第32話
先ほどまでとは明らかに速度が違う。
再開された剣の応酬で、ナイアスはまずその変化に気付いた。
初撃は二割ほどの増速だったが、そこから加速を続けて、感覚的には四割に近い速度で黒い天機兵の剣が繰り出されるようになってきている。
イリスの攻撃は直線的で、天機兵の操機手として拙劣と言ってもよい操縦であるから、やや油断していた一撃目の衝撃の後は、問題なくしのげてはいるものの、思わぬ展開にナイアスは内心舌を巻いていた。
「……リミッターでも搭載していたのか?」
「可能性としてはそんなところでしょうね。けど……」
ナイアスの呟きを拾って、アイリーンが応えるが、彼女の声にも驚きの色があった。
「計測した範囲での
「ああ、現行機の性能がどの程度かは知らないが、間違いなく出力も上だろう。見せかけのわりにずいぶん優れた機体らしい」
専門家ならではのやりとり。
とりわけ、ナイアスは実戦での経験を元に、帝国の最新機が過去のものからどの程度進化しうるのかを推し量ることができる。
ここ十年ほどでの天機兵の性能向上は、大したものではない。
根本的な性能が大きく変わらない中で、瞬発的な加速力や、長期的な運動性能、装甲の程度による重量差異、膂力の大小を左右する出力の振り分け、などから機体差を生み出すのが一般的。それに加えて、操縦する上での扱いやすさをどうするかで、調整を追い込む余地がある程度だったが。
この黒い機体は想定される性能向上の幅を、全方面で大きく上回っている。
とすると、考えられるのは。
「継続可能な活動時間に大きな制限があるのか?」
「そうね……じゃないと説明が付かない。リミッターを搭載する理由としても十分だわ」
一時的に高い性能を引き出せるが、長時間動かすと各所に負荷がかかったり、出力エネルギーの枯渇で能力が低下するタイプの機体。
ナイアスはそれを疑い、アイリーンも同意する。そこに。
「——素晴らしい。ナイアス、やはり貴方は普通ではない……人類が到達できる水準として、最高峰の技術の持ち主でしょう」
イリスの賞賛が割り込んできた。
「お褒めにあずかり光栄だが……まるで驚いているように聞こえないな」
返事をしたナイアスの言葉通り、イリスの声は、驚嘆からほど遠い平静さだった。
「そうですか? 声の聞こえ方ですか……それもまた、私たちの学習不足ですね」
「……何を言っている?」
ナイアスは、大ぶりな一撃を躱して、返礼とばかりに素早い刺突を繰り出す。
直後、疑問の言葉を口にした。
戦闘中の会話としては奇妙な話題だったが、優れた性能を持つ敵機の挙動に対応する操縦をしなければならないナイアスとしては、深く考える暇がない。
「もっと貴方の力を見せてください。私たちには、貴方の能力を解析する必要があるのです」
「俺の力を……なんだって?」
ナイアスは気付いた。
先ほどまで、反応速度などはさておいて、剣技としては素人同然だったイリスの操縦技術が徐々に向上してきている。
長剣を振り回すだけの一方的な攻撃ではなく、剣と盾を連携させて、こちらが様子見で放つ攻撃を防ぐだけでなく、反撃までしてくるようになっていた。
「ナイアス! いったん距離を取って!」
アイリーンの叫び声。
それに従って、というよりも、内心の不安に押されるように、ナイアスは敵機と交錯すると、すれ違う流れのままに加速して距離を取った。
これまでと違って、単純な後退を選ぶと、今の性能差では追いすがられてしまうと判断したのだ。確認するまでもなく、いまの黒い天機兵の機動力はシャープ・エッジを上回っている。
「ふふふ……それが貴方の全力ですか、ナイアス?」
「どうかな……」
油断なく距離を取りつつも、ナイアスは操縦桿から一瞬だけ手を離して、額に浮いた汗を拭った。
試合が始まった時点ではあったはずの、余裕が失われつつあった。
「いくらなんでも、おかしいわ……あの機体……」
アイリーンが独り言のように呟いた。
「選別したパーツを使用して、操縦者に合わせたカスタマイズをして通常よりも性能を上げる方法を使っている……にしても、ここまでの性能が実現できるはずがないもの。一体どうなっているの……?」
可能性のひとつを挙げつつも、それでは不可能だと判断して、自分で打ち消す。
「それより、黒い天機兵の周囲……そちらで観測できているか?」
「どういうこと?」
モニターを睨み付けながら言うナイアスに、アイリーンがきょとんとした反応を返す。
それを聞いて、ナイアスはためらいつつ口を開いた。
「どう言えばいいのか……。機体の周囲に、黒いもやのようなものが見えている」
「黒いもや? 発熱した機体が大気を歪ませているのかしら……?」
「そういう雰囲気でもないが……っと!」
通信中に際どい一撃を受けたナイアス。そこにイリスからの通信。
「これを受け止めますか……。しかし、もはやギリギリのようですね。この計画はやはり間違ってはいませんでした。私たちは、人とその技術を理解しつつある」
跳ね上がった剣先を辛くも躱しながら、ナイアスは舌打ちする。
試合を開始した当初の、おぼつかない操縦が見せかけでなかったのなら——ナイアスの直感はそうだと言っている——イリスの、天機兵を操る技術の、熟達ペースは異常だ。
過去に競技で対戦した数々のエキスパート達と比べても、遜色がなくなってきている。
理解できない発言の不気味さもあり、背筋を嫌な予感が駆け抜けていた。
そしてこれは同時に、ナイアスを悩ませる発作の予兆とも思えた。
対戦相手がイリスだったことへの驚きで、鳴りをひそめていたそれが、ここに来てナイアスの操縦技術を縛り始めようとしていた。
「負けてもいい対戦だ……気にするんじゃない……」
試合前に考えていた都合のいい言い訳を、口の中で転がし、少しでも気持ちを落ち着けようと努力する。
が——そのとき。
実際の対戦が始まってから、なぜか黙り込んでいたリズの。
不意の質問が、機体のスピーカーを揺るがした。
「イリスさん——あなたはもしかして、魔族——なのですか?」
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