第15話
操縦桿を握るナイアスの手は、汗ばんでいた。
——久々の試合なせいもあるはずだ。
そういう風に自分に言い聞かせて、ナイアスはことさらにゆったりした動作で、シフトレバーを動かし、機体を前に進めた。
自分の設計した機体だ。試験運転なら何度もしている。機体に見合う動かし方なら、リズよりも詳しい。問題ない。
自分の汗でぬるりとする操縦桿にしがみつくようにして、ナイアスは機体を動かす。
シャープ・エッジ——
それがナイアスの設計した機体の名前だ。
装甲を減らして機体重量を下げ、機動性を高めた、いわゆる高機動型の天機兵。過去では珍しくなかったが、最近は——といっても、ナイアスが天機兵に乗り始めるずっと前から、流行りではなくなった機体型だ。
なぜ廃れたかの理由は簡単だ。とにもかくにも、打たれ弱いのである。
威力の高い攻撃を受けたとき、直撃でなくてもやられてしまうことがある機体に、誰が乗りたいと思うのか。そういうことだった。
そして、なぜナイアスがこの機体を作成したかといえば、七年前に戦った魔族の火力が、それまでの想定以上に強大な場合があったからである。
廃れた理由は防御力のなさ。
ナイアスが復活させた理由は、敵の攻撃力が強いから。
一見すれば、単にやられやすくなっただけだと思える話だ。
しかしこれにはまっとうな理由がある。かつての機体は魔族を相手にすることを考えられていなかったから、中途半端な防御力増強をしてしまっていたのだ。
実際、ナイアスが戦った先の戦争では、大半の天機兵の装甲は、魔族の熾烈な攻撃に対抗できず、一撃で紙切れのように破られた。
どうせクリーンヒットの一撃でやられるのなら、動きが鈍くならないだけ、軽装甲の機体のほうが有効なのだった。
先の戦争の戦訓から、戦後に設計された機体の多くでは、さらなる重武装化の方針が採用されている。だが、ナイアスはその逆の発想で機体を設計したのである。
装甲の薄さを操騎手の技能頼みで補うとすると、上級者向けになってしまうが、オプション装備の重装盾と装甲マントで、ある程度の技量不足をカバーすることも視野に入れている。
ただし、予算の関係もあり、今回はオプション装備までは揃えられてはいない。
よって、現在のこの機体は明らかに防御力軽視なコンセプトモデルというところだった。主装備はシンプルな造りの長剣で、こちらも目新しいところはない。それもそのはず、この長剣は、シャープ・エッジ専用ではなく、一般的な天機兵向けに作られた市販品だった。魔族向けに威力重視で製造を依頼した、専用の大剣が試合に間に合わなかったのである。
対峙するのは、レイブンの陸戦仕様。きわめてオーソドックスな機体だ。主武装はこちらも長剣だが、併せて盾を装備している。
国軍制式採用機のレイブンは最新のモデルというわけではないが、実戦で性能を証明されている点はナイアスのシャープ・エッジより明らかな優位点だ。
その、レイブンが繰り出してきた剣の軌道の外側へ、ナイアスが操るシャープ・エッジはやすやすと滑り込んだ。
同時に、反撃の一撃を繰り出すが、これはあえなく盾に防がれる。
「よし……行けそうだな」
想定していた通りの運動性能を発揮するシャープ・エッジに、思わずナイアスはほっと息を吐いた。ちょっと動かしたぐらいで自壊することはないと、リズや自身の試乗で分かってはいたものの、実際に敵機と剣を交えたのはこれが初めてだった。
フットペダルを操作して、ナイアスは機体を後退させる。
天機兵の操作は、基本的には機体の四肢と搭乗者の四肢が対応している。右腕を動かすには右のスロットルを握って操作するし、左足を動かすには左のフットペダルを踏むのである。
しかし、それは大まかに一緒という意味であって、状況によって異なる操作方法を使いわけることになる。
例えば、一定の移動については自動操縦が可能になっている。単に前進するような動作であれば、一歩ずつ四肢の操縦桿を動かさなくてもよいのだ。
ただし、今回の試合のような場合は、それでは動作の精度が追いつかない。
効率的に素早く動かすためには、複雑な操作パネルと、多数のレバーやスロットルを繊細に扱う必要があるのだった。
そして、ナイアスは、天機兵の操縦の第一人者であり、対戦しているレイブンを操縦している誰かは一流の操機手ではなかった。
結果として、機体の機動力だけではない差が生じて、シャープ・エッジの機動にレイブンは対応できていない。いったん距離を取ってから、回り込むように接近するシャープ・エッジの滑らかな動作に対し、レイブンはまごついた動きを見せる。
その一瞬の隙に反応したシャープ・エッジは加速する。
攻撃圏内に到達した瞬間、素早く繰り出された剣が、レイブンの盾の防御をかいくぐって機体の胴を一撃する。
鮮やかなまでの斬撃で、レイブンは致命的な損傷を——負うことはなかった。
これはあくまでも模擬戦。双方が装備している剣は、刃を潰してあるだけでなく、上から緩衝材を撒かれている。代わりに、緩衝材の外側に塗られている赤い塗料が、敵機であるレイブンのボディを汚す。
塗料の付着具合によって、勝敗を判定する方式なのだった。
自身の放った一撃を、試合を決定するクリーンヒットだと思っていたナイアスだが、結果としてそれが大きな隙になった。
有効な斬撃を喰らったあとの天機兵は、実戦であればそのダメージによって動作に支障を来し、即座の反撃は不可能だ。
しかし、模擬戦ではそうではない。遅れて振られたレイブンの剣が、シャープ・エッジの頭部に向かってきた。ナイアスの背筋を戦慄が駆け抜ける。
瞬時の判断というより、反射的な操作でナイアスは回避動作を行う。
ナイアスの操作に応えて、シャープ・エッジはレイブンの苦し紛れの一撃をも、際どくはあったが回避した。
回避したのだが——
「うっ……」
ナイアスの胃の奥から、苦い何かが喉元までこみ上げてくる。
(こんな、ところで……)
嘔吐いたものが口から溢れ出ないように、歯を食いしばる。
しかし、一度始まってしまった発作を止めることはできなかった。
激しく打ち鳴らされる太鼓のような音が、内側から耳を鳴らす。制御不能なほどに高まっている自身の心臓の鼓動だ。息が苦しい。呼吸は繰り返しているのに、酸素が肺に届かない。そんな錯覚に囚われる。ほんの少し前までクリアだった視界も、突然に夜の帳が降りたかのように、暗くなる。
その頃に、機体の操縦席の正面と左右に設置されている、三面のモニターの中央に、レイブンが大写しになっていることに気付いた。
敵が迫っている。危険。すぐに回避を——
操縦桿を掴もうとするが、汗に濡れた手が滑ってしまった。いや、そもそも目測が誤っているのだから、掴めるはずもない。
平衡感覚さえも狂いはじめていたナイアスに出来ることはもはや無かった。
そして、次の瞬間——
* * *
「……あの、これ、一体なにがあったんですか?」
試合会場に遅れて辿り着いたリズが、近くにいたアルフレックの研究室の学生に訊いた。
首を横に振りながら答える彼の言葉を聞きながら、リズは真っ赤な塗料による斬撃線の刻まれたシャープ・エッジが、横倒しになっている光景を呆然と眺めていた。
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