第三章 汎大陸天機兵博覧会

第20話

 ぽん、ぽぽん。

 どこかユーモラスな音が、春の澄み切った大気を震わせる。

 少し遅れて、色とりどりの風船が、空へと舞い上がっていく。人々の歓声。今回の祭典のために作られた物見台や、元からこの街に存在する塔や外壁の上から、刻んだ紙片が投じられて、花びらのように街を彩る。

 汎大陸博覧会の初日の光景だった。


「綺麗ですね」


 いつもより少しだけ着飾ったリズ。しかし、王族の正体を隠すための眼鏡はそのままだ。


「こういうお祭りごとには慣れているんじゃないの?」

「それはそうですけど……」


 アイリーンが意地悪げに応じると、リズが不満そうになる。

 その年相応の表情に、ナイアスは思わず噴き出しそうになったが、こらえた。


「まあ、祭りはいいもんだよな、リズ」

「はい!」


 ナイアスが水を向けると、リズはこっくりと頷く。


「そりゃあ、出展の予定もある、あなた達は楽しいわよね……」


 一方のアイリーンは気怠げな様子だった。

 気になったナイアスが問いかける。


「アイリはこの手の催しはあんまり好きじゃないのか?」

「博覧会そのものは嫌いってわけじゃないんだけどね……今年は工房同士の内輪でやるパーティーに参加しないわけにもいかないのよ……前回みたいに遠くでやってる分には言い訳できていいんだけど」

「ああ、家の関係か……」


 アイリーンは、天機兵の工房では間違いなく大手と言えるリッテンベルク家の長女だ。なんらかのしがらみがあっても不思議ではない。


「リズのところはそういうのないのか?」

「ないわけでもないですけど……」


 王国時代であれば、みっちりと予定が入っていたが、共和国化した今では王家はあくまでもお飾り的な立場。王女の臨席まで必要なイベントは多くない。

 との説明を聞いて、ナイアスはそんなものかと頷く。


「立場があると色々大変だなぁ……」

「貴方ね……他人事みたいに言ってるけど、大学の親睦パーティもあるわよ?」


 呆れ顔のアイリに、ナイアスは首を傾げた。


「……呼ばれていないんだが」

「そんなわけないじゃない……あ、もしかして貴方、また書類の処理をサボってるでしょ」


 出席の確認が来ていたはずだと言われて、ナイアスはデスクに押し込んだ封筒の束のことをちらりと考えた。あの中に入っていたか?


「あー……リズ?」


 最近、研究室宛に届く書類はリズに整理してもらっている。

 回覧文書や手紙の類の封を開け、内容をざっと確認して、ナイアスが見るべきものだけを回すという流れだ。中には、本来学生が目を通すべきものではないような書類もあるはずなのだが、ナイアスはその辺に頓着せずに、一切をリズに確認してもらっている。

 整理せずに積み上がるままに任せていた頃と比較すれば、書類の提出遅れが減った分——流石に書類の代筆まではあまりさせてないので、ただ減っただけだが——みんなが喜んでいるはずだとナイアスは思う。

 そういう事情で、記憶にない出欠確認のことをリズに聞いたが、アイリーンが口を挟んだ。


「招待状なら家のほうに届いているんじゃないかしら。私はそうだったもの」

「先生……ご自宅でも手紙を溜め込んでいらっしゃるんですか?」


 続くリズの非難混じりの視線。


「ま、まあ、どうせ欠席するつもりだったし」


 アイリーンのこれ見よがしなため息には気付かないふりで対応。


「それより、折角の祭りなんだからなんか見て回ろうぜ!」


 ナイアスは、ことさらに明るい声で主張する。

 それに、女性陣は互いの様子を窺うような、意味深な視線をしばらく交えてから、


「それはそうね。じゃあ、」

「みんなで一緒にいきましょうか……」


 なぜか重ねての深いため息。


「んん……どうかしたか?」


 意味が分からず、ナイアスが問いかけても。


「いえ、なんでもありません」

「気にしなくていいわよ」


 その理由は明らかにしない。


「そうか? ならいいけど。……で、どこにいく? 市庁舎前の通りでは天機兵のパレードをやるらしいけど、大会や展示会に出てくる機体のお披露目はやらないから——旧市街の噴水前広場でのバザーとか、新市街の中央通りでの屋台出店なんかはどうだ?」


 記憶している催しを二、三挙げてみるナイアス。


「そうね……少しお腹が空いてるから、とりあえず何か食べたいわ」

「じゃあ、新市街ですかね?」


 アイリの要望に、リズがそう反応するが、ナイアスはさらに情報を提供する。


「屋台以外にも、歓楽街では利き酒大会をやるらしいし、街道からの宿屋が並んでる辺りではレストランが記念料理とか出すらしいぞ」

「先生……ずいぶん詳しいですね」

「祭りのパンフレットに書いてあった」


 なんてことはない、と言うナイアスに、


「似合わないマメさだわ……かなり意外なんだけど」


 アイリーンが不審そうな目つきをする。

 ナイアスは、失礼な、と鼻を鳴らして、


「いやー、折角の博覧会だからな、そりゃ調べもするっての。ま、どこに行くにしてもこっちだな。ほら、行くぞ」


 先導するように歩き出す。

 遅れて、その後に付き従い始めた二人が、そっと囁き合う。


「なんだか、テンションがおかしいわね……やけに機嫌がいいみたい」

「やっぱり出展の関係で嬉しいんですかね……?」

「そうかしら? どちらかというと……」


 ナイアスは振り返ると、


「おおい、人出が多いんだから、離れてるとはぐれるぞー」


 笑顔で二人に呼びかけた。

 それを見たアイリーンは、リズに耳打ちする。


「なんか嫌なことでもあって、無理して明るく振る舞ってる感じ」


 アイリーンの推測は当たっていた。

 実際には「嫌なこと」は新たな出来事ではなく、過去の記憶によるものだったが——

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