第31話

 イリスの言葉の通り、試合の開始時間は近づいていた。

 実際、イリスからの通信に応答を続けながらも、ナイアスは試合開始前の所定の位置へと、機体を移動させていたのである。

 顔見せの距離からの試合開始では、場合によっては試合が一瞬で決まってしまう。それゆえ、近すぎる位置を調節するための、大会規定に定められた行動があるのだ。

 二つの機体は、手順に従って移動を終え、再び向かいあう。

 会場の空気が引き締まる。

 これから始まる闘争への予感。それが、操機手だけでなく、物見遊山の観客にまで浸透していく。

 そして——合図の鐘の音が、静まりかえった試合会場に響く。

 早々に開始線から飛び出たのは、黒い天機兵だった。


「まずは貴方の実力を拝見させていただきましょう」


 繋がったままの回線から、イリスの声が届く。


「そんなに大したものじゃないと思うぞ」


 軽く応えつつ、ナイアスも自身のシャープ・エッジを前に進める。

 結果的に、双方の機体は、まっすぐぶつかり合う進路に乗った。

 天機兵の動作速度は、外から見ている分には、通常の人間とあまり違いがないように見える。これは、天機兵の動作が遅いのではなく。身長が成人男性の七人分になった人間であれば、かくの如く動くであろうといった挙動を示すためである。

 人間が歩くときの歩幅の平均は身長の四割五分、走るときは六割から七割と言われる。

 二足歩行する天機兵についてもこれは同様で、疾駆する天機兵は、成人男性四人から五人分の距離を一歩で移動する。

 そのため、いかに巨大な試合会場のフィールドであっても、見る間に距離が詰まっていく。

 そして、先に速度を落としたのはナイアスのシャープ・エッジだった。

 シャープ・エッジは機動力に重点を置いているとはいえ、本質的には近接戦を志向している機体だ。装備が大剣であることから、敵にダメージを与えるためには必然的に接近が避けられない。

 とはいえ、その速度重視の頼りない装甲でもって、足を止めて敵機と斬り合うのは無謀の一言だ。

 一撃離脱を繰り返す、つかずはなれずヒットアンドウェイの戦術を取るために速度を落として間合いを調整しようとしたのだ。

 しかし、イリスが操る黒い天機兵は、ナイアスの意図は無視して接近を続ける。

 それならそれで……と、ナイアスは機体を横に滑らせることにした。円を描くのは間合いを保持するための基本的な足運びであり、その辺りの呼吸も含めて、天機兵の戦闘技術は対人の武術に通じるものがあった。

 近づく黒い天機兵と、横に逸れていくシャープ・エッジ。

 相対速度が下がる中で繰り出された黒い天機兵の剣を、シャープ・エッジの大剣が余裕をもって受け流した。

 一撃を防がれた黒い天機兵だが、それは予想の範囲内だったようで、矢継ぎ早に追撃を仕掛けてくる。

 一合、二合、三合。

 人の持つ剣よりも遙かに重量のある天機兵の剣が、轟音を立ててぶつかり合う。

 受けに回っているのはシャープ・エッジ。

 本来であれば、大剣は小回りが効きづらく、これまた漆黒に染められた長剣を装備する黒い天機兵に対して、受け側に回るのは得策とは言えない。

 しかし、ナイアスは、両手持ちによる膂力の高さを活かして、ときに相手の長剣を強く弾くなどの工夫で、大剣を引き戻すのに必要な時間を捻出することで、武装による手数の差を補った。

 それだけでは足りない場合も、熟達した滑らかな歩法で埋め合わせる。

 それらの全ては、ナイアスの熟達した操縦技術によって生み出されるものだ。天機兵戦闘では、仮に敵機と自機の性能が同一であるなら、当然、操縦技術の優れた操機手を載せた機体が有利になる。

 そして、黒い天機兵とシャープ・エッジは、その性能も互角ではなかった。


「なるほど。その機体……英雄が乗るに相応しい機体のようですね」


 繰り返されていた剣の応酬に一区切りを付けて、イリスはナイアスに呼びかけた。

 打ち合うにつれて機体間の距離が開いていき、お互いの剣の間合いから外れていたのだ。

 お互いに前を向いた状態で、片方の黒い天機兵は愚直に突進し、もう片方のシャープ・エッジは斜め後ろに下がるという、非対称な動きの結果、そうなったのだが。

 本来であれば、前に進む動作よりも後ろに下がる動作に、より時間がかかるものである。


「……俺が設計した機体だからな」


 よって、それを可能にしたのは、偏にシャープ・エッジの機動力が、黒い天機兵を移動性能で上回っているからに他ならない。


「流石は、私たちが目標とする英雄ですね。機体を操縦する技術だけではなく、設計能力も一流ですか」

「それほどのことでも……あるかな」


 ナイアスは不敵に笑った。

 実のところ、機動力に重点を置いたシャープ・エッジが、標準的な装甲を有した、帝国の騎士型天機兵をベースにしたと思われる黒い天機兵を、移動速度で上回るのは当たり前の話で。

 内心、過大評価だとは思いつつも、ナイアスは自分の機体が評価されたことを素直に喜んでいた。管制室では、アイリーンが「当たり前よね」と呟いていたのだが、幸いにもその音声はマイクに拾われなかった。


「以前の私たちでは勝てなかったのも当然ですか」

「勝てなかった……?」


 ナイアスは記憶を探るが、ウェスラート公国の操機手には知己が少ない。

 試合の待ち時間で話題にした、騎士団出身の人間を除けば、他には大戦以前の競技試合で出会った、幾人かと面識がある程度だった。

 しかし、操機手だけではなく、天機兵のチームメンバーまで視野に入れれば、知り合いではなくても一方的に知られている率は高まる。

 そういう関係かなと思いながら、ナイアスは剣を構えなおす。

 天機兵による競技試合では、対戦中に操機手同士の会話が発生することはままあるが、戦闘を行わずにいつまでも会話を続けているようでは、客の空気を盛り下げてしまう。

 プロとして根付いた習慣が、自然に会話の終了を選ばせたのである。

 対戦相手のイリスは、それに応えるように剣と盾を持ち上げる。

 が、彼女は再び自機の足を動かし始める前に、ひとつ語りかけてきた。


「しかし、機体の性能差で勝敗が分かれるのでは、私たちとしても好ましくありません」


 ——どういうことだ?

 会話よりも操縦に意識が向いていたナイアスは、頭の中で問いかけるが、当然、答えはない。そこに、イリスは、さらに不可解な言葉を発してきた。


「少し性能を調整していきます。貴方の真価を見せてください」


 そして、黒い天機兵が動き始める。

 単純な斬りかかりと見たナイアスは、迎え撃つように大剣を持ち上げ——

 先ほどの二割増しほどの速度で接近してきた敵機の長剣をかろうじて受け止めた。


「っ?」

「まだまだ、これからです」


 思わず漏れた驚きの声に、イリスはあくまで平静に返した。

 二度目の剣戟が始まった。

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