第6話 クイズの一閃

 いいから来い

 見せておくものがある


 放課後の下駄箱。久しぶりに付箋が貼ってあると思ったら、そんな内容だった。とうとうクイズで俺の興味を惹かせることは諦めたのか、あるいは単に面倒くさくなったのか、急にド直球できた。この文字から伝わってくる圧力は、きっとさかき先輩だろう。

 俺は気づかなかったことにして鼻歌交じりに下駄箱から靴を取り出した。今日は帰ってマイブームである将棋番組を見る予定だ。クイ研に顔を出している時間などない。というか、そもそも俺は部員ではない。

「ん?」

 スニーカーを履こうとして、初めてそれに気がついた。

「……な、なんだよこれ!」

 靴紐を通す穴のところにダイヤル式のごつい南京錠が掛けられている。

 えー。

「もはや嫌がらせの範疇を超えてる……」

 仕方がないのできびすを返す。別にこのまま履いて帰ることもできるが、奇抜なファッションしてる奴だと思われるのも嫌だ。

 とぼとぼ廊下を歩くと、外から運動部のかけ声が聞こえてくる。みんな一様に必死だ。先日のクイズ大会をこの目で見た後でも、俺にはやっぱり、一つの競技にあれだけ必死になれる理由は理解できないままだ。

 五月もすぐそこに迫って西日は急激に暑くなり、やたら遠いクイズ研究部の部室に着く頃には俺の額にもしっかり汗が浮いていた。

「どうも」

 がーっと雑に戸を開けて投げるように挨拶。できるだけ南京錠の件で不機嫌になっていることをその動きだけで伝えようとしたのだが、

「うおきちさん、いらっしゃい!」

 そんな雰囲気は九条くじょうさんの天使のような返事できれいに掻き消された。

 いやいや、ごまかされないぞ!

「俺の靴の紐通すとこについてたあれ何ですか! 榊先輩でしょ絶対!」

 榊先輩は部室の隅の方で何やらパソコンを操作していた。隣には石動いするぎもいる。

「紐通すとこだと? うおきちよ、クイ研部員ともあろう者が何だその言い方は。あれは『鳩目はとめ』と言うのだ」

「ちなみに靴紐の先端についてる小さな覆いのことは『アグレット』と言うわ。このくらいベタ中のベタだから、ちゃんと覚えときなさい」

「……え、なんで俺が怒られてるんだ」

 しかも石動にまで。

「ちょうど今セットアップが終わったところだ。こっちへ来いうおきち」

「……?」

 くいくいっと指だけで手招きする榊先輩。なんだろう。ただただ怒りの気持ちでここへ来たはずが、それをどこへぶつけていいのかわからなくなってしまった。とりあえず、そのモヤモヤの寄る辺を求めて俺は中に入った。

 先輩と石動の横にはダンボール箱や発泡スチロールが散乱していた。二人が向かっているデスクトップ型のパソコンとモニタはどうやら新品のようだ。しかも、素人の目にも明らかにそれとわかるハイスペックなやつ。古びた旧校舎には似つかわしくない重厚感だ。

「さてはそれ、部費で買いました?」

「うむ。残念ながら他の部へのおすそわけがほとんどできなかったのでな。クイズ研究部にとって今最も必要であるこのPCを購入することを決断した」

「そうですか……」

 分け与えたい気持ちがあるなら寄付すればいいだけなのでは? とは今更言わなかった。

 画面に目をやる。文書作成ソフトでクイズでも作っているのかと思ったが、あに図らんや、そこではポップな3Dキャラクターたちが踊っている。

 Quiz☆Kights ……中央にはそんな文字が光っていた。

「まさか……ゲ、ゲーム?」

「ああ。どうみてもゲームだ。面白いと話題だったから、思い切ってゲーミングPCを買ってやってみることにしたのだ。夏のチーム大会は運営の予算もある故に、バラエティに富んだ大振りなルールがよく採用される。その対策に、こうしたクイズゲームが参考になるらしいのでな」

 榊先輩はゲームスタートと書かれたボタンをクリックした。

 RPGに出てきそうなデカい剣を背負った銀髪のイケメンが登場し、行くぞっ! とか言ってダンジョンを突き進んでいく。やがてピキーンピキーンと音が鳴るたび、画面にはキャラクターが増えていった。それぞれに名前が付いている。みーたん、カワウソ魔人、鈴木3世。どうやらオンライン対戦のようだ。

 榊先輩のプレイヤー名も出ている。

 ——早押しのサカキ——

 パンダマークの引越し業者みたいなネーミングだ。

「お。始まるな」

 妖精のようなキャラによるファーストステージの掛け声と共に、ダンジョンにはコウモリのような姿をしたモンスターが現れる。そしてクイズだ。


 中華料理の高級食材フカヒレは、一般的に何というサメのヒレを使ったもの?——


「ヨシキリザメだっ!」

 勢いよく答える榊先輩。がしかし、画面上の銀髪の騎士・早押しのサカキはうーんと頭を抱えている。

「部長。選択肢出てますよ」

「む?」

 ABCDの四つの選択肢が画面にはハッキリと表示されている。

「選択肢だと? そんなもの要らんだろう」

「部長には要らなくてもこのルールには要るんです。ほらクリックして」

 石動が横からマウスに手を添える。そのままマウスカーソルを選択肢まで持って行き、カチリ。その様子はまるでパソコン教室でのワンシーンのようだった。

 見事正解した早押しのサカキは大剣をぶん回して喜んでいる。一方、不正解だったみーたんという魔法使いキャラの女性(本当に女性かはさておき)は、跨った箒が折れてふらふらになっている。たった一問ですごい演出の差だ。

 ピコピコンというサウンドと共に、正解したプレイヤーたちの頭上にある数値が増える。三人一律で同じポイントが貰えるというわけではないようで、榊先輩だけ他の二人よりも明らかにしょぼかった。選ぶのが遅かったからだろう。

 妖精が舞い降りて第二問がコールされる。


 急がば回れという言葉は、元々どこを回ることを言った言葉?——


「琵琶湖だっ!」

「いや、だから部長……」

 大丈夫大丈夫と石動を制し、マウスをそろーっと自分で移動させる榊先輩。そしてカチカチ、っとなぜかダブルクリックで琵琶湖を選ぶ。早押しの女王のクリックは激遅げきおそだった。

 二問連続正解だがポイントは変わらず三位。

 多分、声は一番出ているけど。


 ウニの口の部分のことを古代ギリシャの哲学者の名前を取って何というでしょう?——


「アリストテレスの提灯ちょうちんだっ!」

 さすがに慣れてきたのか、さっとマウスを移動させて選択肢をクリック……したところで、榊先輩は呻くような声を上げた。

「ず、ずれた……」

 選んだのはB『アリストテレスの提灯』ではなく、C『ソクラテスの弁明』だった。

 ブブーという不正解のサウンドが鳴り、早押しのサカキの大剣が折れる。

「うっ……なぜだ! マウスカーソルが勝手に滑ったぞ!」

「滑ったのは榊先輩の手だと思います」

「そんなバカな……」

 この人、もしかして機械オンチというやつなのだろうか。

「うう……わ、私は悪くないぞ! 『ソクラテスの弁明』はプラトンが著した初期対話篇ではないか! これではアテナイの法廷に公訴され、メレトスによる求刑弁論を受けているときのソクラテスのような気分だ!」

 なんかよくわからんけど知識だけはすごいなこの人。

「マウスの感度が良すぎましたかね。すみません部長。私のセッティングが……」

「いや、サンナ。お前のせいじゃないさ。あと少し……4ミッキー上ならBが選択されていたのにっ」

 悔しげに下を向く榊先輩の姿は、画面に映る早押しのサカキそのものだった。

「ちなみにミッキーというのは、マウスの移動距離の単位なんですよ。1ミッキーは百分の一インチを表します」

 後ろの方で本を読んでいる九条さんが補足をしてくれる。時々思うが、この人は俺のクエスチョンマークを検知する触角でも持っているのだろうか。

「よし、気を取り直して次の問題だ!」

 早押しのサカキは折れた剣を杖にして立ち上がった。


 妖精が舞い降り、経過を知らせる。

 ファーストステージの五問が終わったところで榊先輩は僅差の二位だった。

「むむ」

 クイズ知識でいえば他のオンラインプレイヤーとは比べものにならないのだろうが、うっかりミスと慎重なクリック操作により、ポイントで見ると先輩は一位のカワウソ魔人氏にわずか及ばなかった。

「悔しいが仕方あるまい。うおきち、次はお前の番だ」

「……は? いやいや、え? 俺が代わりにやれってことですか?」

「そうだ。先にも言った通りこれは夏のチーム大会に向けた特訓だ。どんなルールかもわからなければ、いつ次の部員にバトンタッチしなければならないかもわからない。ここは次のセカンドステージがお前に回ってきたと想定しよう。ほら座れ」

「いやそもそも俺部員じゃ……はい。やります。やりますよ」

 榊先輩に席を譲られ、座る。

 PC操作だけならさっきの榊先輩よりはさすがに自信があるが、ゲーム経験自体は多分どっこいどっこいだ。こうした対戦ゲームは幼少期にやった例のボンバー男以来ほとんど手を出していない。せいぜい最近始めたネット将棋くらいだ。

「惨敗しても知りませんからね」

 妖精がセカンドステージと告げる。

 やがて画面には人生ゲームで使われるような円形のルーレットが表示された。よく見ると中にはスポーツ、芸能、言語などの表記がされている。

「ジャンルクイズね」

 石動が呟く。

 回転していた針がひとりでに弱まり、一点を指し示す。ジャンル『日本文化』。

「これはサンナの得意分野だな」

「そうですね」

 なぜフィンランドハーフの石動が日本文化に詳しいのか、なんて今更訊くのはやめておこう。

「じゃあ石動がやった方がいいんでは?」

「バカを言うな。得意分野が得意な人間に回ってくるとは限らない。ここはうおきち、お前のターンなのだから、お前の力で戦うのだ」

「……わ、わかりましたよ」

 日本文化……一瞬簡単そうな気がしたが、どんな問題がくるのかあまり想像ができない。一つだけ言えることは、さっきまでの難易度だったら俺にはさっぱりということだ。


 一昼夜または一日の間に独吟どくぎんで何句を詠むことができるかを競——


 はい、わからな——ん? 問題文が途中で切れた?

「セカンドステージは早押しからの記述式らしいわよ。書いてあるじゃない」

「あ……」

 見過ごしていた。他のプレイヤーが既に押したということか。


 や、か、ず、は、い、か、い


 一文字ずつ入力されていく様子がリアルタイムでわかるようになっている。正解のサウンドが鳴ったところで俺は後ろの榊先輩に頭を掴まれた。

矢数俳諧やかずはいかいも知らんのかお前は。私なら『一日の間に』のところで押し、こぼれた独吟の『ど』だけで答えられていたぞ」

「俺にできるわけないでしょう、そんなこと。だいたい零れるって何ですか」

「文字通り問読みの口から零れる言葉のことだ。問読みはボタンが押されてすぐに読むのを止められるわけではない。もちろんそうするように努力はするが、反応して口を閉じるのにどうしても数百ミリ秒はかかる。その間に零れ出る1、2文字を拾うことは早押しクイズの常套じょうとうテクニックだ。これを狙ってやることを俗に『読ませ押し』ともいう」

「いや、これゲームなんですけど……」

 そもそも押せる押せない以前に、問題文を全部聞いたところで俺にはわからない。知らないものは逆立ちしたってわかりやしないのだ。

 正解したカワウソ魔人氏にポイントが入る。それにより更にポイント差を広げてしまうことになった。

「チーム戦というのはこういうものだ。誰かが間違えたくらいでチームワークを乱さないことが肝要だ。だから少々の結果は気にするな、うおきち」

「あ、ありがとうございます」

 第二問が始まった。


 茶道の三千家といえば、表千家、裏千——


「押せええぇぇぇ!」

「うおぁ!」

 後ろからマウスを奪い取る勢いで榊先輩の手が伸びてきた。勢いでクリックしてしまったが時既に遅し、先に別のプレイヤーが押していた。

「こんなベタ問も取れなくてどうするのだ! この足引っ張り野郎!」

「えぇ!?」

 ボタンを押したみーたん氏が文字を入力していく。む、し、ゃ、こ、う、じ、せ、ん、け。正解は武者小路千家むしゃこうじせんけ。言われてみればどこかで聞いたことのある答えだった。

 早押しのサカキ(中身俺)は、これにより三位に転落した。

「うおきち、負けたらお前のせいだ」

「チームワーク乱すようなこと言ってますよね!?」

 舌の根も乾かぬうちに酷いことを言ってくれる。

 まあ、これは最後まで聞けば思い出せていたかもしれない。そう考えると鈍かった俺も悪いのだが。

「この場合の確定ポイントは、三千家の『さん』が聞こえたタイミングよ」

 口を開いたのは石動だった。

「いわゆる名数型……三大◯◯はこれとこれと何でしょうみたいな形式の問題では、その数個ある内のどれが問われるか分からないから、問題文に含まれる最後の選択肢の一文字目を聞いてから押すのが本来は最も安全で正攻法。今回で言うなら『裏千家』の『う』ね」

「そこで『む』が来ていたら、逆に答えは『裏千家』の方になるってことか」

「そう。でもそんなことは、クイズの世界では基本的にありえない。『表千家』『裏千家』『武者小路千家』という三つの流派があれば、問われるのは仲間はずれの『武者小路千家』。そんなこと言い切れないって思うかもしれないけど、クイズってそういうもんなの。だから今回は三千家の『さん』が聞こえたら押していい。いや、押すべき」

 そういえば先日の大会でも、榊先輩が言っていた。

 ——名数問題は一番マイナーで特徴的なものが問われやすいというじゃないか——

 あのときはよく意味がわからなかったが、今は何となくわかる。出題者側の意図に添って考えると、明らかにそれを言わせたいんでしょ? という答えが見えてくる。表千家と武者小路千家ともう一つは何でしょう? なんて問題がきたら、ちょっと笑ってしまいそうだ。榊先輩ならきっと美しくないと言い捨ててしまうだろう。

「だからこそ、あの日のうおきちの押しに私は感心したのだぞ」

 榊先輩がにやりとした笑みを向けてくる。

「ストラヴィンスキーの三大バレエ音楽が問われたとき、お前は最初の一つも聞かずにボタンを押したな。正直私はしまったと思った。『春の祭典』『火の鳥』『ペトルーシュカ』の中で唯一日本語ではない『ペトルーシュカ』。それが答えになりそうだということに先に気づかれたのかと思ったからだ」

「実際は、ただのやけくそだったわけですけどね」

「ふふ。そうだったな」

 妖精が舞い降りて、次の問題がラストよーと告げる。セカンドステージは全部で三問しかないようだ。助かった。


 将棋における禁じ手で——

 

「あ」

 押してしまった。つい。

「ぷっ。あんたさては将棋が好きなんでしょ。得意分野がくると焦ってバカみたいなタイミングで押しちゃうってのは、クイズ初心者あるあるなのよねー」

「ぐっ……」

 石動にすべて見透かされていて、俺はぐうの音も出なかった。

 将棋の禁じ手……当然いろいろある。歩兵を二枚同じ筋に置いてはいけないというものを何というか。答え二歩にふ。相手が指す前に続けて二度指してしまうことを何というか。答え二手指にてさし。それ以外に王手放置やらもある。とてもではないが絞れない。

「……仕方ない」

 俺は何となく、本当に何となくでそれを入力した。持ち駒の歩兵を打って相手の玉将を詰みの状態にする禁じ手。

「なるほど『歩詰ふづめ』か。なかなか良いセンスだぞ、うおきち」

「はあ。センスなんて関係ありますか? この状況で……って、えっ」

「うそっ」

 まさかの正解だった。

 画面にはファインプレーの文字と共にスピードボーナスと表示されている。早押しのサカキはまるで優勝したかのように大剣を空に掲げ、喜びを表現していた。

「やればできるではないか、うおきち」

 榊先輩がぱちぱちと小さく拍手までしてくれる。

「たまたまですよ。将棋の禁じ手なんていくつもあるんですから」

「だがその中でお前は『打ち歩詰め』を選んだ。頭の中ではこう考えたのではないか? 『二歩』ではここまでの問題の難易度に対してやや簡単すぎる。『二手指し』は将棋に限った禁じ手ではないから、問題として少しアンフェアだ。『千日手』は連続王手の時に限って反則だからこれも不適切。『王手放置』や『移動間違い』などは、ワード的にクイズにするほどの面白みが感じられない。となると、ここは『打ち歩詰め』なのでは? と」

「そんな計算すぐにできませんよ……」

 本当に本当だ。俺はたまたま偶然なんとなく思いつきで『打ち歩詰め』を入力した。そのことには何の偽りも無い。

「ふふ、気持ちいいだろう。クイズというのは覚えることも調べることも考えることも楽しいが、やはり正解したときにこそ味わえる醍醐味というものがある。特に今回のような推測で読み切ったときには、こう、と脳内で気持ちいい音がするんだよな」

「いや、だからたまたまですって……」

 脳内でパチン? 何を言ってるんだこの人は。

 まるでクイズジャンキーじゃないか。

「ま。何が言いたいかというと、出題心理を読むことで答えが絞れるのは名数型や『ですが』問題に限った話ではないということだ。実践ではとにかくクイズ脳をフル稼働させて、答えの可能性を絞り込んでいく。意識はせずとも、きっとうおきちにもそういうクイズ脳が芽生え始めているのだ」

「はあ」

 だとしたら嫌な芽生えだなと、素直にそう思った。

「それでいつもうまくいくわけじゃないですからねー」

 後ろの方から釘を刺すように補足する九条さんの声が耳に残った。


  ****


「なんか、言うほど変なルールってわけでもないわね」

 サードステージを任された石動がぼやく。

 ルールは連想クイズ。一つ一つ明かされていくヒントに共通する連想ワードを早押しで答えるというものだった。


 熊本県、ジュース、桃太郎、——

「トマトね」


 河童かっぱ蜘蛛くも

「芥川龍之介」


 石動はすぱすぱと作業のように答えていく。あっという間に俺の作ったネガティブマージンを取り返して首位に躍り出た。

「おお。さすがだサンナ」

「……こういうの、実は結構得意なんです」

 覗き見ると、石動は珍しく楽しそうな表情を浮かべていた。普段のつんつんした顔よりよっぽどそっちの方がいい、なんてことは口が裂けても言えないが。


 798メートル、——


「これはレインボーブリッジね」

 即座に正解のサウンドが鳴る。一つのヒントだけで当てやがった。きっとこの後、お台場とか大捜査線とか封鎖できませんとか、色んなワードが出てきただろうに。俺は石動に変わり、胸中で問題作成者に向けて静かに謝っておいた。

「全長の数字を覚えているとはさすがだな、サンナ」

「代表的なものだけですけどね。長さとか西暦とかの数字はあまり人が知らない分、覚えておくと早押しで有利ですから」

 余裕の笑みだが言ってることはとんでもない話だ。西暦を覚えるのなんて、俺は歴史の授業ですら精一杯……というか語呂合わせでも無い限りできていない。

「あとは標高だな。特に七大陸の最高峰はよく出るから、標高を覚えておけば人より早いタイミングで押せる。うおきちも覚えておくんだ。……特に南極大陸最高峰ヴィンソン・マシフの標高が4892メートルということは、覚えておいた方がいいだろう」

 そこで榊先輩は薄く笑った。

 俺にはその理由がわからなかった。


 サードステージが終わり、最終成績は我らが早押しのサカキの優勝となった。

 一回プレイしただけだというのにぐいぐいとレベルが上がっていく。アイテムやらゲーム内通貨といった戦利品を一覧する画面に、あわせて今回のプレイに対する妖精さんのコメントが載っていた。

 第二ステージの成績がイマイチ。日本文化のクイズを特訓してね——

 ゲームの妖精さんにまで足手まといを指摘された気分だ。

「よし、このまま十連戦だ。賢者クラスまでいくぞ」

「え……マジすか」

 榊先輩は一人ノリノリだった。

 さすがに文句をつけて帰ろうかと思ったが、その初めてテレビゲームを買ってもらった少年のような笑顔を見ると、俺は何も言い出せなかった。

「カナメも参加しろー!」

「え〜」

 いつからここはeスポーツ部になったのかしらとぶつぶつ言いながら、九条先輩も渋々といった様子で参加する。

 俺は結局、日が暮れるまでそこに居た。


  ****


「しまった!」

 ようやくクイ研に解放されて下駄箱まで来たところで、俺は頭を抱えた。

 肝心なことを忘れていた。

「番号聞いてねぇ……」

 俺の運動靴につけられたダイヤル式の南京錠は当然そのままそこにあった。これを外してもらうためにクイ研に顔出したのに……ただ一緒にゲームして帰ってきただけじゃないか。バカか俺は。

「くそ……四桁か」

 総当たりで試せば一万パターン。試している暇はない。もうみんな帰ってるし、なんかしゃくだがこの間招待されたクイ研チャットで直接聞くしか無い。

 スマホを取り出してチャットアプリを開いたところで、新着メッセージが来ていることに気がついた。他でもない榊先輩だ。中身は、


 南極大陸最高峰


 一言、そう書かれているだけだった。

「おい……まさか」

 記憶を辿ると、あのときの榊先輩の含みある笑顔が浮かんでくる。

 ——特に南極大陸最高峰ヴィンソン・マシフの標高が4892メートルということは、覚えておいた方がいいだろう——

 なるほど、そういう意味だったか。

 ……ほんと、とことん性格の悪い先輩だ。


 4892


 脳内からではないが確かに音がした。

 、と。

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