第16話

 魔族の抵抗は当初予想されたほどではなかった。

 人類未踏領域に逆襲するという作戦計画が立案されたとき、現場の兵からはその目標を疑問視する声が複数上がっていた。

 二十年の沈黙を破り、不意に進撃してきた魔族。それを、諸外国の力を借りつつもシレーネ王国の国境と人類未踏領域が接するラインまで押し返すことに成功した。

 緒戦では押し込まれ、戦場となったシレーネ王国の南部では、大きな損害を出した地域もある。とはいえ、被害の大半はシレーネ王国を初めとする西方諸国の周縁国である数カ国に限定され、大国であるフレルハイム帝国や、西方諸国への天機兵供給の生命線たる西方中央教会までは被害が及んでいない。

 つまり、人類全体でみれば——今回の魔族の侵攻については、防衛線での防御に成功し、戦いは終始優勢であった、と言えるのだ。

 しかし。

 人類側の領域を超えて、魔族の領域に攻め込むとなると、そう簡単にはいかないのではないか?

 実のところ、これは現場の兵だけでなく、シレーネ王国の軍上層部でも同様に考えられていたのだが。西方大陸の諸国による対魔族同盟内での政治の力学が働き、勝利を確定づけるための逆侵攻が必要だと判断されたのである。

 今後いつ起きるとも知れない魔族の侵攻を防衛し続けるための体制を維持することにも諸々の問題があったので、こちらが優勢にあると思われる状況での軍事判断としては妥当な面もあったが。

 いずれにしても、そのような背景で、シレーネ王国の天機兵部隊を主力とする、諸国の連合軍は人類未踏領域に逆進撃を開始したのであった。

 二十歳にもまだ遠い当時のナイアスと、彼が操る機体もその連合軍に参加していた……。


 * * *


 一見、平穏そうな森を天機兵で移動しながら、ナイアスは呟いた。


「……人類未踏領域といっても、結局何も変わり映えしないなぁ……」

「——紫色の木でも生えていると思ったのかの?」


 からかうような調子の声が、機体内のスピーカーから流れてくる。


「そういうわけじゃないけどさ、何も変わらないってのは予想外だった」

「所詮は同じ大陸の中での話じゃ、それも人類が勝手に決めた線をちょっとばかし越えただけではの。違いがあるはずもなかろう」

「ちょっとばかしと言っても、もう三日目だからな、そこそこは移動したはずだろ」

「徒歩の兵も連れての、三日程度の行軍でどれだけの距離を歩いたと思っておるのか。一月程度も旅してから言うがよいさ」


 ふふん、と鼻で笑うような声をスピーカーが再現する。

 天機兵の古代心核に宿る意識であるアリスが時々……いや、いつものように見せる高飛車さと、口やかましさには閉口しているナイアスだが、彼女の声を止めることに成功したことはない。全てのスピーカーの音量をゼロにしても、無駄なのだった。

 なんでも音声は振動から作り出せるとかなんとかで、スピーカーがなくても彼女は喋ることを止めないのだ。


「一月ってなぁ……これまでの襲撃の頻度からしても、そんなに移動出来るとは思えないな……」

「日に二度三度は、魔族の奴儕やつばらと遭遇しておるものな。まあ、我々が斥候部隊である関係もあろう」

「まあなぁ、本隊の連中はまだ敵と遭遇してないんじゃないかな……詳しいことは分からないけど」

「下っ端の辛さよな」


 再びの含み笑い。だが、アリスの言うことに違いはなかった。ナイアスは本隊より先行している部隊の一つに所属しているが、部隊の隊長ではない。それどころか、十二機の天機兵からなる部隊を構成する、四機でひとまとまりの最小単位である小隊の隊長ですらない。


「いいんだよ、俺は……。難しいことは隊長に任せて、出てきた魔族のやつをぶっ潰すだけだ」

「やれやれ。若者のくせに向上心に欠けるのぅ……。と、ナイアス。敵じゃ」


 不意の警告。だが、競技用の操機手としてのそこそこ長い経験と、戦争が始まって半ば強制的に正規の軍に組み込まれてからの短い経験とで、ナイアスはその警告に即座に反応した。

 方位と距離と、概算される敵戦力を知ったナイアスは速やかにそちらへ近づく。

 敵は中型魔族一体。古代心核であるアリスを中心に形成された乗機の索敵性能は高い。この程度の距離で誤認はありえない。

 事前に与えられた交戦規定では、いかなる敵であろうとも、近くの味方機を呼び寄せて、二対一で当たるのが望ましいとされている。だが、ナイアスの乗機は単独で近づいていく。

 そうして、森の茂みの向こうに、敵影を視認する。

 と、同時に飛びかかり、抜き打ちの一閃で敵魔族の胴の部分を一刀両断にする。

 まさに鎧袖一触だ。


「反応が消えた。殲滅完了のようじゃ。しかし、手慣れたものじゃの」

「まあ、昨日今日始めたことじゃないしな。それより……」


 ナイアスは機体を操り、剣先で魔族の死体をつつく。


「こいつら、一体どうなってるんだ……魔『族』といっても、形はバラバラだよな」


 その魔族は、黒い人型の形状を取っていた。ただし、そのサイズは人より大きく、天機兵とほぼ同じ程度だ。人間のように細かい顔のパーツがあるわけではなく、頭部には大きな一眼だけが存在している。おとぎ話に出てくる単眼巨人のようでもあるが、口や耳に相当する部位は存在しない。


「……そも、魔族という名は人が付けたもので、彼らの自称ではないからの。人間が自分達に理解出来ない存在を、一つの種族としてまとめているに過ぎぬのだろ」

「ふうん……アリスが話してくれれば、話は早いんだけどな」


 アリスは、ナイアスが生まれる遙か前からこの世界に存在している。

 だから、魔族がいつから存在していて、どこから来た何者なのか、知っていてもおかしくないと思ったナイアスは、以前に尋ねてみたことがあった。だが——


「聞かれればなんでも答えると思ったら大間違いじゃ。そも、吾の知識を全部語っていったら、百年話してもまだ足りぬわ」

「それは遠慮したいけどな……。そういうんじゃなくて、もっとこう……さっくりと? 結論だけ教えてくれればいいんだけど」


 はぁ……。とため息を吐く気配がスピーカーの向こうから聞こえてくる。

 人間ではないアリスが実際に息を吐くことはないのだが、彼女は人間めいた仕草を模倣シミュレートするのが好きなようで、よくこうしてため息を吐くような音を出すのだった。


「たわけ。物事はそんなに単純ではないわ。ナイアス、お前は学究の心に欠けておるぞ。この戦争が終わったら、学び舎に通うことじゃの。そもそも、人にとってなぜ学ぶことが大切かというと——」


 くどくどとした説教を始めたアリスの言葉を聞き流しながら——

 この場面の全てが過去の夢だと、とっくに気付いていたナイアスは、思い出していた。

 これから後——遠征の結果として起こることと、その悲しい結末を。

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