第2話 クイズの要

 特に他にやりたいことがあるわけではなかった。

 中学の頃から部活には入らず、テキトーにそのときそのときに興味が湧いた事を楽しむばかりで、特定の何かをやり続けたことがない。趣味が何かと聞かれたら、ちょっと悩んで、そのときのマイブームを答えるというのがいつもの俺だった。

 ちなみに今は将棋。

 もちろんただのマイブームなので、得意なわけではない。特別強くなりたいわけでもない。もちろん将棋部に入るようなこともしない。毎日家に帰って、ネット対戦で素人との醜い泥仕合いを繰り広げるだけだ。

 そんな低カロリーで瘦せぎすの青春に慣れきっていたので、俺にとってクイズ研究部の勧誘は一言で言うなら恐怖だった。

「太陽系惑星の中で、唯一自転の向きが異なる星は何」

 目に刺さる朝日を手で遮りながら、俺はそれを読み上げた。

 登校時と下校時の毎日二回、最近の俺の下駄箱には必ずクイズのような問題が書かれた付箋が貼られている。

 知らねー。

 答えはどこにも書かれていない。気になるならスマホを出して調べればいいだけなのだが、それをするとあの人たちの思う壺のような気がして何だか癪だ。

 俺は付箋を剥がして折り畳んだ。捨てるのも気がひけるので、何となく生徒手帳に挟んで見なかったことにする。この流れはここ一週間で俺の日課になりつつあった。

 いつもの教室に入り、いつもの席に着く。

 一限目は日本史。机から教科書を取り出してふと、俺は違和感を覚えた。

 まあいいか、とひとまず受け流すがしかし。授業が始まって一分と経たぬ内に、違和感は正体を表した。

「なんだ、これは」

 教科書が落書きだらけだった。

 というかほぼ真っ黒。

 一瞬、いわゆるアレかと思って泣きそうになったが、それにしては書かれている文字が小さすぎる。よく見ると筆跡も丁寧だ。

 最初に目に付いたのは法隆寺の写真の横。「別名・斑鳩寺」と綺麗に書いてある。推古天皇のイラストの周りが特にやばい。「忌み名は額田部皇女」「女性初の天皇」「現在までで最後の女性天皇は後桜町天皇」「後桜町天皇は歌人としても活動。『禁中年中の事』という著書を残した」——後半は推古天皇関係無いじゃねえか。

 どれもこれもテストや受験とは無縁そうな情報だ。

「へぇ」

 気づけばそんな情報を熱心に読んでしまっていた。

 教科書を盾にこっそり詰将棋の本を読むのが最近の俺のトレンドだった、ということを思い出したときには授業は終わっていた。


  ****


 クイズ研究部に入る入らないはさておき、私物への落書きはシンプルにやめてほしいので俺は放課後クイ研の部室に向かった。面白い情報もあったとはいえ、これでは俺の教科書はクイズ知識で塗り潰されかねない。

 旧校舎に入り、一週間ぶりにその部屋の前にきた。強い西日が少し薄汚れたクイズ研究部のプレートを浮かび上がらせている。

 ノックのために伸ばした拳が止まる。中から例の音がした。ピコーン、と。少しためらったが、そっとドアを上げてみることにした。

「……」

 思いの外、人の気配がしない————ん?

「なによあんた」

 目が合った。

 開けたドアから見て対角線上の角っこに、足を組んで座る一人の女生徒がいた。それは榊先輩でも九条さんでもなかった。

 肩まで垂れたブロンドのおさげ髪を指先でくるくる弄りながら、彼女は訝るような視線をこちらに向ける。

「えと、一年の魚住と言いまして。いきなりスミマセン」

「……魚住? 部長が言ってた新入部員の?」

「たぶんその魚住です。ああいや、でも入るつもりは——」

 言い終わる前に、その子はガッと椅子を蹴り避けて勢いよく立ち上がった。凛とした面ざしをこちらに見せながらどすどすと近づいてくる。

 とても小柄な体躯で、目の前にしてみると小学生と見紛うくらいだった。

「見るからにバカそうな面ね。あんたにクイ研部員が務まるかとても不安だわ」

 なのでそんな風に言われても、ちっとも気分は害されなかった。

 高さ的にはなんだか頭を撫でたくなるような位置関係だ。

「だから俺はクイ研部員じゃないんですよ。ちょっと榊先輩と九条先輩に言いたいことがあって来ただけで。二人はまだですか?」

 見渡した限り、部室には彼女しかいない。

「部長は生徒会。カナメ先輩は多分、図書室。あと一応自己紹介しとくと、あたしもクイ研部員だから。一年の石動いするぎサンナ」

「あ。なんだタメか」

 彼女が一年生だと知って、なぜだか少し安心した。

「タメだからなによ。あたしは中学の頃からクイズやってんのよ。部長のこともカナメさんのこともずっと前から知ってる。ここにくる以上、あたしが対等だとは思わないことね」

 両腰に手を当て、どうだと言わんばかりの表情をしている。だからどうしたと言わんばかりの表情を俺はした。

 やがて何かに閃いたように石動は手を叩いた。近くの棚からファイルケースを取り出し、中から一枚の紙を抜く。

「そこに座りなさい。いいから早く」

 有無を言わさぬ口調に、思わず従ってしまう。

 座ってから何となく察したが、これはきっとあれだ。どうせまた入部届だ。誰が何と言おうと俺はクイ研に入るつもりはな——

「ペーパークイズよ」

「え?」

「全部で150問。制限時間は25分ね、はいスタート」

 鉛筆を雑に放って寄越し、石動は元いた椅子に戻った。

「ほら。一問10秒しかないんだから早くしないと終わらないわよ」

「いや待て。なんでまたクイズやることになってんの俺?」

「実力調査」

 テキトーな感じで言い捨てて、石動は置いていた本を読み始めた。

 なんでクイ研はこう、強引で人の話を聞かない女ばかりなんだ……。

「……」

 黙って帰ろうかと思ったが、よくよく考えると俺は用があって自らここにきたんだった。教科書の落書きが九条さんと榊先輩のどっちの仕業かわからないが、文句を言ってやるにはここで待たせてもらうのが一番だ。暇つぶしさせてもらおう。

 よく見るとこのペーパークイズとやら、それほど難しくない。

 言語、歴史、地理、化学、スポーツ、音楽、芸能、雑学、ファッション、サブカルとジャンルこそ幅広いが、4択になっているし、問われている内容自体がまあ一般常識と言うに足るレベルだ。これなら俺にだってわかる。一問目なんてひどいものだ。

 ——次のうち、しりとりで末尾につくと負けになる文字はどれ。

 ①あ ②わ ③を ④ん。

 子供騙しが過ぎる。あまりの内容に石動が俺のことをバカにしてるのかと思った。いくらなんでもなめすぎだ。いや、そもそもクイズなんて本当は大したこと無いんでは?


 とかいう認識は、前半30問くらいできれいに揮発した。

 ——世界樹ユグドラシルの上からヴァルハラの英雄達を目覚めさせるために時を作っているとされる北欧神話に登場する鶏を何というか。

 うん。わからん。何を言っているのかもよくわからん。

 そういえばそうだ。この間の榊先輩とのクイズ対決の時も、そんなん知るわけねーだろって感じの理不尽さが満載だった。今更ながら思い出した。この競技クイズってやつで必要とされるのは、それはもう理不尽なまでの知識だ。

 ——オーラク製菓の『チョコサンダー』一本あたりのカロリー量を答えよ。

 そしてあまりに理不尽すぎる最後の問題を終えて、俺は鉛筆を置いた。なぜか最後だけ4択じゃなかった。

 結局、途中からはわからなすぎて、時間的にはむしろ余裕があった。

「あら? うおきちさんじゃないですか」

 入り口に顔を見せたのは九条さんだった。

 変なあだ名は一週間経った今もしっかり有効のようだった。

「どうも。俺の教科書に落書きしたの九条さんですか?」

「うふ。落書きとは失礼ですね。せっかくこなちゃんが夜なべして、日本史クイズキーワードもりもりバージョンの教科書にアップデートしたというのに」

「もりもり過ぎます」

 少し科を作るような笑顔を浮かべて部屋へ入ると、九条さんはその細腕に抱えた十冊近い書籍を角のテーブルに置いた。

 そうか。あれは榊先輩だったのか。

「ちなみに下駄箱の付箋は私です。こなちゃんより字きれいだったでしょ? と、そんなことより一体何してるんですか? サンナちゃん」

「実力調査です。お疲れ様ですカナメ先輩」

 ぽんと本を閉じ、石動は俺を見た。

「なーんかあいつ、バカっぽいオーラがどばどば出てたんで、本当にクイ研のメンバーに相応しいか試してやろうと思ったんですよ」

「なるほどねぇ。うおきちさんにペーパーはまだちょっと早いんじゃないかと思うけど」

 九条さんが心配そうな目を向けてくれる。

 ええと。まだ早いも何も、俺はこれを解けるようにこれから訓練していくつもりなんてないのだが。

「さて、タイムアップよ新人」

「あ、はい」

 あれ? なんかマジでいつの間にか部員になってない? 俺。

 どれどれと石動は俺の答案用紙を取り上げて、採点を始めた。しゃっしゃっと手際よく赤ペンを走らせていく。俺と九条さんはなんとなく黙って終わるのを待った。やがて。

「150点満点で68点。ぜんぜんダメね。あんたやる気あんの?」

「はぁ」

 いや、やる気は別にないのだが。

「カナメ先輩。こいつほんとに部長から2問も取ったんですか? ぶっちゃけあたし、信じられないんですけど!」

「嘘じゃないですよ? これ、この間の例会のときのペーパーですね。ふむ。初めてにしてはがんばった方じゃないかと思うんだけど。前半の正解率もいいし」

「なんか最初の方は簡単でした」

「うん。この作問をした高師台学園の子のクセというか、ポリシーなんですよ。ずーっと同じ難易度のクイズが続くよりこっちの方が面白いでしょ?」

「そ、そうですね」

 後半100問くらいずーっと難しいだけでしたが。

「何がそうですねよ。あんた、その簡単な問題もたくさん間違ってるわよ」

 ずいと間に割って入り、石動は俺に問題用紙をつきつけてくる。

「8問目。日本で唯一の砂漠がある都道府県はどこでしょう。①鳥取県 ②北海道 ③東京都 ④青森県」

「鳥取だろ?」

「違う。答えは③の東京都。伊豆大島にある裏砂漠だけよ。砂丘は砂漠じゃないわ。続けて選択肢は同じで問題文が違う9問目。日本で最も大きい砂丘のある都道府県はどこ」

「と、鳥取だろ?」

「違う。答えは④の青森県。下北半島にある猿ヶ森砂丘の面積は、鳥取砂丘の約30倍よ」

「マジか」

 鳥取のみなさん、なんだかごめんなさい。

 石動はふふんと得意げに鼻を鳴らして椅子に戻った。体はこちらに向いたまま、今度はまた訝るような声で続ける。

「ひとつ気になるんだけど、あんたチョコサンダーのカロリー知ってたの?」

「いや。テキトーに書いただけだけど」

「……ふーん。ちなみに正解は96キロカロリー。あんたの回答は97キロカロリー。惜しかったわね。近似値問題でここまでニアピンしてるやつ初めて見たわ」

 珍奇な動物でも見るように、石動は目をぱちくりさせた。

 近似値問題……?

「ペーパークイズの最後によく出されるんですよ。正解数が並んだ選手に優劣をつけるための問題だから、普通は誰も知らないような数値を問うんです。1キロカロリー差なんてすごいじゃないですかうおきちさん。食品のエネルギーを答えさせる近似値クイズは私も何度か解いたことがありますが、こんなに近い数字は見たことないです。お見事です!」

 俺の疑問符を感じ取ったのか九条さんが解説してくれる。そして小さくパチパチと拍手までしてくれるので、何だか少し嬉しくなってきた。

 あれ? なんか俺、乗せられてる?

「ちなみにクイ研同士でやってる例会とか一般のクイズ大会では、1Rがペーパークイズになることが多いんですよ。得点上位の人が先のRで有利になったり、あるいはボーダーを超えられなかった選手をそこで敗退扱いにしたり、いわゆる足切りですね」

「へー」

 クイ研にもやっぱり大会というものがあるのか。高校生のクイズ大会なんて、毎年夏にやってるテレビ番組のやつくらいしか知らなかったけど。

「ちなみに魚住の点だと文句なしの足切りだから」

 石動の横槍が入る。せっかく九条さんに褒められて気分が良かったところを、余計なことをしてくれる。

「わーかってるよそんなの」

 俺は九条さんに向き直った。

「あの。前にも言いましたけど、俺別にクイ研に入るつもりはないんです。クイズが楽しいのはちょっとだけわかりましたけど、見ての通り俺には知識が無いですし、どうしたってこれが解けるような頭にはなりません。向いてないと思います。期待に添えなくてすみませんが、そういうことなんで」

 きっぱりと、言ったつもりだった。

「それじゃうおきちさん。一つだけ答えて」

 なのに、九条さんは花開くような笑顔を絶やさず俺に向けてくる。

「46問目。手塚治虫の漫画作品とロシアの作曲家ストラヴィンスキーの三大バレエ音楽の一つに共通するタイトルはどれ?」

 まるでテレビのナレーションのように流麗な問読み口調だ。

「——という問題を見事に正解しているうおきちさんですが、先週ストラヴィンスキーの三大バレエ音楽は『春の祭典』しか知らないぴょん! と言っていた彼が、これを正解できたのはなぜでしょう? ①本当は三大バレエ音楽をすべて知っていたから ②悔しくなってあの後すぐにストラヴィンスキーについてネットで調べたから」

「答えは③のたまたま、です。あとぴょんとか言ってないです」

「うふふ。本当かなー? ではついでにもう一つ聞かせて」

 なんだか段々と、九条さんの面ざしに湛えられたそれがいじわるな笑みに見えてきた。

「87問目。太陽系惑星の中で、唯一自転の向きが異なる星は何? ——という問題で、うおきちさんが見事に正解の金星を選んだのはなぜでしょう? ①もともと知っていたから ②今朝、何者かが下駄箱に貼った付箋に同じ問題が書かれていて、答えを調べると何だかクイ研のやつらの思う壺のような気がするなーそれも癪だなーと思うものの、知識欲溢れるあまりその衝動が抑えきれずにスマホを取り出しググってしまったから」

「……」

 なんだ。何者だこの人。

「……ええ。答えは②ですよ」

「認めた! 認めましたね、うおきちさん! いやーツンデレがデレるところを見たようで何ともむず痒いですね! サンナちゃん!」

「気持ち悪いこと言わないでください先輩」

 帰ったら制服のどこかに盗聴器が仕掛けられていないか調べようと思った。

「ということで、うおきちさんはクイ研に無事入部ということでいいですね?」

「いやいや! 唐突だな! 今の流れでどうしてそうなるんですか!」

「うおきちさんは私の出したクイズが気になってググった。これはつまり、口では嫌がっていても、頭は知識を、ひいてはクイズを欲しているということなのです。一度この体になってしまうとクイズ知識の無い日常は耐えきれません。禁断症状が出ます。処方箋のようにクイズが必要になってくるのです!」

 えー。

 急にどうした九条さん。

「そうするともうあなたの居場所はここ、クイズ研究部しかないのです。ようこそうおきちさん。我々クイズ研究部一同はあなたを歓迎します!」

「う……」

 ぱっと両腕を広げる九条さん。

「ちなみに今週の日曜日、高師台学園で例会があるのでよかったらいらしてください。私たちも出ます。もし興味が無かったら来なくてもいいですが……そんな心配、いりませんよね?」

 うふ、とウインク。

 この人は本当に、断りづらい空気を作るのが上手い人だ。


 翌日からは下駄箱の付箋も教科書の落書きもなかった。

 別に九条さんの言うような知識の渇望による禁断症状などは起こさなかったが、何だか少し寂しい気持ちになったのは確かだった。

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