第3話 天界へ……
テントの隙間から入ってくる風に吹かれてブロンドの髪が揺れていた。乱れた髪が何度もキャロルの寝顔を撫で続けていた。
ほのかに明るい光の中でキャロルは目を覚ました。軍服のまま広いテントの中のベッドに寝かされていた。ここがどこでなぜ自分が気を失っていたのか分からなかった。
腰のフォルスターにブローニング・ハイパワーがあることを確認すると、意識がはっきりしてきた。持ち物はブローニングだけだった。腕時計はしていたが止まっていた。ブローニングを取り出し、マガジンに9mmパラベラム弾が装填されていることを確かめると、ベッドから立ち上がった。
まずは状況判断が必要だった。テントの出口に向かおうとした途端、外に人の気配を感じた。
キャロルは入り口の側にしゃがんみこんだ。入って来た人間の後頭部に素早く銃を突きつけるためだった。
しかし、入口の布が捲れ入ってきたのは人間ではなかった。
銃をフォルスターにしまって声を掛けた。
「私に、何かよう?」
それは振り返った。ほんの一メートルたらずの距離に人間の体に鷲頭の獣神ガルーダがいた。長身のキャロルより頭一つ背が高く、真っ赤に光る体をし、翼をもっていた。インドだけでなくタイやインドネシアなど近隣諸国でも崇拝されている聖鳥だった。
猛禽の眼光と鋭い嘴に気圧され、キャロルは後退りし銃を向けてしまいそうだった。だがなんとか恐怖心を抑え込んだ。相手が半神だからといって臆するようではインド軍兵士の名が泣く。
「ついて来い」
ガルーダはそう言って、テントを出て行った。
キャロルはラーフ神たちとの邂逅を思い出した。今はまだ、見知った軍隊生活には戻れないようだった。覚悟を決めて外にでた。
そこは緩やかな起伏のある草原で暖かな光に満たされていた。大小様々なテントが見渡す限り設置されていたが、どれもインド軍の軍幕テントと異なり真っ白だった。キャロルはすぐにここが前線近くの野営地であることを悟った。
左右を見回したがガルーダの姿が見当たらなかった。
「おーい、ワシ頭、どこに行った?」
自分を鼓舞するように軽口を叩いたのも嫌な予感がしたからだった。
予感は的中し、巨大な翼がはためく音がして、両肩をかぎ爪に捕まれ空中に持ち上げられた。肩の痛みは大したことがなかったが、自分で操縦せずに空を飛ぶのは怖かった。
ガルーダに掴まえられ、丘の頂上を目指し、一直線に空を飛んでいった。アパッチなみの速さでグングンと山肌に沿って上昇していく。
頂上付近で一瞬、垂直に持ち上げられると、足元から真下に降下し、神殿の前に降ろされた。神殿と見間違えたが急ごしらえで作られた本営だった。キャロルの横に舞い降りたガルーダが歩いて本営の中に入っていった。キャロルも後に従った。
大本営の中は大型軍用輸送機スーパーハーキュリーズの格納庫よりも広かった。巨大なテーブルや椅子があり、キャロルは自分が小人になってしまったような錯覚を覚えた。
地響きをたててラーフ神が近づいて来た。他の神々は見当たらなかった。
「兵士よ。お前に頼みがあるのだ」
キャロルはラーフの言葉が耳に入らなかった。変わり果てたラーフの姿に愕然としたからだ。全身に傷を覆い、手当てした布には血が滲んでいた。さらに四本の腕の内、左手の一本が失われていた。
偉大なるインド神が傷つき、血を流していた。キャロルが意識を失っている間に戦闘があったのだろうか。神々の戦いが。
キャロルは自分が涙を流していることに気が付かなかった。
「兵士よ、我、頼みを聞いてくれないか」
「どうなのだ、兵士よ」
横に立つガルーダもキャロルに声を掛けた。
キャロルはどう答えればよいか分からなかった。神の頼みを断れるはずもなかったが、自分が神の役に立つとも思えなかった。
「私の名前はキャロル。キャロル・アシェム大尉」
そう答えるのがやっとだった。
それをラーフは承諾の返事と受け取ったようだった。
「キャロル・アシェム大尉よ。私は戦線を離れる訳にはいかないのだ。そして私では駄目なのだ。中立な存在でなければ」
キャロルはインド軍兵士の自分が中立だとは思えず、黙ったままラーフを見つめ続けていた。そして頼みを聞いてからでは断れないだろうと思った。その頼みがどんなものであってもだ。断るなら頼みを聞かされる前の今しかない。
「キャロルよ、承諾してくれ。このラーフ様の姿を見てもなんとも思わないのか」
「一体、どうしたの?」
キャロルは、話に入って来た隣の鷲頭に尋ねた。
「ラーフ様は戦闘中の前線に降り立ち、休戦を呼びかけ続けたのだ。一切の抵抗もせずに。しかしデーヴァ神族は戦いを止めるどころか、ラーフ様に攻撃を集中させたのだ」
「そして、あなたが助け出したって訳だね」
「そうだ。ガルーダが私を助けるために、デーヴァ神たちを次々に打ち倒したのだ。そのため、もう休戦の交渉はできなくなってしまったのだ」
頭上からラーフ神の声がした。命を助けてもらったガルーダを責めているように聞こえた。
「そのまま、ガルーダにデーヴァ神たちを倒してもらったら? 戦争を止める確実な方法は相手をせん滅することじゃないの?」
キャロルは思い出した。ガルーダは神々を打ち倒すほど強い存在だったはずだ。デーヴァ神族の王、雷神インドラの雷撃をものともせずに互角に戦えるはずだった。
「兵士よ。我々、アスラとデーヴァたちの戦いは千年の長きにわたるのだ。互いに相手を打ち倒そうとして、ただひたすらに傷つけ合い殺し合っているのだ。そして、この戦いはまるで終わりがないのだ」
「そもそも、何の争いなの? どうして神々が戦うことになったの?」
キャロルは尋ねた瞬間に自分の浅はかさを嘆いた。なんて馬鹿な質問をしてしまったのか。神であろうが人間であろうが戦争の理由は決まっている。光の神族デーヴァと闇の神族アスラの戦いも、インド軍とパキスタン軍の戦争と同じ理由で始まったに違いないのだ。
「私も、それが知りたいのだ。それが分かれば戦いを止めることが出来るはずなのだ」
「えっ? 知らないの?」
「いや、キャロルよ。ラーフ様がおっしゃりたいことはそうではないのだ。元々の原因はアムリタなのだ」
アムリタ。不老不死が得られる霊水。
人間は金や富を奪い合って戦う。神々が奪い合うのはアムリタなのだ。戦争とはそういうものだ。インドラたちデーヴァが手に入れれば呪いも解け、力が復活する。アスラが手に入れれば不老不死となる。
ガルーダの説明は続いた。
「なぜ殺し合う代わりにアムリタを分け合うことが出来ないのだろうか。なぜ自分たちだけのものにしようとするのだろうか」
そんなの分かり切ったこと。そう思ったが、どう言葉にすれば良いか分からなかった。今まで考えたこともなかったからだ。ただ、そういうものとしかいえなかった。
突然、轟音がし、地響きがなった。地面がうなり、キャロルはよろけてガルーダの翼にぶち当たった。
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