第36話
黒い天機兵の剣が、ナイアスの乗るシャープ・エッジへと振り下ろされる。
動きを止めたシャープ・エッジは、機動性を重視するための、薄く儚い機体の装甲のみでそれを受けとめ——
ようとするその直前、騎士槍を模した銀槍がその剣を弾いた。
致命的な一撃の接触を遮り、割って入った白銀の機体を操るリズが、開いたままの通信回線に呼びかける。
「先生! どうしたんですか、先生!」
「……リズ、か……」
まとわりつく泥の中から響くような、頼りない声がナイアスによるものだなどと、その時のリズには信じられなかった。
「だ、大丈夫ですか! 怪我でもされましたかっ?」
「いや……怪我は、ない……」
ならどうして。
と、口の端まで昇らせたリズは、次のナイアスの言葉に寄せた眉を開いた。
「すまん……例の奴だ」
その言葉で思い出した。模擬戦の後、ベッドに横たわる青い顔のナイアス。その隣で、生きた心地もなく座っていた、長いようで短かった時間のこと。
そして、理由はあったとは言え、ナイアスの事情を知らずに大変なことを押しつけてしまったという反省……。
護らなきゃ、と思った。事情を知っている今回ならば、自分にもできることがあるはず。
「……俺はもういい。撤退するんだ、リズ」
なのに、ナイアスはそんな言葉を口にする。
ここで彼を置いていけばどうなるか、それはイリスの先ほどの宣言からも明白だった。
「そんなこと、できるわけがありません……っ」
だから、リズはそう応える。
「邪魔をするつもりなら、あなたから片付けますが、構いませんか?」
「っ」
リズは回答の代わりに、イリスの乗る黒い天機兵へと、機体と同じ白銀の槍を繰り出した。
だが、予期していたように、黒い天機兵は一歩だけ下がることで、あっさりとその不意打ちの一撃を回避する。
「……やめろ」
ナイアスの声が、リズの機体のスピーカーを弱々しく震わせた。
リズはモニター越しに黒い天機兵をきっと睨み付ける。
目の前の機体が、魔族のものだから腹を立てているわけではない。行き倒れているとき、手を貸してやったにも関わらず、恩知らずに自分を片付けるなどと発言したことに憤っているわけでもない。
望むのはただ、自身の尊敬する人を助けること。
ナイアスが自身で設計した機体に乗っていても苦戦した相手に、自分が勝てるわけがないことは知っている。だが、アイリーンの交渉によって、警備用の天機兵や、次の試合に参加する予定の天機兵が増援としてやってくれば、撃退することも可能なはずだ。
「守って……みせます!」
決意を言葉に込めて、リズは操縦桿を握り直す。
* * *
ナイアスはモニターを見つめる。
身体と精神を苦痛に苛まれていて、指一本動かすことでさえ億劫でも、これだけは見逃せない。自分のために、少女の乗った天機兵が戦っている。
あのときと異なっていることは多い。
あのときは、天機兵を動かす生きた少女ではなく、心核に宿る意識だった。
あのときは、自爆を選んだ彼女との別れは、ほんの一瞬のことだった。
あのときは、その姿を見ることは出来なかった。
だが——
いま目に映る全てのことが、あの日あの場所で起きたことの、繰り返しのようだ。
ナイアスにはそう思えていた。
「——てやあっ!」
リズの機体は、銀槍を武器がもつ間合いの有利さを活かすように操って、黒い天機兵を一方的に攻め立てていた。
ナイアスの経験を積んだ目から見ても、リズの操機手としての技術はなかなかのものだった。乗ったことのない機体だろうに、シャープ・エッジにテスト操機手として搭乗していたときよりも自在に操っているように見えた。
大剣相手の戦いには慣熟したイリスも、長槍を相手にするのは戸惑いがあるらしい。その優位を活かすように、攻めの一辺倒に回っているリズの判断も悪くなかった。
いまこのとき、追い込まれているのは、黒い天機兵のほうだった。
「……っかし、そんなに扱いづらかったか、こいつ……」
操縦席でシートにもたれて、力の入らない身体と、気を抜くとやってくる目眩の波に抗いながらもナイアスは残念そうに呟いた。
このシャープ・エッジと名付けた機体が、かなりピーキーな仕様であることは設計したナイアス自身がよく分かっている。だが、初搭乗の機体のほうをより上手く扱われるのは、若干ショックだった。
「まあ、そんなことはいい。早く……」
動けるようにならなければいけない。
吐き気はまったく収まらないが、それはまだいい。動く天機兵の中で嘔吐すると悲惨なことになるし、搭載している一部の精密部品を駄目にする危険すらあるが——今は操縦能力を取り戻すのが先だった。
失った平衡感覚と、力の入らない手足では、機体を動かそうとしてもすぐに転倒してしまうのは明白。自動操縦は、すぐ隣で戦闘が続いているこの状況では使い物にならない。かといって、機体から降りて広いフィールドを徒歩で離れるのも論外。
それでも、ナイアスが、ここから離れることがリズへの支援になるのだった。
そして——それは、すぐにでも必要なようだ。
ほんの少し前まで、リズの乗る白銀の機体が優勢だったはずが、今はほぼ互角になりつつある。相手取った経験のない武装をした機体で、攻撃一辺倒で押し込んでいたのが、リズがイリスをその場に縫い止められていた理由。
だが、それは同時に、イリスに攻撃パターンの情報を与え続けていたということでもある。
「はやく……はやく……っ」
震える指で、太ももを搭乗服の上から握りしめる。感覚が戻りさえすれば。そうすれば。あの時とは違った結末を引き寄せることができるのに。
ままならない身体がもどかしいと感じたのは、この症状の出始めのとき以来だった。
何度搭乗しても、同じように動けなくなる。
意識を失うことも多い。
それはあたかも、彼女を見捨てたことの罰のように感じられて——
いつしか、ナイアスはそれを受け入れるようになっていた。
「——だけど! 今だけはっ、俺は!」
言葉に力が籠もり始める。少しずつ。本当に少しずつだが、身体に力が戻りつつあると感じる。目眩も少しだけだが落ち着き始めていた。
その間にも、リズとイリスの天機兵同士の戦いは続いていた。
すでにリズは防戦一方。
「リズ……頼むから、下がってくれっ」
しかし、通信に答えはない。
彼女が今どんな気持ちなのか、想像もつかない——いや、多分きっと。自分が、あの戦争に参加することになって、がむしゃらに戦い続けてきたときのように。
目の前の戦いのことしか、頭になくなっているのだろう。
過去の経験が、そう囁いた。
それは悪いことではない。自分はそうやって生き残った。けれど、それはあくまでも、幸運と、アリスの助けがあってのこと。
古代心核を搭載していないリズの機体では、彼女は独りぼっちだ。
戦っても勝てない相手と対峙したときの無力感。それでも戦い続けなければならない状況。そういったものを終わらせられるという期待で、最後の戦いに志願した、その記憶。
全てが渾然一体になって、ナイアスの身体と心を駆け抜ける。
——そして、その瞬間が訪れた。
黒い天機兵が振り下ろした剣が、リズの乗る機体の銀槍を持つ右腕をぐしゃぐしゃに破壊する。そして、その勢いのまま、刀身は胴の部分に食い込んでいった。
操縦席のある
「——うおおおおおおおおっっっ」
ナイアスの我を忘れた叫びと同時に、剣が止まった。だが、すでにその刀身は操縦席にまで達しているだろう。
その証拠に、剣が引き抜かれた白銀の機体は、火花を散らしながらくずおれていく。オイルが噴き出て、機体と地面を血潮のように濡らす。
「リズっ! ——リズっ!」
呼びかける。
もう届かないかもしれないと思いながら。あの時と同じ、破局が訪れたのではないかと疑いながら。
すると——
「……先、生……」
弱々しいながらも、確かに、彼女の声が聞こえた。
「リズっ! 大丈夫なのかっ!」
重ねて呼びかけると、雑音混じりの音声が届いた。生きている。その安堵を噛みしめる間もなく、ナイアスに向けて、彼女は言った。
「逃げて……ください……」
「馬鹿っ、お前が逃げるんだ! もう十分だ! 後は、俺が……」
マイクへ告げながら、ナイアスは自分の腕に力が戻っていることを感じていた。
前と同じようには動けないかもしれない。いや、その可能性のほうが高いだろう。これまで、一度発作が起きてしまうと、回復にはかなりの時間がかかっていた。
先日の模擬戦でも数時間は伏せっていたし、翌日も体調は悪かった。
それでも、なんとか黒い天機兵の相手を引き受けることは出来るはずだった。
「俺が……どうするんですか? 先生が、戦えないこと……知っています。アイリさんから、詳しく……ましたから」
機体の通信回路が半分壊れかけているのか、途切れ途切れの音声だった。
どういうつもりなのか、イリスはこちらの様子を窺うだけで、追撃してくる様子はなかった。それを良いことに、ナイアスは聴き取りづらい音声に耳を澄ませる。
「私の……は……もう動きません……。共倒れ……先生が、助かるべき」
「駄目だ。イリスの狙いは俺だ! だから、お前まで犠牲になることはないんだ! 分かってくれ!」
マイクに向けて必死にがなり立てる。声は命令にも似た荒々しさだったが、実のところ、それは懇願だった。もうこれ以上、失いたくはない。
「短い間……けど、これまで……とう、ございまし————」
唐突な入力超過を表す雑音が、スピーカーを震わせた。
それと同時に、白銀の機体からの音声は途絶える。
「どうした……? リズっ、聞こえるか、リズっ!」
応答はない。
リズが乗る天機兵に、あれから大きな異常は発生していない。壊れかけていた回路がとうとう機能を停止したのか。
操縦席のリズが、どれほどの怪我をしているかも分からないのに、通信だけが先に途切れてしまった。最悪の予感がナイアスを襲い、再びあの時のことを思い出させた。
アリスの、最後の一言を——
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