第9話

 同日の、昼下がり。

 ナイアスは、以前に彼女を案内した学食を訪れていた。リズはここにはいない。彼女も日頃は学食を利用しているようだが、いまは講義時間中だから、別の講義に出ているのだろう。

 学生と教官が、食事を一緒にすることは珍しいことではないが、頻繁にあるわけでもない。だから、これが普通なのだった。

 ナイアスが弁当用のバスケットの蓋を開けたとき、対面の席に物も言わず一人の女性が座る。ナイアスの知り合いには、こういう態度を取るのは一人しかいない。同じイェーツ教授に師事する、同僚のアイリーンだ。


「あら、またお弁当なの? サンドイッチ?」


 バスケットの蓋から顔を出した、色とりどりのサンドイッチを見ながら、ナイアスは頷く。

 その前で、彼女はトレイで持ってきた二品——サラダと、焼いた骨付きの鶏肉——のうち、片方のサラダへ、卓上の食塩とビネガーを振りかけていた。


「ああ、そうみたいだな」

「まるで世話女房ねー」


 言いながら、アイリーンは、続いて鶏の肉料理へ塩とスパイスをかけ始めた。


「料理が趣味らしい。王女だった頃は……つっても今も王女なわけだが、料理はやらせて貰えなかったみたいだから、自分で作るのが面白いとかなんとか」

「その話、前も聞いたわ」


 そうだったか、と生返事を返すナイアスの前で、アイリーンはまだ肉に胡椒と唐辛子を振って——いや、盛っている。

 数百年前まで、この大陸ではこれらの香辛料は発見されていなかったので、ひどく高価だったのだが、今は大学生向けの食堂に常設されている。なので、その使いぶりが問題であるとは言えないのだが。


「前にも言ったが……お前の味覚、絶対におかしいぞ。医者に診て貰ったほうがいい」

「これぐらいかけないと、刺激が足りないの。料理は刺激が大事って言うじゃない?」

「聞いたことないな」


 ナイアスは呆れて、首を振る。


「ところで、そんな話で誤魔化そうたって無駄よ。ねえ、あなた、あの子のことどう思ってるの? なかなかに可愛いわよね、家庭的なところもあるみたいだし……」


 アイリーンは眼鏡の下の目を光らせて、ナイアスを睨んだ。

 彼女の調味料中毒ぶり——なかでも特に香辛料系がひどい——の指摘は、過去にも何度かやっているが、このタイミングで話を持ち出したのに、話を逸らす意図がなかったとは言えないのも事実だった。

 ナイアスは首を捻りつつ、答える。


「どう思っているって……弟子は弟子だろ。付属の秘術技師養成校上がりじゃないにしては、優秀だな。少なくとも、俺があれぐらいの年齢だったころよりは、ずいぶん知識がある」

「そりゃまあ、実戦上がりのあなたと比較したらね。って、そういう話じゃないわよ」

「んんー……? って言われてもなあ。家庭的……だったか? 王女のくせに料理をする辺りは、そうだと思うが、それと秘術と何の関係があるんだ?」


 呆れ顔で、アイリーンはため息を吐いた。

 手にしたスパイスの容器をようやく置いて——料理には赤と黒の小山が出来ていた——、


「惚けてるの? いや、本心よね——分かってる。……ところで、こないだの話、そろそろ結論を聞かせて欲しいんだけど」


 テーブルに両肘をついて、ナイアスの研究室での先日の提案を蒸し返した。

 アイリーンの実家の、リッテンベルク家の工房で働く——このまま、向いていない大学で、立場を悪化させていくよりは、いいのかもしれない。ナイアスはそう思った。

 が、その前にやっておきたいことがある。


「今度さ、アレがあるだろ」

「アレって言われても……ああ、アレのことかしら」


 会話に気を取られて——いや、スパイスにより、いとも容易く行われる暴虐行為に気を取られていたナイアスが、ようやくサンドイッチの一切れを取り出した。

 開けたときには気付かなかったが、パンの両面には焦げ目が付けられている。

 一手間かかるホットサンドにしてくれたらしい。中身は、ベーコンと玉子だ。玉子は半熟で、手で持った圧力でとろっとした黄身がはみ出しそうになる。

 学校に来る前に準備したはずだから、冷めてしまっている。だが、春に入ったばかりのこの頃の気候では、冷たく冷え切っているということはない。端から口に運ぶと、カリッとした食感のパンから、小麦とバターの香りが立ちのぼる。

 少し遅れて、ベーコンに絡んだ玉子の黄身の旨味が口の中に溢れる。味付けをしているソースは、ベーコンのやや強い塩味があることを想定してか、若干のマスタードの風味を感じる程度の控えめなものだった。その、僅かにぴりっとした辛み。主張の強い三者のメンバーを、味が薄いが食感が他と異なる玉子の白身や、中のふんわりとしたパンが中和することで、全体にまとまりを出している。


「そう……食のハーモニーだ」


 刺激だけの食事など邪道——それがはっきりと分かる。ナイアスはいま、食の真実を見たのである。


「——え、そんな話してた?」

「あ、いや。汎大陸博覧会な。すまん、ちょっと別のこと考えてた」


 疑問符を顔に浮かべたアイリーンに、ナイアスははっとして、目を瞬かせると、すぐに言い直した。


「その展示会に出してみる予定なんだよ、俺が設計した機体を。去年から準備してたからな。将来どうするにせよ、その結果は見てからにしたいんだよな」


 汎大陸博覧会——

 それは、この大陸の天機兵の関係者が集う、一大祭典である。

 一般人にとっては、特別開催される天機兵のトーナメントが目玉だが、ナイアスのような研究者には併設される展示会も重要になる。ここで優れた機体をお披露目できれば、設計者としての評価を得られるのだった。

 とりわけ、今年は特別だった。汎大陸博覧会は毎年開催されるのだが、その会場は固定されていない。博覧会の参加国のうち、十分な規模を満たす都市を持つ国家が、開催国として名乗りを上げて誘致活動を行い、最終的に参加国全ての投票で会場となる国を決する仕組みになっている。

 そして今年の博覧会はシレーネ共和国にて行われる。

 それも、王立秘術技師養成大学がある、この都市で。

 共和国の会場がここに決まった理由は単純だった。汎大陸博覧会のトーナメント会場に求められる観客の収容能力を持つ闘技場、多数の天機兵を展示することのできる展示会スペース、それに来客のような宿泊会場、飲食店、その他もろもろを開催日までに準備できるのは、この旧王都に限られていたのだ。


「ふうん……。そういうことね。まあ、いいわ。どうせなら、博覧会で名前が売れてる技師に来て貰う、って話になったほうが、うちの父さんを説得しやすいし……」

「虫のいいことを言って悪いな……ん?」


 学食を囲む四方のうち、一方はガラス張りになっている。自然光を採光するとともに、解放感をもたらすための実験的な建築様式だ。先日、リズを連れてきたときにナイアスが彼女を置いて出たのは、この外にあるテラス席の一角だった。

 そこに再び、ナイアスは例の少女——イリスの姿を見つけていた。


「悪い、ちょっと急用だ」


 ナイアスは食べかけのサンドイッチのバスケットに、蓋をかぶせると、何か口を挟まれるより早く、席を立って外に出て行った。

 なんだかよく分からないままに、とり残されたアイリーンは、それとはまったく無関係なことを呟いていた。


「博覧会の展示ねぇ……大丈夫なのかしら。うちの枠の主査は、あのアルフレック先生なんだけど……忘れてないでしょうね」

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