花によせて

増田朋美

花によせて

花に寄せて

今日も、浩二は、意味のない会社に向かっていく。いつも通り、通勤電車こと「痛勤電車」に乗って。

特に何もないさびれた富士駅を離れて、隣町にある会社に向かうのだった。特に、理由もなく入れそうだからと言ってはいったこの会社。自分がすることは、ただのデータを入力することだけであり、はっきりいって、なんのために仕事をしているのかは、正直わからなかった。ただ、夏は涼しく、冬は暖かいオフィスに座って、一日中パソコンをたたいているだけの、つまらない、単純な仕事。それだけの事である。

浩二以外の人々も、この仕事が楽しいとは思っていないらしい。みな、仕事が始まると不機嫌になり、終わると、やっと解放されたという顔して帰って行く。彼女とどうのとか、飲み会しようとか、そういうくだらない話を、汚い発音でしゃべりながら。音楽学校を出た浩二には、それを聞くのがたまらなく苦痛だった。

それでも、生活するだけの給料はあるから、それでいいやと思っていた。そのほうが、親の手にかかることもないし、自立していける。そのほうが偉いという評価を世間の人はくれる。とにかく今の時代は、親と一緒に住んでいることでさえも、批判の対象になってしまう時代であり、それだけでもコンプレックスに十分なりうる時代なんだから、せめて自分の食べることだけは、自分で作らないと、それだけでつぶされそうだ。どうやら、周りの人たちは、他人を批判することにより、自分の存在意義を確信しているらしいので。本当に、ちょっと違うだけでもすぐにいじめられる。容姿のこと、学歴の事、家族構成のこと、その他もろもろ。誰かの歌に描いてあった、「違うってうれしいね」というきれいごとは、絶対に当てはまらないような気がする。

とにかくこの会社で、一日パソコンをたたかせてもらえれば、それでいいのだ。それで生活して行けるのだ。それでいいのだ。と、浩二は何回も自分に言い聞かせながら、会社員生活を続けていた。

浩二の家の近隣に若い女性が住んでいた。名前は正確に聞いたことはないが、確か、可愛い感じの女の子だったような気がする。いつも、ツインテールに髪を縛って、ちょっとはにかんだような印象がある女の子だった。すごくまじめな子で、制服に身を包みながら、出勤のため家を出ていく浩二と鉢合わせになると、おはようございます!と言って、にこやかに挨拶していくのだった。僕みたいな若い奴に挨拶するなんて、ずいぶん真面目な子だなあと、浩二は、感心してしまったものだった。

数年後に、彼女は制服が変わった。それまでのセーラー服から、ブレザー制服になったのである。つまり中学生から、高校生になったのだとわかる。それでも彼女は、しっかりと、おはようございます!と挨拶してくるのだった。高校生となると、なかなか他人に無関心になってくることが多いと思っていたので、非常に珍しい子だなあ、なんて浩二は思っていた。きっと彼女もそのうち進路を決めるときが来るだろう。もし、職業を選ぶなら、そういう社交的なところをいかせる仕事についてくれるといいな、なんて浩二は思っていた。

ところが、彼女はゴールデンウィークの終了したあたりから、ぱったりと姿をみせなくなった。あのかわいらしい制服姿を見ることはそれ以来なくなった。浩二は、どうしたんだろう、と心配になってしまったが、若い時分が近所のことに手を出しても無意味だし、それに他人の家のことについていちいち手を出すのも、ご法度とされているので、何も言えなかった。

やがて、近所のおばさんたちから、変な噂が流れだした。あの彼女が、家の中で暴れるようになったという。浩二が出勤している間、時々彼女の家から、二人の女性が、大声で喧嘩している声が聞こえてくるというのだ。全く今時の子は、甘えていやね、あの人たちが、育て方を間違えたんだわ、なんておばさんたちは言っている。でも、どこかおかしなところもあって、そんなに間違っているというのなら、正しい答えを知っているはずでは?と思うのに、それを伝えてやろう、という人は一人もいない。みんな批判はするが、かかわりはしない。批判だけなのだ。多分間違えた人というのは、誰かに教ええてもらわないと答えに気が付かないだろう。それは、学校ではいつもそうだった。勉強ができない人がいればできる人が教えてあげていた。同級生の間にも、そういうやり方で教えあっている人たちはたくさんいたし、先生方もそれを承認していた。でも、大人というのは、あの家はこれこれこうだから貧乏している、と、批判ばかりはするくせに、それを伝えてやろう、という事はしたくないようだ。要は、その人たちにかかわって、自分が大損をするのは嫌なのだ。其れなら、批判するのなんてやめればいいじゃないかと浩二は思うのだが、なぜかそれをやめるということはできないようだ。よくよく観察してみると、あの家のような不幸にならないでよかった。自分は、間違っていない。正しい生き方をしてきた、と、確認して生きているようである。間違いをするのは、とても恥ずかしいことというより、なんだか大罪を犯したような時代になっているんだな、何て浩二は思ってしまった。

自分の時もそうだった。音楽学校へ進むことはとりあえずできたけれど、そのあとは、確実に稼げる仕事につかないといけなかった。大学をでたあと確実に就職すること。なにもしないでいるというのが一番の大罪。誰かに頼って生きているとなれば、ナイフより怖い批判の目がむけられる。自分は大学をでたあと、音楽とさようならしたことにより、批判をされないという、幸せをつかんだのだ。そう、それが、本人も家族も、社会にとっても、幸せというものだから。

そして、若いときはとにかく小さくなって、ひたすら近所のおばさんたちによい子だねと言われ続けるように生きなければならず、親たちが批判をされないように生きなければならなかった。それは、ある意味では苦痛だったが、ここにすんでいる以上そうはいかなかった。個人的に生きるというよりも、親が世間に批判されないように生きることが、若い人に課せれている使命なのかもしれなかった。

多分、あの女の子はそういうところに馴染めなかったのだろう。早くからこのトリックにきがついて、自分はどうあるべきなのか、がわかっていれば、苦しい思いをすることは、なかっただろうと思われる。だけど、ある程度大きくなってから気がつくと、衝撃が大きすぎて、自分が壊れてしまうほど傷つくのである。でも、そうなっているんだから、仕方ない。はやく自分のやるべきことにきがついて、順応していかなければならない。あるいは、海外の親の手が届かない所に逃げてしまう。文字通り、避難するのだ。最近はこちらの選択肢を選んでしまう人もかなりいるが、ほとんどのひとは、運が良ければでないと、実行できないという人の方が多いだろう。

全く姿を見せなくなってしまった彼女の家の前を通る度に、浩二はどうかはやく気がついてね、という気持ちで、祈り続けながら通っていくしかなかった。浩二自身も、いつ批判を浴びるのか、に怯えながら、毎日毎日会社に通っていた。

ところが。

とんでもない世界的指揮者の広上麟太郎さんが、行きなり浩二の家にやってきて、パガニーニの主題による狂詩曲のスコアをみせ、今度の音楽祭りで是非これを弾いてもらえないか!と頼んできて、状況は一変した。これによって半分お別れしかけた音楽に、もう一回関わらなければならなくなった。会社から戻ってくると、浩二は長時間のピアノ練習を強いられて、まだ音楽的に不安な面があると広上さんにいうと、広上さんは凄いやつがいるから、そいつにレッスンをさせよう、というのである。浩二は広上さんに言われるがままに、レッスンを受けることになった。

その、人物の下を訪ねたが、その人のあまりの変わりぶりに驚いた。部屋の中には大量のゴドフスキーの楽譜。と、いうことは相当な演奏技術があることになるが、それなのに、その人物、磯野水穂先生は、驚くほど自信がない人であった。

理由なんてまるで知らないが、先生はどうして音楽家らしくないのだろう。音楽家というと、あの広上さんのように、強引で、見栄っ張りで、粗っぽい人が多い。それなのに、なんであんなに謙虚すぎるほど謙虚な人なんだろうか。それに、体も弱っているらしく、布団にすわったまま、かなり激しく咳き込む。そしてそこから、噎せるように赤い、生臭いものを吐き出す。これがなんだとわかったときは、本当にびっくりした。

それでも、持っているのは高級なピアノのひとつであるグロトリアンのピアノである。だから、おかしいなと思うのだ。広上さんがいう通り、ゴドフスキーをひきこなす、大天才であるはずなのだが。

でも、確かに、指示することは的確で、ピアニズムにたいしても厳格であり、素人ではなかった。

毎回毎回、レッスンを受ける度に、自分が会社に勤めているという生き方が、本当に生温くて、悪賢いというか、気まずい気がした。

「先生。」

ある日、浩二は水穂に聞いた。

「先生は一体、どこの出身なんですか?」

「どこって、富士市内ですけど?」

と、水穂が答えると、浩二はいよいよだ!と思い、

「富士市内のどこですか?」

と思いきって聞いてしまう。

水穂の顔がさっと血の気が失せる。ついに聞かれてしまったか、という顔ではなく、もうおしまいだと言う顔であった。思わず返答を考えようとして、すっといきを吸ったが、それが、変な方へ入ってしまったらしく、激しくせきこんだ。

「先生、僕が質問したんだから、答えを出してくださいよ!」

「伝法の坂本。」

咳き込みながら水穂は、答えを出した。

確かに、富士市でも有数のスラム街であった地区であることは、しっている。でも、それだけの事情ではない気がした。

「立ち入り禁止の立て看板が、」

と、同時に口の中から内容物がどっとでた。浩二はその意味がよく分からなかった。立ち入り禁止の看板なんて、ワルシャワゲットーとにたようなものが、あったんだろうか。

水穂は、布団に倒れこんでしまい、それ以上発言できなかった。とりあえず今日のところは、レッスンは取り止めにして、浩二は自宅に帰った。

帰る途中、浩二は商店街の前を歩いた。いろんなものを売っている店があるが、店舗を構えず、路上で靴や鞄などを売っている人を見かけた。こういう人を世間ではよつのひと、というようであり、時に、悪童たちが彼らに石をぶつけたり、泥を浴びせたりしても全く大人は注意しない。なぜか、人をいじめてはいけないと言うくせに、この人たちには、やってもよいとなっているようである。それどころか、大人までもが、うちの区域に入ってくるな、なんて怒鳴り付けている。

もしかしたら、磯野水穂先生もこの階級だったのではないだろうか?不意に浩二の頭にそんな疑問が湧いた。それだったら、辻褄が合う。ふつう、音大生であってもゴドフスキーにチャレンジする人は、みんな格闘家みたいな体をしている。比較的経済的に恵まれた階級の人は、大体の人が危険を避けることが多いため、ゴドフスキーにチャレンジすることはすくない。あの先生は、自身が本当に貧しい階級だったから、なんとしてでも、ピアニストの地位を得たいがために、必死になってゴドフスキーを弾き、結果として体を壊してしまったんだろう。なんたる悲劇的な人生である。

ああ、ああ、ああ、かわいそうどころではない。もう、なんというか、日本語で強引に例えると、もののあわれという感じだろう。立ち入り禁止というのは、よつのひとたちを山の奥とか川のそば等の住みにくい区域に住まわせ、隔離しておくということであった。

本当にかわいそうで、というより哀れとしか言いようがない。浩二は何かしててを出してやりたいと思ったが、具体的にどうしてよいのかは、全く思い付かなかった。

浩二は家の、近くにだどりついた。あの、引きこもりと言われている彼女は、どうしているだろうか。少なくとも、水穂よりは

よい人生といえるだろうに。なぜなら、少なくとも、彼女の親御さんは、彼女を守ろうとするだろうから。

でも、本当にあの先生はかわいそうすぎて言いようがなかった。

結局のところ、パガニーニの主題による狂詩曲は、大成功し、指揮者の広上さんも誉めてくれた。でも、本当は、成功しないほうが、音楽とはやく決別できたかもしれなかった。もう、音楽なんてやっていたら、会社員として、自分を鼓舞しようとしても、できなくなってしまう。

音楽祭りのあと、同僚は浩二に嫌がらせをするようになった。とにかく、浩二が出勤し、おはようございます、と挨拶してもなにも言わないし、誰も彼にたいして飲み会には誘わなくなった。話しかけるとしたら、上司ばかりで、それ以外の人はみんな話しかけなくなり、浩二は社内で孤立してしまった。だからこそ、音楽なんてするべきじゃなかった!と浩二は一人嘆く。

だけど、会社をやめて引きこもりなどしたら、何を甘えているんだ!と、おばさんたちの批判が大量に来るだろう。そうなれば、浩二の親だって自身が受けるはずがない被害を受けることになる。前述した通り、若者の幸せは、自身が幸せになるのではなく、世間から批判をされないことだ。そのためには、世間が用意した道路を、文句言わずに歩き続けることが、とにかく、大事だった。

毎日、そればかり言い聞かせて会社に通った。とにかく、世間に認められること、それだけを頼りに生きた。とにかく、それだけを頼りに。批判されないように、批判されないように、批判されないように!

ある日。

会社から帰ってくると、母がカレーを作っていた。いつもならカレーは好物で、喜んで食べたのだが、浩二はその日、要らないといった。なぜか、食欲がなかった。風呂に入る気にもならず、スーツ姿のまま、布団に横になってしまった。母が浩二は軽い鬱なのではないか、と、心配した。それを聞いて浩二はさらにぎょっとする。やってはいけない生仮病に、自分がかかってしまったなんて!本当はやれるんだとばかりに、急いで机の上にあったノートパソコンを広げるが、全くすることが思い付かない。どうしよう!と考えれば考えるほど思い付かない。ついには泣き出してしまった浩二をみて、母親は明日一日会社はお休みしなさいといった。そうしなければ、かえって会社に迷惑がかかるよ、何て言っていた。

翌日、浩二はその通りにした。ぼんやりと、布団の上でなにも考えずにいると、母親が、公園に散歩にでもいってきなさい、寝てばかりいると、鬱はひどくなるわよ、といった。どうやら母は、本当に鬱だと思っているらしい。確かに会社を休んで気晴らしにいくことは確かに必要ではあるのだが、鬱になってしまうと、また扱い方を変えなければならないのである。ただ、浩二はそこまでしなくてもよく、素直に外へ出ることはできた。

幸い、批判するような人には会わなかった。みな仕事や買い物に出ていったからだ。浩二は一人でばら公園にいった。

この季節だから、様々な花が咲いていた。梅も咲いていたし桃の花も咲いていた。桜や薔薇はまだ早いが、そのうち咲くようになるだろう。梅も桃もはなをさかせ、人の心をなごませるという役割を負っている。人間も同じように、なにか役割があり、それを貫くことで美化されるのだが、どうやらそうでもないらしい。人間は役割がもらえる人、もらえない人がそんざいする。それはやっぱり環境や境遇で変わってくる。そして、その役割で大いに活動できたときに、花が咲いた、と、表現される。

しかし、自分はどうなんだろう。花らしきものは、全くない。仕事ではみんなから無視されているし、音楽の世界に完全に踏みいることもできない。もう自分なんてタンポポの綿毛みたいに、方向も決まらず風に流されて、ふらふら飛んでいるだけに過ぎない。指定位置も決まらず飛び続けている、ただの虫のようにもみえる。

だめだなあ、自分なんて。

浩二はがっくりと肩を落とした。

梅も、桃も、みんなきれいだ。それは確かにそうだ。

突然、どさん、と、頭上から枝が落ちてきた。なんだと思ったら、おじさんが梅の剪定をしている。手が滑って持っていた枝が落ちてしまったらしい。

「すみません。失礼しました。申し訳ないです。」

おじさんは、そんなことをいった。

さらに歩くと、公園の道端に、小さな蓮華の花が咲いているのが見えた。なんとなくかわいいなあと思ってしまう。もし、小さな女の子であれば、冠にしたり、首飾りにしたりして、楽しむこともあるだろう。

不意に、また枝が落ちてくる音がした。

まだ、おじさんが、梅の木を剪定していたのだ。

梅の木は、大きくなるのが速いため、通行人の邪魔になるからと、相次いで枝を切られてしまうのである。それに、風が吹いて倒れでもしたら、せっかくの花も台無しになってしまう。そうなると、小さな蓮華は、風が吹いても倒れることはなく、小さくても花を咲かせていられる。

小さな水穂は、大きくなりたくてもなれずに、体を壊してしまった。つまり、花を咲かせたくても、咲かせられずに肝心のものを落とすのだろう。それなら蓮華の花のままでいればよいのに、蓮華の花のままでは、いられないという事情があった。蓮華の花は梅の木にはなれない。でも、同じはなと言うものは咲かせる。

僕は、タンポポの綿毛なら、小さなタンポポの花を咲かせることができるのだろうか、と浩二は思った。

どの植物もみな花を咲かす。それは、肝心な命を落とさなかったからだ。だから、それさえしなければ、それさえしなければ、花は咲かせられるのだ!

浩二は、これ以上綿毛のままでいるのはいやだと思った。

はやく、地盤をかためて、花を咲かせる努力をしよう。

「やめようか、会社いくの。」

綿毛が、地面について目を出すことをはじめたように、そう思った。

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花によせて 増田朋美 @masubuchi4996

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