2-7


    ◇


 常之倉市、バトルエリア内病院設備、内科問診室。


「ほれ、これで良かったか?」


 扉を開け、部屋に入ってきた一場が、先に待っていた真也に向け、ペットボトルの烏龍茶を差し出してきた。


「……どうも」


 それに対し、真也は伏し目がちに彼からの差し入れを受け取った。


「いやいや、さっきは悪いことしてすまなかったな」


 ははは、と一場は笑うが、辱めを受けた真也からしてみればその笑いすらも嫌味に聞こえてくる。


 ……状況は十数分前に遡る。


 真希を交えた最初の事情聴取が終わった後、一場が発言した通り、彼と真也の二人だけで事情聴取の続きと今後の対応に関して別室に移動の上で話し合うことになった。


 真希は、事情聴取後のショックが大きいと一場に判断され、由佳からメンタルケアを受けるようにと指示を受け、そのまま待合室に残った。


 一場の判断はあくまで口実に過ぎず、頭に血が上っている由佳を真也から遠ざけるのが恐らくの狙いだった。多分あの素っ頓狂にメンタルケアなんて出来るはずがない。


 一場の気配りは正直有り難かったが、かと言って真也の緊張が解れる訳ではなかった。笑い上戸を気取るこの男と接してまだ1時間も経っていないにも関わらず、彼から時折滲み出る得体の知れなさには、緊張を解くなと言う方が無理な話だった。


 そして、一場に連れられて別室、内科問診室に到着した際、真也の表情が強張ったままのことに気付いた一場は、


「始める前にちょっとリラックスするか、コーヒー、ブラックでいいか?」


 ちょうどとっておきのブレンドを持ってきてるんだ、と何気なく真也にそう問いかけたが、


 ……それがいけなかった。


 ブラック?コーヒー??何が美味しいんだあんなもの!!


 真也の脳内で嵐が吹き荒れる。無意味に苦いだけのカフェインの塊、砂糖やミルクを加えてもただエグみが増すだけの欠陥飲料、間近で匂いを嗅ぐだけでも吐き気がする、コーヒーに対する罵詈雑言が口には出ないが炸裂する。


 ブラックは当然、ホットであろうがアイスであろうが真也はコーヒーが嫌いだった。幼少の頃、両親に友人を交えてファーストフードで食事をしていると、コーラを飲んだつもりが間違って父のアイスコーヒーを飲んでしまった悲劇から、彼はあの苦い飲み物への憎悪の海から抜け出せずにいた。


 時々自販機で缶コーヒーを買う友人の直倉を真也は人間だと認識してないし、大切な人だと想っている真希に対しても、コンビニでカフェオレを嬉しそうに買う姿だけには、本当に申し訳ないが、軽蔑の念を覚えるくらいにはアレルギーがある。


 そんな真也からしてみれば、一場の提案は狂気の拷問への誘いにしか聞こえなかった。即座に激昂し、精神的苦痛を受けたとして裁判所へ駆け込む準備だってある。


 だが、現実には出来ない。一場の得体の知れなさが怖いとかそういうのでは決してないとは言い切れないが、それ以上に社会の通念といった歪んだ常識がいつも彼の前に立ち塞がるのだ。


 男ならコーヒーを飲めて当然、ブラックを飲めてこそ大人の証。


 実に偏見に満ち満ちた考えだと真也は常々思うが、社会ではそれが常識だ。内心で人でなしと見下している直倉も社会のフィルターを通せば立派な大人で、コーヒーの飲めない真也がお子様、いや、人でなしの烙印を押されるのだ。彗星症への迫害となんら変わらない現実がそこにはあった。


 烙印を押されない為には我慢してコーヒーを飲めばいい、と人は言う。だが、本当に飲めない人間はどうすればいい?


「コーヒーは苦手で……、その、お茶で」


 ……素直に辱めを受けるしか道はないのである。


 その後、当然ながら一場に笑われたのは語るまでもない事実である。


 ……閑話休題。


「まあ俺もお前さんの頃には飲めなかったからな、もうちょっと歳取れば分かるようになるさ」


 そう言って一場は、何処からか持ってきた水筒を開け、キャップと兼用のコップに湯気立つ黒い液体を注ぎ込んでいく。


「うーん、やっぱこれこれ」


 湯気から香る独特の匂いを鼻で味わってから、一場はコーヒーに口をつける。サングラス越しでも彼の幸せそうな雰囲気が見て取れた。


 ……コーヒーの良さなんて一生分かってたまるもんか。


 一場からの何気ないアドバイスに嫌悪感を覚えながら、真也は受け取った烏龍茶を一気に飲み込んだ。

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