第四章 その正体

第30話

 ナイアスは、その少女の名前を半信半疑で口にする。


「——イリス?」


 帝国の天機兵ナハティガルによく似た、黒い天機兵。その操縦席に座っていたのは、長い黒髪の少女だった。

 ナイアスとリズが、それぞれ学内と街角で。また、この博覧会の屋台の側でも出会った、まだうら若い少女である。

 まじまじと見つめているうちに、黒い天機兵の一度開放された前面装甲は、再び音を立てて閉まっていく。

 それでも、目の前の光景を信じられないまま、ナイアスが呆けていると。


「先生。ひとまず操縦席を密閉してください」

「あ、ああ……」


 リズからの通信に頷いて、ナイアスはパネルを操作する。

 機体自体に慣れていなくても、何百回と過去に繰り返した操作のはずだが、どこか現実感が乏しい。そう感じながら、ナイアスは機体内のマイクを通じて、管制室にいるリズに話しかける。


「リズ、見たよな? あれは……イリス、だったよな?」

「はい……望遠鏡で確かに確認しました。私も驚いています」


 リズの反応はしっかりしていたが、それでも戸惑いの雰囲気はあった。


「ねえちょっと、一体なんなの?」


 一方、別の意味で困惑を見せたのはアイリーンだった。


「それが……」


 リズが手短に経緯を説明する。

 そのやりとりをナイアスは耳にしながらも、対戦相手がイリスであることが未だ信じられずにいた。夢でも見ているのではないか、そんなふうに思ってしまう。

 しかし。


「……へえ……すごい偶然だけど……別に驚くようなことかしら?」

「アイリ?」


 ナイアスは驚きの声を上げる。


「不思議かしら? なんだかんだでシレーネ共和国の王立秘術技師養成大学は、大陸でも上位に入る秘術技師の育成機関よ? ウェスラート公国から留学に来ていてもおかしくはないわ」


 ところが、アイリーンの説明を聞いてみると、なるほどと思わせられた。


「……そうか。それは……ありえるか」

「言われてみれば……」


 リズも首肯するかのような声を届けてくる。

 予想外のことに驚きはしたものの、確かに、可能性としてはありえない話ではない。むしろ、自然な結論だとも言える。


「勝手に驚きすぎたか……ん?」


 自分を納得させるように呟いたナイアスは、モニターの右下隅に表示されたマークに気付いた。


「これは……秘匿通信プライベートトーク? 誰からだ?」

「私じゃありません。イリスさんから……ですかね?」


 ナイアスの呟きを聞きとがめて、リズが反応した。

 天機兵は天機兵同士で通信が可能であるが、その通信の種類には大きく分けて二種類のものがあった。一つは、通信出力が許す距離なら誰彼の区別なく情報を発信する公開通信パブリックトークで、もう一つは一対一のやりとりのための秘匿通信プライベートトークだ。

 さらに、チーム内のメンバーにのみ流すための範囲通信グループトークもあるのだが、これは秘匿通信の一種、というか応用で、複数の機体を繋げている状態を指すものだった。

 現在、ナイアスのシャープ・エッジは管制室と秘匿通信を行っている状況なので、この状態で不明の相手先から要求されている秘匿通信を受けると、この三者が接続されて、音声のやりとりが相互に行われることになる。


「出てみる」


 ためらいはしたものの、ナイアスは通信を受けることにした。

 一度そうと決めたら、操作はほぼ無意識に行える。

 通信が確立するまでの一瞬のタイムラグを経て、三者が同時に通話状態になる。と、早速、誰だか不明だった相手が、その正体を自身の声で明らかにした。


「また会いましたね、ナイアス」

「……イリス。やっぱりお前か」


 このタイミングでの通信だ。

 相手の予想はしていたが、声を聞いてようやく実感するものもあった。


「まさか、大会に出場予定だったとは。……驚いたぞ?」


 感じた驚きをそのまま伝えると、イリスは淡々と反応した。


「そうですか。ですが……、私こそ驚いていたのです。私は、当然、貴方がこの大会へ出場する予定だと考えていましたので。まさか、代理出場だとは」

「……? それは、どうしてだ?」


 ナイアスが首をひねる。


「貴方と出会ったばかりのときには気付きませんでしたが……ナイアス、貴方は先の大戦の英雄その人ですよね?」


 問いかけだが、確信をもった口ぶりで、イリスが言った。


「あー……」


 ナイアスは呻いた。

 指摘は正しいのだが、自分で「俺は英雄だ」と肯定するのには若干抵抗があった。なんだか照れくさい、という当たり前の感覚だ。


「——そうですよ、先生はあの時の英雄です」


 そこに割り込んだのは管制室から通信をする、リズだった。

 思わず口を挟みたくなったナイアスだが、自分で認めるよりは余程マシかと思い直して、黙り込む。


「その声は、たしか……リズさん、ですね?」

「はい。イリスさんはウェスラート公国の方だったのですか」


 思い返せば、二度の出会いのどちらでも、リズは自己紹介をしていない。

 リーズレットという略さないフルネームを、イリスが知らないのは当然だった。


「……ええ、そのようなものです」


 リズの問いかけに、イリスは言葉を濁すようにして応じた。

 そこに疑問を覚えたリズが、再び口を開こうとするが、イリスがそれに先んじて、ナイアスに向けた言葉を発する。


「ナイアス。私たちにとっても忘れられない先の大戦——あのときの英雄と、こうして矛先を交えることができるのは……大変、意義深いことです」

「あー……そう期待されても困るんだが……」


 今度はナイアスが言葉を濁した。

 ——あのときと、今の自分には決定的な違いがある。

 その理由——天機兵同士の戦闘によって誘発される発作、については語りたくないが、彼女の期待に応えられないことだけはハッキリと告げる。


「そうですか? いずれにせよ、期待外れに終わることはないと思いますが……ともあれ、そろそろ試合開始ですね。勇戦を——望みます」

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