何かを得られるが、負けてしまえば何も得られない。むしろ、何かを失うこともある。

 それならば、戦わないのが正解になる。少なくとも、失うことはない。

 アリスの喪失について、ナイアスは心の奥底でそう理解したのだ。

 だから、戦おうとすると……実際に戦っていると、戦いをやめさせるための発作が起きる。身体と心が戦いを拒否するのだ。

 けれども。

 何かを守るための戦いは。

 そこで、失うことを怖れるのであれば。

 戦わないという選択肢は元より存在しない。そんな当たり前のことに、今ようやくナイアスは到達したのだった。


「——守り切れますか? あなたに」


 イリスの問いかけ。

 ナイアスはそれに苦笑でもって応える。


「出来るか出来ないかじゃない。やらなきゃいけないことなんだ」

「言葉ではなんとでも言えますね」


 呆れたようなイリスの声。

 まあ、そうだ——

 ナイアスは首肯しつつ、口を開いた。


「——いいか、イリス。お前は俺とリズを圧倒したことで、天機兵を理解したつもりでいるだろう。だが——」

「だが、なんですか?」

「天機兵は——人類が、人類の剣とするために磨いてきた技術の真価は、あの程度のお遊戯で理解できるものじゃない。俺たちと手を取り合って、共に進歩してきた天機兵の真実ほんとう。……今からそれをお前に見せてやる。構えろ。そして、学びたければ学べ——」


 出来るものならな——と続ける。これが、イリスへの宣言だ。

 ここから先は、出し惜しみなしだと。

 かつて英雄と呼ばれた——今はポンコツの、時代遅れのロートルに過ぎない自分でも、この一瞬だけは、あの時と同じ——いや、それ以上だと。


「……いいでしょう」


 イリスの応答は短かった。

 ナイアスは思う。

 それでいい。もはや、言葉はいらない——いや。後ひとつだけ。



「——聞こえてるかどうか分からないが。リズ、悪かったな。後は……俺に任せろ」



 それは引退操機手の言葉ではない。

 一人の英雄の宣言だった。

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