第3話
リーズレット・グランディニア・イル・シレーネは記念すべき一歩を踏み出した。
昨年まで通っていた良家の子女向けの学校とは違って、外見からして質実剛健とした造りの校舎は、その内部に入っても最初の印象を大きく違えることはない。
自身が、これまでとは違う場所に来たのだと、実感させられる。
「まずは事務局に行かないといけないのでしたね……」
王立秘術技師養成大学に通い始めるこの日を契機にと、結い上げた髪が、崩れていないかを確認する。大丈夫なはずなのだが、いつもと違う髪型だ。気になってしかたがない。
リーズレットにとって、この大学に進学するのは念願のことだった。
大きくなったら、
当然のように、家族は真に受けなかった。
だが、彼女は本気だった。
天機兵の操機手になるための典型的な方法は、軍に入ることだ。天機兵はコストのかかる兵器で、その操機手はエリートだから、教育期間はそれに相応して長い。
専門学校である操機手養成校に通ってから一般兵として軍に入る方法にしても。士官学校を経由して操機手の育成課程を経て、新人操機手として軍に配属される方法にしても。
少しでも早く乗るのであれば一般兵コースだが、より高度な運用下で、良い機体を乗りこなしたいのであれば、後者の士官コースのほうがよい。
リーズレットは、いずれの道も選ばなかった。
いや、選べなかった。
王女が——色々あって、お飾りの王女となった今でも——軍人になれないわけではない。専制君主制の国だった頃のシレーネ王国においては、王家に連なる人間が軍の高官の地位を占めることは歴史的に珍しいものではなかった。
今のシレーネ共和国では、王家の地位を利用するわけにはいかないから、そう都合良くはならないだろうが、軍属の道が開かれていないわけではない。
なのにそうできなかったのは——単純に、家族の反対に遭ったのである。
士官学校の入学の願書を取り寄せるところまでは行ったのだが、両親のいずれも首を縦には振らなかった。
リーズレットも、抵抗はした。
成長への意欲を語り、子の親の意志からの自由を語り、天機兵への憧れを語り——ときにはへそを曲げたり、頬を膨らませるなどの態度で、両親の翻意を促したのだ。
けれど……娘の天機兵にかける情熱が子供の一時的な憧れではなく、真摯なものだと知ってなお、両親は強く反対したのだった。
確かに、天機兵の操機手はエリートの職ではあるが、同時に恐ろしく危険な仕事であるのは疑いようがない。
とりわけ、近年はその認識が強くなっている。
以前は違っていた。
かつての天機兵は、実戦のための兵器でありながら、どこか形骸化した存在で。
高コストの兵器にはままあることだが、国家間の小競り合いのような小規模な戦においては、費用に効果が見合わないとばかりに、主力たる天機兵は温存されがちになる。
まれに、老朽化した機体が戦場に出てくる程度。
そうでなければ、代表同士の一騎討ちなどの、名誉を重んじた戦いが行われるかだ。
天機兵を用いた大戦争をするようなことになれば、それは世界の終わりだとばかりに。
過去数百年に渡り、その時々の人々の英断とも呼べる判断により、天機兵が本格的に戦争の道具として運用されることは、この大陸ではなくなっていたのである。
——人類の、間では。
例外だったのが魔族との戦だ。
百八十年前の《人魔大戦》において人類の勝利で決したはずの、人類と魔族の争いはしかし、三十年前の再侵攻——《災いの再来》と、それに続く七年前の大攻勢で覆されてしまった。
彼らは人類未踏領域に潜んで仲間を産み増やしている。今この時も、その牙を研いでいるのだ。
いずれまた、闘争が始まる。
具体的な時期は分からなくても、仮にリーズレットが軍人になるとすれば、彼女が現役のうちに魔族の再侵攻があると予測されている。
そして、次なる戦において、人類が魔族に抗するための最精鋭と言えば——それは、やはり天機兵とその操機手になるのだった。
つまり、天機兵を操るということは、最前線での戦闘要員を志願することを意味する。
自分たちの娘が、戦場の最前線で、人間とは相容れぬ生き物と殺し合いをするのを、喜んで見送る親などいない。
先の戦いで戦費がかさんだ王国は、同じ大陸の既に民主化を進めていた諸国からの援助を得るために、王制を廃止する運びになった。その意味では、リーズレットの両親には魔族への恨みがあると言えばある。だが、それは娘の命に替えられるようなものではない。
両親が反対する理由をまとめると、そういうことだった。
——結論から言えば、リーズレットは父母の意を受け入れた。
軍人になることは諦めた。
けれど——天機兵に関わることは譲れなかった。
そこで彼女が選び、両親が認めたもう一つの道が王立秘術技師養成大学への進学だ。
秘術技師——そう呼ばれる人々は、操機手とは異なり、自身で天機兵を操ることはない。
それは、操機手が騎乗する天機兵が本来の性能を出し続けられるように維持することと、時に新しい天機兵を生み出すことに力を注ぐ、職人たちの呼び名だった。
天機兵に関わる役割としては、裏方の仕事となるので、知名度も名声も劣る面はある。
しかし、操機手と比較して安全性ははるかに高い。
試乗中の事故による怪我などの可能性が皆無というわけではないが、本人が戦うわけではないから、戦死などといった事態にはならない。
リーズレットの両親も、彼女がこの道を目指すことについてまでは、反対しなかったのである。
「さて……」
ここに来るまでの道のりを思い返しながら、事務局室の前に辿り着いたリーズレットは、重厚な茶色の木扉を前に、息を吸う。
目的は単純だ。自分の指導教官になる、ナイアスという若手の技師の研究室の場所を尋ねること。
当然、そのような質問はすんなりと受け入れられる……そう、思っていたのだが。
「ナイアス先生? どうして貴方のような方があの穀潰……いえ、えっと……そう、まだ学生指導の経験もない、彼のところに? これって何かの間違いではないかしら……少々お待ちいただけますか、王女殿下」
ドアを潜った先で、現れた受付の女性は、リーズレットの質問に答えずにそんな反応を返してきた。
「はい、よろしくお願いしま……いえ、あの!」
リーズレットは、席を立ちかけた事務員らしき女性を困惑とともに呼び止める。
「……なんでございましょうか?」
「すみません。私、ここにはただの学生で入学していますので……その、『王女殿下』とか、それに今のような言葉遣いは……やめていただけたらな、と……」
先ほどの、自分の指導教官に対する不審な反応については、色々と聞きたいこともあったのだが、まずはそれだけを口にする。
何か粗相でもしでかしたのかとばかりに恐縮していた事務の女性は——
「なるほど。では、そのように」
一転して、微笑みで応じる。
ほうっと一息ついたリーズレットが、勧められるままに腰掛けた椅子で待っていると、間もなく女性は戻ってきた。
部屋の奥で、上司らしき事務員と話していた彼女は、首を傾げながら、
「殿下……じゃなかった、リーズレットさんの指導教官はたしかにナイアス先生のようですね。先生の研究室は三階に登って、一番奥の突き当たりにあります。ご案内しましょうか?」
質問への回答と同時に、道案内を提案してくる。
気づかいはありがたかったが、一介の学生に対する扱いとしては不自然な気がする案内については固辞することに決めて、リーズレットはお礼とともに椅子から立ち上がった。
「もしも——」
踵を返す前にそんな一言が耳に入って、視線を事務員の顔に戻す。
「もしも、ナイアス先生に不満を持たれるようなことがありましたら、ご相談ください」
リーズレットはきょとんして、瞬きをする。
一体、どういうつもりで口にした一言なのか。
……先ほどの奇妙な反応といい、ナイアスという名の人物に何か問題でもあるのか……。
そんなふうに思い始めていたリーズレットに、
「学生の相談ごとに乗るのも事務局の仕事ですからね」
と、事務的な案内をしたまでだという表情で、その女性は補足の言葉を付け足してきたのだった。
* * *
「なんだったのかしら……」
階段を登り終えて、目指す最奥の研究室まで歩みを進めながら、リーズレットは思わずひとりごちる。
初めての場所だ。自分で思い描いていた通りにならないほうが正しい。その認識はリーズレットも当然もっていたのだが、それにしても、さっきのはかなり引っかかる対応だった。
これから向かうナイアスという名の技師は、ここではよっぽど変わった人物として知られているのかもしれない……。
——?
そんなことを考えて、足取りが自然と重くなった矢先、会話のようなやりとりが聞こえてきた。
男女の二つと思われる声の発生源は、リーズレットの進行方向の先からだ。
思わず、リーズレットはその会話に耳を傾ける——
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