第8話
「……そういうわけで、大陸暦四二七年、人類未踏領域に面していたロンバルド血盟団は、当時としては最先端の秘術技師の調査隊を連れて、発見されたばかりの古代遺跡に向かったわけなんだが——」
学舎の片隅にある、第七講義室で、ナイアスは二十人程度の学生に対して中世期の秘術史を講義していた。
ナイアスが受け持っている講義は週に二つ。学生にとっては任意取得の単位科目の一つで、他の科目で卒業までに必要単位数を満たせるので必ずしも受講しなくてよい講義である。
こういった科目の人気はさまざまだが、もっとも広い第一から第三まである大講堂ではなく、下番の講義室を割り当てられていることと、その講義室ですら疎らにしか席が埋まっていないことからも明らかなように……この講義は不人気だった。
まだ新学期が始まったばかりだからいいものの、これから週を数えるごとに自主休講を決め込む生徒が増えるだろう。
最終的に残るのは十人ほどになるかも知れない。
単位の認定をするのはナイアスだから、そういう厚顔な学生は、容赦なく落第にしてやりたいところだが。
困ったもので、不真面目で基準に満たない学生を厳しく評価すると、学生連中の間で悪い噂が広まってしまうのである。
曰く、ナイアス先生は『優』の評価を付けるのを惜しんでいる。
曰く、ナイアス先生の講義は理由の如何を問わず、一日欠席すると不合格になる。
曰く、ナイアス先生は講義の内容を頻繁に間違えるにも関わらず、学生が試験でミスをすると、誤字脱字の一つでも容赦なく減点する。
等々……。
一旦そういう噂が広まってしまうと、不人気ぶりが加速するのは、火を見るより明らかだ。
なので、ナイアスとしては不満でも耐えるしかないのである。
(ああ、必須科目の講師になって、不真面目な学生を心おきなくいびりたい……)
わりと駄目なことを考えつつ、講義を進めていく。
「——調査隊のリーダーだったリクベント卿が発見したことから、彼の名を冠してリクベント防振機構と呼ばれるようになったこの
「あの、先生」
背後で上がった声に、黒板に板書をしていたナイアスは振り向いた。
最前列に座っている、たった一人の女子学生——金髪をひっつめにして眼鏡を掛けている彼女は言うまでもなく、この春にナイアスの研究室に所属することになったリズだった。
「ん……何かな?」
「さきほどの——発掘されたリクベント防振機構が、当時の他の防振機構より優れていたという点について、少し具体的に教えていただけますでしょうか」
「ああ……どの辺を知りたいのかな」
続くリズの質問は、当時の技術水準をよく理解していることが分かるものだった。
ナイアスは回答しながらも、彼女自身はこの質問の答えもすでに知っているのではないかと思った。
大学の学生指導には、チューターと呼ばれる、学士課程の学生のために学習の助言をする役割が存在する。リズは、他の学生の理解を強化することを意図して、適切な質問を投げかけることで講義を補助してくれているのだ。
「——ありがとうございます。よく分かりました」
ナイアスの説明が終わり、リズがそう返したところで、別の学生の手が上がる。このように、質問を促進する意味でも、堰を切る質問者の存在は重要だ。
そんなことを考えながら、ナイアスは挙手した学生の質問を受けるが——
「あー……えーと、それは、どうだったかな……?」
秘術技師としての資格はあるが、かつてのナイアスは一介の操機手だったに過ぎない。なので、すぐには答えられない質問もあるのだ。
運悪く、あまり把握していない部分を突っ込まれて、ナイアスは口ごもってしまった。
ううむ……とくぐもったうなり声を上げつつ、講義の資料として持ってきた書物の頁を捲るが、その質問への回答は見つからない。
……仕方ない、後日に答えるしかないか。
と思ったところで。
「——現代において、リクベント防振機構の採用率が下がっているのは、素材技術の進展に伴い、空気バネ防振機構でも金属疲労問題を起こすことなく、安価に高い性能を提供することができるからです」
割って入ったのはリズだった。
「……ちょうど先日、予習をしていたら図書館でその資料を拝見しまして。差し出がましいようで、すみません」
その一言は質問への回答ではなく、ナイアスに向けられたものだ。
ナイアスは頭を振ってから笑う。
「いや、別に構わないとも。もしよければ、今後も補足してもらえると助かるな。……さて、君。そういうことらしいから、興味があれば後で調べてみるといいだろう」
もともと教師としての威厳にはこだわりのないナイアスだから、そう質問者に返してから、講義を続けることにした。
実際のところ、このようにリズに補足してもらったのはこれが初めてではない。
先日、リズがナイアスの元に挨拶にやってきてから、三週間。あの時が、ちょうど新年度の始まりだったから、中世秘術史の講義はこれで三回目となるのだが、毎回一〜二度ぐらいはこういう場面があるのだった。
自身の研究業務はともかく、学生向けの講義については、面倒という思いの強いナイアスとしては、準備が不十分でもつつがなく授業を進められるのは喜ばしいことなのだった。
——とまあ、こうして、誰が本来の講師なのか分からないような状況を徐々に作りつつも、ナイアスの今週の講義はゆるゆると進んでいく。
チャイムの音とともに、学生達が一斉に立ち上がった。
めいめいにお喋りを始めて、先ほどまでの静まりかえっていた講義室は、うってかわって喧噪に包まれる。
その、学生達の挙動はいつものことなので、ナイアスは気にせず、講義のために持ってきた資料類をまとめていく。
と、ふと、学生同士のやりとりの一部が耳に届く。
「アルフレック先生の講義が、抽選じゃなかったらなぁ……」
どういう文脈で出てきた言葉かも分からないので、気にする必要もないはずだったのだが、そこで上がった人物の名前に、思わずナイアスは顔をしかめてしまった。
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