第4話 クイズの日曜日②

 全員が一斉にボタンへ飛び込んだように見えた。

 俺以外。

「おぉーっと! 第1問を見事に押し勝ったのは——森之目もりのめ高校の石動いするぎサンナだぁ!」

 司会進行・猫川さんの絶叫が会場中に響き渡る。

 石動はというと、当然とでも言いたげな表情でツンと斜め上を向いていた。

「須崎御用邸。静岡御用邸。熱海御用邸。沼津御用邸。以上よ」

 そして読み上げるかのように滔々と解答した。

「お見事! 石動さんすべて正解4◯です! かつて存在したものも含め四つある、静岡県に造られた御用邸をすべて答えよ、という問題でした。今は存在しない御用邸まで覚えているとは凄いですねー」

 その解答っぷりには瞠目すべきものがあったのか、座席側からは上級生たちのおーという歓声が湧いていた。

 さすが自信満々なだけある。こりゃ石動の一人舞台になるかもしれないな。不承不承で出てきた俺としては、それならそれで十分だ。とにかく恥を掻くことなくここを降りたい。

「それでは第2問に参りましょう。問題! 現在までに五つ発見されている、めい——」

 鳴ったのは石動のボタン——ではなかった。

「今度は灯星とうせい学院のスーパールーキー小池くん! 素早い押しだ!」

「……『現在までに』ということは、今後さらに発見される可能性もあるということ。そして『めい』から始まる。この問題は、冥王星の衛星を問う問題だと推測しました。答えはカロン、ニクス、ヒドラ、ケルベロス、ステュクス。以上です」

「はい。すべて正解! 解説までありがとうございます! これで5◯なので、石動さんを抜いてトップになります!」

 石動の顔を盗み見ると、露骨にイラっとしていた。

「どんどんいきまーす。第3問! 全部で六つある、元素の中で最も電気陽性が強く——」

 押したのは再び、小池という男。

「アルカリ金属ですね。リチウム、ナトリウム、カリウム、ルビジウム、セシウム、フランシウムです」

「すべて正解! これで小池くんは一気に11◯だ!」

 石動の顔が更に険しくなった。わかる問題で押せなかったのが悔しいのか、ボタンの横をがりがりと爪で掻いている。

 何気なくちらりと座席の方を見た。

 さかき先輩がものすごい形相でこちらを睨んでいる。お・ま・え・も・お・せ。口がそう動いて見えたのだが、うーん俺の見間違いだろう。

「それでは第4問! 全部で六人いる、在職期間が十年未満の徳川——」

 また地鳴りのように、皆が一斉にボタンに飛び込んだ。俺以外。

「点いたのは再び、石動さんのボタンだー!」

 一つ息を吐き、石動は口を開く。

「家継。慶喜。家康。……家宣」

 そして、紡ぐ言葉が見つからないといった様子で、唇が止まった。

 これは問題としてはわかりやすい。要は徳川十五代将軍の中で、任期の短い六人を答えればいいということだろう。問題はわかっても答えはさっぱりだが。

 石動はやがて、絞り出すように続けた。

「……家重。家慶。以上よ」

 その横顔を、つーと汗が伝っていくのが見えた。

 司会の猫川さんはまた、どこぞのテレビ司会者のようにじーっと石動の目を見つめて、たっぷりと間を取り、

「4◯2×! ギリギリセーフ! 家重、家慶の二人は余計でしたね〜。これで石動さんは合わせて8◯2×ですが、もう誤答は許されないという状況になってしまいました!」

 セーフと聞いて、何故だか俺の方がホッとした。

 だが石動はというと、前髪をぐしゃりと搔き上げ小さく唸っていた。

「ダメだあたし。先輩が見てるのに」

「……2問も取れてるんだから十分じゃねえか? 俺なんか、押せないどころか今のところ一つもわかんねえぞ」

 別に励ますつもりなんてなかったが、そう取られたのかもしれない。お嬢様には癇に障る言葉だったようで、

「あんたと比べられてもね」

 冷たく返された。

「ではでは、第5問でーす!」

 猫川さんのテンションは落ちないまま、問題は続く。相変わらず俺にはついていけない難易度で第10問目までが終了というところまできて、会場は本戦のとき以上の盛り上がりとなっていた。

 袖の大型モニターに経過が映し出されている。一度も押せていない俺含め四名は名前すら出ていないが、その二人の名前は燦然と輝いていた。


 石動サンナ 19◯2×

 小池颯   19◯0×

 橋爪塔子  6◯1×

 南方翔太  5◯1×

 引田宗平  2◯3×(失格)


 石動か小池か。どちらが先に押すかで恐らく優勝が決まるであろうその局面を、皆が興奮の目で見守っている。

「そろそろ喉が涸れてきちゃいましたが、まだまだ元気にいくよー! 第11問!」

 横にいる石動はボタンに指をかけたまま、大きく前のめりになった。

 次の一問に対する集中が俺の方にまで伝わってくる。

「問題。南北朝時代までの日本の天皇の内、全部で十人いるじょ——」

 ピコーン——

 光ったのは、

「あ」

 俺の、ボタンだった。

「え、っと……」

 会場中の人間が俺に注目を向ける。それは期待の眼差しでも熱い応援の目でもなく、いやお前かーいという心のツッコミが聞こえてきそうな冷ややかなものだった。

 何となく心の中で謝っておく。ごめんなさい。

「おおっと? ここでボタンを押したのは森之目高校の隠し玉、魚住くんだー!」

 猫川さんのひたぶるなハイテンションが耳をつんざく。

 俺は何とか口を開いた。

「す、推古天皇」

 教科書の落書きを思い返していた。

 推古天皇の肖像画の周囲に書かれていた補足情報の数々。女性初の天皇。現在までで最後の女性天皇は——

「……後桜町天皇」

 なぜ知っているのか——と、またしても九条さんにからかわれるのだろうか。

「皇極天皇。斉明天皇。持統天皇。元明天皇」

 俺は答えた。

 教科書の落書きをきっかけに何となく気になって調べた、歴代の女性天皇の名を。

「元正天皇。孝謙天皇。称徳天皇。明正天皇……以上です」

 会場が一瞬にして凍りついたように感じる。経験したことのない緊張感と、猫川さんの含みある真顔が俺に迫り来る。そして、

「残念!」

 ブブーというブザー音が、俺を責め立てるように鳴り響いた。

「……え? あれ?」

「魚住くん不正解! 問をすべて読みます。南北朝時代までの日本の天皇の内、全部で十人いるによって二十歳を待たずして皇位を譲った人物をすべて答えよ。『じょ』だけ聞いて女性天皇を答えさせる問題と勘違いしたようだね? 残念ながらすべて違うので0◯10×で失格でーす!」

 隣から吹き出すような声が聞こえた。

「ぷ……くくっ……あははははっ」

 石動サンナが腹を抱えて笑っている。

「あんた面白すぎるでしょ。0◯10×って初めて聞いたわ」

「し、仕方ねーだろ」

 ……これだから勝負事は嫌いなんだ。

「緊張ほぐれたわ。ありがとね」

 むかつく横顔でそう言い捨て、石動はボタンに指を戻した。そして続く問題を当然のように押し勝ち、何食わぬ様子で答えのけ、見事新人賞の名を手にしたのだった。


  ****


「そもそも、明正天皇と後桜町天皇は南北朝以前の天皇ではない」

 座席に戻った俺に最初にかけられた声がそれだった。

 榊小凪先輩は、まるで羽虫でも見るような目で俺をなじる。

「そうでなくても現在までの女性天皇は十人ではない。八人で十代だ。それに猫川が読んだ『じょ』は明らかに長音を途中で切ったような音だったから、あそこで『女性』が続くことはありえない。見落としが多すぎる。集中力が足りないのだ」

「は、はい」

 え? 一問のミスでここまで言われるの?

「まあまあ、こなちゃん。ダメ出しはその辺にしましょう。もうすぐ第3Rが始まる時間ですよ?」

「そうだったな。うおきちよ、お姉さんたちの戦いをよく見ておくのだぞ」

 榊先輩と九条さんは席を立ち、前の方へと出ていった。

 続々と第3Rに出るのであろうプレイヤーたちがステージ上へと集まり始めたが、そこではまだ机やらの再セッティングが行われているようで、高師台たかしだい学園のクイ研と思しき生徒たちがせっせと働いている。うちの先輩二人はそうするように案内されたのか、同じ長机の前に移動していた。

 置かれた早押し機をじっと眺めている九条さんを見て、そういえば彼女もクイズプレイヤーなんだよなと今更なことを思った。

 あれ。待てよ?

「カナメ先輩はなんで第2Rに出てなかったんだ? って顔してるわね」

「お前時々俺の思考読んでくるよな」

 満足げなツラを下げた石動サンナが横に座る。試合後もスーパールーキーの小池とかいうやつに捕まって色々質問攻めに遭っていたようだが、解放されたようだ。

「あんたは第1Rの時にはいなかったから知らないだろうけど、カナメ先輩は——」

 キーッというハウリングの音で石動の声はかき消された。袖からマイクを持って現れたのはもちろん猫川さんだ。

「さあさあさあさあ! 泣く子も黙る第3Rだよー!」

 どんなラウンドだよ。

「本例会はこの第3Rが準決勝となってぇーおります! 出場者は第2Rの三つのブロックそれぞれで勝ち上がってきた計六名。プラス、第1Rのペーパーでシードを獲得した二名!」

 皆の目が九条さんに集まっているのがわかった。

「注目は何といってもペーパー首位を取った九条カナメさん! 森之目高校は石動さんに続いて本日二冠となるんでしょうか!」

 九条さんはゆったりとしたお辞儀で紹介に応えた。

「ペーパー首位。すごいな」

「今回のペーパーは足切りとシード決め、両方の目的があったの。上位二名がシード、三位から二十位までが第2Rに進出、それ以下は予選敗退って感じでね。部長は残念ながらペーパー四位でシードは取れなかった」

「なるほど」

 別に九条さんのことを侮っていたわけではない。が、やはり直接戦ったときの印象のせいだろうか、榊先輩の方がクイズプレイヤーとしては上手なのだと勝手に思っていた。それくらい、榊先輩には超越的な何かを感じたのだ。

「意外そうね」

「……いや、別に。まあ榊先輩はほら、部長だし生徒会長だし、なんか『春の祭典』のテストでもオール満点って噂が流れてたりするから。へーと思っただけだよ」

「別に嘘じゃないわよ、その噂」

「え?」

「うちの学校のテストくらい、部長なら満点だってワケないわ。ただ、それは一人じゃないってだけ」

「な。じゃあ九条さんも満点ってこと? 全部?」

 石動は眉の動きだけで答えた。

 やばすぎる。そりゃ部費もあれだけぶんどるわけだ。もはや知の暴力と言っていい。

「……あんたやっぱりカナメ先輩のことナメてるみたいね。このR、目かっぽじって見ときなさい」

 石動は前に向き直った。そんなつもりはないのだが……。

 俺も合わせて前に注意を戻した。

「さてさて準備も終わったようなので、第3Rのルール説明に入りますね! 基本は早押しによる7◯3×です。ただ誤答があった場合、また頭から問読みをします。誤答した人を除いて同じ問題で再勝負というわけです。これは正解が出るまで繰り返します。もちろんこれだけじゃありませんよ! 大事なのはここから! 二度目の問読みで正解した人には2◯、三度目の問読みで正解した人には3◯という風に、誰かが誤答する度にその問題のポイントは上がっていきます!」

 つまり、六人が立て続けに不正解を出し、七人目が正解したら、そいつはたった一問で勝ち上がりということになるのか。まあバラエティ番組じゃあるまいし、そんなこと起きるわけないだろうが。

「ただし、誤答した場合の×は常に一つです。先に7◯を獲得した三名が決勝の第4Rに進出となります。何か質問はありますかー?」

 スッと控えめに手を上げたその人は、八人の中でも一際異彩を放っていた。

 漆黒のワンピース。整った童顔にショートボブを備え、前髪は思い切りのいいぱっつんバングス。まるでお人形のような女の子だ。多分先輩なのだろうが、とてもそうは見えない。確か第2Rでは見なかった顔だ。

「お。ペーパー二位の橋爪はしづめ榴子りゅうこさん! なんでしょうか!」

「誤答後の仕切り直しでは、いつからボタンを押してもよいのでしょうか?」

「さすが良い質問ですね。誤答ブザーが鳴ったタイミングから、です。再度の問読みが不要であればそれを待つ必要はありません」

「わかりました」

 橋爪さんというらしいその人はゆっくりと手を下ろし、ボタンに視線を落とした。その途中で、くりっと丸い目が九条さんを一瞥したように見えた。

 質問はそれ以上無かった。

「それではさっそく第1問! いくよー」

 ————

 榊先輩だけじゃない。全員の空気が、確かに変わった。

「問題。繁栄の中にも常に——」

 何人かが一斉に動いた。少し離れたところから見ていても、動きだけでは誰が一番早かったのかはわからない。ただボタンが点いたのは彼女だった。

「ダモクレスの剣!」

 我らが早押しの女王は、ニンマリと口角を上げて笑っている。

「正解! 榊さん1◯です! 繁栄の中にも常に危険が迫っていることを表すギリシア神話の故事を何という。答えはダモクレスの剣でした」

 座席のそこここから、驚きとも呆れとも取れるようなが囁き声が聞こえてくる。

「続いて第2問です! 問題。生涯に93回の——」

 点いたはまたしても、榊先輩のボタンだ。

「葛飾北斎!」

「……お見事です! 生涯に93回の引越しをしたことでも有名な、代表作に『蛸と海女』『富嶽三十六景』などがある江戸時代後期の浮世絵師は誰でしょう。正解は葛飾北斎。榊さんはこれで早くも2◯です。第2Rに引き続き絶好調ですね〜」

 立て続けの二問連取。さっきのRから数えると十二問連続正解ということになる。

 やはり、この人は圧倒的だ。 

「第3問! 競馬において、競走馬の視界を狭め——」

 反応したのは榊先輩だけだった。三度みたび、彼女のボタンが点る。

「シャドーロール!」

 と、ここで猫川さんはまたお得意の溜めを発動した。榊先輩の目を熟視しながら、口開けたり閉じたり思わせぶりな動きを入れたり、楽しそうに間を作っている。

「不正解!」

 え……と声が出そうになった。

 榊先輩が、間違えた?

「やっちゃったわね。部長」

 石動の様子からは、何となくこの展開を危惧していたような感じが見て取れた。

 誤答はもちろん驚いたが、俺はその後の展開にも思わず目を剥いた。猫川さんの不正解コールの直後、ブザー音が鳴ったのとほぼ同時に、一人の選手が静かにボタンを押していた。

 例の黒いワンピースの彼女だった。

「第二回答者は橋爪榴子さん! どうぞ!」

「ブリンカー」

 呟くように、それでも自信はあるような、そんな声だった。しかし、

「残念!」

 彼女も不正解だった。人形のような顔が僅かに歪む。

 不正解のブザーが鳴っても続けて押す者はいなかった。猫川さんはそれを確認してから、再び手元の台本に目を戻す。

「では頭から読み直しますね。問題。競馬において、競走馬の視界を狭めて集中力を高めるために装着される、顔のよ——」

 ————

 美しい動きだった。

 柳のように柔らかくたおやかで、それでいて激しい。九条カナメさんのボタンを押す姿は、例えるならそんな感じだった。

 とても綺麗だ——

「う、ふふふふふふ」

 ——確かにそう思った。彼女が口を開くまでは。

「まったく。どこに装着する馬具なのかも聞かずに押すなんて、あなた方は本当に早漏ですね。そんなに間違えたければ、私があなた方のおでこにでも×印を書いて差し上げましょうか? 答えはチークピーシーズ。私は間違えません」

 正解のブザーが鳴る。

 え……九条さん。なんかキャラ違くない?

「カナメ先輩はね。早押し機を持つと性格が変わるのよ」

「そんなことある!?」

 石動はさらりと言ってのけたが、それ結構やばい。あの優しくて包容力のある九条さんが見る影もないじゃないか。

「お見事です! 九条さんはこれで一気に3◯! トップに躍り出ました! ×を貰っちゃったお二人もまだまだ大丈夫! 続いての問題いっくよー」

 猫川さんは怯む事なきハイテンションで進行する。

「問題! ビッグバンによって始まったとされる宇宙。その終焉の——」

 最初に押したのは四度よたび、榊先輩。

 だが表情は、先ほどまでの自信にみなぎったそれとは明らかに違っていた。

「……ビッグクランチ」

 ブブーと鳴ると同時、今度は九条さんのボタンが点る。

「ビッグリップ」

 即座に答えた九条さんに、正解ブザーが浴びせられる。

「こなちゃん悪い癖が出てますよ。ブーブーと汚い誤答ブザーの音を何度も聞かせないでください」

「ぐ……さ、さすがだ。カナメ」

 苦虫を噛み潰したような顔をして、榊先輩は額の汗をぬぐった。

 俺の横でふーんと感心するような声を石動が上げる。

「問題も中々いやらしいわね。ルールがルールだからか、敢えて誤答が生まれやすいようなのをところどころで差し込んできてる感じ。この問題もそう。企画したやつ絶対性格悪いわ」

 お前が言うな、と言いかけて俺はぐっと堪えた。

「どう? これ見てわかったでしょ。カナメ先輩はクイズプレーヤーとしては最強クラスのスーパーマン。もちろん部長もそう。だけど、部長の強さは危うい。押しが良すぎるせいで、常に一歩間違うと失格というところで戦ってるの」

「な、なるほど」

 よくよく考えたらそりゃあ、あの早押し正解は『当たり前』ではない。その先の問題展開の推測はあくまで推測なんだから、知らない転がり方をする事だってあるはずだ。

「早押しの女王早押しに溺れる——か」

 そして石動は寂しそうにそう呟いた。

「第5問! 猛毒バトラコトキシンを保有する種がいることで知られる、ニューギ——」

 押したのはそれでも、榊先輩だった。

 3問目と4問目で不正解があったから、ここで間違えたら失格のはずだが……

「ピトフーイ!」

 凜と言い切った。

「正解! 榊さんこれで3◯です! 猛毒バトラコトキシンを保有する種がいることで知られる、ニューギニア島固有の鳥類六種を指して何という? という問題でした」

 榊先輩は浅く目をつむり、ふっと息を吐いた。

「今のはお見事ですね、こなちゃん」

 九条さんが指だけで小さく拍手している。その瞬間はいつもの九条さんに戻っているように見えた。

「なあ石動。あの二人の関係ってさ」

「一言で言うのは難しいわね。幼馴染で親友でクイズのライバルでもあるわけだけど、個人的にしっくりくる例えをするなら、野球のバッテリーみたいなもんね」

「なるほど」

 榊先輩がピッチャーで九条さんがキャッチャー……というのは、わざわざ石動に聞き返す必要もないほど自明だった。

「部長。今のはよく堪えてたわ」

「ボタンを押すのをか?」

「うん。ほら、バトラコトキシンの保有だけだと、普通はヤドクガエルって答えたくなるところじゃない?」

「お、おう」

 そうなのか?

「でも、軽々けいけいに押さなかった。誤答を誘うような出題傾向を考慮して、自分の押しのポイントをアジャストしてきた。こういうところ、例の特訓の成果が出てるんだと思うわ」

「例の特訓?」

「……あんたもそれに参加してたんでしょ? 部長との早押し一対一」

「え。それって」

 部費のおすそわけキャンペーンじゃないか。

「あんなのが榊先輩の特訓? 俺たち素人を気持ちよくボコボコにして、ついでに新しいクイ研メンバーの引き入れをやってただけじゃ」

「それだけの理由であんなまどろっこしいことするわけないでしょ。あれはカナメ先輩が部長のために企画した特訓でもあるの。過剰早押し矯正ギブス」

 心の隅にあった違和感が、俺の頭の中にぽつんと浮いてきた。

 あのときのルール……

 ——部長が誤答した場合はその時点で挑戦者さんの勝ちですが、挑戦者さんが誤答をしても、その問題の解答権が部長に移るだけです——

 九条さんが説明してくれたあのルールは挑戦者のためのハンデなんかじゃなく、榊先輩の過剰な早押しを抑止するために設定したかせだった?

 そもそもだ。俺程度の人間があの榊先輩に2問も押し勝てたのは何故だ? このステージで、ただの一度も押し負けていない、あの早押しの女王に。

 ……決まってる。だ。

「ちっ」

「どうしたの?」

「別に。とんでもねー人だなと、改めて思っただけだよ」

「そんなの当たり前でしょ。部長もカナメ先輩も、クイズプレーヤーとしてこれ以上尊敬できる人なんていない。この私がそう思ってるんだから」

 石動の目は少女のように輝いていた。

 俺もステージ上に注意を戻す。波乱の幕開けをした第3Rは、これから6問目が読まれようとしていた。

「さて、どっちが勝つか。じっくりと見させてもらうわ。『押し負けない榊』と『間違えない九条』。あたしはこれが見たくて森之目高校に入ったんだから!」

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