第6話 戦争を止めろ。

 キャロルはこの旅、あるいはこの幻覚がもうすぐ終わりに近づいていることを感じていた。偉大な最高神ヴィシュヌに会えばすべてが片付くはずなのだ。

 キャロルは首を振った。そんな簡単なことではないかもしれない。超越した存在に助けを求めるなんて『いかさま』なのではないだろうか。

「まぁ、会えばわかるわね」

 キャロルとガルーダは明るい広間を進んでいった。

 遠くの巨大な玉座にヴィシュヌ神がいた。

 その背後からは光が溢れ、直視するのも畏れ多い最高神に、キャロルは思わずひれ伏しそうになった。実際、ガルーダに背を押されなければそうしていたかもしれなかった。

 やがて声が届く距離まで近づいた。巨大な姿で鎮座していた。四本の腕や、円盤、蓮の花などの持ち物も巨大だった。

 キャロルは、その存在に押しつぶされそうになりながら、必死に誇りを保ちその前に立ち続けた。ヴィシュヌの横にはハヌマーンもいた。励ますような表情をしているように見えた。

 キャロルは視線をあげ、真っ直ぐにヴィシュヌの顔を仰ぎ見た。

 沈黙が続いた。ガルーダも黙ったままだった。

 キャロルは自分の役目が今、来たのだと知った。

「神々の戦いは終わることなく、このままでは天界はすさみ神々自身も滅んでしまいます。

戦いを終わらせる方法があるなら、それをお教えください」

 なんとか、それだけ言い終えて肩で息をした。

「ハヌマーンから話を聞いています」

 辺りに響き渡る、鐘の音のような澄んだ声で話をつづけた。

「この戦いは僅かな霊水アムリタの奪い合いがきっかけです。このアムリタを十分に授けましょう」

 キャロルは眉を寄せた。そんなことが出来るのか。いや、最高神ヴィシュヌなら、どんなことでも可能なのだろう。

何か違和感があった。それが真の解決になるのだろうか。

「アムリタを手に入れるためには、デーヴァ神族とアスラ神族が互いに協力し合わなければなりません。大海にあらゆる種子を入れ用意しましょう。その大海をこのマンダラ山で千年の間、かき混ぜるのです」

 キャロルは自分の口が開いたままなのに気が付いた。千年とか、この山を使うとか、ただの人間でしかないキャロルの理解の範疇を超えていた。

「どうやってかき混ぜるのかしら」

 キャロルはそうつぶやくのが精一杯だった。

「大海に入れたマンダラ山に竜王ヴァースキを巻き付けるのです。その頭と尾をデーヴァ神族とアスラ神族が引っ張り合えば、大海は混ぜ合わされ乳海となり、千年の後、アムリタが手に入るでしょう」

 ヴィシュヌはそれだけ言うと音もなく消え去った。

 最高神との会話はあっけなく終わった。

 キャロルは振り返って、すぐ後ろに控えているガルーダの顔をみた。鷲頭の表情は読みにくかったが、満足気で興奮しているようにも見えた。

「よくやった、キャロル。ヴィシュヌ様が我々にアムリタを与えてくださることになった。さっそく、ヴァルナ様とインドラ様に伝えよう。もう戦う必要はなくなったのだ」

 キャロルは漠然とした疑問を口にすることが出来ず、黙ったままだった。

「キャロル、お前はラーフ様のところに戻り、このことを伝えるのだ。ラーフ様がヴァルナ様にお話しされるだろう。私はこのままインドラ様の元へ向かう。聞いているのか、キャロルよ」

「えぇ、聞いているわ。それで私の役目は終わりね。アパッチの燃料も残っているし帰り道もわかるわ。あなたの方はデーヴァ軍に近づけるの」

「心配はいらぬ。私とインドラ様は友の誓いを立てているのだ。インドラ様はアスラの言葉に耳を傾けずとも、私の言葉はお聞きくださる」

 キャロルとガルーダは広間を戻っていった。ハヌマーンは見送りのつもりか二人の後をついてきたが、その間、ずっとしゃべり続けていた。

「この山を使って海をかき回すのか。それは見てみたいものだ。さぞ、凄烈な眺めだろうて。なぁ、人間の女よ。お前も見たことがなかろう。想像だに出来ぬだろう。ガルーダよ、いかに貴様でもヴィシュヌ様のお力の前にはひれ伏すしかあるまい」

二人ともハヌマーンに返答することなく、黙っていくつもの石柱の間をとおり、出口までたどり着いた。

愛機AH-64Dアパッチは忠実な愛犬のようにじっと主人を待っていた。

「じゃあ、ここからは別行動ね。ヴィシュヌの申し出をインドラもヴァルナも断ることはないだろうからラーフもやっと悩みから解放されるでしょう。じゃあ、鷲頭さんも猿の大将もこれでお別れね。どうせ私はアムリタが出来上がるところは見れないし、もうここにはもどらないでしょうから」

「お前のおかげだ。ラーフ様の思惑どおりだった。我々にはヴィシュヌ様は力は貸さなかったからな」

 キャロルは肩をすくめて見せ、アパッチに向かって歩き出した。ガルーダとハヌマーンの視線を背中に感じていたが、もう振り返らなかった。


 アパッチに近づいたとき、景色がゆがみ、青い壁が現れた。

 視界を塞いだのはラーフ神だった。傷は治り腕も元通りになっていた。

「あら、ちょうど、あなたの話をしていたところよ。戦いは終わらせられるわよ」

 キャロルは見上げていった。

「戦いが、最後の戦いが始まった」

 ラーフの声には悲壮感がただよっていた。

「あなたは本当に心配性ね。もう神々がお互いを傷つけあうことはないの。これからは協力しあうのよ」

 ラーフがしゃがみ込み、顔をキャロルに近づけた。

「そうではないのだ。キャロルよ。お前の、お前たちの戦争のことだ」

「どういうこと?」

「インド軍がパキスタンに向けて核ミサイルを発射した」

 キャロルは想像すらしていなかった事態に絶句した。

「パキスタン軍もただちに報復の核ミサイルを発射したのだ」

 うそだ。そう思ったが、神が嘘をつくはずも間違えるはずもなかった。

「私を人間界に戻して!」

 キャロルは叫んだ。

「今戻っても、お前も死ぬだけだぞ」

 いつの間にかガルーダとハヌマーンも側にいた。

「うるさい、早く、戻して!」ガルーダを睨みつけた。

「キャロルよ、お前のために、一度だけ力を貸してやろう」

 キャロルは涙でラーフの顔もよく見えなかった。

「まだどちらの核弾頭も破裂も着弾もしていない。ガルーダを連れていけ。ガルーダがミサイルを防ぐだろう」

「俺も一緒に行こう」

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