第2話 登場!アスラ神

 キャロルがラーフの視線を追うと、パキスタン軍の前線にもう一体のインド神が立っていた。ラーフと同じくアスラ神族の一人、ジャランダラだった。尾は無いが、六本の腕を持っていた。その左手の一つには巨大な剣が握られていた。

「ジャランダラよ、邪魔をしないでくれ。私は人間の戦いを止めたいのだ」

「人間に関わっている場合ではないだろう」

 五百メートルほど離れて神々同士が会話を始めた。

その時、ジャランダラ後方の装甲車から若いパキスタン軍兵士が一人、降りてきた。肩にはRPGを担いでいた。

 キャロルはヘルメットを放り投げ、パキスタン兵士に向かって走り出した。

「止めろ! 撃つな! 相手を見ろ。殺されるぞ」

 パキスタン兵士は駆け寄ってくるキャロルに気づくことなく、RPGを発射した。

 RPGはジャランダラの背に命中し、轟音をたてた。

 ジャランダラは振り向きざまに左手の剣でパキスタン軍を薙ぎ払った。若い兵士は装甲車や隣の戦車ごと断裁された。鉄くずと化した装甲車と戦車が、地上軍に降り注いだ。

 キャロルは地面に身を投げ出し、爆破の衝撃から身を守った。

「やめろ、ジャランダラ。人間に手を出すな」

 頭上でラーフの声が響いた。キャロルは立ち上がり体の砂埃を叩いておとした。キャロルはインド軍とパキスタン軍の中間、ラーフ神とジャランダラ神の中間に立っていた。

「お前も人間に関わるな」

「私は、彼らの争いを止めたいのだ。彼らの争いも止められないようでは、デーヴァ親族との戦いを止めることは出来ない」

 パキスタン軍は報復攻撃をしなかった。混乱しているのだろう。

「ラーフよ。分かっているだろう。無駄なのだ。人間は僅かばかりの土地のために殺し合い初め、やがて核を使い滅んでいくのだ」

「いや、私は信じたい」

 もはやキャロルには戦闘を続けようと意欲は無くなっていた。アスラ神族が一人いるだけでも持て余すのに二人も現れたのでは手の打ちようがなかった。

 そしてキャロルは気づかされた。ラーフ神が現れたのはキャロル自身が戦闘の口火を切ろうとしたせいなのだ。そして、そのまま戦闘に突入してしまえば戦争はエスカレートし核戦争を引き起こすところだったのだ。

 だがこれで核戦争が防げた訳ではない。キャロルのミサイルが敵に届かなかったため、今回は大規模な戦闘に発展することはなかった。しかし単に延期されただけだ。いずれ誰かがキャロルの代わりに引き金を引くのだ。


 ラーフとジャランダラはどうするつもりなのだろうか。

 キャロルは首を振った。神々の意思を推測しても仕方がない。だが腑に落ちないこともがあった。ラーフとジャランダラはアスラ神族で闘神のはずだった。そして人間の悪事に祟ることもある神だった。

 人間に災厄を振りまくのも人間のためを思ってなのだろか。

 突然、眩い光が辺りに満ち溢れ、視界が真っ白になり何も見えなくなった。突風が吹き、キャロルは吹き飛ばされないように片膝をついた。

 白い光は消え視界はすぐに戻って来た。前後を見たが、インド軍もパキスタン軍も動いた様子はなかった。立ち上がり、二人の神を仰ぎ見た。

 ラーフとジャランダラも、キャロルのように顔を上げ、天を見ていた。

 そこには、ヴァルナ神がいた。実体ではないようだった。上半身だけが空中に浮かんでいたからだ。

 ヴァルナ神はラーフやジャランダラが属するアスラ神族の長にして、天空神であり正義と契約の神だった。

 キャロルは大物の登場に身構えた。人類を救おうとするラーフを抑え、人類に罰を与えに来たのだと思った。宗教画で見たように四本腕で両手に一つずつ縛竜索を持っていた。

「ラーフよ、ジャランダラよ。戦線に戻るのだ。インドラたちデーヴァ神たちの力が弱まっている今こそ、やつらを倒す機会なのだ」

「ヴァルナ神よ、デーヴァ神との闘いに終わりはありません。闘いを終わらせるための秘密は人間にあるのです」

「何をいう、ラーフよ。闘いを終わらせるにはインドラを倒し敵をせん滅するしかないのだ。さぁ、闘いを終わらせるために戦線に戻れ」


 冷静に状況を見極め、常に正しい決断を繰り返していく。これがキャロルが誇る戦闘能力だった。しかし、それが揺らいでいた。

「ラーフに、ジャランダラに、ヴァルナ神。おまけにインドラ神か。もう、私の手に余る状況だわ」

 ヴァルナを長とするアスラ神族は、デーヴァ神族と敵対していた。そしてそのデーヴァ親族の長がインドラだった。インドラはヴァルナ同様に天空神だった。そして軍神、英雄神でもあった。

 キャロルにとってはインドラの方がなじみ深かった。アスラ神族は阿修羅、魔族として、そしてデーヴァ親族は正義の神々として語られることが多かったからだ。そして何より軍神としてインドラは軍人たちに人気があった。

 赤褐色の肌に四本の腕を持ち、雷撃の武器、金剛杵ヴァジュラを携え、三つの頭を持つ白い象に乗り空を飛ぶのだ。

「こうなったら、インドラにも会いたいものだわね」

 キャロルは優れた軍人で現実家だった。神話の神々が現れた状況に「信じられない、あり得ない」とひたすら喚き続けるなんで無駄なことは一切しない。これが現実でも、夢でも幻覚でも関係ない。ただ自分が出来ることをやるだけだった。


 中空のヴァルナが縛竜索を放り投げた。それは生き物のように自ら動き、伸びてラーフとジャランダラの胴体を縛った。

 ヴァルナが目を閉じると蜃気楼のようにヴァルナ自身の姿が消えていった。そして縛竜索に繋がれたラーフとジャランダラの姿も霞んでいった。瞬く間に彼らの頭は見えなくなり、首、胸、腹と順に消えていった。そして神々の巨体が塞いでいた視界が広がり、山岳の景色が見渡せるようになっていた。

 神々は去っていった。

 キャロルはラーフが立っていた後をじっと見つめていた。自分の胸から戦意が消えてしまっていることに気が付き、愕然とした。キャロル・アシェム大尉は軍人としてのキャリアをスタートさせてすぐに、軍人のなかの軍人として評価されることになった。禁欲的で決して弱音を吐かず、仲間を見捨てることは一度もなく、理不尽な敵には容赦がなかった。そのため戦いの女神のあだ名をつけられてもいた。そんな自分が空っぽになったような気がしていた。

 キャロルは、自分が呼ばれていることにしばらく気がつかなかった。

「戦士よ、女戦士よ、なぜ、お前は敵の兵士を救おうとしたのだ」

 頭の中で声が聞こえていた。ラーフ神のようだった。たぶんRPGを発射した間抜けなパキスタンの若い兵士のことを言っているのだろうと思った。

 さあ、なぜかしら。心のなかで声に応えた。

 キャロルは両方の手のひらを見た。透けて黄土色の地面が見えていた。軍服ごと腕も足も透明になっていった。

 自分がこの世から消えてしまうことに身構えた。

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