第1話 クイズの女王

 一学期の初め。入学式と部活動勧誘の喧騒冷めやらぬ午後一時より、この学園では恒例となっているらしい五教科のミニ実力テストが実施された。

 通称、『春の祭典』。

 二年や三年ならともかく、入ったばかりの俺たち一年坊主にいきなりテストをやらせる意味がわからない。しかも、成績やクラス分けにも関係がないという。そんなテストだから、きっと多くの生徒は真面目にやろうなんて思わなかっただろう。

「助けてくれ。魚住」

 だからきっと、いま俺の目の前に広げられた友の答案用紙の上で踊っているバツ印たちも、こいつが真面目にテストに取り組まなかった結果だと信じたい。

 16点。五科目合わせて!

「クマ。お前ほんとバカだな……」

「そうなんだ。俺ってやつは本当にバカなんだ。本当に……! うぅ……!」

 午前の授業が終わり、さあ昼メシというタイミング。クマこと熊沢シゲオは俺の机の前で男泣きを始めた。邪魔すぎる。もともと感情の起伏は激しいやつだが、テストの点の悪さでここまで昂ってるを見るのは初めてだ。

「おい。お前は確かにバカだが、そんなこと気にしない程のバカだったはずだろ。どうしたんだ急に」

「うぐぅ……」

 気持ち悪い咽び泣きをしながら差し出してきたのは何かのプリントだった。

 部活動特別予算通知。カバディ部。0円。……えーっと

「カバディって金いるの?」

「いるよ! ユニフォームだって必要だし、大会参加にも金がいるんだよ! 先輩たちみんな困ってんだよ!」

「お、おう」

 近いし暑苦しい。なぜ入部して一週間も経たないはずのクマが、ここまで部のことで熱くなれるのか。すごいぞカバディ。

「でもよ。『春の祭典』の結果が部費に影響するってのは聞いたことあるけど、それって二年三年の話だろ? 仮にお前の点数が良かったところでその先輩たちが頑張らないと意味ねーんじゃね?」

「それはそうなんだが、ちょっと事情があるんだ。これを見てくれ」

 クマはスマホの画面を見せてきた。校舎の入り口にある掲示板の写真だった。少し拡大してみると、ポスターサイズの紙に部活名と数字が並んでいるのがわかった。要はさっきクマが見せてくれた部費割当、その全部活の内訳が一覧できるようになっているというわけだ。

 ふーんと思った矢先、「え」思わず声が出た。

「クイズ研究部……」

 そこに、全体予算の8割以上が割り当てられている。

 なんだこりゃ。

「そう、そうなんだよ。クイズ研究部。部員たったの三人のくせに全員が全員トップクラスの成績で、今の配分の仕組み上こんなことになってんだ。特に二年で生徒会長もやってるさかきって女はオール満点って噂もあるやべーやつだ」

 なるほど。お勉強の出来る部員だけが集まっていればかなり有利になる仕組みなんだろう。学生の本分が勉強だとすればこのシステムもまあある程度しょうがないと言えるが、さすがにやりすぎ感はある。

「ん? コレなんだ?」

 部費割当のポスター紙の横にもう一枚、A4くらいの紙が貼ってある。

 クイズ研究部からの挑戦状——とマジックペンで手書きされている。その下の字は小さくて読めなかった。

「本題はそれなんだ。クイ研のやつら、自分たちで部費取りすぎてさすがに心苦しくなったのか、『クイズ対決! 部長に勝てば部費をおすそ分けしちゃうぞキャンペーン!』をやるそうなんだ」

「すげー上から目線の嫌なやつらだな……。つーか勝てないだろ素人じゃ」

「いやいや大丈夫。ハンデ戦って書いてあったし。クイズなんて要は一般的な知識が問われるだけなんだから素人でも楽勝だって。わざわざこんなキャンペーンやるくらいだし、手加減もしてくれるに決まってるよ!」

 そんなうまい話があるだろうか。サッカー部とリフティング対決をするようなものじゃないか? まあでも確かにクイズなら、素人でも知ってるものは知ってるわけだし……いや、というか、クイズの玄人って一体なんだろう。

「とにもかくにも。こんな絶好のチャンスを前に、俺たちカバディ部が挑まない理由は無いわけでありまして」

「俺を勝手に0円カバディ部の仲間に入れるな」

 パチン、と音を立ててクマは合唱をした。

「おい。まさか俺にそのクイズ対決に出ろって言う気か」

「頼む! カバディ部の存続が掛かってるんだ!」

「自分で出ろよ! 一般的な知識が問われるだけだから楽勝って言ってただろ!」

「俺には一般的な知識など無い!」

 ものすごい説得力だった。あまりの威圧感に、全部で16点の答案用紙たちが机の上からひらひらと散っていった。

 クマはそれらを拾い上げてもう一度俺の机の上に広げた。

「ちなみにカバディ部の先輩も全員バカだ。俺が一番点数が良かった。もう頼めるのはお前しかいないんだ魚住。うぅ……」

 クマはほろりと涙をこぼした。

 大丈夫かカバディ部。

 勉強しろカバディ部。


  ****


 そもそも俺は対決や勝負というものが嫌いだった。

 きっかけはあれだ。無数の爆弾を隠し持ったボンバーなマンたちを操作して殺し合いをするクレイジーテレビゲームだ。5歳の頃に爆弾魔としての才能を開花させた俺は、並み居るおともだちを次々と蹴散らし、そして怒らせていった。

 結果、おともだちは一人残らず爆弾魔の元から離れた。

 スポーツをしていてもそうだった。少年サッカー部ではちょっとしたミスが発端で言い争いになり、負けるとすぐにギスギスした空気になるし、勝手なプレーをしたやつはコートの外でも迫害にあっていた記憶がある。

 それが好きで向いている人もいるんだろう。きっと人生に必要なものは人それぞれ違っていて、対決や勝負は俺の人生に何かをもたらしてくれることなどないというだけだ。

 だからこれは俺のためじゃない。あくまで友のためだ。

「クイズ研究部からの挑戦状……あったあったこれか」

 放課後。俺とクマは掲示板の前に来ていた。

 クイズ対決のルールその他、参加要領の確認のためである。

「って開催日昨日じゃねーか! もう終わってんじゃん!」

「なにぃぃ! 嘘だろ!」

 ちーんという音が聞こえてきそうだった。

 終了。

 ここまで重い腰を上げてきた俺のエネルギーを返してくれ。

「そ、そんな……。カバディ部の先輩が確か今日って言ってたのに」

 ほんと使えねーなカバディ部。

「とにかく、終わったんならもうやることないな。悪いが俺は帰るぞ」

「うぅ……」

 クマはうずくまって泣き出した。おもちゃを買ってもらえなかった子どもの駄々を見ているようだった。どうなってんだこいつの情緒は。

 無視して帰ろうかと思ったところで、後ろに人が立っていることに気がつく。

「あのー。その方、どうかされました?」

 女の先輩だ。スリッパの色で二年生であることがわかる。

 きれいに整った瓜実顔を傾げて、何かの幼虫のようにもぞもぞと床を這うクマを不思議そうに眺めていた。

「あーいえ、コイツはちょっとショックな出来事に打ちひしがれているだけです。どうぞおかまいなく」

「そうですか」

 先輩はそう言うとやおら歩み寄り、まさに俺たちが今見ていたクイズ研究会の張り紙をべりっと剥がしていった。長いサイドテールをふわふわと揺らして去って行く。

「ちょ、ちょちょっと! ちょっと待って!」

 クマは起き上がって先輩に詰め寄った。

「はいはい。何でしょうか」

「先輩、クイ研の人?」

「そうですけど」

「っ! それ、まだ参加できませんか? カバディ部の、俺たちカバディ部の未来が掛かってるんです! 掛かってるんですぅぅ!」

 慈悲を乞うように両膝をついて懇願するクマに、先輩は目をパチクリさせた。やがて「あら」と何か納得したような様子を見せ、

「なるほど、そういうことですか。いいですよ」

 ニコっと微笑んで、俺たちを部室へ案内すると言ってくれた。


 部室は旧校舎にあるらしい。入学して一週間経つが、一度も足を踏み入れた事がなかった。渡り廊下を通る途中で先輩は口を開いた。

「私は九条くじょうといいます。クイ研では副部長をやってます。よろしくね」

 夕日をバックに眩しい笑顔を向けられる。

 清々しいほどの美人だ。とても日ごろクイズを研究している人とは思えない。もっとこう、幼児教育とかフランス文学とかそういうのを研究したほうがいい人だ。たぶん。

「対決って先輩とやるんですか?」

 クマが聞いた。すっかり情緒を取り戻している。

「いえいえ。相手は部長です。張り紙に書いてあったルールご覧になってませんか?」

「見たけどよく覚えてません!」

 堂々と言うことか。

「簡単に言うと、部長と1対1の早押しクイズ対決。7◯で勝ちです」

「7◯? 7問正解すると勝ちってこと?」

「そうですそうです。クイズの世界では正解数を◯、誤答の回数を×と表現するんです。例えば5◯2×といった場合は、5問正解で勝ち、2問誤答で失格といった意味になります。ただ、今回のルールではハンデとして、部長のみ7◯1×。つまり、部長が誤答した場合はその時点で挑戦者さんの勝ちになりますが、挑戦者さんが誤答をしても、その問題の解答権が部長に移るだけでペナルティはありません。加えて、挑戦者さんは7◯取れなかったとしても、正解数に応じて部費はおすそわけするのでご心配なく!」

 へー。ルールだけ聞くと、確かにかなり挑戦者に有利だ。

 旧校舎に入って一つ上の階へ登る。窓から入る陽が差し添って、踊り場の古くなった床を熱くしていた。ここは本校舎よりも西日がよく届く。廊下を少し行ったところで九条さんはくるりとこちらに振り返った。

「参加できるのは各部一人までですが、カバディ部さんはどちらの方が?」

「……俺がやります。魚住っていいます」

 カバディ部じゃないけど。

「わかりました。では、こちらにサインをしてください」

「え?」

 どこから取り出したのか、書類の留められたクリップボードを渡される。そこには先ほど九条さんから口頭で伝えられたルールが一通りまとめて書いてあった。

 同意書のようだ。ここまでやるかね。

 ちゃちゃっと名前を書く。気づいたときには既に手遅れだった。

「や。なんだこの最後の一文——」

「はーいそれではニューチャレンジャー、魚住さんの入場〜」

 ぐい——と、一室に引き寄せられた。


 何かの対決となると、常に俺の頭の中には勝負だ〜というボンバー男のあっけらかんとした鬨の声が聞こえてくる。幼少期に植え付けられたインプリンティングというやつだ。

「よ、よろしくお願いします」

 そのはずが。

 今日の俺の頭の中のボンバー男は押し黙っていた。

「ああ。よろしく」

 険のある三白眼が俺を睨めつける。長身痩躯、明眸皓歯といえば聞こえはいいが、まとった雰囲気は美人女子高生というより鬼のそれだ。

 榊小凪さかきこなぎ。生徒会長にしてクイズ研究部部長。

「まだこの私に挑もうという輩がいるとはな」

 なんだその魔王みたいなセリフ。

 生徒会長として集会の場で登壇している姿を見たことがあるが、そのときはこんなに怖くはなかった。本当に同一人物かと疑うレベルだ。

「楽しませるのだぞ、一年坊主。ルール説明は終わってるな? カナメ」

「うん。もちろん」

 九条さんは変わらず眩しい笑顔で榊先輩に答える。

「いやちょっと待って。同意書の最後に書いてあった一文のことなんですけど」

 俺は勇気を出して水を差した。

 本クイズ対決で一問も正解できずに負けた学生は、今後クイズ研究会のいかなる命令にも従わなければならない——間違いなくそう書かれていた!

「何か問題でも?」

 なぜか九条さんの笑顔が少し怖く見えた。いや、問題ありありだ。

 向かい側から榊先輩が鼻を鳴らす。

「ふん。クイズに負けるんだ。すべてを失って当然だろう」

「当然なの!?」

 どんな世界だ。クイズでカーストのすべてが決まるパラレルワールドにでもワープしてきたのか俺は。

「おいクマ! お前も何とか言えよ!」

「いやーもうここまできたらやるしかないっしょ。やって勝つしかないっしょ。がんばるしかないっしょ。がんばれ魚住ー」

「お前……」

 知ってやがったなコイツ。後で覚えとけよ。

「ぴーちくぱーちくさえずるな。さっさと始めるぞ! ほら、第1問!」

「ぐっ……」

 これだから勝負ってのは嫌なんだ。

 勝たなきゃいけないじゃないか。

「えーそれでは早押しクイズ対決。カバディ部の挑戦開始しまーす。問読みは私、九条カナメが仕ります。出題する問題は公平を期すために他校のクイ研さんから無作為に提供してもらったもので、ノンジャンルです!」

 俺と榊先輩の前には一脚ずつ木製机が置かれていて、その上にはそれぞれ赤色ランプとボタンがセットになった箱のようなものが置いてある。早押し機というらしい。そこから伸びたケーブルが九条さんの前の机上に置かれたよくわからない機械に繋がれていた。

 九条さんはその機械のボタンをポチと押した。

「それでは第1問いきまーす」

 ————

 空気が変わった。

 榊先輩の鬼のような威圧感は潮が引くように遠のき、いつの間にか見えなくなった。

「問題。カナダの体育教師マ——」

 ピコーン。

 榊先輩の前にある赤色ランプが灯った。

「キンボール」

 ピコピコピコーン。

 は……? え? 何が起こった?

「正解です。カナダの体育教師マリオ・ドゥマースによって考案された、直径122センチ重さ1キロのボールを使った球技を何という? 正解はキンボール。こなちゃん1◯でーす」

 キンボール。そんなマイナースポーツがあるというのはどこかで聞いたことがあるような気はする。だけど今のは、

「い、イカサマだ! そんなに早く押せるのおかしいだろ!」

 クマが叫んだ。

 そうだ。いくら何でも早すぎる。国、職業、名前の最初の一文字だけで……。

「失礼な。イカサマではありません。この問題は先ほど言った通り、他校のクイ研さんから頂いたものです。それにこなちゃんはちゃんと確定ポイントで押していますから」

「か、確定ポイントぉ?」

 バカ面をぶら下げて今にも九条さんに詰め寄ろうとするクマを、鬼の雰囲気に戻った榊先輩が「おい」と制した。

「聞くがお前。カナダの体育教師で『マ』から始まる人物を、マリオ・ドゥマース以外に一人でも知っているか?」

「し、知るわけないだろ! マリオ・ドゥマースしか知らねーよ!」

 嘘つけ。

「そうだよな。私もそうだ。そもそもカナダの体育教師自体、他ではバスケを考案したジェームス・ネイスミスくらいしか知らない。不勉強なのでな」

 榊先輩は嘲るように笑って、続ける。

「つまり。カナダの体育教師マと言われたら、私の中での選択肢はマリオ・ドゥマース、然すればキンボールに絞られる。なぜならマリオ・ドゥマースに関わることで私が知っているのもまた、キンボールだけなんだ。不勉強なのでな」

 ククククと笑う榊先輩。クマは先ほどまでの威勢はどこへやら、すごすごと俺の後ろに戻った。

「さあ、第2問いこうか!」

 また榊先輩の空気が変わる。

「問題。ある人物をお——」

 ピコーン。

「ベイカーベイカーパラドックス」

「正解! ある人物を思い浮かべたとき、その人の容姿や職業などの周辺情報は思い出せるのに、肝心の名前だけが思い出せないといった現象を何という? 答えはベイカーベイカーパラドックス。こなちゃん2◯です」

 ……ダメだ。早すぎる。

 しかも最後まで聞いてもわからない。

「フフ。いかんな。今のはちょっと早すぎたか」

「そうですよー。こなちゃん間違えたらその時点で負けなんですからね?」

 そうだ。確かクイ研側が誤答をした場合は、その時点で俺たち挑戦者側の勝ちが決まるというルールだったはずだ。

 ……だがなぜだ。この人が誤答するところが想像つかない。

「問題。アニメ『サザエさん』に登場するカツオやワカメが通う——」

 ピコーン。

「かもめ第三小学校」

「正解! アニメ『サザエさん』に登場するカツオやワカメが通う小学校の名前を何というでしょう? かもめ第三小学校。こなちゃん3◯でーす」

 ……。

 バッカモーン! 架空の学校じゃねーか! 知るわけねーだろそんなもん! てか何で知ってんだこの人は!?

 だめだ。このままでは一問も取れずに終わる。おのれクマめ。何が一般的な知識が問われるだけだから楽勝だよ、だ。何が手加減してくれるよ、だ。

 一般知識でもねーし、手加減する気だってさらさら無さそうじゃねーか!

「問題。雪の降るくり——」

 ピコーン。

「ほう」

 点いたのは俺のランプ。

 よし! 一か八かでいったら押し勝てた! どうせ先に押されたら取られるんだ、先に飛び込まない理由はない。クイ研の奴隷になるのは御免だ。

 さて……雪の降るくり、って言ったよな? 栗? 雪と栗に何の関係が……

 そうか! クリスマスだ! 雪の降るクリスマス……つまり、

「ホワイトクリスマス!」

 ブブー。

「え……ち、違うの?」

「続きを読みます。雪の降るクリスマスをホワイトクリスマスというのに対し、雪の降らないクリスマスのことを何というでしょう?」

「グリーンクリスマス」

「正解です。こなちゃんこれで4◯でーす」

 ぐ、なんだそれ。ひっかけかよクソ。

 ……いや。だが問題文全体を聞くと、素直にホワイトクリスマスを問うよりもむしろこっちの方が自然なクイズになっているような気がする。雪の降るクリスマスを何というでしょう、なんて、そんなの何だか急に気持ち悪い。

「魚住くんだったか? なかなか悪くないぞ」

 なぜだか褒められた。榊先輩はにっこり、いやニンマリと口角を上げて微笑み、挑発するように俺に人差し指を向けた。

「押さなきゃ何も起きないのだからな。クイズは」

 そして早押し機のボタンに指を戻した。

「問題——」

 そこからはもう言わずもがな。描写するのも憚れる。榊小凪の独擅場は続き、結局俺はその後、ボタンを押すことすらできなかった。


「はーい。こなちゃん7◯につき終了です。ウイニングアンサーはアポトーシスでした。カバディ部さんお疲れ様でした。魚住さんは今後我々クイズ研究部の出す命令には必ず従ってもらいますので、ゆめゆめお忘れなきよう宜しくお願い致しますね」

 九条さんは相変わらず真綿のような笑顔を差し向けてくれるが、俺には絶望感しか湧かなかった。というか、冷静に聞くと言葉は棘だらけだ彼女。

「これ、部費貰えた挑戦者いるの?」

「昨日全部で21人の部活代表者さんと対戦しましたが、全問こなちゃんが取りましたね。残念ながら、まだどなたにもおすそわけできていないという状態なんです」

「あ、そう……」

 それを先に聞いておくんだった。

「まぁちょっと待てカナメ」

 榊先輩はふらふら帰ろうとする俺のことも制した。

「さっきの問題。もう一回読んでみろ」

「えっと、おたまじゃくしの尻尾が無くなるといったような、あらかじめプログラムされた細胞死のことを何という? ですけど」

「それ、間違っちゃいないがクイズとしては欠陥問題だ」

 先輩は唾棄するように話す。

「おたまじゃくしの尻尾が消えるのは間違いなくアポトーシスだが、それだけが『あらかじめプログラムされた細胞死』じゃない。本来、プログラム細胞死は3タイプに分類される。問題文にするなら、プログラム細胞死の内、おたまじゃくしの尻尾が無くなることに代表されるものは何? あるいは、おたまじゃくしの尻尾が無くなるといったようなプログラム細胞死のことを、予期せず起こるネクローシスに対して何と言うか? だ。その問題は美しくない」

「あー。また始まった」

 九条先輩の困り顔から、トホホと息をつく音が聞こえてきた気がした。

「カナメ」

「わかってますよ、ノーカンですね。魚住さん。最後の7問目をやり直すので定位置に戻ってください」

「え、あ、はい」

 いや。もう一問やったところで何も変わらないと思うんですが。

 仕方ないので元の位置に戻る。よくわからないが、榊先輩は美しくない(と感じた)問題で獲得した正解は認めたくないらしい。色々と難儀な性格だ。

「では仕切り直して第7問。雪はてんか——」

 ピコーン。

 点いたのは俺のランプだった。

「ほう。グリーンクリスマスの問題といい、雪が好きなのか君は?」

 押し勝った。たぶん、目の端に映った榊先輩の動きからしてほぼ同時。すんでのところで俺のボタンの信号が先に届いた。

 驚いた。

 何に驚いたかって、直前まで俺には押す気なんてなかったのに、押せたことだ。一か八かなんかじゃなく、

「中谷……宇吉郎」

 わかるから押せた。

 知ってたから押せた。

「せ、正解です。『雪は天から送られた手紙である』という言葉を残したことで知られる、世界で初めて人工雪の製作に成功した日本の物理学者は誰。正解は中谷宇吉郎」

「……ぉ。うおおおおぉぉぉぉぉぉぉ! やったぜ魚住! カバディ部のメシアだああ!」

 クマに抱きつかれぐらぐらと揺れる。まるで優勝したかのような騒ぎっぷりだ。

 九条さんが「あ!」と声を上げる。どうやら気づかれたようだ。さっき書いた同意書のサインをまじまじと見て、呟く。

「魚住、宇吉郎……」

 そう。俺の名前は魚住宇吉郎。自分と同じ名前の偉人の事くらいちょっとは知ってる。それだけといえばそれだけなんだが。

「ふん。なるほど」

「ともかく魚住さんこれで1◯ですね。おめでとうございます!」

「あ、ありがとうございます」

 いやしかし、これで何とかクイ研への絶対服従は免れた。榊先輩のクイズ文に対する厳しすぎるポリシーのおかげだ。助かった。本当に助かった。

「じゃあ気を取り直して第8問いきますね。問題。カバディにおいて攻撃しゃ——」

 ピコーン。

 点いたのはまた、俺のランプだった。

 思わずガッツポーズが出そうになった。

「カバディ部にカバディの問題が当たるなんて、すごい強運ですね」

 本当は俺はカバディ部じゃないが。これはわかる。カバディにおいて攻撃者のことを何というか。レイダーだ。

「レ……っ。いや、ちょっと待て。アンティ。アンティだ!」

 これはきっと、さっきのクリスマス問題のときと同じ……!

「正解です。カバディにおいて攻撃者のことをレイダーと呼ぶのに対し、守備側の選手のことを何というでしょう。正解はアンティ」

 よし!

「うおおおお! すげーぞ魚住! ほんとはカバディ部じゃねーのに!」

「おい!」

「え? 魚住さんカバディ部じゃないんですか?」

 このバカクマ。せっかく手に入れた部費がパーになってしまう。

「えーっとその。臨時部員といいますか。人数合わせの助っ人部員といいますか、そんな感じで、籍自体は無いんですけれども、その」

「気にするな続けるぞ」

 思わぬ助け船は榊先輩の口からだった。

「お前がカバディ部じゃないことは気づいていた。私は生徒会長なのでな、今年のカバディ部新入部員が一人しかいないことは覚えていた。後ろの応援をカバディ部員に偽装するメリットなんて無いからな。必然的に偽部員はお前の方だ」

 榊先輩はギロリと、強い強い眼力で俺を睨んだ。

 だがなぜか、最初のときほど怖さはない。その目の奥で、うっすらと、楽しそうに笑っている気がしたからだ。

「だが、そんなことはどうでもいい。久しぶりに2問も取られたせいで、さっきからボタンが押したくてうずうずしっぱなしなのだよ。さあ続きをやろうじゃないか。9問目ぇ!」

「はいはい。じゃあいきますよ。問題」

 慌ててボタンに指を構える。

「ロシアの作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキーの三大バレエ音楽といえば、——」

 押した。

 点いたのは三度、俺のランプだ。

「ちっ。そりゃ早すぎだ」

 三大バレエ音楽といえば、と言っていた。つまり、ほにゃららとほにゃららと、あと一つは何でしょう、みたいな、たぶんそんな形式のはずだ。

 つまりどれか一つを答えれば三分の一で当たるということ。

 迷う必要は無い。

 なぜなら、一つしか知らないから!

「答えは……『春の祭典』」


  ****


 部費に係る書類にクマが記入するのを待ちながら、なんだかぐったり疲れた俺は窓から外を眺めて黄昏れていた。指に未だ、ボタンの感触が残っている。

「どうでしたか? クイズって楽しいでしょう?」

 九条さんがウフフと話しかけてきた。

「いや、つまんなかったです。ほとんどは意味わかんねーしそんなん知ってて何の役に立つんだって問題ばっかりだし、全然歯が立たないし」

「でも、2問取れたじゃないですか」

「たまたまです」

「たまたまですか」

 そう。中谷宇吉郎もアンティも、俺にしてはかなりマイナーなトリビア的知識だ。それがたまたま出題され、たまたまギリギリのところで押し勝てただけのこと。榊先輩には一度誤答すれば負けというルールがあったから、それにも助けられた。

 勝てなきゃ楽しくなくて、でも勝ちにこだわれば誰かが楽しくなくなっていく。俺は対決や勝負というものに付き纏うその原則こそがつまらないのだと、ボンバー男に教わったのだ。

「負けず嫌いかよっ」

「は? え? いやいや。俺は負けず嫌いなんかじゃないですよ」

「ふふふ。なにか色々頭の中で言い訳してるみたいでしたので、突っ込んでみました。単に悔しい! 次こそ勝つ! じゃダメなんですか?」

 九条先輩はピラと、何かの紙を手渡してきた。

「こなちゃんからのプレゼントです」

 入部届、と書かれている。

 いやいやいやいや。

「入らないですよ! 俺は別に体験入部に来たわけじゃ——」

「おまえ」

 後ろからドスの効いた悪魔の声がする。

「魚住宇吉郎。どうして中谷宇吉郎のことを知っていた?」

「榊先輩……どうしてって、名前が一緒だからですよ。たまたま一緒なだけですけど、自分と同じ名前の偉人がいたら、普通気になってちょっと調べたりするじゃないですか」

「ふーん。普通、ね。どうなのだろうな。じゃあアンティのことはなぜ知っていた? 本当はカバディ部でないお前が、カバディなんてマイナースポーツの用語を知っているのはどうしてだ?」

「あいつが、クマがカバディ部に入るって言ってたんで、ちょっと気になって調べただけですよ。そのときのレイダー、アンティって言葉が偶然頭に残ってたんです」

「友達が入る部活のことまで調べるとは、随分ヒマなんだな」

「そうですよ。バカにしてます?」

「まさか。褒めてるんだ」

 ぐいっと、榊先輩が顔を近づけてきた。俺の目の奥の光を確認するように。

「では最後の質問だ。ストラヴィンスキーの三大バレエ音楽の問題、なぜあのタイミングで押した? なぜ答えが『春の祭典』だと思った?」

「それしか知らなかったんですよ。なんとなくあのタイミングで押さないと先輩に先に押されそうな雰囲気も感じたんで、どうせ一個しか知らないならと思って押しただけです。結果はあのざまでしたけど」

 実際の正解は『ペトルーシュカ』。聞いたこともなかった。

「『春の祭典』だけ知っていた、か」

「はい。ほら先週のミニ実力テスト、毎年あの時期にやるもんだから一部の間で『春の祭典』って呼ばれてるらしいじゃないですか。なんじゃそらと思ってググったんですよ、こないだ」

「くくくくっ」

 何がそんなに面白いんだろうか。

 榊先輩はついに我慢しきれなくなったように、高らかに笑い始めた。

「ははははははっ! いるものだな探せば。君はクイズプレイヤーに相応しい。いや、もう天然のクイズプレイヤーと言っても過言では無いだろう」

「過言ですよ! 何ですか急に!」

「気づいていないのかもしれないが、君は知らないことを知るということを純粋に楽しめる器を持っている。魚住宇吉郎。いや、うおきち。君は今日からクイズ研究部第4メンバーだおめでとう!」

「いやいやおかしい! うおきちって何ですか! 俺、ちゃんと1問以上正解したじゃないですか。なんでクイ研の命令にしたが——」

「おめでとうございます! うおきちさん!」

「九条さんまで!?」


 これは後から聞いた話だが、クイ研としては部費のおすそわけなんてどうでもよかったらしい。というか、あのガチクイズ先輩にしてみれば、きっと分け与える気なんてさらさら無かったはずだ。

 敢えてこのキャンペーンを正しい名称に直してみるとすれば、クイズ研究部部員の人材選別と引き抜き&ついでに他の部活動からくる部費等のクレームを排除するために、適当なバカと絶対服従契約を結ばせておこうキャンペーンだ。長い。

 かくして俺は彼女らの企画の通りに踊らされ、晴れてクイズ研究部に入————らない!


 入らない!


 そんな部活ものがあってもいいんじゃないでしょうか!

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