第35話

 試合会場の端にある入場ゲートから姿を現した天機兵は、ナイアスには見覚えのある機体だった。

 白銀に輝く装甲に覆われた、鈍重そうなフォルム。

 その外見とは裏腹に、存外に高い運動性を見せるその機体は、ナイアスがこの試合に参加する原因を作った、アルフレックが制作していたものだ。

 機体はこちらを目指してまっしぐらに駆けてくる。


「——すみません、先生。事情をなかなか納得して貰えなくて……とりあえず、アルフレック先生からこの機体を借りてきました。後は、アイリーンさんに交渉してもらっています」


 リズの言葉に、ナイアスはそれが意味することを知って目を見開いた。


「待て。もしかして、その機体に乗ってるのは——」

「はい、私です」


 ナイアスの思った通りの回答。


「やめるんだ、リズ。危険すぎる、すぐに戻れ!」

「そういうわけにはいきませんっ」


 制止の声を無視して、リズの乗る白銀の機体が突き進んでくる。

 思わず、ナイアスはその機体を庇うような位置取りへと、シャープ・エッジを操るが、その軽率な動きを咎めるように、イリスの黒い機体が斬り込んでくる。


「——くっ」


 大剣で迎え撃ち、重量を利用して敵の剣を跳ね飛ばし、そのまま反撃に移ったが、黒い天機兵は盾を利用して、その一撃をがっちりと受け止めた。


「こいつは手強い。生半可な腕だと、怪我するだけじゃ済まないぞ、いいから退いてくれ!」


 イリスの操る天機兵は、かつての競技試合でも間違いなくランキング上位クラスだ。額に冷や汗を浮かべながら、ナイアスは言った。


「他の支援がくるまでは、俺がなんとか保たせて……」

「駄目です!」

「王家の国民に対する義務だとか、そんなことを言っている場合じゃないんだ!」


 わかってくれ、とナイアスは懇願にも似た口調で説得しようとするが。


「駄目なんです。イリスさんの狙いは、ナイアス先生、あなたなんですから!」

「なっ」


 ナイアスが目を白黒させる。


「——その通りですね」


 そこに、黒い天機兵の強い踏み込み。

 重量級の天機兵もかくやという大出力で、盾で止められていた大剣が強引に払われる。シャープ・エッジの体勢が崩れ、ナイアスの意識が姿勢制御に奪われたその瞬間。

 衝撃が操縦席のナイアスを襲った。


「先生!」

「っあああああっ」


 理屈ではなく、脊髄反射で機体を振り回す。

 培った経験と勘が、剣の直撃を喰らってなお、機体が受けるダメージを最小化するための操作を叫んでいた。

 無限に続く瞬間の中で、ナイアスはさきほどまで徐々に高まってきていた吐き気も悪寒もすべて忘れて、直感に従って操作をすることで、首筋を撫でる冷たい刃から逃れようとする。

 そうして。


「……っはあっはあっ」


 気付けば、黒い天機兵とシャープ・エッジの間に機体半分ほどの距離が生まれていた。

 敵機を辛くももぎ離すことに成功したのだ。

 操縦室内のモニターには損傷の印である赤い警告表示が複数点灯していたが、……まだ、生きている。

 機体を駆動させる上でも、致命傷ではない。

 しかし危機が去ったわけでもない。

 機体半分の間合いは、まだ敵機の攻撃圏内だ。牽制のために大剣を持ち上げ——


「今のは……どうやったのですか?」


 胡乱げな心情を感じさせる——彼女が言葉通りに感情を持ってないのであれば、奇妙なことだったが——声色で、イリスが問いかけてきた。


「先ほどの一撃は回避不能だったはずです。擱座しないまでも、少なくとも大破状態になるはず。なのに……左の上半身の装甲を若干貫く程度とは……いったい、どうやって……?」


 ——それはこっちが聞きたい。

 ナイアスの本音はそうだったが、言葉にして返答する余裕はなかった。

 いまの一瞬の攻防で、限界を超えた感触がある。

 震える手。したたり落ちる汗。きゅうきゅうと痛む胃。

 間違いない。いつもの発作だ。


「答える気はないということですか。いいでしょう。こちらの優位が揺らぐわけではありません。その損傷を負った機体で、どこまでしのげるか見せてもらいましょう」

「……う」

「あなたを斃すことで——正確にはそれができるだけの能力を私が学習することで、次の戦での私たちの優位が確実なものになります。容赦はできませんよ、ナイアス。あなたにはここで死んでもらいます」


 暗くなったモニター——いや、視界の中で、黒い天機兵が動き出す。

 しかし、もはやナイアスには指一本動かすことすら難しい。こみ上げる吐き気が無ければ、そのまま意識を手放していただろう。

 そして—— 

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