第18話

 この、シレーネ共和国の旧王都には、公営の大きな病院がある。

 かつては王立病院と呼ばれていたそれは、その名の通り、王家の名の下に運営されていたものだ。共和国化してからは、運営費の負担の問題もあって、国立病院と名を変えていたが。

 その受付に、リズは立っている。

 行き倒れの少女があの後どうなったのかが気になったので、再び足を運ぶことにしたのだ。

 伏せっているナイアスを置いていくのは少し不安だった。顔色が悪く、まだ若干の体調不良が残っているように見えたのだが、彼は眠れば治ると主張した。

 付き添いを申し出たが、眠る邪魔になると言われてしまった。

 人がいると気になるという言い分はもっとものところがあり、仕方が無いとは思う。けれど……最後のアルフレックとのやりとりには、二人の間になにがしかの関係があるように見えた。その辺りを聞いてみたかったのだが——


「あの……どうかしましたか?」

「あ、いえ、すみません。ちょっと考えごとを……すみません」


 リズに呼びかけたのは、受付をやっていた男性だった。

 例の行き倒れの少女を、ここに馬車で送り届けたときも彼が対応してくれた。だから、リズの訪問目的を伝えるにも、話が早かった。

 リズが問いかけるとすぐに帳面を確認し始めて——その回答が戻ってくるときに、リズはあらぬことを考えて、心ここにあらずになっていたのである。


「ええと、それで?」


 照れ隠しの意味もあり、口早に問う。男は気にした風もなく。


「あの患者さんですけど、退院になっていますね」

「退院……ですか。じゃあ、悪いところはなかったんですか?」

「んんー……。だと思いますけどねぇ、その辺まではここではなんとも……っと。診察したのはリシス先生か……午後二までだな……なら少しぐらいいいか。ええと、もし必要でしたら、担当した先生に話を聞いてみますか?」

「……ええ、お願いします」


 ここまで来たら、乗りかかった船だろう。そう思ったリズは、こちらに微笑みかける受付の男に頷いた。


「じゃあ……少し待っててください、連絡取りますから」


   * * *


「いや、あの娘だったら、目を離した隙にいなくなったのだよ」

「——え?」


 さほど待つこともなく通された診察室で、リズは、行き倒れの少女の診察を担当した医師——少女を連れてきたときにリズとも面識が出来ていた——にそう言われて、目を丸くした。


「勝手に出て行った……ということですか?」

「その通り。そこの寝台に寝かせていたんだが、席を外して戻ってきたら、もういなかった」

「はあ……」


 呆然とするしかない。

 確かに、病院に来た段階では、そう悪いところはなさそうだったが……。

 いなくなる理由は思いつかない。


「ここの病院は王立の頃からの伝統で、診察は無料なんだがねぇ……」


 理解出来ずに首をひねっていたリズの前で、白ひげの医師は、そう続けた。最初、発言の意図がよく分からないままに相づちを打とうとしたリズは、ふと気付いた。


「あ、もしかして……支払いを気にして?」

「この国の者ならば、ここが無料だと言うことはだいたい知っているものだが、彼女の大陸語には王国訛りがなかったからね」

「ああ……」


 言われてみれば。表現のおかしさも感じたが、訛りの有無も違和感の要因だったろうか。


「ところで、王女殿下は彼女とはどういう御関係で?」

「いえ、最初に説明しました通り、私は彼女が道に倒れていたのを偶然見つけて、それでここに連れてきただけです……って」


 事情を再度口にしてから、リズは対面する、医師が微笑んでいるのに気付いた。


「どうして私が王女だと……?」


 初老の彼は顎から伸びた髭をしごいてリズの疑問に答えた。


「医師としての観察眼です、と言えれば格好がいいのですが。いや、種明かしをしますと、貴方がまだ小さい頃にお目にかかったことがあるのですよ」

「そうでしたか……すみません、私、覚えていなくて」

「ははは、それは無理もありません。まだ貴方がこれぐらいの頃ですから」


 椅子に座っている医師が、自分の胸ぐらいの高さを示す。


「ああ……」


 それなら記憶していないのも納得だ。まだ十になるかどうかの頃だろう。


「話が逸れましたな。では、彼女とは特に関わりがないと……ふうむ」

「はい。……何か気になることでも?」

「ああ、いえ。さきほど状況はお伺いしましたが、診察してみたところ……」


 初老の医師は言葉を探して、視線を虚空に彷徨わせた。


「脈や呼吸を診た程度ですが、一見したところは健康体でしたが……ただちょっと……なんと言いますかなあ」

「……?」


 リズは首を傾げた。倒れていたのに、健康だったというのは別に構わない。

 彼女が自称していた通りなら、原因は空腹なのだから、そういう見立てでもおかしいことはないと思える。


「健康すぎる……気がしたのですがね。血色もよかったですし……。とても倒れていたようには見えませんで……ここからは、余計な疑いになってしまいますが」

「はあ……」


 言いにくそうに切り出す医師に、リズは曖昧に頷いた。

 何を言おうとしているのかとリズが考えたとき、医師は続ける。


「ひょっとすると、殿下が何者か知っていて、なにかよからぬ企てを考えていたのではないか……と、そんなことを思ってしまいましてね」


 そんなふうに疑念を抱いた自分を自重しているような苦笑とともに。

 思わぬことを言われて、リズは一瞬固まった。

 そして、少し前の出来事を思い返してみたのだが……。


「ええと……そんな様子はなかったと思います。それに、今の私は……ただの学生ですから……」

「いや、変な話をしてしまいました、忘れてください。まあ、ちょっと奇妙に思えたというだけの話ですし。貴方が連れてきたのでなければ、あるいは私が貴方のことを存じあげなければ、気にもならなかったと思いますよ」

「はい。……その、お気遣い、ありがとうございます」


 少女に対しては礼を失している疑心ではあったが、リズはその初老の医師が自分のことを心配してくれていることを慮って、そう言って頷いた。

 

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