第8話 クイズの若駒②

 前に出た二人は対照的な雰囲気だった。

 高師台たかしだい学園の宮本という男はいかにも進学校の優等生という感じで、仏頂面をぶら下げ物静かにそこに立っている。きっと授業中もそのままそんな様子なんだろう。俺の苦手なタイプだ。

 対するは川湊かわみなと高校の橋爪はしづめ妹。これからクイズができるということがよほど嬉しいのか、ウキウキの表情を浮かべて小刻みに揺れている。まるで遊園地にでも来た小学生のようなテンションだった。俺の苦手なタイプだ。

 最初は経験者同士の対決となったわけで、上級生たちも興味深げに見守っている。

「それではルール説明をしますね。基本的には一対一の早押しによる5◯2×ですが、押せなかった方にも解答権があります。どちらかが押したら、解答はそれぞれお手元のフリップに書いて頂き、せーので出してもらいます。制限時間は押してから十五秒。押して正解なら2◯、押せなくても正解すれば1◯です。誤答の場合ですが、押した方なら1×、押していない方なら×はつきません。質問はありますか?」

 特に無いようで、誰も手を挙げなかった。

「それでは早速、Aブロックの対決を開始しまーす」

 二人が早押し機を手にする。その姿勢まで対照的だった。宮本は直立不動のまま右手をボタンに添え、橋爪妹は陸上のスタンディングスタートのような姿勢で左手親指をボタンに乗せている。

「第一問。ゆく河の流れは絶えず——」

 最初に押したのは、

「よしっ」

 橋爪妹だった。

 二人がフリップにマジックペンを走らせる。端から見ていてもわかるくらい、宮本の仏頂面が曇っている。わからない問題でも答えなきゃいけないのが辛いところだな、このルール。

「それでは出してください、せーの」


「方丈記」

「……つ、徒然草」


 フリップの字は二人とも綺麗だったが、宮本の方は少し弱々しい感じだった。

「橋爪さん正解で2◯。宮本さん不正解です。『行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず』の書き出しで始まる、鴨長明による鎌倉時代の随筆作品は何? という問題でした」

 九条さん手元の台本を静かにめくった。特にさっきの企画のときのようなクイズテクニックの解説などはせずに進めていくようだ。

「こういうのは文頭確定問題というんだよ」

 突然、村雲むらくもさんが横に腰掛けてきた。

「数文字聞けば答えが確定できるクイズのことで、特に文学作品の問題に多い。クイズの世界では何故か、書き出しを提示して作品名を答えさせるという問題が非常に多いからね。あ、ごめんごめん。君が解説欲しそうな顔していたからつい」

「はあ」

 ということは、確定できる問題にも関わらずあの宮本は答えられなかったということか。

 いやまあ……そりゃそういうこともあるか。当たり前だが経験者といえども何でも知っているわけじゃない。そこで問読みをしている先輩や、後ろで退屈そうにあくびしている早押しモンスターがおかしいだけなんだ。

「第二問。正十一角形に対角線は——」

 押したのは宮本だった。喜ぶ表情などは見せず、一瞬だけ目をつむって、すぐにペンを走らせ始めた。対する橋爪妹は、

「えーっと、えーっと」

 中空を見つめ、おつかいに来た小学生のように指折り数えている。

「タイムアップです。それでは解答を、どうぞ!」


「44本」

「……さ、36本」


 さっきとまったく逆で、橋爪妹の声とフリップの文字が見事に弱々しかった。

「はい。正解は宮本さんの44本です。これで両者2◯ですね」

 これは俺でもわかった。確か対角線はn(n-3)/2で導くことができる。教科書のコラム欄か何かに書いてあったと思う。十一角形なら11(11-3)/2で44だ。

 横で村雲さんが「むむー」とか言っている。何か気になることがあったようだが、ちょっと面倒くさいので俺は敢えて聞かなかったことにした。

「第三問。戦前のブラジル移民を描いた作品『蒼氓そうぼう』で——」

 今度は橋爪さんだ。

 焼き直したように二人の表情は明と暗。宮本は諦めたような表情さえ浮かべている。


「石川達三」

「……小林多喜二」


「はい、正解は石川達三でした。橋爪さん押して正解なのでこれで4◯です。『蒼氓』で第一回芥川賞を受賞した小説家は誰、という問題でした」

 横から気持ちの悪いくすくす笑いが聞こえる。

「ふふ、やはり九条くんはああ見えて相当サディストだよね。君は気づいた?」

「……?」

「これがただのタイマン早押しじゃないってことにさ」

 村雲さんの顔はやはり少年のように楽しげだった。

「このクイズには毒がある。その毒にたぶん、彼らもそろそろ気付くんじゃないかな。まあ気づいたところでどうしようもないと思うけど」

 毒? 何を言ってるんだこの人は。

「第四問。自然界に出てくる数値の最初の桁の分布は一様ではなく、——」

 次に押したのは宮本だ。なんだかやけに既視感が強い。二人が交互に押して正解しているのだから、まあ当然ともいえるが……。

 しかし、さっきと違って橋爪妹の顔に不安げな色が無いように見える。ペンも軽快にフリップの上を踊っている。

「タイムアップでーす。フリップを上げてください」


「ベンフォードの法則」

「よし、ベンフォードの法則!」


 橋爪妹が高らかにガッツポーズをした。

「おーっと、二人とも正解です。これで宮本さんは押して正解なのでプラス2◯で4◯、橋爪さんも押さずに正解なのでプラス1◯で5◯。ということで、Aブロックは橋爪さん勝利〜」

 小さく拍手が起こる。

 橋爪妹は大会で優勝したかのような騒ぎっぷりで、大きく手を広げたままぐるぐると無駄に周囲を闊歩して席まで戻った。まるで教室に迷い込んだハトのようだった。


 Bブロックは高師台の松亀まつがめ汐路しおじさん。

 奇しくもこの勝負も、先ほどと同じような展開になった。

 地理問題を松亀が押し単独正解、続く歴史問題を汐路さんが押し、こちらも単独正解。2◯同士で迎えた第三問で、さすがの俺も薄々感じるものがあった。

「カナダのオンタリオ州にある、湖の中に浮かぶ島としては世界最大の——」

 確かにこれは毒だ。


「マニトゥーリン島」

「……わかりません」 


 押して正解したのは松亀。これで4◯だ。

 間違えたのは汐路さん。

「まさかあのとき自己紹介で喋らせた苦手ジャンルをこんな風に生かすとはねえ。九条くんの企画力には脱帽だよ」

「いいんですか? 村雲さんの後輩二人が苦しんでるんですよ?」

「これも必要な試練さ。スポーツなんかとは違って、クイズは得意を極めることに大きな意味はない。強いクイズプレイヤーってのは大抵、苦手ジャンルが無いんだ。あっても、それを克服することに日々を費やしている。九条くんもそれがわかっているからこんな形式にしたんだろう」

 二人の苦手ジャンルを交互に出題すれば、苦手としていない一方が押して2◯を取るのは自然な流れだ。だが、苦手ジャンルであっても、押すことができなくても、最終的に答えに辿り着ければ1◯が入るというルール。

「第四問。西暦1077年、皇帝ハインリヒ4世が教皇グレゴリウス7世に屈服し赦免を——」

 押したのは汐路さんだ。


「カノッサの屈辱」

「カノッサの屈辱」


「両者正解でーす。松亀さんはこれで5◯です、お見事!」

 ギャラリーの拍手に、松亀は照れ臭そうにお辞儀で返していた。一方で女ヤンキー風の汐路さんは引っ詰め髪をくしゃくしゃと掻きむしっていた。本気で悔しそうだ。

「……」

 さて、と重い腰を持ち上げたところで、俺はひとつの疑問にたどり着いた。

「村雲さん」

「ん? なんだい?」

「俺、自己紹介のとき苦手ジャンル何て言いましたっけ?」

「……は?」


  ****


 相対する川湊高校の貝塚は俺を親の敵のように睨めつけてくる。

 さっきのラスト問題を俺に取られたことを根に持っているのだろうか。

「それではCブロック、魚住さんと貝塚かいづかさんの対決を始めます」

 村雲さんの話では、俺は苦手ジャンルを音楽と言ったらしい。苦手も何もクイズ的な知識を持っている分野などほぼ無いから、確かテキトーを言ったのだ。まあ、音楽知識に疎いのは確かだが。

 貝塚の苦手ジャンルは覚えている。確か、スポーツと言っていた。

「第一問。ダブルアルバトロスやトリプルイーグルとも言われる、ゴルフにおいて規定打数から4打少なくホールを終了することを——」

 押した。

 幸い、スポーツならちょっとだけ詳しい。


「コンドル」

「……っ」


 不安げに返された貝塚のフリップには『ホーク』と書かれてあった。

「正解はコンドル。魚住さん2◯です」

 よし。

 最初の企画のときにも感じたが、押して正解するとやっぱり少し気持ちがいい。別に勝負事が好きになったわけじゃないが、この正解の感触だけはなんだか知らないが確かにいいものだとわかる。

 きっとここにいる俺以外の人間は、クイズの持つこの感触の虜になってしまったんだろう。

「第二問。速度に関する音楽用語で『だんだん遅く』はリタルダント。では——」

 押したのは貝塚だ。

 だが、俺にも問題の全容がわかる。これは散々見た『ですが』問題ってやつだ。『だんだん遅く』はリタルダントですが、『だんだん早く』は何でしょう? となる。


「アッチェレランド」

「アッチェレランド」


 九条さんが素朴に驚いた顔をあらわにしていた。

 苦手とは言ったがこれくらいは知っている。授業で習うレベルだ。

「……二人とも正解です。魚住さん3◯、貝塚さん2◯」

 あれ? これ、勝てるんでは……。

 貝塚は変わらず俺を睨んでいる。次はあいつの苦手なスポーツ問題のはずだ。これを俺が押して正解できれば5◯で勝つ。

「第三問。ボウリングにおいてスペアを取ることが難しい状態のことをスプリットと呼びますが、特に7番ピンと10番ピンが残った状態のことをある動物の——」

 押した。

「よっしゃ!」

 ——はずが、光っていたのは貝塚のボタンだった。

 しまった。もっと早く押せた。あいつはスポーツ問題が苦手なんだから押せるわけないと思い込んでいた。


「スネークアイ」

「スネークアイ」


「はい、二人とも正解で両者4◯です。あ、もし同時に5◯以上を達成した場合は引き分けとしまーす」

 ということは、ここは正解しさえすればいいということだ。押しても押さなくても、正解すれば負けは無い。

 次は音楽問題。

「第四問。ピアノ三重奏で使用される楽器といえば、ピアノ、ヴァイオリンと何でしょう?」

 ……。

 数秒の沈黙が流れた。俺たちはボタンを押さなかった。

「はい、ではこの問題はスルーということで。正解はチェロでした」

 ふっと一息ついたとき、ピリついた視線を感じた。

「そんなナメたことしてたら、足元掬われるっすよ」

 貝塚が、俺にそう言い放った。

 え。何だこいつ、急に。

「第五問。野球において、バント——」

 反応できなかった。

 その早押しに、ギャラリーがざわついている。

 貝塚……あいつ、スポーツが苦手じゃねえのかよ。

 いや待て。野球において、バント。これだけ何がわかるっていうんだ。誤答覚悟で勝負にきたに決まってる。よく見ればあいつの表情も露骨に曇っている。

「……ちっ」

 犠打、セーフティ、バスター、スクイズ……答えになりそうなものはどれだ。

「さあ、それではフリップをオープンしてください」


「スクイズ」


 三塁走者を還して得点することを目的とするバント。俺の出した答えだ。

 だが、貝塚の答えとは違った。


「バスター」


 どちらが答えでもおかしくはないだろう。こんなの。

「……はい。野球において、バントの構えからヒッティングに切り替える打法のことを何というでしょう? 答えはバスターでした」

「よっし!」

「貝塚さん6◯、魚住さん4◯なので貝塚さんの勝ちでーす」

 負けた。

 なんだか釈然としない気持ちになったが、そもそも勝負なんてそんなものだった気もする。勝とうが負けようが、何かの勝負が終わったときに俺が釈然としたことなどこれまであっただろうか。

 無い。無いだろう。

 答えがバスターだろうがスクイズだろうが、つまり一緒なんだ。


  ****


「ククク。初心者に負けて悔しいか? うおきちよ」

 中庭のベンチで涼んでいると、さかき先輩が話しかけてきた。

 俺の前に仁王立ち。ちょうど日差しが遮られて、この人に差す後光みたいだった。

「別に。悔しくなんかないですよ」

「そうか。ならいいんだ。クイズは楽しむことが一番大切だからな。……だが、それならどうしてそんな怖い顔してるんだ?」

「怖い顔?」

 あんたに言われたく無い……と、喉まで出かかって飲み込んだ。

「Dブロック、石動いするぎとの対決はいいんですか?」

「もう終わったさ」

 結果は榊先輩の顔が物語っていた。

 かわいそうな石動。きっと容赦ない早押しでボコボコにやられたのだろう。

「で、お前はどうして中庭で怖い顔して佇んでいるのだ? 暇なのか?」

 その疑問符に他意は無いようだった。本当に、ただただ不思議に思って、俺にそう問いかけたんだろう。もしかしたらこれが榊先輩の生徒会長モードの姿なのかもしれない。

「先輩。あいつ、何で俺にキレてたんだと思います?」

「ん? 貝塚くんのことか?」

「はい」

 ——そんなナメたことしてたら、足元掬われるっすよ——

 結構な剣幕だった。

 あんな風に同い年の男に強い感情をぶつけられたのは、いつ以来だろうか。

「そりゃあ、お前があいつを挑発するようなプレイをしたからだろう」

「しました? 俺」

「した」

 真顔で、榊先輩は言い切った。

「四問目のピアノ三重奏問題。スルーで終わったが、お前本当は答えわかっていただろう」

「……」

「一瞬、ボタンを押すような仕草を出してすぐに引っ込めた。躊躇ためらったというより、計算してそうしていた。バレてないと思ったか? 案外、相見あいまみえている対戦相手からするとバレバレなもんだぞ、そういうのは」

 この人、本当に観察眼がすば抜けていい。村雲さんが言った通りだ。

「……当てる確信は無かったんですよ。やっぱ俺って性格悪いんですかね」

「ああ。そうだろうな」

「いやあんたに言われたくない」

 今度は喉を突き破って言葉が出てしまった。

 だが俺の言い返しにも榊先輩はくつくつと笑っている。ほんと、女王というより魔王の方がしっくりくる。この人の態度は。

「勝負とか対決ってもんが向いてないんですよね、俺」

 そしてついにそんなことまで口からまろび出てしまう。

「向いてない?」

「ええ。小さい頃からテレビゲームで友達怒らせて絶交されたり、サッカー部で一つのミスに対してぐちぐち言い合ってるのが嫌になって辞めたり……勝負や対決をする中で、ああ楽しかったっつって終われることが無いんですよ」

 こんな風に自分の考えを披瀝ひれきしてみせるのは初めてだった。口に出してみると、何とも下らない被害者意識な発想だということがよくわかる。

 あーあ。どうするよ。榊先輩もきっと引いてるだろう。

「なるほどな」

 そう思って恐る恐る見た先輩の顔は、驚くほどいつも通りだった。

「だが、うおきちよ。お前はクイズに向いてる」

「……え?」

「あいつにキレられたからって何だ。お前はクイズプレイヤーとして何もおかしなことはしていない。自身で考え、最善を尽くしただけだろう」

「……」

「四問目に入る前、お前たちは4◯で並んでいた。押しても押さなくても正解すれば負けにならない。それなら誤答リスクを負って押すより相手が押すのを待った方がいい。お前はそう考えたんだろう?」

「……」

「更に言うと三問目のときもそうだ。貝塚はスポーツ問題が苦手なはずだからもっと聞いてから押してもいいだろう……と、お前はそう考えた」

「結果、先に押されちゃいましたけどね」

「ああ。つまり、お前が楽しくないのは思い通りのクイズができなかったからだ。それ以上でも以下でもない。細かいことなど考えず、クイズを楽しめばいいんだ」

 説教のような口調だが、不思議といつもの先輩よりずっと優しい声色だった。

「そう。クイズは楽しいんだ。昔のお前にとってのテレビゲームやサッカーもきっと楽しかったはずだ。お前が楽しくないのは勝負のせいじゃない。いいか、うおきち」

 先輩は俺の顔をじっと見た。

「お前が楽しくないのは、お前のせいだ」

 その言葉に、胸をトンと叩たたかれたような気がした。


 その日の企画がすべて終わって後片付けが終わる頃には、慣れないことをした疲れがどっと体中に押し寄せた。最後まで参加しても結局俺に見せ場などはなく、この素人同然の寄せ集めの中でも最弱なのだという認識ができただけだった。

 他校の生徒は三々五々に帰って行き、残ったのはうちのメンバーともう一人。川湊高校の先輩女性。名前は、なんだったか。

「森之目高校の皆さん、今日は本当にありがとうございました。本当に助かりました」

「いえいえ。望月もちづきさんも大変ですね」

 望月さん、というらしい。

 丁寧にお辞儀を返す九条さんは、あれだけ長尺の仕切りをやっていたというのに、笑顔には一片の曇りも無い。

「夏の大会、楽しみにしてますよ」

「はい。一時は部員が私だけになってしまったのもあって、正直大会に出れるかどうかも怪しい感じだったんですが……ちょうど橋爪姉妹が転校してきてくれて、新入部員も入ってくれて、おかげさまで何とかなりそうです」

「あら。では理沙さんが灯星学院に行ってしまわれたという噂は本当だったんですね」

「あはは、そうなんです。おまけに理沙に憧れて入部してくれていた子達が一気に辞めてしまって……」

「それはそれは……」

 要はエースが転校してしまったらしい。引き抜きってやつだろうか。そんなメジャースポーツのような展開がクイズの世界でもあるというのが驚きだ。

 苦労話を盗み聞きするのも忍びないので、俺は堂々と話の輪に割って入った。

「どうも」

「あ。あなたは森之目の新入生の方ですよね。先ほどはうちの貝塚が試合中に失礼なことを言ったようで申し訳ありませんでした」

「いえ。あいつ、今年からクイズ始めた新入生なんですよね」

「はい。といっても、夏のチーム戦に向けてあと一人メンバーが足りないってなって、先週急きょ入ってもらった子なんですけどね」

「せ、先週!?」

 素直に驚いた。

「はい。校舎の掲示板にクイズの張り紙して『解ける人来たれ!』って書いたら、うまく釣れたといいますか。彼、無理言って入ってもらったのに、毎日部室に来て猛勉強してくれてるんです。それでぜひ刺激になる場を作ってあげたいと思って、昨日九条さんに連絡をして、こうして練習企画を組んでもらったんです」

「そうだったんですか」

 九条さんがニヤニヤした目で俺の方を見ていることに気づいた。

 境遇が似てますね——とその瞳は言ってるようだ。

「望月さん」

「はい」

「貝塚に伝えておいてください。たぶん、次は勝つって」

 九条さんが横で吹き出すように笑った。


  ****


「なんですか、たぶんって。ふふ」

 クイズ研究部部室。早押し機を仕舞いに二人でここに来るまでの道中、九条さんはずっと笑っていた。というか、まだ笑っている。

「絶対勝つから首洗って待ってろ! くらい言ったらいいじゃないですか」

「そこまでの自信なんて無いですよ」

 それに、あれは別に宣戦布告のために言ったわけではない。自分のためだ。逃げ出したくなる自分の襟元を掴んでおきたかっただけだ。

「てことは、ついにクイズ研究部に入ってくださるんですね?」

「……夏のチーム大会とやらが終わるまでの期間限定ということで」

「なるほど。もちろん、それでも大歓迎ですよ? うふふ」

 九条さんの大きな瞳が光っている。

 この人の目を見て退部しますなんて、俺はいつか言えるのだろうか。

 無理な気がする。

「それであれば、まずはこれで勉強してください」

 手渡されたのは分厚いファイルだった。

「クイズ資料ですか?」

「まあそんな感じです」

「もしかして、九条さんのお手製ですか」

「いえ。私とこなちゃんの恩師から授かったものです。それはそれは貴重な資料なので、絶対に無くしたり汚したりしないでくださいね?」

「は、はい」

 表紙には小さくタイトルのようなものが書かれていた。『高瀬雫里の脳みそ』——すごいネーミングセンスだ。

 資料をパラパラとめくってみる。印刷物も挟まっているが、ほとんどは手書きのルーズリーフだった。ただクイズと答えが書き連ねられているわけではなく、解説やイラスト、図表なども散りばめられている。

 俺はそれを見て、榊先輩にやられた教科書の落書きを思い出した。

 先輩たちの恩師……高瀬さん。どんな人なんだろう。

「気になりますか?」

 九条さんがにっこり微笑む。

 でた。エスパー九条さんだ。

「まあ、ちょっと」

「うふふ。じきにわかりますよ」

 はぐらかすように言ってから、九条さんはもう一枚俺に紙を渡してきた。

 それは折れ曲がってくしゃくしゃになりかけている、俺が以前拒絶するように突き返した入部届だった。

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