第3話 クイズの日曜日①

 カバディ部の朝は早い——

 これはクマの言葉だが、偽りではないようだった。

 せっかくの休日をわざわざ早起きして連絡をしてみたのだが、既にやつは練習に向かってしまっていたようで、既読はつかなかった。

 中学でテニス部に入っている妹はそれよりもさらに早く朝練に出かけ、サラリーマンの親父もプロ野球のデイゲームを観るために他県まで遠征に出ていた。

 なぜだか俺の周りの人間は誰も彼も、勝負や競技というものが大好きらしい。朝練なんてしんどいだけだし、スポーツ観戦だって贔屓チームが負けたらストレスが溜まるだけだ。彼らは日曜日という貴重な時間が惜しくないのだろうか、と俺は思う。

 思う、が。

 ややもすれば俺のようなひねくれ者は時間を惜しみすぎてしまい、何をしたらいいのか、すべきなのか、わからなくなりがちなのだ。

 つまり、ヒマなのだ。

「……」

 かくして、俺は他校まで散歩に来ていた。

 私立高師台たかしだい学園。確か偏差値70オーバーの超がつく進学校。まさか俺がこの学校の校門をくぐることがあるとは夢にも思わなかった。

 きょろきょろしながら目的の校舎を目指す。九条さんから貰った案内チラシを頼りになんとかそれっぽい棟を見つけた。さすが私立といったところか、コンサートかプラネタリウムでもやっていそうな豪奢できれいな建物だった。

 自動ドアから中へ入る。セキュリティの方は割とあまいようで、ここまで誰に呼び止められることもなかった。本当にここで合ってるのか不安なまま奥までそろそろ歩いていると、アルミフレームの立て看板が目に入った。

「クイズ例会開催中。入室はお静かに」

 きれいな字で書かれている。看板の横にある入り口は確かに電気がついているようだが、大会をやっているとは思えない静けさだった。

 そろりと、ドアを開けた。

「……」

 部屋の広さも人も、想像以上だった。ざっと見渡す限り三十人はいる。

 棚田のように傾斜のついた形の教室の、ここは後ろ側のようだった。座っている人もいれば立っている人もいて、今何が行われているのかよくわからない。前側でホワイトボードを背にこちらを向いて立っている人が六人。その中に見覚えのある顔があった。

「さ、榊先輩か」

 その顔は、鬼の形相で俺に向いていた。

 えー。

 すげー睨まれてる。

「さーてさてさて! それでは第2Rといきましょうかね!」

 ちょっと鼻につくくらい元気な声が静寂を覆い尽くした。やがてマイクを持って袖から現れたのは猫……の着ぐるみを着た誰かだった。

「司会進行は私、高師台学園のクイズネコ。ニャエコこと猫川冴子ねこがわさえこでーす!」

 にゃはと笑ってピースサイン。その瞬間、座席側の二十人からいる人間が一斉にわーっと拍手を浴びせた。一部の席から「ニャエコー!」と謎の歓声が上がる。

 着ぐるみといっても顔は出ている。どちらかというとあれはパジャマだ。

「あらあら。うおきちさんもニャエコちゃんに心奪われてしまいましたか?」

「あ……どうも」

 話しかけてきたのは九条さんだった。私服の九条さんはエスニックなチュニックにほっそりジーンズという出で立ちで、なんというかさすがといった感じだった。よく見ると横にちっちゃいのもいる。

「誰がちっちゃいって?」

 なぜか心の声が伝わっていた。

 石動いするぎサンナはその矮躯を目一杯伸ばして俺の胸ぐらを掴んだ。

「あんた新人のくせになに平然と遅れてきてんのよ。もうペーパーも終わってこれから第2Rよ? わかってんのこの変態クソポテトがっ」

「ご、ごめん」

 聞きなれない罵られ方だ。

 九条さんがピンと人差し指を立てる。

「ちなみにジャガイモはナス科なんですよ? トウガラシやタバコもナス科。この辺はよくクイズに出るので覚えておいてくださいね」

「はあ」

 今そんなトリビアはどうでもいいです。

「今から第2Rなんですよね? 二人は前に出なくていいんですか?」

「サンナちゃんはエントリーしてないんです。まだ入ったばかりの一年生だから、来月から本格参戦ですかね。私は出ますよ。これからです」

 今度は人差し指を前に向ける。

「さあ、まずは我らが部長。こなちゃんを応援しなくちゃ、ですね」

 促されるまま、二人と並んで席に座った。周囲はまだ、猫川なんとかさんのきゃぴきゃぴしたパフォーマンスに釘付けで気もそぞろだ。

 俺は改めて前に並んでいる六人を眺めてみた。

 一番左に榊先輩。他の五人は全員男だった。先入観という眼鏡のせいもあるが、皆とても頭が良さそーに見える。

 日曜という素晴らしき日に真面目にクイズに勤しむのなんて、パネルを取り合うお昼番組の出場者くらいだと思っていた。だけどここにいる人は皆、その番組の出場者と同じくらい楽しそうだ。

 ……いや。一人、楽しくなさそうなのがいる。

「なんでまだ睨まれてるんだ俺」

 榊先輩の視線が怖い。というか痛い。

「あんたが遅刻してきたからでしょ。自業自得よ」

「にしても怖すぎないか?」

 声援がひとしきり尽きたのか、会場は徐々に静かになった。

「えー、それじゃルール説明をするよー! 第2Rは難問正解で一発逆転! 『文字数積み上げクイズ!』だー!」

 ぱちぱちぱち。

 猫川さん一人の盛り上がりとは裏腹に、今度の拍手はまばらだった。

 文字数積み上げクイズ。どういうことだってばよ。

「ふむ。第2Rにしては複雑そうですねぇ」

 九条さんが呟く。

 どうやら素人の俺だけが置いてけぼりというわけでもないらしい。

「ルールはそれほど難しくありません! まず、普通に早押しクイズをやります。解答権は最初にボタンを押した人だけ。当然、押されたら問読みもそこまで。ここからがこのルールの肝ですが、正解したときのポイントは『読まれた問題文の文字数』になります!」

 少し周囲がざわつき始めた。

「つまり、あまりに早押ししすぎるとカッコイイ割にポイントはしょっぱいということが起きます。神スラッシュはほどほどに。中には問題文がながーい超難問も含まれているので、そのときはポイントを一気に稼ぐチャンスです! ただし!」

 猫川さんはニタと口角を上げた。

「不正解時はマイナスポイント! 減るポイントも読まれた文字数分です! 0より下には下がらないので最初だけはダイブしてもいいかもね? 100ポイント先取で次のRに進出。勝ち上がれるのは各ブロックで二人です! はい質問はー?」

 榊先輩の横の男が手を上げた。

「文字数というのは表記上の?」

「いえ、平仮名に直したときの文字数です。句読点や括弧などの記号は文字数には含まれませんのでご注意を。あ、ただし数字は一桁一文字です。1は『いち』で二文字になるのではなく、一桁なので一文字ということです。それと促音や長音符は一文字として数えますよ」

「わかりました」

 更にその横の男が手を上げた。

「問題は全部でいくつまで?」

「20問です。無いとは思いますが、それまでに二名が100ポイントに到達しなければ、その時点でのポイント上位者を勝ち上がりとします」

「了解」

 それ以上の質問は無いようだった。

「こなちゃん大丈夫かしら」

 九条先輩が今度は不安そうに呟いた。

 奇しくも、俺も似たようなことを思った。早押し機に手を添えている榊先輩を見ると、あのクイズ対決のときの『怒涛の早押し』がフラッシュバックする。あの早さ、つまり彼女の武器が無効化されてしまうルールに思えたからだ。まあ、俺のような素人に心配されても余計なお世話だろうが。

「あ。大事なことを言い忘れましたが、問がどこまで読まれたかの文字数判定は高師台学園クイ研による人力判断になるので、微妙な判定にはご容赦くださいねっ。それでは! 第2R最初のブロックを開始しまーす!」

 ————

 榊先輩が集中モードに入った。

「問題。能楽においてしゅ——」

 ピコーン——と、鳴ったのは榊先輩のボタン。

「ワキ」

「……せ、正解です! 早っ! 能楽において主役を務める人のことをシテと呼ぶのに対し、脇役を務める人のことを何というでしょう。正解はワキ。えーと、森之目もりのめ高校の榊さんの獲得ポイントはー……」

 後ろのスタッフらしき男が何やら耳打ちしている。

「10文字! つまり10ポインツ!」

 ぱちぱち、と小さく拍手が起こる。

 相変わらずの理不尽的な早さだ。だが、今のですら10ポイント。もしも全文を聞いて答えていたら60近いポイントが入っていそうだ。もちろん、途中で誰かが押す可能性もあるから実際はそれほど理想的な展開には中々ならないだろうが。

 最も早い押しが最も良い押しにはならない。それは間違いないだろう。

「うふふ。楽しそうですね」

 いつの間にか、九条先輩がこっちを見ていた。

「そうですね。榊先輩って表情は割と怖いですけど、楽しんでるのは何となくわかります」

「いーえ。楽しそうなのはうおきちさんです」

「え?」

 俺は別に——と言いかけたところで、第2問の声が聞こえた。

「問題。1960年イギリスの計算機学者アントニー・ホーアが考案した、一般的に最も高速とされているソートアルゴリズムは何でしょう?」

 しん、と会場を無音が駆け抜けていった。

 驚いた。こんなこともあるのか。

 誰もボタンを押さないまま数秒が立った頃、おそるおそるピコンとボタンを押したのは榊先輩の横にいる男だった。

「えっと……クイックソート?」

 びくびくしながら答えているのは、横で仏頂面を携え憤懣やるかたなしといった様子の榊先輩が怖いからだろう。すごくわかる。

 猫川さんは口を真一文字に結んだままじーっとその彼を見つめ、徐々に徐々に目を見開いていく。そのうちファイナルアンサー? とか言いだしそうな雰囲気だ。

 そしてたっっっぷり溜めたのち、「正解っ! 三橋高校の横寺くんお見事!」と叫んだ。

「よし!」

 横寺さんというその人は小さくガッツポーズを決めた。

 ふーん。

「むむ、こうなっちゃいますか。こなちゃん大丈夫かなぁ」

「あたしもこの手の問題はさっぱりです。IT系の難問は情報系に明るいプレイヤーの独擅場になりがちなんですよね。気に入らないです」

 不安顔と怒り顔。隣の女性陣は対照的な表情で前を見つめている。

「横寺くんはこれでいきなり72ポインツ! 第3Rへといーっきに近づきました!」

 榊先輩はというと、表情は変わらず無愛想だが、何となくそれほど心を乱しているようには見えなかった。

 ただ、ひとつ小さく深呼吸をしているのが見て取れた。

「それでは第3問いきます。問題。振袖にたい——」

 ピコーン。

 点いたのは榊先輩のボタン。

留袖とめそで

 誰もが、そのあまりの早さに息を呑んでいた。

「せ、正解! 森之目高校の榊さん早い! 振袖に対して袖丈が短く、脇を縫い塞いだ振りの無い袖をもつ着物を何というか。答えは留袖! 7ポイント獲得なので、これで合わせて17ポイントになります!」

 また小さく拍手が起こる。

 しかし、隣の横寺さんとのポイント差はまだ四倍以上だ。周りの選手の様子を見ている限り、もっと聞いてから押しても十分先に点けられるような気がするのだが。

「不器用なのよね〜こなちゃんは」

 九条さんは嘆息した。

 この後どうなるのか、俺は素直に気になっていた。榊先輩が負けているところは中々想像できないが、端から見ているとそれは十分起き得るようだ。あんな風に完全無欠のスーパー女子高生に見えても、その時は割とあっけない姿なのかもしれない。

 ——などというアホなことを、このときの俺は考えていた。


「史上初めてノーベル平和賞とオリ——」

「フィリップ・ノエル=ベーカー」


「点や線などが逆さん——」

「シミュラクラ現象」


「北欧のヴェルサ——」

「ドロットニングホルム宮殿」


「間口がせ——」

「鰻の寝床」


「1、3、7——」

「メルセンヌ数」


「どっど——」

「風の又三郎」


 ……曲芸でも見に来ているような錯覚を覚えた。

 圧倒的。正にこの一言に尽きる。

 榊先輩は驚異の七連答により他の選手はおろか、ギャラリーと司会の猫川さんすらもドン引きさせた。全員の目が言っている。なんだこの人、と。

「さ、榊さんこれで71ポイントです」

 ……ポイントしょぼ!

 まだ横寺さんより低いじゃん! 効率わるっ!

「不器用ね〜。こなちゃんったら」

「いや不器用すぎません?」

 なんだか他の選手が総じてげんなりしているように見える。リードしている横寺さんすらそんな感じだ。きっとこう思ってるのだろう。

 もうこの人勝ち上がりでいいから早く抜けてくれ、と。


 結局、続く三問を榊先輩は当然のように連取し、十連答でようやく勝ち抜けという企画者泣かせのリザルトを叩き出した。これから同じルールで戦う他ブロックの選手たちは、この結果にどういう感想を持ち、どう受け止めるべきなのか悩んでいることだろう。

「ひどい試合だった」

 ちなみに張本人の第一声はそれだ。

 榊先輩は不満げな溜め息を吐き出しながら、座っている俺の頭をがしりと掴んだ。

「おい遅刻マン。今の私のかっこわるい戦いぶりは忘れてくれ」

「いや、十分かっこよかったですよ?」

 もちろんお世辞だ。

「む。そうか? ならよかった」

「こなちゃん。今のはうおきちさんのお世辞ですよ」

「何だと?」

 九条さんが余計なことを言うので、掴まれた俺の頭がぐわんぐわん揺らされた。

「本当はかっこわるかったか? いやーうおきち先生。こんな雑なプレイでお目汚しをさせてしまって非常に申し訳ない。申し訳ないなあ」

「ぐっ。な、なんで、褒めたのに!」

「そこまで言うからには、うおきち先生はさぞや見応えのある戦いを見せてくれるのだろうな? ふふ」

「いや俺別に何も言ってな——」

 ……ん?

 俺が戦いを見せる?


  ****


 なぜ。こんなことに。

「さあさあ! 第2Rもすべて終わったところで、本日の隠しイベントがはじまるよー! 各校から生きのいいニューカマーを集めて『新人王決定戦』だぁぁぁ!」

 猫川さんの絶叫と共に、浴びたこと無い拍手が降り注ぐ。

 俺のあずかり知らないところで、勝手にエントリーが行われていた。榊先輩と九条さんの手によって。あの二人、タイプは違うように見えてやっぱり本質は似ている。

 そういうわけで俺は石動の手によって引きずられ、教室の前までまろび出ていた。初めはパーカーの裾が捻じ切れるくらい抵抗したのだが、あの早押し女王の超威圧的眼力と「さっさと行け」の一言により、俺の反発エネルギーはどこかへふわり飛んでいってしまった。

 そして今はもう、諦めの境地でただ立っている。

「参加者は全部で九名! 注目は何といっても、歩く図書館とも呼ばれた灯星学院のスーパールーキー小池くん! そしてこちらも中学生の頃から名の売れていたフィンランドハーフ、森之目高校の石動サンナちゃん!」

 石動はハーフらしい。こんなときに初めて知った。

「あんた。やるからには本気でやりなさいよ」

「そんなこと言われても……」

 俺にはあなた方のような知識はないのです。

 ああ。こんなことなら第2Rの途中でこっそり帰っていればよかった。

「ルールは簡単! 早押しによる一問多答の20◯3×! 例えば『六法全書の六法を答えよ』という問題なら、一つでも答えられれば1ポイント、全部答えると一気に6ポイントが入るということだねー。ただし、誤答をするとその数だけ×も増えるのでご注意を! 解答者が答えている最中、こちらは一答ごとに◯とか×とか言わないので、あんまり調子に乗ると最初の一問でいきなり失格ということもありえます! でもでも、答えの数は問題によって違うので、これもさっきの第2Rと同様、一発逆転が狙えるクイズになってるよ〜!」

 榊先輩が後ろからこちらを見ている。何か言いたそうな顔で、くいっとボタンを押すようなジェスチャーを見せてくる。

「とにかく押せと、きっと部長はそう言ってんのよ」

 石動は言う。

「この渋いルール。いける問題で押せるのか押せないのかで、天国と地獄の差があるわ」

 その言いっぷりからすると、あまり好みのルールではないようだ。

「質問いいですか?」

 手を上げたのはスーパールーキーとかいう紹介をされていたやつだ。

「回答数は自由ってことですよね? いくつ答えてもいい、と」

「そうです。ただし、一答もしないというのは無しです。その場合も何かしら答えて1×だけは貰ってください」

「わかりました。ありがとうございます」

 丁寧にお辞儀をして、そいつは正面に向き直った。

 俺はあの『春の祭典』を答えた時のことを思い出していた。あのときは三分の一に賭けてボタンに飛び込む無謀な行為だったけど、このルールだとそれもセオリーかもしれない。

 つまり、一つでもわかればボタンを押したほうがいいってことだ。

「さーあ! それでは早速第一問いっくよー」

 皆が一斉にボタンに指を添える。

 俺も他にならってそうしたところで、自分の手がじっとりと汗を掻いていることに気がついた。あの部室での榊先輩との対決を思い出して、少し緊張しているのかもしれない。

「問題。かつて存在したものも含め四つある、静岡県に造られた御用て——」


 ピコーン——

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