第26話
「ちくしょう、なんでこうなった……」
同じ日の夜。
ナイアスがいま居るのは、シャープ・エッジの操縦席だった。
結局、操機手の変更に同意せざるを得ず、そうなると今度は新しい操機手であるナイアスに合わせた機体の調整が必要になる。試合は明日の午後。夜通しの設定変更が必要になってしまうのは当然の流れだった。
「うう……眠ぃ」
リズ向けのセッティングのままで試合に出てしまうか、とも一瞬思ったのだが、流石にナイアスの操機手と設計士の双方の立場からくるプライドがそれを許さなかった。
とはいえ、押し寄せる眠気には勝てない。
操縦席のシートに座ったまま、いつしかナイアスは眠り込んでいた。
* * *
四方のいずれにも、生きて動いている味方機はいない。
魔族の将と思われる敵個体の撃破には成功した。通常、この場合、敵の軍勢は動きを止め停止するのだが……今回は、敵の動きが止まらなかった。いや、一度は停止したのだが。
敵はごく僅かな時間で、再び活動を再開したのだ。
それは——いままでに例のない現象だった。
敵の行動が停止したと油断をしていた仲間の数人が、不意打ち気味にやられ、その後、混乱する状況の中で、ナイアスは再び仲間と切り離されるに至ったのだ。
近隣の味方機への通信を行うものの、応答はない。
元より敵の軍勢は、ナイアスたちの決死隊と比較すれば、圧倒的多数。
各個撃破を余儀なくされたと思うのが自然だった。
「……やれやれじゃ。四面楚歌とはまさにこのことよな」
日頃は、常に余裕の風を吹かせているアリスの声も、いまは精彩を欠いている。
それもそのはず。ナイアスの操る機体には、致命的と言える損害はまだないものの、全身が大小様々な傷で覆われていた。
あと一撃で、稼働可能域を超える損傷になりうる箇所が数多ある。
そして——
「駄目だ、敵さんに逃がしてくれる気はまったくなさそうだ」
包囲のもっとも内側の敵は、先ほど一掃した。だが、魔族の群れは十重二十重にナイアスの機体を取り囲んでいる。そして、遠巻きにこちらの様子を窺っている個体の中に、ひときわ巨大な魔族がいた。
「なあ、アリス。あいつがやっぱり……」
「じゃろうな、指揮個体の引き継ぎによる作戦継続を行ったのであろう。通常、連中の群れに、複数の指揮個体が存在するのは稀じゃが……長い闘争の果てに、自己学習したか」
アリスがスピーカーを通して発声する単語の半分以上は、ナイアスには正確な意味が分からなかったが、概要は理解して、なるほどと頷いた。
「じゃあ……。もし、あいつを倒せれば、こいつらは止まるかな? それとも、また同じように別の将が出てくるのか?」
「さて……今の状況では確実なことは言えぬが、三体目の指揮個体がおる可能性は低いじゃろうて。とはいってもじゃ。これからやつを滅ぼすのは、いささか無謀にすぎるであろう」
アリスの評価は冷静だった。
その新しい将とみられる魔族までの距離は遠い。到達するまでに斬り倒さなければならない配下の魔族の数は、ざっと百はあるだろう。道中で取り付かれれば、同胞を巻き込むのを厭わない魔族の性質を考えると、振り払うまでに致命的な損傷を受けるのは間違いない。
そもそも、機体の損傷がゼロであったとしても、味方機がいなければかなり難しい状況だ。
「とはいえ、他に選択肢があるわけでもなし」
ナイアスはそういって、機体を進めようと操縦桿を握り直した。
これから将を滅ぼすことに成功して、生還できる可能性は万に一つもない。それは理解しているが、諦めるのをよしとしたくはなかった。そう考えるのは、これまで共に戦ってきた戦友……その多くがもはや還らぬ人となってしまったが、彼らへの義理を果たしたいという想いによるものだ。
逆に言えば、もはや、それしかナイアスが抵抗する理由は残っていない。
そんな絶望的な状況だった。
「いや……ひとつ、ある」
「なんだって?」
ナイアスは聞き返した。
「選択肢の話じゃよ」
「なにか、手があるのか? この状況をひっくり返すようなやつが?」
「……そこまで都合のよいものがあるわけはなかろう」
呆れ混じりの声がスピーカーから流れ出る。
「それもそうか。まあいいや、希望があるならそれで行こう」
アリスの言う、選択肢とやらの内容を聞くより前に、ナイアスは同意した。
「ふっ……」
微苦笑の気配が漂ってくるが、それは一瞬のことで、アリスは矢継ぎ早に指示を飛ばし始めた。
「近づく必要はやっぱりあるのかよ……」
「贅沢を言えた状況か。続けるぞ。右サイドパネルの下の……そう、そのスイッチをトリガーにする。タイミングは吾が指示するから、しばし待つのじゃ」
「おう……ところで、何をするか教えてくれてもいいと思うんだが」
ナイアスは少しでも敵との衝突を減らせるコースで機体を走らせながら、そんなふうに問いかけた。だが、
「接近警報。右の後方。移動速度が速いからあと五秒で接敵するぞ。回避を推奨するのじゃ」
「いや、ここは——」
状況がそんな悠長なやりとりを許さない。
接近してきた魔族一体に、ナイアスは剣を突き出した。アリスの指示とは違うが、単純な回避だけではすぐにまた追いつかれると踏んでいた。
「喰らえっ……と見せかけて、こうだっ」
長剣の刺突はあくまでも牽制、本命は敵の意識を剣に惹きつけた上での、下肢への蹴り技だ。魔族の形状は様々だが、目の前の狐頭のように、人型を取っている個体は、脚部を砕くと動けなくなる。
狙いは正しく、敵はその場でくずおれた。それを認識したナイアスは、二度顧みることはせずに方向転換して魔族の将に向けて駆け出す。
そこには敵が固まって存在していて、突っ切るのは難しそうだった。
「できる限り近づけばいいって言ってたけど、後どれぐらい?」
「最善を尽くすがよい」
「んな感じで言われても困るんだが……。本当に信じていいんだよな?」
どう考えてもこれは特攻ではないのかと思う、ナイアス。敵の中心に近づけば近づくほど、離脱は難しくなる。もちろん、元々不可能なものが、よりいっそうの無理難題になるだけの違いだが。ナイアスがそんなことを考えながら機体を動かしていると。
前方を見るためのモニターの、地面に赤い円が一つ描かれた。
「……ナイアス。あそこが目的地点じゃ。そこに達したら、さきほどのスイッチを押すのじゃ」
「厳しいな……でもまあ、辿り着くだけならなんとかなるか」
ナイアスは不敵に笑う。
そこから、操縦席での余計な会話はなくなった。
敵の接近警報と、それに対する最低限の受け答えを除けば、無言。ぎりぎりの状況が、戦闘に関わらない会話を削ぎ落としたのだ。
そして、時間にしてしまえば、二・三分程度の。
体感では二十分以上と感じるような、密度の濃厚な時間が流れて。
——よし、見えた!
ナイアスの心に、到達への確信が生まれる。
そして、機体をその目標の地点に跳び込ませると同時に、スイッチを押した、その時。
「——ナイアス。吾は楽しかった。これで、お別れじゃ」
そんな、別れのメッセージにしてはあまりに短い一言が耳に入ると同時に。
座席の下から、爆発的な衝撃がやってきた。
それが、機体の操縦席を切り離して、操機手を戦場から離脱させるための仕組みによるものだと、理解する暇も無く。
ナイアスは、意識を失った。
視界がブラックアウトする寸前で、最後に見えていたのは、自分が伸ばした腕だった。
魔族の将もろとも自爆した、アリスの機体が放つ白光に包まれる中。
たぶん、その腕が掴もうとしたのは——
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